12/記憶
暗い。
真っ暗だ。
ここはどこだろう。
そうだ。
小学校の兎小屋の中だ。
兎さんと遊んでいて眠ってしまったのだ。
両腕には白い小さな兎を抱えている。
兎は大人しく、幼い蓮美はその頭を静かに撫でた。
とうに日は沈み、街灯が灯っている。
子供が外にいる時間ではなかった。
秋も終わりに差し掛かる時期、薄着の蓮美は鼻をすする。
おうちに帰るとおとうさんもおかあさんもお仕事で忙しいのだ。
おうちは自宅けん事務所だとおとうさんは言っていた。
おうちはわたしのおうちだけど、おとうさんの会社なのだと。
話しかけると向こうへ行っていなさい。
今忙しいから外で遊んできなさいと二人はいう。
けれど、お友達と遊んでいても夜ごはんの時間が来たらお友達は帰ってしまう。
わたしのおうちはごはんの時間がみんなよりも遅い。
しょうがないから学校に戻って、大好きな兎さんと時間をつぶして過ごすのだ。
兎さんは一人ぼっちの自分の傍にいてくれる、小さなヒーロー。
わたしは兎さんの飼育係だから、小屋の鍵をこっそり開けておく事もできる。
それは誰にも教えない、わたしと兎さんだけの大事な秘密。
温もりを求め、蓮美は兎を抱きしめた。
兎さん、あなた達とお話しができたらどんなにいいだろう。
わたしのお話し、聞いてくれる。
本当はね、言いたいの。
ねえ、おとうさん、おかあさん。
蓮美はおうちに帰りたいな。
おとうさん、おかあさん。
無視しないで。
言葉を聞いて。
お願い。
「蓮美……」
私を見て。
「蓮美、気が付いて……」
名前を呼ばれて意識が戻される。
気が付くと目の前には大きな兎がいた。
白くて大きくて、フワフワの兎が。
「蓮美、私がわかる?」
「……和兎さん」
兎は和兎だった。
華やかな着物を着た、頼もしい女性の兎。
彼女は蓮美の頬に両手をあて、撫で続けていた。
身を起こすと長椅子の上で寝かされ、学校の保健室のような場所にいる。
壁に医務室ではお静かにと張り紙がしてあった。
「……命君」
命の異変を思い出し、蓮美は体を起こす。
「和兎さん、命君は……」
彼女は顔を伏せた。
「蓮美、気を悪くしたらごめんなさい。あなたの採用を見直す事になったの、さっき悟狸さんと犬威さんが二人で決めてね」
「え?」
耳を疑った。
「嘘……」
ウソ。
ウソだ。
「なんでですか、私が、み、命君を、傷つけたから?」
泣きそうになり、声が詰まる。
「違うの、違うのよ。中庭で見たでしょう。命君、時々ああいう発作を起こすの」
「……発作?」
確かに何かの発作にも見えたが、あれは病のような物からくるものではなく、もっと別の。
憑依、という例えの方がふさわしいようにも思えた。
「ああいった出来事が所では起きるの。人間のあなたにはやっぱりショックが大きいからって、悟狸さんが犬威さんに……」
「そんな事ありませんっ!」
この場所にいたい。
抗議すると和兎は蓮美から目を逸らした。
「今回人間の採用を決めたのは犬威さんでね……」
確かに今朝そんな事を話していた。
「犬威さんはね、命君の育ての親代わりなの。彼ってコミュニケーションが斜め上で今一つでしょ。それで社会性を学ばせようと眷属じゃなく、人間の採用をみんなに頼んだの。ただ、本人は始め嫌がってね。でも昼間、あちこちついて回ったのはあなたが気になる証拠なのよね。普段何事も無関心な命君があんな態度を取る事なんてなかったから……」
聞けば、彼は他人を思いやる感覚は持ち合わせているらしい。
狐乃の彼女の件も。
狐乃は恋多き割に別れるのも早く、想いを引きずるタイプなのだという。
事情を察した命は未練がましい彼の為に、あえてケンカを起こして忘れさせようとしたのだろうと。
犬威にネットの嘘を教えたのも彼なりのジョークらしい。
「でも、やっぱり無理だって。怖い思いをさせてごめんなさいね、今日一日ありがとう」
それに、と、胸元から懐中時計を取り出す。
「私達はこれからが正念場、外勤の時間が始まるわ。本来ならあなた達人間が立ち入れない、闇の世界が開かれるの」
思い出した。
外勤。
「じゃあ、外勤はどうなるんですか……?」
命のあの言葉。
外勤という物が務まれば、働く決意を認めてもらえるのだろうかと考えてはいた。
彼だけではない。
今は職員全員にだ。
蓮美は立ち上がった。
「和兎さん、命君はどこにいますか?」
今は医務室の奥の部屋で眠っているらしい。
職員達は彼を心配し、回復を待って各々待機しているそうだ。
付き添ってくれた礼を言い、隣りの部屋のドアノブを静かに回した。
部屋の隅にベッドがあり、周囲を囲むように白いカーテンが引かれている。
声をかけるか迷っていると、向こうから囁く様な呟きが聞こえた。
誰かいるらしい。
「なあ、なぜだ……」
犬威だった。
「確かに俺達は人間に代わってはやれない、代わってやる事はできない。だが、妻の葵も俺も、お前を本当の息子のように思っている。無理をしない範囲でいい、なんなら今のお前のまま、ありのままでいいとも願っているんだ。なのにどうしてお前はそうまでして、苦しんでまで人の心を知りたがるんだ。お前はお前のままでいいじゃないか……」
その呟きはまるで、彼自身の祈りの言葉の様にも聞こえた。
「誰だ?」
気配に気づいたらしい。
「朝霧です……」
返事をするとカーテンが開かれ、犬威が姿を現す。
ベッドには命が寝かされていた。
彼が看病をしていたらしいが、憔悴しきった目で疲れた様子を見せている。
「代わります」
「すまない、少し落ち着いた所だ……」
しばらく頼むと言い残し、医務室の外へと出て行った。
近づいて覗き込むと、水で濡らしたタオルが額にのせられていた。
髪がかき分けられていたので彼の顔を正面から眺めてみる。
端正な顔立ちをしていたが、幼さの残るあどけない寝顔をしていた。
苦しいのか寝汗をかいている。
水を張った洗面器があったので、額のタオルを濡らし直して絞った。
汗や残っていた汚れを拭いてやる。
口元に残った血の泡のあと、土のついた手、乱れた髪も整えた。
整えながら、彼は一体何者なんだろうと疑問が浮かぶ。
あの青い稲妻はなんだったのか。
考えていると、誰かが扉を小さくノックした。
「いいかな?」
悟狸だった。
どうぞと答えると、蓮美がいた事に驚いた様子を見せる。
犬威が席を外した事を伝えると、外の空気を吸わないかと誘われた。
廊下に出て、悟狸が磨りガラスの窓を開けると既に外は夜だった。
腕時計を見る。
自分の定時は六時だと聞かされていたが、時間は七時四十五分を過ぎていた。
かなりの時間、気を失っていたらしい。
「悟狸さ、いえ、所長。私をやおよろず生活安全所の職員として認めて下さい」
深く頭を下げた。
下げたまま続ける。
「外勤は参加させないと言ってくれましたが、参加して認めてもらえるのなら、命君に認めてもらえるのなら加わりたいんです」
蓮美は頭を下げたままでいる。
了承を得られるまで上げるつもりはなかった。
「来た事を後悔するかもしれないよ……」
「知りもしないで後悔するかはまだわかりません」
自分にとってその言葉は。
ここへ来た当初からは想像できない程、強気な発言に思えた。
悟狸は窓の向こうに広がる暗闇を見つめる。
「何から話そうか……」
彼女はようやく顔を上げて、悟狸を見た。
皆さん、お世話になっています。
こちら、二回目の校正のコメントになります。
おかげさまで一章の直しはあと少しになりました。
読み返して頂いて、「前よりかは面白くなってる」と言って頂けるよう、頑張ります。




