チャプター7
〜コッペパン通り 竜の紅玉亭 夜〜
夜、フォルクローレはちゃんとやってきた。と言っても、そろそろラストオーダーだという時間である。おそらく、ベッドでしっかり休んだ結果、起きたらこういう時間だったのだろう。
それに、さすがに寝巻きということはなく錬金術士の装束に着替えているし、髪もしっかり整えられている。この辺りの身だしなみは最低限フォルクローレも女の子なんだということを実感させてくれた。
「はぁ……はぁ……間に合った。まだ、注文できる?」
なんだかんだと言ってもギリギリになったからか、息を切らせている。駆けてきたのだろう。回復役やスタミナを回復させるような薬も持っているだろうに、そういうものに頼ろうということを思いつかないところもまたフォルクローレらしい。途中で薬の一杯も飲めばこんなに息を切らせることもないのに。
「キリギリ。でも、今なら何を頼んでもいいよ。お酒も出すし、果実のジュースも出せるし、お肉も魚も焼くよ。スープも少しなら残ってるし。で、何にする? どうせ、朝から? 下手したら昨日から何も食べてないんでしょ?」
「う! 鋭い。じゃあ、ちょっとだけ考えさせて」
「何だ、フォル嬢ちゃんそんなになげぇこと飯抜いて、そんなんじゃ倒れっちまうぞ?」
近くの席に座っていた顔なじみのカールが声をかけてくれる。冗談のつもりで言ったのだろうが、フォルクローレの普段の生活を知っているエルリッヒとフォルクローレ本人からすると、とてもではないが笑い事ではなかった。
特にフォルクローレなど、何も返す言葉がないのか、冷や汗のようなものをかきながら引き攣った笑みを浮かべるばかりだ。気の利いた返しができるほど、まともな生活を送っていない。
「ほら、言われてるよ? フォルちゃんって、調合に没頭し始めると途端に生活が疎かになるから、本当に倒れてることがあるんだよ。そうでもしないと一流になれないのかもしれないけどさ、友達としてはもう少し体を偽って欲しいんだよね〜。カールさんからも言ってやってくださいよ」
「おじさん、冗談のつもりだったんだけど、本当に倒れてんのか。そりゃあ感心しねぇなぁ。とりあえず、ちゃんと飯を食って、ちゃんと寝る! それが健康の秘訣だな!」
「……か、返す言葉もございません」
決して築い空気ではなかったが、やはり、フォルクローレにとっては耳の痛い話。いつもの明るい空気は何処へやらだった。一応は、自分の生活を良くないと自覚しているらしい。それがわかっただけでも、友人としては収穫なのだった。
「それで、注文は決まった? や、この話の流れじゃ決まらないか。まあいいや。まだ時間あるし、悩んでていいよ。カールさんはどうします? そろそろ最後なんですけど」
「お、そっか。じゃあ俺は……こっちのシュヴァルツェンビアをもう一杯。それと、つまみのザワークラウトを一皿もらおうかな」
カールからのオーダーを受け取ると、同様に他のテーブルにも聞いて回る。フォルクローレはともかく、他のみんなはラストオーダーだ。
少しの焦りを感じながらも、フォルクローレは何を頼もうか思案する。
(と、とりあえず今が一番大変なタイミングだろうし、今注文しない方がいいよね)
正直店中に漂ういい匂いで空腹は加速する一方なのだが、これと決めるのが難しい。うんうんと首をひねって悩んでしまう。でも、こうして悩んでいる時間もまた楽しいのだ。
「フォルちゃーん。こっちはあらかたオーダー捌けたんだけど、そろそろ決まった〜?」
「え! ああ、ごめんごめん。なんか、お肉! お肉ください!」
なんという漠然とした注文だろう。それでも、きっとなんとかしてくれる。そういう思いでの注文だった。これには、周囲の客たちからも大きな笑いが湧き上がる。フォルクローレに限らずこう言う注文をする客はおり、酔っ払った客たちが笑い飛ばすところまでが名物のようになっていた。
「お肉、ね。ま、承りましたよ」
今日の食材の残りを確認する。日持ちのしない季節、自分の夕食の分は残しておくにしても、それ以外は少しでも多く消費してしまいたい。
少し多めに作って、残すような自分で食べてしまうか。
「よいしょ」
大きな肉の塊を持ち出すと、軽く下味をつけ、残ったスープの中に放り込んだ。そこに野菜も少し足して、火加減を確認する。よし、あとはこのまま煮込むだけだ。
「それじゃあフォルちゃん、ちょっと待っててね。パンは後で一緒に出すから」
「はーい。いやー、それにしてもこんなギリギリになっちゃって悪いね。本当はもう少し早く来られれば良かったんだけど、起きたらこんな時間で」
なるほどこちらについても少しは気にしてくれていたのか。比較的時間にルーズなフォルクローレである。彼女の時間に対する意識は、依頼の品を期日に間に合わせることにすべて振り向けられているため、それ以外の時ことには向けられないのである。こう言う極端な生き方ができるからこそ、いろいろな人物に依頼を頼まれるようになったのだろう。それは理解できるのだが、それにしてももう少しその他のことにも意識を向けて欲しいのだが。
とはいえ、今日はこの後話があるので、遅く来てくれて助かったのもまた事実ではあるのだが。
「それにしても、夜道は危ないでしょ。大丈夫だった?」
「それ、夜に来てって言った本人が言う? この街の治安はその辺をあんまり気にしなくていい程度はいいからね。それに、一応こう見えてもいろいろ道具は持ち歩いてるから、大男に後ろから羽交い締めにされてもなんとかなるよ。ま、ご案じめさるな」
ほっと胸をなでおろすよりも先に、街の治安がむしろ悪化しないか心配してしまうような話だ。何しろ爆弾のプロフェッショナルを相手にするのだから。
「念のため確認するけど、爆弾は持ち込んでない、よね? ここ、火を使ってるんだけど……」
「……やだなぁ。そんな危険な真似このあたしがすると思う? もしうっかり間違って引火なんかしちゃったら、ねぇ。みんなも安心してよね。忍ばせてる道具はそういう派手なやつじゃないから!」
最初の間が何よりも信用できないのだが、言っていることが真実だったとしても、それでは何を懐に忍ばせているのか、それはそれで気になる。彼女のレシピには、まだまだエルリッヒの知らない道具がたくさんあるのだから。
「ま、まあ、私はお店と周りのみんなの安全が確保されるならそれでいいけど。でも、本当この街の治安っていいですよね。女の子が夜道を一人歩きしても、危険な目に遭ったような話を全然聞かなくて。表に出てきてないだけ、てことはないですよね?」
「ちょ、ちょっとやめてよエルちゃん。それはさすがに強くなるってば。実はそれなりに犯罪は起こってて、秘密裏に処理されてるだけ、みたいなのは怖すぎだよ」
「俺たちゃそういう話にゃ一切関わってねーけど、どっからも噂の一つも聞こえてこねーし、大丈夫なんじゃねーか? そりゃあ、犯罪者の類がいねーわけじゃねーけど。誰か、そういう物騒な話を聞いたやつ、いるか?」
カールが周りの客に聞いてくれたが、誰も首を縦には振らない。ということは、概ねそのような話はないのだろう。さすがに「実はそれなりに重犯罪は起こっています」ということになると、安心して夜道を歩けないし、市中を守るはずの兵士たちは何をしているんだということになる。
「ま、俺たちがこうしてる今だって、兵士は見回りをしてくれてるんだろ? だったら安心ってことだな」
「ですよね〜! も〜、エルちゃんが変なこと言うから!」
「ごめんごめん。おっと、もう火加減はいいかな。フォルちゃん、今盛り付けて持っていくからね〜」
鍋から取り出した肉は、程よく柔らかくなっており、スープも染みているようで、とても美味しそうだった。再びいい匂いが立ち込める。
店内の空気が、一気に色づいた。
「はい、お待ちどうさま! 少し多めにしてあるから、食べきれなかったら気にせず残していいからね。パンは硬めの黒パンだから、スープに浸すとちょうどいいよ」
「わーい! めちゃくちゃ美味しそう!」
そして、餓鬼のように料理にありつくフォルクローレの様子を見ながら、誰もが目を細めるのだった。
〜つづく〜