チャプター94
〜コッペパン通り・竜の紅玉亭〜
「私、フォルちゃんの髪、好きだなぁ。しっかりお手入れすればほら、こんなに綺麗なのに」
「えぇ〜? そういうの、錬金術士にいらなくない? そう言うのは、後でいいんだよ後で。でも、あたしもこうやってエルちゃんに触ってもらうのは好きだよー。気持ちいいんだ〜」
食後、片付けを終えた二人は、朝の身支度を行なっていた。普段から身支度には気をつけているエルリッヒはともかく、普段は身だしなみなど二の次のフォルクローレは、こうして誰かが気をつけてあげなければ、ひどいものなのである。大会の間中は調合を行なっていないので、煤が付いていたり寝不足で荒れた肌をしていないだけ、放っておいてもはるかにマシではあるのだが。
櫛で髪を梳かしながら、出会って何度目になるかも分からない感想を抱く。フォルクローレは、身だしなみや髪の手入れには無頓着だが、キラキラと輝くサラサラの金髪は、エルリッヒにしてみれば憧れの的なのだった。自分がそうなりたい、とまでは思わないものの、いつ見ても「素敵な髪だ」という感想を抱いていた。とはいえ、エルリッヒ自身も決して癖毛と言うわけではなく、彼女の髪質に憧れる娘も街にはいるのだが、自分にそういった自覚がないため、全く意味ないのであった。
「私は錬金術師についてあれこれ語るだけの知識はないけどさ、もうちょっと自分のことに気を遣ってもいいと思うんだけどなぁ。普段から」
「無理。期待しないで。あたしにそう言うのは期待しないで。アカデミーで一緒に勉強してた友達には、オシャレや可愛い格好にも気を遣ってるような子もいたよ? でも、そう言う子と一緒にいても、あたしは自分を飾ったり見た目をよく見せることには目覚めなかったから。きっと、素養がないんだよ」
ひどい言いようである。これを自信満々に言えてしまえるのがフォルクローレの残念なところであり、強いところでもある。
エルリッヒ自身も、「人間の女の子の価値観とは」と言うことを長い年月をかけてゆっくり学んできた過去がある。だから、世間一般より無頓着であること自体には、多少人より理解はあるつもりだった。それでも、フォルクローレくらい可愛く生まれついたのにここまで無頓着というのは、300年余りの長い年月人間社会で過ごしてきても、あまりにも珍しかった。
「今の話だと、錬金術士の中にも、可愛くあることに価値を見出して頑張ってる子はいるんだよね?」
「うん、いるねぇ。杖も法衣もアレンジしてデコって。あ、待って。今話したでしょ? そういう子と過ごしても、あたしは感化されなかったからね。今そういう子を引き合いに出してオシャレに目覚めさせようったって、無理な話だからね!」
椅子に座って髪を梳かされながら豪語するようなことではない。そんな様子に、エルリッヒは呆れるでもなく、まるでいたずら好きな娘を見るような表情を浮かべるのだった。
(フォルちゃん、面白いなぁ)
「よし、終わり! えーっと? これで括ればいいんだね?」
一通り手入れが終わると、いつも使っている金属のリングで髪をまとめる。精緻な細工がしてあるようなものではなく、銀色だが銀製というわけでもないようで、素人目には値打ちのあるものなのかどうかは分からない。それでも、いつもこれで髪をまとめているということなので、愛用の品ではあるのだろう。
「ん、それそれ。おまかせね」
「するするっと。うん、こんな感じかな? ほんと、可愛い格好すればいいのに、もったいないなー。私なんて、お料理するからどうしたって可愛い格好できないんだから」
あんまり言うとしつこくなってしまうので、今はこれ以上は言うまいと身を引くことにした。こんな些細なことで嫌われるのも悲しいし、機会はまた何度でもあるだろう。
「エルちゃんのお仕事はねー。て、それはあたしも同じなんだってば! 爆発して煤だらけになるのに可愛い格好したって悲しいだけだし、髪だってひどいんだから。あ、でも、オシャレに興味がないのはそれがきっかけってわけじゃないけどね。アカデミーに入る前から興味なかったし。んでもね、エルちゃんにあれこれ褒めてもらえるのは、悪い気はしないんだ。興味がないことって言っても、自覚のないものにプラスの価値を与えてくれてるわけだからね。少なくとも、男たちに褒められるよりよっぽどいい!」
「そっか。じゃあ、こうして色々言うことにも意味はあるわけだ。なら、また機会があったら同じことを言わせてもらうよ。さて、髪のお手入れは終わったし、着替えてきなよ」
優しくフォルローレの肩を叩き、2階の部屋へと送り出す。髪を揺らしながら奥へ消えていく背中を見送ると、エルリッヒはフロア中の窓を開け放った。窓を閉め切ってしまうと流石に暗いのだが、寝巻きのフォルクローレと食事をする以上、あまり人に見られないよう、一部の窓だけを開けて、最低限の明かり取りにしていた。
「この生活も終わりか〜。寂しいやら、日常が帰ってくるのが懐かしいやら、複雑な気分」
また、明日からは通常通りの営業が始まる。この時間なら、朝の仕入れを終えて昼の営業に備えて仕込みを行なっている頃だ。大会期間中はずっとお休みをしていたので、久しぶりの開店には気合が入っていた。近所の常連たちも、この日を心待ちにしてくれている。その気持ちには応えなければならない。
「今日は掃除からかな〜」
フロアの掃除はいつもより手を抜いていた。普段以上に埃などが残っているだろう。料理は自分たちのために行なっていたのでそちらは大丈夫だ。今は、まずは日常が帰ってくることを喜ぼう。
「お待たせ〜。変わり映えのない着替えだけど、どう?」
明日からの日常をあれこれ思案していたら、いつの間にかそれなりに時間が経っていたらしく、着替えを終えたフォルクローレが現れた。
流石に錬金術士として居候しているわけではないので、法衣姿ではない。
「ん、いいいい。可愛いよ」
「あ〜あ、この生活も終わりか〜。朝きっちり起こしてくれて、ちょっとお手伝いするだけで美味しいご飯が出てきて、快適だったんだけどな〜」
そう言い終わるか言い終わらないかというそのタイミングで、エルリッヒが手を伸ばし、フォルクローレの頬を挟み込んだ。
「エ、エルひゃん!」
「あんまり他人任せで自堕落なコメントだったんでつい。全く、友達としては、もう少し生活に気を遣って欲しいんだよ。今は若いからいいけど、年取った後、効いてくるよ〜? 私みたいな寿命してるわけじゃないんだし」
大事なフォルクローレが歳を取って自堕落な生活が元で健康をもち崩す様は流石に見たくない。錬金術で万能薬のような薬を発明する可能性もなくはないだろうと考えたが、できれば自身の生活への意識で健康を維持してほしい。そのためにできることは、多少煙たがられようとも口を酸っぱくするくらいなのである。錬金術士の生活に固有の不規則な面があるのは理解しているが、だからこそ、余計に気をつけて欲しいと思うのだ。
「ふぁ、ふぁい」
「普段から健康に気を遣うことで、調合で徹夜しても倒れたり肌が荒れたりしにくい体を作る! いいね?」
目線は鋭く、けれど口元は柔らかい笑みで、心に太い釘を刺す。強めに首を振る様子を見て、とりあえず手を頬から離した。
「さ、最後にこんな指導があるとは思わなかった……」
「指導って。具体的なことも言ってないし、大したことも言ってないよ。それで? 荷物はもうまとめた? あ、そこに置いてあるのね。私も、一人に戻るのは少し寂しいんだから、思いは一緒だよ。名残惜しいけどお帰りお帰り」
特別だけど、ちょっと一方的な同居生活の日々はこうして終わりを迎えた。フォルクローレもまた、日常に戻っていくのだ。
荷物−着替えが中心だが−を担ぎ上げると、二人は外に出る。まだまだ日は低い。朝の空気がしっかり残っていた。本当なら、夕方までのんびりしていても問題はないのだが、生活に釘を刺した手前もあって、早めに日常に戻ろうというわけだ。
「ほんと、お世話になったよ。ありがとね」
「うん、じゃーねー」
同じ街に住んでいるのだ、いつでも会えるしフォルきローレのこと、何かあればまたすぐに泣きついてくるだろうし、ご飯を食べにもくるだろう。それも考えれば、気軽な別れなのだ。
緩く手を振りながら、中央通りに向かって歩いていく後ろ姿を見送る。やっぱり、朝日を受けて煌めくフォルクローレの髪は美しい。
「さて、戻りますか! 掃除掃除!!」
フォルクローレの姿が見えなくなると、腕捲りをしながら家の中に戻っていくのであった。
〜つづく〜




