チャプター87
〜王城 中庭竜王杯会場〜
「くそっ!!」
体勢を立て直そうにも回避しようにも、どうにも分が悪い。流石にこれはダメージを覚悟しなければならないか、そう思い至ったその刹那、
「うわっ!!」
なんと、無様にも足を滑らせてしまった。盛大に尻餅をつき、双方が全く想定していない形で体勢を崩してしまうゲートムント。わずかに攻撃はかすったが、想像したよりは軽傷で済む結果となった。そして、それに引っ張られる形で、ルイズもバランスを崩す。こういう時、攻撃の勢いが強ければ強いほど、不安定になりやすくなる。
「っとと、危ない危ない。こちらまで転んでしまっては、醜態どころの話ではないぞ……」
すんでのところで転倒は回避したものの、流石に額に冷や汗が流れた。この、予想外のアクシデントのおかげもあり、ゲートムントは余裕を持って立ち上がることができた。
強かに打ちつけた尻は痛むし肩も熱を帯びた痛みがじんわりと広がっているが、どちらも戦いを棄権するほどではない。試合を続行できそうなのが幸いだった。
「いやー、焦った焦った。情けねーところを見せちまったな。ま、戦いにはこの手のアクシデントもつきものってことで。さ、仕切り直しと行こうか」
「そうだね。しかし、今の攻防で思ったんだけど、やっぱり鎧を着なくて大丈夫なのか? 正直、転んでしまうアクシデントよりも、訓練用の武器を使っていないことによる負傷の方が重大事のように思うんだが」
ルイズの心配は尤もだ。それを承知の上で身軽なスタイルを選択したゲートムント自身が一番よくわかっている。それでも、普段扱い慣れた武具を装備できないという制約がある以上、着慣れない鎧を着るくらいなら、やはりこのままの方がいいと考えてしまうのである。
市井で活動する戦士ならではのものの考えだろう。
「気持ちだけありがたく受け取っておくよ。けど、慣れないモン着て戦うことのリスクは、ちゃんとした戦士ならよーくわかるんじゃなーか? 武器はまぁ、同じ系統のものならどうにでもなるけどよ、防具は体の動きに直結する分そういうわけにも行かねぇ。少なくとも、俺はそう考えてんだ」
「そうか、まぁ、わからないではないか。己を顧みても、この鎧の着用を禁じられたらどう振る舞うかと考えた時、汎用の鎧で納得するかと言ったら、多分そうではないからな。それはおそらく、他の騎士連中も同じだろうし。では、これ以上野暮を言うような真似はやめよう。こちらとしても、実力差のある相手と戦っている以上、そういう戦力差は有り難いからね」
お互いの表情は晴れやかだった。相手に臆することなく主義主張をぶつけあう。と言っても、激しい議論になるようなことはなく、あくまでも意見交換に近いレベルのものだ。それで互いが納得できるなど、こんなにありがたいことはない。
(こいつが八百長試合を仕組んでたなんて、ほんと信じられねーな。頭でもぶつけたんじゃねーか?)
こうして言葉を交わすたびに同じことを何度も思ってしまう。それほどまでに、文字通り人が変わったように清々しい人物だった。そして、それが芝居でないことくらいは、流石のゲートムントにもわかる。試合をしていて一番楽しく、そして一番やりづらく感じる人柄だ。
「俺の勝手な主張、聞いてくれてありがとな! 改めて、礼を言うぜ!」
晴れやかな顔を浮かべながら、ゲートムントは再び槍を構えた。
☆☆☆
「おーおー、ずっこけた時はどうなるかと思ったけど、立て直したよ!」
「あれで場が仕切り直しになった、て感じだろうね。二人ともこれで良かったと思うよ」
ゲートムントの思わぬアクシデントは、無論当人たちだけでなく観客席にもどよめきが起こった。もちろん、その大半は笑いのような明るい雰囲気のものだったが、ごく一部には心配そうな声色も聞こえた。
そんな中、エルリッヒたちはというと、武舞台が硬いことは百も承知ではあったが、日頃の鍛錬の具合もよく心得ていたので、そこまでの心配はしていなかった。むしろ、ルイズの攻撃による負傷が軽減されたことだけを安堵していた。あれだけは、流石に鍛え抜かれた体でも限界がある。
「怪我も少しで済んだみたいだしね。ほんと、良かったよ」
「て言うかさ、いくらなんでも防具なしって油断しすぎじゃない? や、調子に乗ってるわけじゃないのは友達としてわかるんだけどさ、多少の機動力を犠牲にしても安全策を講じるべきなんじゃないかな」
鎧を着ないで戦うというあまりにも突飛な提案に、それまでは「ゲートムントの言うことだから」と特に気にせずやり過ごしていたが、一撃喰らったとなれば流石に看過できない。軽傷で済んだことも、そのきっかけとして尻餅をついたことも、全ては偶然が生んだ幸運でしかないのだ。実戦と同じ武器で戦うからには安全に配慮するのは当然ではないのか。全幅の信頼を置いて観戦していたフォルクローレも、ようやくこの選択の恐ろしさを実感し始めたのである。
「っ!!」
「ん、何? あたしのことじっと見て。何かついてる? それとも、変なこと言った? 見つめられても何も出ないよ?」
フォルクローレの発言に、エルリッヒは思わずその顔を見つめてしまっていた。その様子は、穴が開くほど、という言葉が似合うほどだ。これには、流石のフォルクローレも不審な表情を禁じ得ない。
「いやー、フォルちゃんからそんな安全に配慮したような発言が出るとは思わなくて。驚きのあまりつい」
思わず本音が出てしまった。
フォルクローレという人物を知れば知るほど、このような発言とは縁遠い印象が形作られているのである。だから、反射的にそれが態度に出てしまっていた。
「えぇ〜? ひどい〜。エルちゃんはあたしのことなんだと思ってるのさ。まさか、爆弾魔か何かだと思ってるんじゃないよね?」
「流石にそんなこと思ってないって。そうだなぁ、元気な爆弾娘?」
その回答に、一瞬面食らったような表情を見せる。今度は、フォルクローレが真顔になる番だった。
「それ、そんなこと思ってるのと同じじゃん。やっぱひどいよ〜、人のこと爆弾魔扱いして〜」
「えぇ〜? 私の中では結構大きな違いがあるんだけど? いちいち説明するのも野暮だから、そこまではしないけどさ。それに! フォルちゃんが爆弾好きで強いこだわりを持ってるのは確かでしょ? あと、爆弾とは関係ないけど、調合のためなら寝食を忘れる。ていうかアトリエの片付けも何もかもを忘れる。そういう性分を知ってるからこそ、今みたいな物言いに驚いたんだよ。ほら、胸に手を当てて思い返してみてよ。ゲートムントの身を案じるのと、勝つために選んだ無防備な選択をどこまでも応援するのと、どっちがフォルちゃんらしいか」
そう言われて、素直に左胸に手を当ててみる。時としてものの例えをそのまま実行してしまう辺りが可愛らしいと感じるところだった。
「いや、実際に手を当てなくても。で、どうだった?」
「ん、ドクドク言ってる。いきなり見つめられてからの一連の発言を喰らって、なんか動悸があがってるみたい」
この会話の噛み合わなさも、魅力の一つだと感じてしまう。わかってやっているのか、それとも本当に胸に手を当ててみた結果を伝えているだけなのか。人によっては苛立ちを覚えかねないこのようなやり取りも楽しんでしまうあたり、エルリッヒはすっかりフォルクローレの掌中に取り込まれているのかも知れない。
「ごめんごめん。余計な動揺を与える目的はなかったんだよ。でも、今みたいに身軽な姿のゲートムントをいけーっ! て応援してる姿の方が、フォルちゃんらしいと私は思うんだ」
「まぁ、確かに。確かにその方があたしらしい気はする。いや、だけどね? ああして目の前で怪我するところを見ちゃったら、流石のあたしも少しは違うこと思うってことだよ」
妙に説明っぽい物言いになっているあたり、フォルクローレ自身も発言の変遷を頭の中で整理しきれていなかった。まるで、発言や思考の順序を逆に追うことで、「あの時なぜそんなことを言ったのか」を自分自身で紐解いているようだった。
「わかったわかった。そういうことは確かにあるね。なんかちょっと失礼な感じになっちゃってごめんね? じゃ、なおのことしっかり試合を見てあげないとね!」
「そだね。そっちが本題だった」
そうして、二人は再び武舞台に視線を戻すのだった。
〜つづく〜




