八百屋お七
半鐘の音が江戸の町に響く。
ガラガラと荷車を押す音、人々の助けを乞う声。ミシミシと建物の崩れる音、火消しの交わす声。
子どもの泣き声すらも、火事の熱が覆い尽くす。
それは天和二年十二月二十八日、暮れも押し迫った日の大火であった。
駒込にある大円寺の塔頭から出た火は、隣の同心屋敷を焼き、瞬く間に本郷一帯へと燃え広がっていった。
加賀藩前田家を始め、多くの大名、旗本の屋敷を焼き、さらに湯島、神田、日本橋と延焼していく。
それでも勢いの衰えない火は隅田川を飛び越え、回向院、富岡八幡宮をも焼失させて、翌二十九日の巳の刻頃にようやく鎮火した。
本郷の八百屋、八兵衛の一家も焼け出され、ここ駒込吉祥寺に家族で避難していた。
火事と喧嘩は江戸の花とは言うけれど、自分が焼け出される側になれば、笑ってばかりもいられない。今は何とか持ち出した家財を寺へ下ろし、一息入れたところだ。
勢いよく燃える炎は、明々と夜空を染める。それを睨みつけながら、明日からもう一度店を立て直さなければならないと、八兵衛は早くもあれこれと思案に耽るのだった。
その八兵衛に背を向けた娘のお七は、心ここにあらずといった様子で、ひとつ所を見つめていた。
お七という娘は、頭も良く色白で、吉祥天もかくやという評判の美人。その美人が切なげに吐息を漏らすものだから、周りの誰もが放っておかない。
だがお七は、一言、失礼と冷たく言い放つと庫裏のほうへと足を向けた。
避難先のこの寺では、僧から寺男まで、皆が忙しく対応に追われている。
お七の向かった先でも、寺小姓の一人なのだろうか、美しい男が黙々と片付けをしていた。
戸口からその姿を見るお七は、ほうっとため息をつく。
それに気づいた男は、手を止めると花が咲いたように笑った。
「お七さん!」
「吉三郎さん、手は大丈夫?」
「お七さんが棘を抜いてくれたから、もう平気だよ」
さっきの鼻にもかけない様子とは打って変わった、お七の心配そうな顔。それに向かって吉三郎は大丈夫と笑ってみせた。
初めて顔を見合せたその時から、互いに一目惚れだったのだ。
だが、会話のあったはそこまでで、後は互いに顔を見合わせては、もじもじと下を向く。
何とも初々しい二人である。
せめて相手の顔を見たい、手など握りたい、そう思ってはみるものの、やはり顔を上げては下を向く。
そのうち吉三郎を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ごめん、行かなきゃ」
「ええ……」
吉三郎は歩き出してふと立ち止まる。意を決してお七の元に戻ると、その手を握った。
「私のこと、吉三と呼んでくれないか」
「……吉三、さん」
お七は震えるその手を握り返し、はにかみながら名を呼んだ。
吉三郎も照れながら、だが嬉しそうに言う。
「ありがとう、またこうして会いたいね」
重ねて呼ばれる声に、吉三郎は去っていく。
それを見送ったお七は、もう一度、かみしめるように小さく名を呼ぶ。そうして、またほうっとため息ついたのだった。
寺での暮らしも幾日か過ぎたある日、僧侶達は火事の犠牲者を弔う大法要のため、寺を空けることになった。
何しろ三千五百人を超える人々が亡くなったのだ。
折から、天も悲しんでいるかのように、大粒の雨が降る。慟哭の雷が幾度も鳴る。
「雷など怖くはありません。わたしより、他のか弱い方々に声をかけてあげてくださいな」
憎まれ口をきいてでも、自分にはかまってほしくない。大事ないかと人に聞かれるたび、お七は凛と背をのばし、きっぱりと切り捨てた。
なぜと言って、これは吉三郎に会える千載一遇の機会なのだから。
吉三郎の美貌は目立つ。
吉三郎がお七に会いたいと思っても、途中まで来かけては誰彼にかまわれ、用事を言いつけられる。何度も何度も、それを見た。
お七は、自分が吉三郎の元へ行かねば、会うことすら叶わないと思い知ったのだ。
そんなお七の目論見通り、人々は周りから去っていく。
頃を見計らい、お七はそっとその場を離れ、吉三郎の待つ部屋へと急いだ。
「お七!」
「吉三さん」
「お七、こうして会って話したかった。毎日、姿は見られるのに話しかけることができなくて、どれだけ悔しい思いをしたか」
そう言って、吉三郎はお七の肩を抱く。そして、はっと我に返った。
「す、すまない。急にこんなことをして」
「ううん、いいの。吉三さんなら、嬉しい」
十六になったばかりの二人は、頬を染め、おずおずと恋に手を伸ばす。
大人の目が怖いと言い、それでも恋の炎は消せるはずもなく、それは二人の間で燦々と燃え続けるのだった。
やがて、八兵衛の店は建て直され、一家は寺を引き払う。
本郷に帰ってからも、吉三郎に会いたい気持ちは募るばかり。それは熾火のようにちろちろと、お七の胸を焦がした。
矢も盾もたまらず出かけようとすると、父親に止められる。
「伝馬町の牢屋敷から解き放ちになった囚人で、戻らない者が数人いるらしい。まだ出歩くには早い、もう少し家で我慢しなさい」
さすがに、それに反論してまで出かけることは難しい。愛しみに胸を焼かれながら、顔を曇らせるばかりであった。
そうしているうちに、吉三郎の噂が耳に入ってくる。
本郷のこの辺りは皆が吉祥寺に避難したのだ。寺の話は幾度も聞こえてきてはいたけれど、これだけは聞き逃すわけにいかない。
何でも食が細り、体を壊して寝ついてしまったらしい。
熱にうかされ、うわ言を言うばかり。そんな話を聞いては、もう会いに行くことを我慢することなど、できはしなかった。
ある日、四つ時を過ぎた時刻。木戸の前で、お七は呆然と立ち尽くしていた。
この時刻ならと、こっそり家を抜け出してきたのに、けんもほろろに木戸番に追い返されたのだ。これでは吉三郎に会いにいくどころではない。
よろよろと家に戻ると、不意に考えが閃いた。
「あの日と同じように火事になれば、木戸は開くんじゃないかしら。そうしたら、吉祥寺へ行ける。吉三さんに会える」
お七は反古紙や藁を掻き集め……庭に火を付けた。
「……お嬢さん!」
「何なさってるんですか」
いつもなら、寝付いているはずの下女が水を掛けて回り、小火で消し止められたのは幸いだろう。
下女は、さっきからぱたぱたと物音がするのは何事だろうと、見に来たというのだ。
「火付けが大罪なのはご存知でしょう。何をなさってるんですか」
辺りをはばかるように小さな声で言う。後の始末は自分がするからと、お七は部屋へと追い返された。
会いたい気持ちに心が焼かれる。
まして病気だと聞いたのだ。黙って待っているなどできはしない。薬がいるなら持っていってあげたい。
ああ、どうすれば会えるのだろう。
火を付けることはもうできない。なら、どうすれば、もう一度あの日がくるのだろう。
お七の目の前に、あの日の炎と喧騒が蘇る。
吉祥寺に着くまでは、恐怖しか感じなかった炎、半鐘の音、それらが甘く蘇る。
そうだ、半鐘だ。あれが鳴れば木戸は開く。
お七はにっこりと笑うと、そのまま火の見櫓へと向かう。躊躇いもせずに、はしご段を上り、木槌を握った。
ああ、この音だ。この音が、わたしを吉三さんの所へ連れていってくれる。
半鐘の音が江戸の町に響く。
無論のこと、勝手に半鐘を鳴らすことも大罪である。
お七は捕縛され、市中引き回しの上、鈴が森で火炙りになった。
吉三郎は、ようよう起きられるようになった百日後、真新しい卒塔婆にお七の名を見つけた。
呆然と立ち尽くしたまま動けずにいる吉三郎に、寺の者は事の次第を伝えたのだった。
その日から吉三郎は自害をしようとすることだけで日を過ごしていった。
悲しみと自責の気持ちは泣き叫ぶ力も奪ってしまったのだろう。静かなだけに余計に目が離せない。それでも日が経つうちに少しずつ僧侶や寺男の話を聞くようになった。そして、お七の両親にまで説得されて、吉三郎はようやっと自害することを思い止まったのだった。
その後、吉三郎は出家し、お七の霊を供養することでその生涯を送った。
◇◇◇◇◇
伊達娘恋緋鹿子、これまでといたしましょう。
義太夫狂言
振袖姿のお七が火の見櫓に登る場面だけを一幕物『櫓のお七』として上演する事が多く、文楽人形のような所作、いわゆる『人形振り』で表現される。
人形振りで演じられる一幕は、生身の人間として演じられるよりも感情の振れが表現されるように思います。
義太夫(語り)なので、科白は少なめにしてみました。
塔頭
高僧の得をたたえるための庵、または塔のこと。
天和の大火をお七火事とも言うがお七は被災者。
天和2年旧暦12月28日(西暦換算1683年1月25日)に発生した江戸の大火である。
俗に言う振袖火事は、明暦の大火のこと。明暦3年旧暦1月18日から20日(西暦換算1657年3月2日〜4日)に起こった火災。
天和3年の記録に「駒込のお七 付火の事、此三月の事にて二十日時分より~」と記録されている。
小火程度だったが、この放火事件自体は実際にあった。
場所、人名は作品によって様々ですが、ここでは原作の井原西鶴『好色五人女』に寄ります。