13/彼の正体
「君から見て命君はどう映るかな?」
悟狸は外を見つめたまま蓮美に尋ねた。
「少し変わってる感じはしますが、普通の男の人に見えます……」
「だろうね、でも彼はああ見えて神なんだ。人の姿を借りた、正真正銘の」
いきなり神と言われて困惑する。
「確かに命君は自己紹介で自分を神だと名乗っていました。けど、あれはITのスペシャリストという例えではなかったんでしょうか」
「じゃあ、まずは昔話から始めようか。少し長くなるけれど……」
悟狸は記憶を辿る様に額に手をあてる。
「所を設立したのは二十五年前か、あの頃はこちらの世界の勝手がわからなくて苦労したなぁ」
ため息をつき、肩を落とす。
「開所三年目だ、僕らの所へ人間側から一つの依頼が舞い込んだんだ。怪しい事案が起こっているのでマガツカミなら対処を乞うと」
「マガツカミ……?」
初めて聞く名前だった。
「外勤の前にマガツカミの名は外せないかな。昼間の仕事で君に任せた書類があったろう、あれは全国の眷属達から届いた助けを求める手紙なんだ。ここはその手紙を受け取るという表の顔の裏に、受けた報告に対処する為、我々が人間世界へ赴くという裏の顔もある。それがすなわち、外勤だ」
「はい」
「僕らが眷属、神のお使いだとは説明したね。だが仕える神も人間が祀るのをやめてしまうと帰る場をなくして迷子になる事がある。例えば過疎地の集落、ダムに沈んだ森なんかだ。すると土地や人を護るという本来の道を忘れて祟ってしまう事がある、それらを禍の神と書いてマガツカミという」
「マガツカミ、覚えておきます」
「うん。我々は荒ぶる神々を時には説得、立ち退きの導きをするが、応じてもらえないようなら彼らを打ち滅ぼし、眠りにつかせる事をしなければならない」
悟狸は俯く。
「滅ぼす、とは?」
「殺すという意味だね」
さらりと言ったが、蓮美はなぜ彼が外勤について黙っていたのかを察した。
過疎化もダムも人間に繋がるからだ。
人間である彼女の手前、話さなかったのだ。
仕えるべき存在を殺してくれと願わなければいけない彼らの想いは、仲間である悟狸からすれば他人事ではないはずだ。
「でもね、蓮美君。マガツカミは可哀そうな存在なんだ、帰るべき家がなくなれば誰だって悲しいし戸惑うもの。人間である君にはわかってほしい」
「……はい」
わかる。
自分もまた、帰れなかった一人だから。
「外勤とマガツカミについてはこれ位かな、話しをもどそうか。最初に説明した通り、所は人間と共同で運営を始めた。人間側からマガツカミの案件を引き受ける事もあったんだが、当時受けた依頼は某地方の山が光っているという内容だった」
「山が光っている、ですか?」
「うん、地元の住人が山火事だと思って通報したらしいんだが。実際は山火事なんかじゃなかった、山の一部が輝いているという報告だった。そこで向かったのは他でもない犬威君でね、彼は人間との関わりや交渉に長けていたからお願いしたんだが……」
言いかけて腕を組み、考え込む。
「辿り着いた先は廃村の神社だったそうだ。彼は猶更マガツカミを警戒したんだが、予想に反して意外な物を目にした。廃神社は不法投棄の山となっていて……」
腕を組んで悟狸は首をひねる。
「廃棄された電子機器の中にね、布にくるまれた人間の赤ん坊がいるのを見つけたんだ。一月の冬山でだよ」
蓮美は耳を疑った。
「山に赤ちゃんが?」
「しかも、赤ん坊が埋もれていた家電が起動し発熱していたそうだ。犬威君が赤ん坊を保護すると途端に動きが止まったらしい。まるで壊れた機材が寒さから守っていたように」
「でも、機械は電気を通さないと動きませんよね?」
当たり前の事を口にした。
「だよねぇ、だから不思議なんだ。犬威君は奇怪な現象に迷ったが、赤ん坊の健康状態を心配した。事情はともかく状況は子供の保護責任遺棄にあたる。人間側に託すべきだと判断した彼は赤ん坊をしかるべき機関に委ね、任務は終了した」
悟狸は鼻眼鏡を外すと目元をもんだ。
「さて、月日が経った七年後だ。再び人間側から依頼が持ち込まれた。ただし中身は極秘の案件でね、人かマガツカミかよくわからない存在がいる、職員の誰かに来てもらい確認をしてほしいと打診があったんだ」
目元をもんだまま悟狸は続ける。
「この依頼にも犬威君が向かった。彼は人間との橋渡し役でいてくれたから、つい頼りにしてしまってね。指定されて向かった場所は軍の施設跡の様だったと話していた」
「軍、ですか?」
「うん、旧日本軍の跡地のようなね」
軍と聞いてもピンとこなかった。
海外の映画やアニメの中でしか見た事がない。
「鉄の扉をいくつもくぐり、案内された先にはコンテナのような物が置かれていたらしい。中に依頼の対象がいる、除き窓があるから確かめてほしい、ただし絶対に機械製品を持って近づかないでくれとおかしな指示を受けてね」
蓮美はゴクリと唾を呑む。
「訝しく思いながらも犬威君は覗いた、中は暗室のような部屋でボソボソと声が聞こえたらしい。僕らは獣の霊性だから夜目も耳も利く、彼は何がいるのかを見極めようとした」
悟狸は眼鏡をかけ直す。
「微かな明かりの下、子供が座っていたんだ。青い火花を放ち、鉄の帷子みたいな物を着せられて何か呟いていたと。気になって耳を澄ますと外国の言語や難しい専門用語をまくしたてて話していたそうでね、ラジオのように次から次へと切り替えて」
鎖に縛られた、小さな子供がイメージとして浮かんだ。
「犬威君は案内した者に尋ねたそうだ。マガツカミではない、人の姿をしているが我々と似た力を宿していると思われる、この子をどうしたのか、と。聞けば子供は七年前、地方の冬山で見つかった赤ん坊だと説明された。素性は不明で発見された後に人間の夫婦に引き取られ育てられていたが七歳を迎えた日、理解できない言葉を話し、行動を取り出したからと児童施設に預けたとの事だった」
蓮美の背中を汗がつたっていく。
「子供は施設で大人しく過ごしていたらしいが、じきに周りで奇妙な現象が起こり始めた。施設内の家電やシステムに故障が相次ぎ、やがて地域全体にまで及んだ為、国から原因を調査する部隊が派遣されたと。だが結果、預けられた子供が電波や機械類に干渉を起こす力を備えており、事象が引きおこされていたと判明した」
窓から流れ込む空気が冷たく感じ、腕を撫でた。
「子供は特殊な機関へ移送され研究対象となる予定だったが、ことごとく設備を破壊され、やむを得ず連れてきたと。だが正体が掴めずよくわからない存在を持て余すだけなので、身元を判別してほしく呼んだと説明した」
ここで子供の正体に気づく。
「その子は犬威さんが見つけた……」
「……かつて保護した赤ん坊だったと気づいたんだ」
運命とは。
時に残酷な試練を与える事がある。
彼らも例外ではないらしかった。
「犬威君は責任を持つので子供を解放してほしいと頼み込んだらしい。向こうは管理下に置かれているので、衛星で管理した追跡用のGPSを埋め込むならいいと提案を出してきてね。不本意だったが彼は条件と引き換えに要求を呑んだんだ」
彼女は悟狸に見えないよう、つたった涙を拭う。
「彼は力が漏れないよう、術を施した布で子供を覆い所へと駆け込んできた。ここは外の世界と遮断されている、干渉する事もされる事もない、この子をここに置いてほしいと僕らに懇願して。凄い気迫でね、承諾したよ。職員で協力を持ちかけたが彼は譲らなかった。不幸にしたのは自分の責任だと、あの日の自身の判断の誤りでこんな風にしたのだと言ってね」
「でも、一人でなんて……」
相手は唯の子供ではない。
たった一人の孤独の中。
存在を拒絶されていた子。
「子供は衰弱が激しく、言葉を忘れ自我をなくしていた。犬威君は得意の霊薬を飲ませ、妻の葵さんが作った食事を持ち込んでは食べさせた。毎日、毎日ね。身の回りの世話をしつつ寝泊まりし、仕事をこなす彼の姿は痛々しかったよ」
手形の代筆を申し出てくれた時の、寂しげな横顔が浮かぶ。
「だが努力の甲斐あって、子供は日常の生活を過ごせるまで回復したんだ。僕らも喜んだよ。拙いが会話もできるようになり、犬威君は葵さんを連れて生活の基本も教えようとした。しかし、ある壁にぶつかる」
「……壁?」
「心、だ。発育の問題からか、能力ゆえからなのかはわからないが、喜ぶ、笑うなどの表現が引き出せなかったんだ。犬威君は懸命に伝えようとした、怒っていい、拗ねていい、笑っていい、自由にしていいのだと。だがどうしても伝えきる事ができなかった」
「ですが、犬威さんの気配りは人間に近いと私は感じています」
スーパーへ向かう前、彼は電話番号を書いたメモを渡してくれた。
「でもね、彼もまたこちら側の存在なんだ。僕らは人間と感覚や感性が少し違う。犬威君もまた万能の教師ではない、できる事とできない事がある。心のあり方を説きたくても明確な答えを出して導いてはあげられなかった、彼は今でもその事で自分を責めている」
「犬威さんの責任じゃないのに……」
「確かに彼の責任ではない。だが犬威君はそういう人物だ。公平で常に正しい判断を考える、責任感の強い、優しい犬の一族だ」
悟狸は穏やかに笑う。
「代わりに彼は祈りを込めて、新たな名前を子供に付けて贈った」
蓮美は話しの結末と、子供が何者なのかを悟る。
「……じゃあ、その子が」
「命君だ。古代の偉大な神々の名にあやかり、命を授かった事に感謝してね。実に犬威君らしい」
「昔の神様の名前は命、というんですか?」
「うん。イザナギノミコト、ヤマトタケルノミコト、とかね。皆、日本神話を代表する神々だ。だが時代と共に人々が彼らの名を忘れると地上を去られ、高天原へと眠りにつかれた」
「高天原とはなんでしょう?」
「ああ、そうだね。この国のやおよろずの神々がいる天にある国だよ。彼らの故郷であり、使命を終えれば高天原で眠りにつくんだ」
勉強になりましたと笑うと、悟狸もいい質問でしたと笑い、それから、と続ける。
「あれは命君が生活に慣れ、九才を迎えた年だ。悲鳴が聞こえてね、僕らは二人の元へ駆けつけると彼を押さえつける犬威君に強大な力を放つ命君がいた。みんなも力を合わせて押さえつける中、彼の口から奇妙な声が響いたんだ。君も聞いたろう、あの声だ」
『我レ、新タニ降臨セシ、電脳ヲ司ル神ナリ。コノ者ヲ依リ代トシテ、コレヨリ地上ノ電子、電網世界ヲ総ベン』
「そう言ったんだ」
「すみません、私には難しくて……」
「あ、ごめんね。訳すと命君の体を借りて新しい神、君達でいうAI、インターネットを司る神が誕生して地上に降りて来たから、僕らによろしくねって挨拶に来たって意味かな?」
「エ、AIやインターネットの神様ですか?」
「我々は驚いたよ。普通の子供ではないと思っていたけれど、まさか神が宿るなんて。人間の姿を借りて神が地上に現れるのは何千年ぶりの話しだったし。また、新たな神の誕生は僕ら中で大きな問題にもなった」
「なぜですか?」
「インターネットの世界には、良い面と悪い面の両方があるだろう?」
悟狸は難しい顔をする。
「確かに、ネットは使い方次第でネガティブな側面が現れる事もあります」
「だからなんだ。彼が善き神なのか、悪しき神なのかがわからない。彼の持つ力は人口世界の力であり、自然界の存在である僕らからは理解しがたく、未知数で恐くもある。我々も神々に繋がるルーツを持ってはいるが、人の姿をした神の力には到底及ばない。万が一何かあれば抑える事や制御してやる事は非常に難しい」
「そんな力を命君が……」
「話し合いの結果、彼を育て、見守るのを答えとした。新たな神が誕生したという事は人間にとって新たな脅威、新たなマガツカミが生まれ育つ可能性が高い。それらから守護する為に地上に使わされたのだと予測したからだ」
「新たなマガツカミとは、さっきのお話しにあった迷い神様の事でしょうか?」
「いや、少し違うんだ。命君の仕事は見ていたね。彼は確かに国内のシステムを見直し、エラーを起こす虫を倒していると説明したがバグは本当に実態化した存在なんだ。次々と現れ、システムを食い散らかしていると彼は説明してくれた。社会のシステムが静まり、闇が訪れると形を成して現れる。交通機関、金融、医療分野。彼はバグを一つ一つ捕まえ、破壊するのを使命としている」
悟狸はふうっと一息ついた。
「ただ、使命を背負う中でも彼はいまだ心がなんなのかを求めている。中庭で放たれる青い稲妻を見たかな。あれはね、命君が異空間の壁を破って人間の世界に繋がろうとする合図なんだ。理解できない事が起きると外部のネット世界を駆け巡り、それがなんなのか答えを求めて検索をかけるのだと。しかし無理な繋がりは相当な負担となる。だから僕らは所で電波は飛ばさないよう気を付けているんだ、人間の君には不便で申し訳ない」
中庭での犬威の言葉。
「わかっているだろうが、絶対に外の回線にはつながるな。いいな」
だから。
だから職員室のパソコンは有線で引かれていたのか。
彼の為に。
彼が苦しまない為に。
「心に答えなどある訳がない、あるはずがないんだ。もしあるとしたら……」
彼は蓮美をまっすぐに見つめる。
「人間同士の、リアルなコミュニケーションにしかないと僕は思っているよ」
見つめた瞳はこの言葉の返事を彼女に求めていた。
蓮美も彼の瞳を見つめ返す。
「命君の様子を見てきます」
皆さん、こんにちは。
こちら、校正後、二回目のコメントになります。
読んで下さっている皆さんも、そうでもないという方もお世話になっています。
やっと13話までこれました。
この回は今後の説明が関わってくるので何度も頭を抱えました。
物語の回収ができるのかとか、そもそも今後いつまで書き続けられるんだろうとか現実問題もよぎり他ごとでも色々悩みました。(先がかなり長くなりそうなので……。)
今考えてもしょうがないのですが、読んで下さる方が一人でもいて下さる限り書かせて頂けたら、と。
後は健康でしょうか……。
生きていて必要な物はたくさんありますが、これがなければ書けないかなと……。
寒くなってきましたし、どうか皆さんも風邪などひかれませんように。




