チャプター6
〜竜の紅玉亭 朝〜
「特別観戦席でフォルクローレと観戦したい」というフォルクローレの願いについて、ルーヴェンライヒ家から返答の手紙が来たのは、あれから三日後のことだった。
使者は朝、ちょうど昼のための仕込みを行っている時にやってきた。確実に店にいる時間を狙ってくれたのだろう。ハインツがよこしてくれたその使者は、わざわざルーヴェンライヒ家の紋章の入った封書を持ってきてくれた。中はエルザが書いてくれたのだろうか、女の子らしい優しい文字で綴られていた。
『お父様がよしなに取り計らってくれました。フォルクローレさんのところにも招待状を送っておきますので、当日はそれをお忘れないようにお越しください』
どうやら、無茶なお願いは恐ろしいほどあっさりと叶ったらしい。これでフォルクローレが観戦できることになったので、嫌だとは言うまい。
ただ、観戦権を得るためにはどうしたらいいのか今から思案している周りのみんなのことを考えると、少々心苦しくはあった。一人を特別扱いしてもらったら、他のみんなも同じように招待席で見たいと考えるだろう。何か、もっともらしい理由をでっち上げた方がいいだろうか。いや、それは嘘をつくことになるからできれば避けたい。
思わぬところで悩みを抱えることになってしまった。
「う〜ん……う〜ん……」
ひとしきり悩んだところで、考えることをやめた。フォルクローレは国王とも面識のある娘なのだ、理由など考えなくても嘘をつかない範囲でもっともらしく言いつくろうことはいくらでもできる。それよりも、こんなにとんとん拍子で希望が叶ったことの方が一大事だ。何かしら、作為のようなものを感じる。例えば、フォルクローレもエキシビジョンマッチに参加させたいとか、この機会に何か騎士団が必要とする爆弾などの作成依頼をしたい、というような裏があるのではないだろうか。
もちろん、フォルクローレが両手に爆弾を持って勇猛な騎士と一戦交える姿は見てみたくないと言われれば嘘にはなるが、あまりそう言った裏事情のようなことに巻き込みたくはない。果たして、どんな思惑があるのかないのか。
「はっ! いかんいかん! 仕込みの手が止まってしまったじゃないか! とりあえず望んだ方向に話が進んでるんだから、それでよしとしよう!」
エルザからの手紙を元の封筒に収めると、二階の自室に上がり、それをテーブルの上に置いた。厨房に置いておくようなものではないのだ。不意に、封書と便箋から微かにいい香りがするのを感じた。
「あれ? この香りって……」
これはエルザが普段使用している香水だろうか。街の北と南で離れて暮らしている二人だが、今は少しだけ、すぐそばにいるような、気配のようなものが感じられた。
「エルザ様……」
もともと香りが染み込ませてあったのか、はたまた手紙をしたためる際に香りをつけてくれたのか。いずれにせよ、どことなく嬉しくなる心遣いである。
「これ、厨房に置いてたら気づかなかったところだ……気付けてよかった〜」
厨房は美味しい香りで満ちている。ささやかに香る花の香りはさすがに負けてしまっていた。部屋に持ってきて初めて気付けたのである。全く想定外ではあったが、ほっと胸を撫で下ろす。
「さ! 仕込みを再開しなきゃね!」
エルザから元気をもらったようで、軽快な足音を響かせながら階下に戻って行った。
☆☆☆
〜職人通り フォルクローレのアトリエ〜
昼の営業が終わり、いつものように昼食や片付けを済ませた後、訪れたのはフォルクローレのアトリエだった。つい先日も訪れたばかりではあるが、エルザからの手紙を読み、一度は会って話をしておかねばならないと考えていた。
素材採取のために外に出ている可能性もなくはないのだが、その時は日を改めれば良い。外から判別できる要素が少ないので、実際にアトリエを訪ねてみるしか在宅確認はできないのだが、これはやむをえないことだろう。とんぼ返りするには少々遠いが、これも仕方がない。
「フォルちゃ〜ん、いる〜?」
扉を遠慮がちにノックしながら声をかける。調合に集中していたり、精根尽きて倒れたりベッドで眠っていたり、ということもあるため、ノックをしようが声をかけようが気付いてくれないこともあるのだが、反応がない時は扉を開けてみればいい。こんな無法に近い行為が許されるのも、フォルクローレとの関係性あってのことだろう。普通だったら、怒られても仕方がないことだ。
「……反応がない。こないだは普通だったけど、その後の予定なんてさすがに確認してないしな」
ここで扉を開けてみて、鍵がかかっていればおそらくは採取の旅。鍵が開いていれば、調合中か、何らかの理由で意識を失っているか。不用心極まりない話だが、在宅中であれば夜の就寝時以外は滅多に鍵をかけないのがフォルクローレだった。だから、扉の施錠一つである程度のことがわかる。
「お邪魔しまーす」
引き続き遠慮がちにノブを回し、ゆっくりと扉を開けてみる。半ば予想通りだったが、それはあっさりと開いた。やはり、いるにはいるようだ。
カーテンは空いており、陽の光は入り込んでいる。夜眠ったまま、ということはなさそうだ。そして、中に入らずとも確認できる範囲では、一番目立つ大釜の前にはそれをかき混ぜる後ろ姿は見えない。とすると、どこだろうか。相変わらず室内は散らかっているが、これはいつものことなので判断材料にはならない。一歩一歩、足を踏み入れていく。
「どこだどこだ?」
ソファを見るが、ここにもいない。二階にいる可能性が高そうだ、と視界を上に向けようとした瞬間、机の前に座ったまま伏している姿を発見した。死角になるような場所ではないのだが、すっかり机と一体化しているようだった。それに加え、陽の光を受けて髪が淡い光を放っていたので、まるで視界から消えるかのようになっていた。
「まさか、机で寝てるなんて思わなかった。寝てるっていうより、意識を失った感じなのかな? 全く……。でも、何度見ても寝顔は天使なんだよなー」
呆れ半分ではあったが、どことなく愛おしく感じるのもまたフォルクローレの魅力なのだった。とりあえず、いくら暖かい季節と言ってもこのまま寝かせておくのはよろしくない。いつものように、心を鬼にして起こすことにした。
最初は優しく揺り起こす。大概の場合、それでは起きてくれないため、徐々に揺する力を強くしていく。それでも起きないことも日常茶飯事なので、怪我をさせない程度に軽く頬を叩く。経験上、ここまでやるとさすがに起きてくれる。
「ほら、起きて! 風邪引くよ!」
「んあ? エルちゃん?」
でも、やはりというべきか、寝ぼけ眼のままだった。とりあえず、ベッドまで運んでやらなければならない。どうせまた徹夜でもしたのだろうから、しっかり休ませるのが第一だ。同じくらいの背格好の娘を背負って階段を登るのは、普通なら重労働だが、そこはエルリッヒのこと、伊達に人間でないわけではない。背中にかかる重さなど、さしたる負荷ではなかった。
そうしてフォルクローレを背負って階段を登っていると、次第に意識もはっきりしてくる。初めてのことではないので、驚くこともない。
「え、えーと、あたしは一体なんで背負われてるの? もしかして、またやっちゃった?」
「起きた? そ。またやっちゃったんだよ。とりあえずベッドまで運んであげるから、そしたら寝巻きに着替えるのは自分でしてね。その間に用件を話すから」
手早く部屋まで向かい、ベッドの上に転がす。後はフォルクローレに任せるだけだ。
「いやー、ごめんごめん。ちょっと大掛かりな調合をしてて寝てなくって。で、今回は新しいレシピだったから図鑑に書き加えてたらいつの間にやらこんなことに。それで、用件はなんなの?」
「こないだ話した竜王杯を一緒に観ようって話。あれ、フォルちゃんも招待席で見られることになったから」
寝巻きに着替える様子を見ながら、手短に説明していく。
「詳しい話は夜話すから、今はちゃんと休んで、それからお店に来て」
無茶な錬金術士生活に釘を刺すことはせず、着替え終わったフォルクローレがちゃんとベッドに入るところまでを確認すると、一声だけかけて、そのままアトリエを後にした。
「じゃ、おやすみね」
そう。詳しい話は夜にでもゆっくりすればいいのだ。
〜つづく〜