19/閉じた世界
「おいしーいっ!」
和兎が筑前煮を誉めながら食べている。
悟狸も猿真もお供物を頬張りながら頷いた。
「おいひいよ、朝霧君」
犬威は鼻がまだ詰まっているらしく話し辛そうだ。
「良かったです」
蓮美も食べながら恐縮する。
持参の弁当は持たず、昼は同じお供物を食べる事にしたのだ。
狐乃は希望通りの稲荷寿司だが、食べて興奮が落ち着いたのかギスギスした空気はなくなっていた。
命と競いあっていない時の彼は王子様という表現がよく似合う。
食べる姿も様になり、佇まいも仕草も上品だ。
人間で例えるならよほど育ちがいいのではないかと思う。
野生児の命とはそういう点でも相容れなさそうだった。
「蓮美ちゃん、稲荷寿司とてもおいしいよ。作ってくれてありがとう」
狐乃が柔らかく、上品に微笑む。
「いえ……」
狐だとわかっていても、女性を魅了するカリスマが彼には確かにある。
ただし、蓮美は動物にピントがあっているので一般女性と好みがずれるかもしれないが。
「ごちそうさまでした……」
「えっ」
さっき食べだしたばかりなのに、命は月見うどんとおにぎりを完食していた。
「しっかり噛んで食べた?」
「噛みました……」
「何回?」
「三、四回……」
「少ないよ、もっと噛んで」
早食いが体に良くない事を注意して、書店で買った国語ドリルを渡した。
ドリルは命用だった。
表現力や会話を学ぶにはこういう物が一番いい、子供用だが基礎から学べる。
「残りの休憩時間にやってみてくれる?」
自分がまだ食べている間、問題を解いているように言うとシャープペンを出して解答に取り掛かった。
蓮美は食事中に味付けは関東風か関西風か、味噌は赤が好みか白が好みかなどを職員に聞いてみた。
反応としてはどちらでもいいとの事。
代わりに人工甘味料や保存料などを多く使用した食品は受け付けない事、肉断ち、魚断ちといって生き物を直接口にする事が彼らにはタブーである事などを教えられた。
神に仕える眷属となるにはその誓いをたてる事が重要で、破ればそれなりのペナルティを背負うとも。
うっかり食材に入れてしまったら取り返しがつかなくなる。
自然に根付いた物、寺などで食される精進料理みたいであればいいとアドバイスを受けたが、精進料理という物も言葉も知らなかった。
所へ来て初めて知る事は多い、ノートに重要事項として書いておく。
「おやつも食べれるわ」
和菓子が好きだと和兎が目を輝かせた。
「おはぎやお団子、羊羹にお饅頭も大好きよ」
今度チャレンジしてみようかと、蓮美は和菓子も書いておく。
書いていたら命ができました、とドリルを渡してきたのでどれどれと見た。
「うまぁ……」
文字がべらぼうに上手い。
犬威の手ほどきだからなのか、神だからなのかわからないが硬筆文字がとても上手い。
とてつもなく上手い。
毛筆も上手いかもしれないが、残念だったのは彼が書いた答えだ。
解答はこうあった。
質問1 重い、という漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「和兎さんのパンチは重い」
重いの。
重いんだ。
味わった事がないのでわからない。
質問2 似ている、という漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「犬威さんはチワワに似ている」
似ていない。
ゴツイ犬威に似ている部位が見当たらない。
質問3 太いという漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「太い狸」
三文字で悟狸の事だと伝わる。
質問4 背負うという漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「僕が背負うカルマ」
漂う廚二感。
いきなりどうした。
質問5 動かないという漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「猿真さんが動かない」
やめろ。
質問6 騒ぐという漢字を使って言葉を作りましょう。
彼の解答。
「狐乃がいちいち騒ぐ」
いや、呼び捨て。
蓮美はドリルを閉じた。
命の語彙力はわかったが、はっきりした事は彼の世界は限られてしまっている事だ。
今の文面に登場していたのは所の仲間だけ、他の登場人物が一切書かれてはいない。
彼の居場所は職場とコンビニの間だけ、触れて、見て、視野を広げた方がいい。
やりとりはこの先も続けてみよう。
ドリルをしまい、食器を配膳用のワゴンに乗せて家庭科室へと戻った。
洗い物を終え、命の晩御飯となるラップをかけた稲荷寿司、隣に余った筑前煮の鍋を置き、温めなおして食べてくださいと付箋を貼っておく。
「終わり、と……」
お供物二日目をやり切り、椅子に座って明日の料理を考える。
「お肉は使わず、魚は使わず……」
悟狸が言い出してくれた献立を作る時間もまだままならない。
考えながら黒板とチョークがあったのでクマ衛門の落書きをした。
自分は絵心がない、ヘタクソなイラストが出来上がり吹きだしてしまう。
絵の横に得意な料理や時短でできるメニューを書き出していたが。
「ん、これって給食なんじゃ……」
お供物といっても生米をお供えしている訳ではない。
調理した料理である。
「うーん……」
皆の笑顔が頭に浮かんだ。
「……まあいいか」
そもそもお供物を作ると言い出したのは自分だし、喜んでもらえている。
悩むのをやめて蓮美は家庭科室を出た。
クマ衛門のオープニングテーマを歌いつつ、午後の仕事を考えながら職員室の扉を開いたのだが。
「うるさいですっ!」
「すまん、しかしな……」
「子供扱いしないでくださいっ!」
今度は命と犬威が部屋の隅で言い合っていた。
「まあまあ、落ち着いて」
しかも命が犬威に怒鳴っていて悟狸が命を宥めている。
「な、何かあったんですか?」
遠巻きに見ている猿真に聞いてみた。
「いやな、命の坊主があんまり大人しくしてるもんだから、犬威さんが腹でも痛いのかと心配したら突然怒り出したんだ。こんな事は初めてでなぁ」
落ち着いた狐乃も仕事の手を止め、腕を組んで窓の外を見ていた。
もう知らん、といった顔つきで。
「悟狸さん……」
このままではいけない。
悟狸に向けて手招きすると、彼は二人から離れる。
「なんだい?」
「命君の中で意識の変化が起こっているかもしれないんです。成長過程っていうのか、人間の子供は親に反抗する時期があるんです。反抗期というんですが、あの感じだと……」
蓮美は大学で児童の教育分野も齧っている、それを思い出したのだ。
犬威の親心は深いが、命にやや過保護、もしくは過干渉な部分もあるのかもしれない。
愛情のつもりが彼にとっては重たかったかもしれず、自分に考えや気持ちを吐露した事がきっかけで一気に爆発したのかと。
「なるほど、命君の中で自我が目覚めようとしているのかもしれないね」
「自我ですか?」
「うん、自身の殻を破ろうとしているのかもしれない」
長い間抑えていた自分を変えようとしている。
言われるままだった、幼い自分を。
だとしても、自分が与えた影響だとすれば蓮美は責任を感じる。
何とかして場を収めなければ。
「お前の体を心配して……」
「しつこいです、体がおかしければ自分で言いますっ!」
「普段は聞くまで言わないだろう……」
「今度からは自分で言いますっ!」
命は興奮しきっている。
犬威しか目に入らず、周りの不安や状況が見えていない。
「命……」
「命、命うるせえよっ、リード付けて中庭散歩させんぞっ!」
彼が声を張り上げて乱暴に怒鳴ると。
「へぶっ!」
スパァンッと和兎が彼の左頬をビンタした。
「ひゃあぁあああっ!」
蓮美が悲鳴を上げ、見守っていた悟狸、猿真、知らんふりの狐乃も口をあんぐり開けて固まる。
命は叩かれた頬を抑えると、ツゥと一筋の涙が頬をつたった。
それにしても彼は朝から何かと顔に縁がある。
良くない意味で。
「ぶっ、ぶちましたねっ、犬威さんにもぶたれた事ないのにっ!」
和兎はダンッ、と仁王立ちした。
「黙りなさい、その犬威さんは君を苦労して育てたの、ほんっとーに苦労したの。ワガママ言って暴れる君にヒゲをむしられて、ひっかかれて、手を焼きながら仕事をこなしてマガツカミと戦い続けたの。身を削る思いで育ててくれた親代わりの人に何て事言うのっ!」
和兎は本気で怒っている。
家族のケンカの様で口を挟めず、ドラマなら育ててくれなんて頼んだ覚えはねえよ、とか聞こえてきそうだ。
「育ててくれなんて頼んだ覚えはねえよっ!」
まんま命が言った。
「まだ言うかっ!」
スパァンッと今度は右頬をビンタされる。
「いいんだ、もういいっ!」
見かねた犬威が止めに入った。
和兎は教育に熱い印象を受ける女性だ。
手を上げる事は別にしても、間違っていると感じたら正すのが性分なのだろう。
相手が大人であろうと。
命は両頬を抑えて涙を流している。
「命君、顔を洗いに行こう」
蓮美は隙をつき、職員室から離れた手洗い場へと連れて行った。
これではもう仕事にならない、顔を洗う姿を見ながら思い悩む。
彼に人間性を目覚めさせるきっかけを与えたのは自分だと思う。
そのせいでここに混乱をもたらしてしまった。
でも、放っておく事はどうしても出来なかった。
幼い日の自分が心に傷を負っているように、彼もまた過去に深い傷を負っていたから。
命はバシャバシャと顔を洗っている。
何度も何度も。
生まれて初めて親代わりの犬威に逆らったのだ。
どんな気持ちでいるのか、推し量るのが辛い。
「蓮美、蓮美……」
囁き声がし、見ると和兎が廊下の陰から呼んでいる。
命に気付かれないよう、彼女の傍へと近寄った。
「悟狸さんから話しは聞いたわ……」
小声で話し、蓮美は黙って頷く。
「なんだか様子が変だとは思っていたけど、成長の時期とはね。みんなで話したけど今後はあれこれ世話を焼かない事にしたの、もちろん犬威さんも。いつまでもお子ちゃまだと思ってたけど、大人に一歩近づけたのは友達である蓮美のおかげね」
和兎は笑みを浮かべ、それだけ言うと立ち去った。
命はというと顔を洗うのに満足したらしいが、また袖で拭いている。
蓮美は自分のハンカチを差し出して使うようにすすめた。
「ハンカチは持ってないの?」
「持ってないです……」
物の少ない、ガランとした彼の部屋。
思っていた通り、まずは身の周りを整える事から始めた方がいい。
「命君、仕事を休んでる時は何をしてるの?」
「ネットで取り寄せた本を読んだり、コンビニで買ったお菓子を食べたり……」
蓮美は決めた。
「ねえ、命君」
「はい……」
「週末、私とスーパーで一日過ごしてみようか?」
それは彼女がずっと考えていた計画だった。
オマケのイラスト
※ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございます。
ささやかですが挿絵をカラーで描かせて頂きました。
(修正をするかもしれず削除するかもしれませんが。)
この回までお付き合い下さり感謝申し上げます。
皆さん、こんにちは。
お世話になっています、こちら校正後のコメントになります。
最近やっと文の直しに慣れてきた感じですが、これを果たして校正と呼んでいいのか考えたりしています。文を削ったりしていますが所詮素人なのでこれが限界かなと悩んだり……。
校正なんて呼び方おこがましいかなと思ったり……。
文章のプロの方って凄い。
改めてそう思いました。




