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竜の翼ははためかない10 〜血の色よりも濃く淡く〜  作者: 藤原水希
第十一章 大会が終わって
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チャプター95

〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜



 フォルクローレを送り出した後、エルリッヒは予定通りフロアの掃除を開始した。頭には三角巾、顔には布でマスクをし、箒を手に掃き掃除から。

 掃除をしながら、今回の大会についてあれこれ考えていた。何かに集中している時は、思考も集中してしまう。

(大会が無事に終わってよかったな〜。八百長試合も結局一試合だけで済んだし。八百長試合がバレた話が騎士団内で噂になったっていうのが、抑止になったのかな……)

 騎士団のメンバーについて詳しいわけではないので、本来であれば八百長を企んでいた試合が他にあったのかどうかはわからない。わかる者が見れば、怪しい奴や、急遽八百長が取りやめになってどこか拍子の抜けたような試合があったのかどうかもわかるのだろうが、少なくともツァイネもゲートムントも、それに類するようなことは言っていなかった。と言うことは、もともとあの試合だけが予定されていた八百長試合だったのかもしれないし、取りやめにした組み合わせでも、彼らなりに全力で試合をすることにしたのかもしれない。

 それに、ツァイネも騎士団を離れてしばらく経つので、面識のない団員がいてもおかしくはないし、そもそもいくら親衛隊にいたと言っても、大貴族出身の騎士たちともなれば、顔を合わせたり同じ場所に立つことも稀だっただろう。そうなれば、試合を見ただけで「八百長しそうなのにしていない」かどうかは判断できないケースも多かっただろう。

(流石にそこまでツァイネを頼るのも限界がある、か。伯爵も何も言ってなかったし、それも含めてシロだったのかもなー)

 兎にも角にも、八百長試合の犯人がその後心を入れ替えてくれたことも嬉しい誤算だった。ゲートムントとのエキシビションマッチは、大盛況で終わったのだ。

(それにしても、今回の大会で、魔王軍の再来に少しは備えができてるといいけど……)

 装備品は末端の兵士に至るまで一新された。騎士たちはもともといい装備を所有している。親衛隊は特製の武具を支給される。次は実戦経験だ。前回と前々回の襲撃が初めての実戦経験だった者も多いだろう。小悪党や近隣の野盗程度の存在との交戦は経験した者もいるだろうが、魔物相手ともなると話は別だ。治安のいい街であればあるほど、兵士たちの経験は訓練中心になるだろう。王都であれば尚更だ。

 それを見越しての大会開催だ。殺し合いとまでは言わないが、実戦形式の試合を行うことは、兵士たちの実力向上に少なかれ寄与したはずなのだ。

(問題は、いざという時に戦う相手が魔物だってことだけど……)

 人間同士より遠慮なく戦えるだろうが、その分、魔物の姿や人間離れした行動に驚き、恐れ、怯えてしまうかもしれない。そこまでは、流石に訓練や試合で補うことはできない。エルリッヒにとっての懸念事項はそこだが、最後はもう、騎士団員としての誇りや治安意識に賭けるしかない。

「ふぅ、掃き掃除はこんなところかな。次は、と」

 軽く汗を拭うと、箒を物置にしまい、空の桶を手に家を出る。家を出て、裏手にある共同の井戸まで辿り着く。次はテーブルの拭き掃除だ。井戸水を汲んでこなければならない。と言っても、いつも使う共同の井戸はすぐ近くだし、水汲み自体も大した作業ではない。気分転換にはちょうどいいくらいだ。井戸に据え付けられた桶を中に落とし、水を入れて引き上げる。肉体労働には違いないが、所詮スープの入った鍋に比べたら大した重量ではない。

「よし、こんなもんかな」

 水汲みを幾度か繰り返し、桶になみなみと水を注ぐと、それを手に戻る。料理人にとって、これは必要な作業であり、料理の始まりは水汲みといってもいいくらいだった。

「えーと、雑巾は、と」

 物置から雑巾を取り出すと、拭き掃除を始める。カウンターとテーブル、最後に調理台。どれもが、綺麗にしておかなければお客様を迎えられないものだ。自然と、雑巾を動かす手にも気持ちがこもる。

(よいしょ、ようしょ。)

 そうしてまた、思考はこの大会のことに移っていく。

(魔王軍が攻めてくる、か。来ないに越したことはないけどなぁ。でも、魔王が復活してる以上、絶対来るもんね。その日が来るまで、せめて平和な時間を作りたいところだよ)

 街の人たちの日常を支えるのが自分の普段の役割だ。そのためにも、居心地のいいお店にしなくては。そう思いながら、掃除を続ける。

(有事の時は……それはそれで全力で頑張るけど、どうしてもカバーし切れないし、騎士団のみんなには、頑張ってもらわないといけないからね)

 叶うことなら、もう襲撃がないことが一番だが、最悪の局面を想定して備えるのが有事というものだ。魔族が襲撃してきたとしても、可能であれば、死傷者が出ることなく乗り切って欲しい。それが叶うかどうかは、誰にもわからない。雑魚ばかりなら乗り切れるだろうが、それだって、大群で押し寄せられれば数の暴力で負けてしまうだろうし、当然指揮官クラスであれば並の兵士では太刀打ちできないだろう。そのレベルの魔族がどの程度の数襲ってくるかもわからない。実のところ、騎士団の強化は急務なのだった。

「ふぅ、拭き掃除はこんなものかな。調理器具はいつも見てるから大丈夫だし、こんなところか」

 拭き掃除を終えると、雑巾を洗い、すっかり黒くなった桶の水を外に捨てる。これで一通りの掃除は終了だ。念入りにやるなら窓拭きをはじめとしてやるべきことはまだまだあるが、流石に今はそこまでの場でもないので、これだけ掃除していれば営業再開には十分だった。

 掃除道具を物置に片付けると、2階の自室に上がって行った。



〜竜の紅玉亭 2階の自室〜


「はぁ、色々終わっちゃったな〜」

 自室に戻ると、フォルクローレが帰ってしまったことを実感する。毎夜毎夜、ベッドでの寝物語にくだらない話やその日の試合の感想などを話すのが日課になっていた。今日からは、また一人での生活になってしまう。ベッドは広く使えるけれど、一抹の寂しさは拭い切れない。

「ん、まだフォルちゃんの匂いが残ってる」

 朝起きた時には窓を開け、換気もしているが、しばらくの生活で染みついた匂いはなかなか消えるものではない。それは、エルリッヒの人を超えた嗅覚だからこそ感じ取れるものであり、ある意味では『気配』と言ってもよかった。またいつでも機会が作れるとはいえ、お互いの生活もあるため、そうそう気軽には持ちかけられない。

「意外と、寂しもんだなぁ」

 一人での生活にはすっかり慣れているはずなのに、今度はフォルクローレとの生活にもすっかり慣れてしまっていたようで、そんな自分のことが、少しばかりいい加減に思えた。

 人に憧れてその世界に飛び込んだ以上、人を求めてしまうのかもしれない。それでも、自分が人と違うことは、決して忘れてはならないことだ。意識し続けていなければならない。

「ここへ来て、こんな風に変わるのも、成長なのかな」

 どさり、とベッドに仰向けになる。何もしない時間を迎えると、またしても思考は深みにはまっていく。寂しいことは決して悪いことではない。それだけ、大切な相手ができたのだから。そんな結論に達することは、むしろ喜ばしいことだった。長く生きてきているからこその、新たな感情の一歩、そんな風にも感じられた。

「なら、一緒に過ごした時間は思った以上に価値があったのかも……」

 天井を見上げてそんなことを考えていると、いつしか深い眠りに落ちていった。




〜おわり〜

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