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竜の翼ははためかない10 〜血の色よりも濃く淡く〜  作者: 藤原水希
第七章 決勝前夜のできごと
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チャプター52

〜コッペパン通り エルリッヒの自室〜



 なんだか重い。せっかく心地よく眠っているというのに、重い。何かの悪夢だろうか。それとも、寝相が悪くて変なところに体が行ってしまったのだろうか。

 眠りから覚醒に向かう意識の中、フォルクローレは体に重い何かが乗っているような感覚を覚えた。一体なんだというのか。まだ眠っていたいような気もするが、起きてもいい気がする。意を決して起きてみる。

「おはよ」

 ゆっくりと目を開けると、あらぬ方向から挨拶が降ってきた。

「ん……エルちゃん? っ! エルちゃん!? な、何してるの!」

「何って、起きないからちょっと色々試してるところ。朝ごはん冷めちゃうから早く支度してね」

 目覚めたフォルクローレの視界に飛び込んできたのは、布団の上から馬乗りになっているエルリッヒの姿だった。いくらなんでもこんな起こし方をされたことはない。

 フォルクローレが起きたのを確認すると、エルリッヒはそそくさと階段を降りていってしまった。朝食の支度が残っているのだろう。

「……行ったか。はぁ〜、びっくりした〜。まさかエルちゃんにあんな起こされ方をするなんて……」

 まだ鼓動が速いままなのがわかる。驚きはもちろんのこと、何をされるのかと思うと、とても心臓に悪かった。不意打ちで繰り出される距離感の近いコミュニケーションは、さすがのフォルクローレもあまり耐性がない。あのまま抱きつかれたり隣で横になったり、繰り出してくるかもしれない次の一手をあれこれと考えてしまった。

「すごいアクティブなお姫様だ……」

 普段アトリエで暮らしているときはもっと遅い時間に目を覚ますことも多いので、自分の中では十分に早起きをしているつもりだったし、今日は午後からの登城予定なのでまだまだ時間には余裕があるはずだ。普段夜明けと共に目覚めているエルリッヒとは違うのだということを実感させられる。

 そして、記憶にも体の感覚にも何も残っていないが、あのような起こし方に至るまでにどのような起こし方を試したのだろう。朝食もできているような口ぶりだったし、困らせてしまったかもしれない。そういう意味では、効果抜群だったといえる。

「……まだバクバク言ってるし」

 胸に手を当てると、いつもより強い鼓動を直に感じられる。あれから数分、そろそろ収まってくれてもいいのだが、想定外の起こされ方だったこともあり、思いの外ドキドキしているらしかった。とにもかくも、すっかり目が覚めてしまった。

「と、とりあえず起きよう。朝ごはんを食べないと!」

 無理やり気持ちを鎮めるように声に出し、部屋を後にした。いつものように、着替えは後回しである。



「あ、起きてきた。まさか二度寝してたわけじゃないよね?」

「まさかぁ! そもそもそこまで時間経ってないでしょ? ただ、さっきの起こされ方がびっくりしたから落ち着かせてただけだよ。まさかエルちゃんがあんな強硬手段に出るとは思わなくって」

 一階に降りると、そこにはいつもと変わらぬ様子で朝食の支度を終えようとするエルリッヒがいた。その態度ももちろんいつも通りで、あんな起こし方をした後とは思えなかった。それとも、エルリッヒからすれば取るに足らないことだったのだろうか。ついついあれこれと考えてしまう。

「ごめんごめん、びっくりさせちゃったよね。あんまり起きないからつい。でも、目が覚めたでしょ?」

「それは、まぁ。ていうか、さすがのあたしもあれは驚くよ。びっくりしたっていうか、びっくりしすぎたし。階段を降りてきてエルちゃんの顔を見たら思い出してまた少しドキドキしてきたし」

 錬金術でびっくり箱やそれを発展させて戦闘にも使えるようにしたアイテムを作ったことはあったが、作ってる当人としては驚かせるつもりであってもさほど驚くようなことはなかったが、使われた側はとても驚いたに違いない。まさに今、その驚かされる側の心境になっていた。

「え、そんなに?」

「そうだよ。ちょっと自分の鼓動と比べてみるといいよ」

 そう言うと、エルリッヒの右手を取り、自分の左胸に押し当てる。果たして、鼓動が早くなっているのが伝わるだろうか。

「っ! ちょっちょっちょっ!」

「いいでしょ、女の子同士なんだし。それより、ドキドキしてるの、伝わってる?」

 確かに、普通の鼓動より早いような気はするが、それよりも何よりも、今度はエルリッヒが驚いてドキドキしてしまう。人様の鼓動など、普通は確認する機会などないのが普通だ。もちろん、自分の鼓動だって確認する機会などなかなかない。

「わ、わかったからわかったから! も〜、私の方がドキドキするじゃんか」

「え〜? ドキドキさせちゃった? じゃ、これでおあいこ、になるのかな? そう考えたらちょっと落ち着いてきたぞ? さー、朝ごはんを食べよう食べよう! いつもながら美味しいご飯をありがとう!」

 急にドキドキが晴れたのか、フォルクローレはいつもの様子でテーブルについた。いい気なものである。今度は、エルリッヒの鼓動が加速してしまっていた。もちろん、それをフォルクローレに確認させることはするわけないのだが。確かに、いきなり馬乗りになって起こしたのはやり過ぎだったかもしれない。これには、小さく反省する。

 まだ、右手にフォルクローレの鼓動の感触が残っている。



「え、何これ」

 食後、朝食の片付けが終わり、着替えを終えて降りてきたフォルクローレに手渡されたのは、

「掃除道具」

「うん、それは見ればわかる。だから、なんで掃除道具なの? おうち、綺麗だよ?」

 箒とちりとりを手に首を傾げるフォルクローレ。その様子を無視するように、エルリッヒは捲し立てた。

「何言ってるの! どこもかしこも埃まみれだよ! ここしばらく簡単にしか掃除できてなかったから、今日はしっかり掃除をするよ! フォルちゃんは貴重な戦力だからね! で、掃除が終わったらその辺を散歩に行こう。そしたらお昼時になるだろうから、いい感じにお腹が空いてると思うよ。というわけで、フォルちゃんは一階の掃き掃除をお願い。あ、椅子とテーブルは端に寄せてね? 窓もきっちり開け放ってね。私は厨房と二階を掃除するから。それじゃ、始めよう!」

「ちょっとちょっとちょっと! 聞いてない! 十分綺麗だってば! それに、あたしが掃除が苦手なの、知ってるでしょ? アトリエの惨状は知ってるでしょ? あたしに頼むのは間違いだってば! エルちゃんが一人でやった方が確実だし早いって! ね?」

 慌てた様子でなんとか掃除の手から逃れようとする。どういうわけか、多くの錬金術師がズボラで片付けは苦手だ。調合をしている時は釜の前から離れられないという事情もあるにはあるのだが、そうでない時もあまり積極的に片付けや掃除をしようとはしない。そのズボラの果てに先人が生み出したのが、魔物の素材を用いて作る、自動で掃除をしてくれる箒なのだ。

 フォルクローレも、咄嗟にその存在を思い出した。

「そうだ! 箒! 生きてる箒をアトリエから持ってくるからさ! 掃除はその子にやらせればいいよ!」

「ダメ。今は楽をしちゃダメ。普段ならそれでもいいけど、今日は大掃除だし、何より、これはフォルちゃんに掃除の習慣を身につけてもらうための第一歩だから。それに、一宿一飯の恩義、感じてないわけじゃないよね? 何宿何飯かな〜?」

 笑顔を崩さぬまま、エルリッヒはフォルクローレににじりよった。

「で、でも、それはエルちゃんが声をかけてくれたからであって、あたしからお願いしたんじゃ……」

「でも、誘いに乗ったよね? ほら、たまには体を動かさないと、太るよ〜?」

 その一言は、普段身だしなみや自分のことには無頓着なフォルクローレにも効いた。

「う!」

「最近、うちとお城の往復しかしてないでしょ? 私は朝晩の食事やなんやらでそれなりに体を動かしてるけど、フォルちゃんはどう? ずっとのんびりしてるよね?」

 外堀を埋められている。直感的にそう感じた。額からは汗が落ち、起床時とはまた別の意味で鼓動が早まっているのを感じた。

「それじゃ、頑張ろうね。もちろん、途中途中で確認するから、サボったりいい加減にやったら、すぐにわかるからね?」

「い、嫌だぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 その叫びは、コッペパン通り一帯に響き渡ったという。




〜つづく〜

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