チャプター89
〜王城 中庭竜王杯会場〜
振り下ろされた剣、それは明らかにゲートムントの肩口を切り裂かんとしていた。油断があったわけではない。しかし、鎧に槍が弾かれた時、思った以上に大きく弾かれてしまったことで、予定していたその後の動きに狂いが生じた。それが産んだ大きな隙。そして脳裏にはっきりと浮かぶ、『敗北』の二文字。
(やべぇ! 負ける!!)
普通の戦士なら、ここで目を閉じてしまうところだが、ゲートムントは若いながらも歴戦の強者、このような状況でも両の眼は見開いたまま、勇ましい剣戟を見据えていた。今まさに自分が敗北しようというその瞬間を。
「っ!!」
だが、そこまでだった。
「……はぁ、はぁ。はぁ、はぁ……」
躊躇してしまった。ゲートムントの肩を切り裂かんとするその刹那、ルイズの手はピタリと止まり、そこから下に振り下ろされることはなかった。
今手にしているのは訓練用の刃を潰した剣ではない。一族に伝わる正統な剣だ。そして、対するゲートムントは鎧を着ていない。もし今ここで勢いのままに剣を振り下ろしてしまえば、確かに勝利の栄光と共に八百長試合の汚名を雪ぐこともできるだろう。だが、それでゲートムントはどうなる? 下手をしたら、命を奪ってしまいかねない。そう考えた時、寸前でその手が止まってしまった。これが、”実戦”というものなのかと、まざまざと思い知らされることになった。
ただただ、荒い息遣いだけが会場に響く。
「あれ、俺、負けてない?」
ルイズの様子がおかしいことと、自分がダメージを負っていないことを、ゆっくりと実感し始める。まだ負けていない。その事実だけで、ゲートムントには十分だった。
「それなら、もらっちゃうからな! おりゃあ!!」
槍をしっかりと持ち直すと、ルイズの鎧の中心をしっかりと打ち据えた。今度は先ほどのようなヘマはしない。しっかりと狙いを定め、鎧越しに衝撃が伝わるよう、一点を貫く。
「がはっ!!」
その衝撃は、ルイズが大きくよろめくのには十分だった。これは大きな隙である。続け様に槍を大きく振るい、剣を弾き飛ばした。乾いた金属音と共に、武舞台の端まで飛んでいく。
「勝負あったな」
「……そのようだね。完敗だ」
ルイズの言葉で、試合は決着を見た。実戦だったらこの状態でも足掻くのかもしれないが、これはあくまでも試合である。死に物狂いで勝利を掴みにいくのも良いが、潔い敗北宣言もまた、清々しいものである。もちろん、ルイズはそこまで考えたわけではなく、武器を弾かれてしまった以上、勝機はないと判断してのことであった。
「さっき、なんで剣を止めた? あのまま斬ってれば勝てたのに」
「あそこで私が斬っていたら、君は大怪我を負っていたんじゃないか? それを考えたら、手が止まった。ああいう時、遠慮なく一撃を加えられるのが勝利できる騎士なんだろうな。はは、まだまだだな」
諦めたように軽い笑いを漏らすその姿からは、悔しさのようなものは見えなかった。この一瞬の躊躇を体験したことで、ルイズは己の限界を悟った。実戦経験のなさ、練習試合を真面目に行ってこなかった過去がこういうところに出てしまったのだと、強く実感した。
「いや、躊躇なく人を斬れるような奴にはなってほしくねーな。そういうのは、俺らの仕事だ。それに、こういう勝負ってのは、時の運っていうしな。あそこで粘られてたら、俺が負けてたかもしんねーし」
ゲートムントの言葉は、ルイズの胸にスッと入ってくる。実戦経験を盾に自慢げな態度を取らなかったのが、ちょうどよかったのだろう。普段どちらかと言えばお調子者のゲートムントも、こういう場面での振る舞いは流石に弁えていた。
「あ、でも、別に人が斬りたくて戦士稼業してるわけじゃねーからな」
「わかってるさ。それに、相手にするのは悪人だけだろう? そういう人物じゃないことくらい、接していればわかる。試合についても、こちらは一番いい装備で挑んでいたが、君はそうじゃない。これはフェアな試合じゃなかった。それでも勝てなかったんだ、実力がそもそも足りていなかったんだろう。そういうことが、自然と受け入れられた試合だったよ」
これがこの大会で八百長を働いた男の言葉だろうか、表情だろうか。少なくとも、ゲートムントはそう感じていたし、試合を見守っている他の者たちの中にも同じことを思った者はいただろう。それほどまでに、憑き物が落ちたような清々しい様子を見せていた。
「い、一応確認するけど、正確の合わない双子の兄弟ってことは、ねーよな??」
「ないよ。ま、そう疑われるのも無理はないけど。言っただろう? あの後、必死に鍛え直している間に、どんどん自分の過ちに気づいていったんだよ。なんと愚かしいことをしてしまったのか、八百長を持ちかけてまで安全策を取らねばならないほど自分は弱かったのか、そういうことを、色々とね。そこへ来て、この試合だ。正直善戦したつもりではあるけど、条件は対等ではないし、終始一歩以上押されているように思えてならなかったよ」
謙遜めいたその言葉は、果たしてそれほど裏のあるものでもゲートムントを立てたものでもないだろう。それが本心らしいことはゲートムントにもしっかりと伝わっていた。
「あー、話中済まないが、そろそろ進行しても良いかな?」
「え? あ、わりぃわりぃ」
二人の会話に割って入ったのはザルツラント侯爵。彼もまた、武舞台のすぐそばで試合を見届けていた一人だったが、何しろこの大会においては司会進行をしなければならない。二人の爽やかなやりとりはいつまでも見ていたいところだったが、やむをえず話を中断させてしまった。
少々気まずい思いもあったが、二人とも意に介することなく会話を打ち切ってくれた。これで司会進行ができる。こういう時、役目に忠実であろうとする自分が少し面映いのであった。
「つい、話し込んでしまったね。それで、私たちは舞台を後にすれば良いのかな? それとも、侯爵からお言葉でもいただけるのかな?」
「そうだそうだ、試合が終わった後の段取りはなーんも教えられてなかったな。俺たちどうすりゃいい?」
二人は侯爵の前に並び、同じようなことを尋ねる。思えば、確かにその後の段取りについては一切話をしていなかった。これは侯爵の手落ちというよりは、元々この試合が後から追加したものだったという理由が大きい。一番最初に考えていた段取りに追加したため、そこまで細かい段取りは考えられていなかったのである。
「あー、この後、陛下に試合を総括していただくことになっている。少し待たれよ」
「え! また王様に会えんの? 俺、緊張してきた」
「やはり、こういうことは慣れないようだね。その辺りは、私がしっかりフォローしていくから自然体でいるのがいいんじゃないかな? それに、君は今日が陛下との初対面でもないんだろう? だったら、もう少し落ち着いていてもいいように思うんだが……」
ルイズはこう言うが、あくまで庶民としてこれまで過ごしてきたゲートムントからすると、国王はまさに雲の上の存在でしかなく、何度目通してもその緊張はほとんど拭えないのであった。せめて、隣にツァイネがいれば、少しは緊張も紛れるのだが、
「む、無理言うなって。俺、庶民だぜ? お貴族様とか、ツァイネとは訳が違うんだ……」
「そ、そうか、済まない。その辺りの感覚は、私はどうしても理解が難しいようだ」
「そろそろ陛下が参られる、二人とも、静かにするように。あー、ごほん! これより、国王陛下によるこの試合の講評がある! 皆の者も大いに盛り上がったと思うが、心して聴くように!」
侯爵が観客に言葉を投げかける。国王が再びこの場に現れると知り、観客一同は再び沸き立つ。試合の興奮も冷めやらぬ中、さらなる興奮で締めくくろうと言うのか。
「国王陛下の御成である!!」
歓声を貫くように侯爵の声が響き、耳が痛くなるほどの歓声を上げていた客席は、水を打ったように静まり返った。
〜つづく〜




