チャプター61
〜コッペパン通り エルリッヒの部屋〜
夜、二人は寝支度を行なっていた。寝巻きに着替え、ベッドに腰を下ろして向かい合うと、フォルクローレの髪を櫛でといてやる。
「相変わらず綺麗な髪だよね。普段からもっとちゃんと手入れしたらいいのに」
「あーいいのいいの。あたしそういうのは二の次だから。こうしてたまにやってもらうので十分。自分でやっても気持ち良くないし、普段はあんまり外にも出ないしね。自己満足にしか思えなくって」
ほとんど手入れをしていないという髪は、ランタンの灯りを受けても十分に輝く黄金色で、櫛の歯もスルスルと通るほどにサラサラだ。王都広しと言えどなかなかこれほどの髪質の娘は見つからないのではないだろうか。誰もが羨むような髪を持っているのに手入れをしないのは、本当にもったいないと思ってしまう。
「そんなことないって。それに、身だしなみに気を遣うのは自己満足じゃないと思うし」
「そんなもんかなぁ。何度言われてもピンとこないんだよね〜。でも、他人事なのに気にしてくれてありがと」
他人事といえば他人事なのだが、大事な友達は他人と言い切るにはあまりにも近い。だからフォルクローレのことであればそれは他人事ではない。というのがエルリッヒの持論だった。
同じ時を過ごすことができないからこそ、同じ時間を過ごしている間はより強く結びついていたい。
「はい、ありがとー。そんじゃ、今度はあたしの番だね。櫛貸して?」
「ん、よろしくね」
今度はエルリッヒが髪をといてもらう番だ。フォルクローレよりは手入れに気を使っているし、フォルクローレほどではないが、決して癖毛ではないので、櫛の通りは悪くないという自覚はある。だから、フォルクローレが多少雑に櫛を扱っても痛くはならない。もちろん、流石に多少は気を使ってくれるのだが。
「エルちゃん、あたしの髪を羨むことはないと思うな〜。これだけ綺麗だったら十分じゃん。隣の畑が青く見えてるだけだとは思うけど、そんなことない?」
「ないない。自分でわかるもん。流石にこの髪にあのサラサラ感は流石にない。あと、金って金属としては貴重だから、無意識に金色の髪に同じ希少性を見出してるのかもしれないね。こればっかりは仕方ない。よくよく考えたら、フォルちゃんよりずっと長いこと人間の価値観の中で暮らしてるわけだし」
人間からすれば長いこと生き的、金髪に対する漠然とした憧れを初めて言語化できたような気がしていた。口にしてしまえばあっけない。エルリッヒもまた、『金』という色に特別な価値を見出している一人に過ぎなかったのだ。とはいえ、光を浴びてキラキラと輝く金髪が美しいことに変わりはないのだが。
「金がスペシャルなのはわかる! もちろん、あたしの髪はそんな価値はないけどね。金貨や宝飾品に加工できるなら、放っておいたら勝手に伸びるから素材にし放題なんだけど。んでも、あたしはエルちゃんの赤い髪も好きなんだよね〜。遠くからでも目立つし、何より燃える炎の力強さを感じるよ」
「ほんと? そう言ってくれて嬉しい。なんか、意外と赤い髪の人って見かけないから、珍しがられてるんじゃないかって思ってるんだよね。もちろんいい意味じゃなくて。その辺、その時代その時代で誰か一人でも気に入ってくれたら、この髪で生まれついた甲斐もあるって思えるよ」
この300年余り、ずっとどこかに軽いコンプレックスを抱えているのがこの髪色だった。もちろん、これは火竜の誇り高い鱗や甲殻の色が反映されたものだと言われており、竜王族としての誇りの一端でもあるのだが、人間社会で暮らす上では、奇異の目で見られていないか、という不安材料にもなっていた。
非常に面倒くさい、二律背反である。
「はい、終わり! どうだった?」
「ありがとー、気持ちよかったよ。やっぱり、人にやってもらうのはいいね。それじゃ、寝よっか」
エルリッヒが櫛を片付け、その間にフォルクローレが先にベッドに入る。もともと一人用のベッドなので狭いのだが、すっかり二人で眠ることにも慣れてしまった。妙に体温の高いフォルクローレと一緒に眠る温かさや、朝起きてフォルクローレの油断しきった寝顔が視界に飛び込んできた時に湧き上がる感情など、一人で寝ていた時には味わえない感覚にも、すっかり馴染んでいる。
「それじゃ、灯りを消すね」
「よろしくー」
ランタンの灯を吹き消すと、エルリッヒもベッドに滑り込む。
「こうして二人で寝るのも今日が最後だね」
「えっ? せめて明日は一緒に居させてよ。絶対疲れてるよ。決勝なんて、見てるだけで疲れるって。保証するね」
布団を被り、目を閉じたまま、それでも他愛のない会話が続く。こういう時間も楽しくて、この生活は確かに終わらせ難い。
「んじゃあ、明日までね。でも、大会終わったらお店開けなきゃだし、明後日にはからはいつも通りだからね?」
「正確には、明後日アトリエに帰るわけだから、明々後日からってことだよね? でも、りょーかい。あたしも依頼が待ってるだろうし、エルちゃんには迷惑はかけられないしね」
掃除や給仕くらいはできるが、それ以上のことで『竜の紅玉亭』に貢献となると、なかなか思いつくものではない。厨房も一人用にできているので、プライベートな料理を作るために二人で立つのはいいだろうが、普段の営業では、二人で立ってもむしろ邪魔になる。そもそも料理では一切貢献できないのだが。錬金術で貢献できる材料と言っても、やはりそうそう思いつくものではない。だから、どのみち無駄飯食いの居候以外の道はなく、おとなしく帰るしかないのである。
「迷惑ってほどじゃないけど、お祭りは終わりってとこだよ」
「お祭りかー。確かにそうかも。ここに住まわせてもらうの、本当に楽しかったし。あ、でも、流石に規律正しい生活すぎて大変だったけどね」
苦手な早起きやちゃんと身だしなみを整えることを求められたことを思い出し、小さく笑う。
「楽しかったのは私も同じ。だから、寂しいけど明日で一旦おしまい。結局、フォルちゃんの生活リズムを叩き直すことはできなかったしね。それでも、うちにいる間は規則正しい生活をして、ちゃんとしたご飯を食べて、健康的な毎日が過ごせたでしょ? いつもの生活、今は若いからいいかもしれないけど、歳を取ると健康を害することになるからね。たまには意識して欲しいもんだよ」
その時自分がどこで何をしているかはわからないが、フォルクローレには元気に笑っているおばあちゃんになってほしい。そのためだったら、多少のお小言は厭わない。それで煙たがられることはあるかもしれないが、友情にヒビが入るとも思っていない。
「ま、まぁ、ありがたく聞いときます」
「うん、そうして。私にできることは限界があるしね」
過労で倒れた時に『竜の息吹』で元気を与えることはできても、病気を治したり寿命を伸ばしたりすることはできない。だから、普段から生活には気をつけて欲しいのである。もちろん、『竜の息吹』がもっと万能な力だったとしても、それに頼って怠惰な生活を送られては困るのだが。
「そうだね。時々迷惑かけてるもんね。一応、あたしもその辺気にはしてるんだよ。一応」
「一応じゃ困るけど、全く気にしてないよりはいいか。これからも、定期的にお小言を言っていくので、普段から気をつけておくようにね。おっと、そろそろちゃんと寝ないと明日が辛いね」
話したいことがあれば、また明日にでも話せばいい。今はただ、しっかり眠ろう。無理やり話題を打ち切ると、二人はそれぞれ眠りにつくのだった。
〜つづく〜




