チャプター4
〜ルーヴェンライヒ邸 エントランス〜
翌日、フォルクローレと誓った「並んでの観戦」ができるかどうかを頼みこむため、えるりっひはルーヴェンライヒ邸を訪れていた。
少々無理をすれば国王に直訴もできたかもしれないが、そういう越権行為じみた真似はしたくなかった。そのため、こうして大会運営に一枚噛んでいるルーヴェンライヒ伯爵にとりなしてもらおうと考えたのだ。これだって、普通に考えたら十分平民の伝手からは逸脱している。
いつものようにライオンを模したノッカーを叩き、中に招き入れてもらう。何度も足を運んでいるため、さすがに使用人達ともすっかり顔見知りだった。家人が誰もいないような場合はともかく、誰か一人でも伯爵家の人間が在宅中だったら、快く中に入れてくれる。今の自分は一介の街娘に過ぎないというのに、過分な扱いである。
「さすがに伯爵はいないかなー」
ふかふかのソファに座りながら、誰かが現れるのを待つ。執事のハインツが今いる家人を、と呼びに行ってくれていた。いつもながら、この時間はなんとなく居心地が悪い。招待を受けて訪れているのならまだしも、今日は勝手なお願いをするために訪れているので、なおさらだ。
「……まだかなー」
みんなが慌ただしく働いている中、一人こんな心地いいソファに座って待っていていいのだろうか。自分も何か手伝わなくていいのだろうか。ついついそんな気持ちになってしまい、通りがかったメイドに思わず声をかけてしまった。
「あの、私も何か手伝いを……」
「いえ、エルリッヒさんはそこで待っててください。じきにハインツさんがお嬢様を連れてきてくれますから」
「多分、今頃は身支度をしているところじゃないかと。久しぶりにお友達に会うんですから、張り切っているんだと思いますよ」
どうやらハインツが呼びに行ったのはエルザだったらしい。確かに、伯爵夫人を呼ばれるよりは気心も知れている。だが、習い事の予定などはないのだろうか。貴族の娘といえば、昼間は一日中習い事で忙しくしている印象があった。
だが、エルザと会えるのはいつだって嬉しい。フォルクローレは女友達がエルリッヒしかいないと嘆いていたが、それはエルリッヒもほとんど変わらないのだ。普段お店があって忙しくしていることもあり、あまり時間が取れないし、相手が貴族の娘ともなれば、どれだけ親しくても多少は気後れする面もある。
「ありがとうございます。でも、人手が足りない時はいつでも言ってください。多分、多少は役に立つと思いますから」
「お気持ちは嬉しいんですけど、同じ平民と言っても大切なお客様ですから、お屋敷のお仕事を手伝ってもらったなんて知れたら、それこそ旦那様に叱られてしまいます」
「そうですよ。エルリッヒさは貴族とか平民とか、そういう垣根は気にせず、堂々とお嬢様を待っていてください」
メイド二人の気持ちがとても嬉しい。きっと、これがこの家の方針なのだろう。こう言う貴族家はなかなかないのではないだろうか。偶然とはいえ、良い家と知り合えたものだ。
「なんか、ありがとうございます。っとと、あんまり引き止めても悪いですね。ごめんなさい、お仕事に戻ってくださいね」
「お気遣いありがとうございます。それでは、何かありましたらいつでも呼んでください」
「わたしたちは、エルリッヒさんの力になりますよ。この屋敷の人間は、旦那様から使用人一同まで、みんなエルリッヒさんのことが好きなんです」
思いがけない告白をされてしまった。一体そこまで好かれるほどの何かをしてきただろうか。これまでのこの屋敷での振る舞いを思い返しても、さほど思い当たる節はないのだが、平民の来客は貴重なのかもしれない。まして、それが実年齢はともかく若い娘の姿をしていたら、その分だけ愛嬌を持って受け止めてくれることもあるだろう。それが理由かどうかを確認しようとは思わないが、好かれているのはありがたいことだ。
軽く会釈をして奥へ消えていった二人の後ろ姿を見ながら、胸の内が暖かくなるのを感じた。
「へへへ……」
☆☆☆
「エルリッヒさん!」
エントランスから左右に配置された大階段の上からエルザの声がしたのは、メイド二人がいなくなってから少し経ってのことだった。
久しぶり、というほど空いてはいなかったが、毎日会えるほどではないからか、とても嬉しそうな表情をしている。そして、急いだのか、心なしか息が上がっているようで、頬も少し紅潮しているようだった。息が上がったまま、今度は勢い良く大階段を駆け下りてくる。足元も見ずにドレス姿でよく転ばないものだと感心してしまう。
「エルザ様!」
「今日はどうされたのですか? もちろん突然の来訪はとっても嬉しいのですが、何かお父様にご用向きがあるんですよね?」
さすがに察しがいい。ただ楽しくおしゃべりをしたいために訪れたわけではない、ということを察してくれていた。自分に用があって来たわけではない、ということはエルザにとっては悲しいことかもしれなかったが、それでもこうして顔を合わせられたことを喜んでくれる。なんと有り難いことだろうか。
本当に、この屋敷の人たちはみんな暖かい。
「ええ、伯爵にちょっとお願いがあって。でも、この時間はさすがにお城ですよね。だから、伝言だけでもと思ったんです。あ、もちろん、お屋敷にお邪魔する以上はエルザ様とも会いたいですから、お目にかからずに帰るなんてことはしませんよ。伝言をどなたが取り次いでくださるかはわかりませんでしたし」
「そういうことでしたか。じゃあ、伝言はわたしが承りますね。それより、今日はゆっくりできるんですか? 確か、この時間はお店の間の時間でしたよね?」
こういうところも気にしてくれるのは、さすがだった。あまり長居できないというのも、酷な話なのだ。だからといってもエルザをお店に招くわけにはいかない。どれだけフレンドリーな家柄の娘であっても、厳然たる身分の差は、ある程度はわきまえねばならない。
「そうなんですよ。あんまり長居はできませんけど、少しは時間がありますから。と言っても、前に会ってからだと、そんなに積もる話ができるほど間が空いてるわけじゃないですけどね。でも、楽しくおしゃべりしましょうね」
「はい! あ、じゃあ、お庭にお菓子とお茶を持ってこさせますね! お父様への伝言も、そこで聞かせてください! えと、そもそもなんですけど、わたしが聞いても良いお話ですか?」
エルザはこうして話ができるのが何よりも嬉しいようで、くるくると表情を変えながら言葉をかけてくれる。もちろん、それはエルリッヒにとっても嬉しいことだ。
自分だけ座っているのも何か変だと、立ち上がってエルザの手を取る。
「もちろん、エルザ様も聞いていい話ですよ。というか、そうでないと伝言を頼めませんから。それに、そんな大層な話をするわけでもありませんしね」
「そうでしたか。それを聞いて安心しました。それじゃあ、お茶とお菓子の手配をしてきますね。ここで待っていてください」
エルザはパタパタと駆けていく。屋敷の中とはいえ、こんな風に走っては怒られるのではないかと思うのだが、意外と許されているのかもしれない。しかし、それにしてもこんなに喜んでくれるとは、これが一番の用件でなくても、会えてよかったと思わせてくれる。
(いい子だなぁ……)
きっと、貴族の娘たちにも友人はいるのだろうが、もしかしたら、肩肘を張らずに友達付き合いができる相手は、他にいないのかもしれない。
「これからも、大切にしなきゃなー」
そう呟いたところで、エルザが戻ってきた。やはり、嬉しそうな表情で駆け戻ってきた。
「はぁはぁ……お待たせしました。行きましょう」
少しだけ息を整えると、今度はエルザがエルリッヒの手を取った。
〜つづく〜