チャプター82
〜王城 騎士団の詰め所〜
「ルイズ・フォン・マルクト!」
彼はその名前が呼ばれるのを待っていた。幾日も、幾日も。ようやくこの日、このタイミングが訪れたのだ。自然と鼓動が早くなる。
あの日、ちょっとした慢心と出来心、それに万に一つも負けるわけにはいかないと言う貴族の子息としてのプライドが、彼を八百長へと駆り立ててしまった。自分では巧妙に仕組んだつもりだったが、まさか試合っぷりから見抜かれるとは思わず、不覚にも詮議を受けることとなってしまった。
それでも、なんとか言葉を繋いで汚名返上の機会を得ることに成功した彼は、その後の試合を観戦することなく、ひたすら剣を振るい鍛錬に励んだ。ともすると、この時が騎士としてのこれまでの人生で最も真剣に鍛錬を行なった期間かもしれない。
元々の自信はとうに捨てた。この機会になんとしても勝利を掴み、八百長という汚い手で仮初の勝利を得ようとした自分の罪を実力で雪ぐのだ。その一心で、ストイックに打ち込んだ。
その実力を証明する機会が、ようやく巡ってきたのである。
「いよいよだ……」
恥も外聞も見栄もない。ただ一人の騎士として相手を倒す。今あるのは、ただそれだけ。対戦相手のことは、よく把握していない。この場で控えているよう命令を受けたため、会場の話し声ははっきりとは聞こえない。ただ、観客の感性から、それなりに盛り上がる相手だということが伝わってくるのみ。それが焦りを駆り立てるが、鍛え直した今の彼の自信を揺るがせるほどにはならなかった。
そして、そんな彼の思いを引き寄せるように、侯爵の自分を呼ぶ声が、はっきりと耳に届いた。気が昂る。重たいはずの鎧も今は軽い。手にした剣もまるで羽のように感じられる。今なら行ける。その思いを胸に、武舞台へと向かっていった。
☆☆☆
〜中庭 竜王杯会場〜
侯爵の呼び出しを受け、彼は現れた。ルイズ・フォン・マルクト辺境伯、今大会唯一の八百長試合の当事者である。彼は貴族ゆえの財力を武器に八百長試合を持ちかけ、この大会を汚してしまった。果たしてどんな人物だったのかと観客の注目が集まる。
緑色の鎧に身を包んだその人物は、表情を見せない様子で武舞台中央に歩み出てきた。おそらくは試合のためと思われる鎧が、表情を隠す効果も生み出している。顔を見せろという意見はあるだろうが、どこからもそのような声が上がっていないのは、事前に行われた侯爵からの注意の効果だろう。
「よお」
武舞台で待っていたゲートムントは、空いている方の手をひらひらさせながら挨拶をする。思わぬ人物の登場に、ルイズは驚きを禁じ得なかった。その様子は、全身を鎧で包んでいてもはっきりと見てとれるほどだった。
「な! なんで君がここに!」
「そりゃお前、王様に言ってくれよ。ま、そんな難しい話じゃなくてよ、決勝を戦った二人がもうへとへとだっていうんで俺に白羽の矢が立ったんだわ。ほら、ツァイネのことはお前も知ってると思うけど、あいつはなんつーか、器用すぎるとこがあっからな。戦ってみるとわかるけどよ、ギリギリのところで自分が勝つよう調整して戦ってくるんだよ。そーすっと、いい感じに盛り上がる試合にはなるんだけど、それじゃー面白くねーだろ? 俺はそういう芸当はできねーから、王様もそれを見抜いて任命してくれたのかもな」
飄々と語っているが、仮にも豪華な鎧を身に纏った騎士を相手に、臆する気持ちはないのだろうか。ルイズはそれが疑問でならなかった。
「君、名前は? あの時に名乗ってくれたかもしれないが、改めて聞いておきたい」
「おっと、それは私の役目だ、辺境伯。試合前に話をするのは構わないが、まずは二人ともの名前を観客に伝えなければならないのだ。君も、いいかな?」
「おう。俺はなんでも。じゃ、かっこよく紹介してくださいよ」
侯爵は改めて観客席を見廻し、これからゲートムントを紹介するということを視線で伝えると、再び観客たちに静寂を与えた。そして、いつものように咳払いをすると、大きく声を張り上げた。
「お待たせしました。これで対戦相手が揃いました! 彼の名は、ゲートムント! ギルドに所属する勇敢なる冒険者、魔物との対決経験も豊富な戦士です! 個性あふれる両者の試合はどちらが勝利を収めるのか、しかと見届けてください!」
そうして、会場は更なる盛り上がりに包まれた。これで、あとはもう黙っていてもこの試合は熱狂が支配してくれる。残る仕事は、試合開始の合図を出すことと、試合終了の合図を出すことだけだった。
「いい試合になるかはわかんねーけど! こいつで精一杯戦うから、応援してくれ!」
ゲートムントも調子に乗って、槍を振り回しながら観客たちの盛り上がりに応える。試合というのは、やはりこういうお調子者が参加した方が良い。誰もがそのように思った。
「うむ、なかなかいい態度だ。これでもっともっと試合は盛り上がるな」
「そっすか? そりゃ何より。で、ルイズっつったっけ。改めて、俺の名前はゲートムント。今紹介されたように、ギルド所属の槍使いだ。当然、身分は平民、だからあれこれ気にせず接してくれていいからな」
「あ、ああ。それはそうと、鎧は着ないのか? これから着るのか? いくら剣に比べてリーチで有利な槍だからって、そんな身軽な格好というわけにはいかないだろう。この場に君自身の所有する鎧がなかったとしても、騎士団には余るほど備えがある。その中からサイズの合うものを一領用立てれば……」
その言葉を遮るように、ゲートムントは口を挟んだ。
「俺は、こっちの方が身軽でいいと思って鎧を着ないことを選んだんだ。だから、気にしなくても大丈夫。もちろん、お前もその鎧を脱ぐことはないからな。自分で考えて、それでも脱いだ方がいいと思ったら脱げばいい。少なくとも、この状態で戦うことで、俺は不公平なんて一切思ってねーから。むしろ公平なくらいだ。そんなことより、あれこれ話してねーで、さっさと試合を始めよーぜ?」
「そ、そうだな……」
普段鎧の下に着るような黒のインナーを着ているだけの相手を剣で打ち据えて、それで勝利して何の名誉だろうか、それで汚名返上になるのだろうか。そんなことを考えながらも、相手が望む以上、気にしていない以上、これ以上この話題を引っ張るのは野暮というものだった。ここはひとつ、望み通りに試合開始するほかはない。
「じゃあ、いい試合をしよう」
「もちろんだ。八百長なしの実力、見せてもらうぜ?」
まるで別人のようだ、とゲートムントは思った。記憶の中にある彼の印象は、もっと太々しく貴族としての身分をひけらかすような雰囲気のある男だったが、今は全くそのような感じは見られない。八百長を持ちかけた張本人とは、とても思えなかった。バレたことで、心持ちに変化があったのだろうか。だとしたら、これは悪いやつをとっちめる戦いではなく、正々堂々とした、もっと清々しい戦いになるだろう。むしろそっちの方がいい。相手が強かろうが弱かろうが、どうせ戦うのなら気持ちのいい戦いをする方がいい。思わず、小さく笑みがこぼれた。
「それでは、そろそろ試合を始めても良いかな? そこに並んで立ってくれ」
「そういや、そうだったな」
「大丈夫だ、僕は2度目だからね。段取りは覚えているよ」
そうして、二人は侯爵の段取りに従って向き合う。一方は鎧を着て剣を手にした騎士、一方は身軽な服装で槍を手にした戦士。なんともちぐはぐな取り合わせだが、これから始まる試合は決して生半可な試合ではない。果たして、この場にいる何人がそれを感じ取っているのだろうか。
「それでは、両者とも、正々堂々と戦うように。試合開始!」
いよいよ、戦いの火蓋は切って落とされた。
〜つづく〜




