チャプター37
〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜
「はい。じゃあ髪を結えてあげるからこっち来て」
「ん、よろしく〜」
すっかり着替え終わったフォルクローレの様子を見て、ひとしきり窓を開け放ってから自分の近くに招き寄せる。すでに椅子に座っているのだから、近くに行くのは自分でも良いのだが、そこは「やってもらう人」と「やってあげる人」の関係性を保っておきたいという、姉心のようなものだった。
カウンター席に座ったフォルクローレの背後に立ち、髪を整えていく。自分でやる気もないくせに、櫛だけは2階から持って降りていると言うのだからなんとも言えない。甘えられることは嫌ではないが、これはただの怠け癖なのではないかと思うと、どうしても引っかかってしまう。
「全く、用意がいいねぇ」
「でしょう? でも、自分でやるより誰かにやってもらった方が気持ちいいんだよ。なんなら、次はエルちゃんの髪も手入れしてあげようか? 今はこうしておまかせしちゃってるけど、普段は自分でやってるんだし、おしゃれに興味がないって言っても、最低限それくらいの身だしなみは気にしてるしね」
妙に信用ならない言葉が出てくるが、一応、普段調合が忙しくない時はちゃんとしているので、あながち大袈裟ではないのだろう。でも、やはりどこか不安がつきまとう。もし本当に頼むとしたら、自分でやり直すか、その日は店を開けない覚悟がいるだろう。
「私のことはいいよ。自分でやってるし。それじゃ、すいていくね」
「はーい」
実のところ、二人の髪型はさして変わらない。ただ、エルリッヒはリボンなど小さいアクセントを使うのに対し、フォルクローレは錬金術士の装束と言わんばかりに目立つ髪飾りや宝珠のようなものを着用している。これが思いのほか異なった印象を与えるのである。
長い髪を手に取り、櫛を当てていく。ちょうどよく窓から差し込む光が反射して、眩しいくらいだ。それに、確かに寝起きそのままにボサボサ頭と言ってもいいような状態だったが、ひと櫛ごとにどんどん整っていく。元々の髪質がとても良いのだろう。普段自分の髪質を癖毛などと思ったことはないし、炎のような、ドラゴンの鱗を模したような真紅の髪色も気に入っているが、このサラサラな黄金の髪を前にすると、どうしても羨望の念を抱いてしまう。髪質の差を羨むのは女の子としての当たり前の感情だろうが、金色の髪を羨むのは、まるで黄金に目が眩むケチな盗賊のようでおかしい。どちらも、人間的な価値観を身につけてきた結果なのかもしれない。そんな風に自分で分析してみるが、結局のところ結論は出ないのである。
「ほんと、綺麗な髪。私、フォルちゃんの髪好きだな……」
「えぇ? 何それ。褒めても何も出ないよ? さては惚れたな?」
軽口を言い合っているが、この気持ちは間違いなく本物だ。こうして触っているだけでも、とても手触りが良い。もちろん、櫛通りも良いので、どんどん髪が整っていく。これは確かに、人にやらせたら心地いいだろうとは思う。
一通り櫛を入れ終えると、いつものように髪を結っていく。こちらも、髪質の良さからとても楽にまとまってくれる。そのままであればサラサラすぎてすぐに解けてしまうが、件の宝珠のようなもののついた髪留めを用いるので問題はない。本当に、世界各地の錬金術士の娘たちはこのようなものを常用しているのだろうか。見るからに”偽物の気配がない”ため、些か疑問ではあった。
「そう言うのじゃないよ。いや、でも、そうかも。はい、終わり! これでどう?」
「姿見も手鏡もないからわからん。けど、感触からするといい感じだと思うよ。あとは、これを乗せたら完成!」
最後の儀式と言わんばかりに自ら錬金術士の証と曰う髪飾りをあしらう。それでいつものフォルクローレの髪が完成するのだ。
「よしっ!」
「よしっ、じゃないよ。服、少し襟がよれてる。ほら、鏡で見ておいで」
パンッ! と尻を叩き2階の姿見に誘導する。その送り出しに応えるように席を立ち、2階へと向かおうとする。が、しかし。
「ん? フォルちゃん、どうしたの?」
「一緒に来て。せっかくなんだし、一緒に来てほしい」
寂しいのか自分の見立てに自信がないのか、その手はエルリッヒの手を握っていた。握られた手の感触は温かくて心地よいし、頼られるのは悪い気はしないが、まるで餌付けされた雛鳥のようである。
「どうしたの? 最後の仕上げくらい、一人でもできるでしょ」
「そうなんだけど、なんとなく、ね。エルちゃんに最後まで見立ててほしいなーって思って」
いつもの、そして先ほどまでの快活さが形をひそめ、なんだかおとなしい。やはり、少し気になってしまう。この短時間に一体何があったと言うのか。
「昨日までそんなこと言ってなかったのに、ほんと、どうしたの? 実は具合が悪いとか、そんな感じ? ちょっと心配になるんだけど」
「や、そう言うのではないから安心して? 本当に、最後までエルちゃんの見立てで身支度を終えたいってだけだから。だめ?」
懇願するように言われて断れるほど冷たい性格はしていない。それに……
「その手、離す気ないんでしょ?」
「えへへ〜、まぁね。でも、エルちゃんだって、握り返してくれたじゃん。あれは、同行してくれるっていう合図じゃないの? あたしはそう受け取った」
正直言ってしまうと、先ほどの「惚れた」と言う一言が妙に引っかかっていた。冗談のつもりだったが、あのように真面目な様子で返されると、返答に困ってしまうのだ。おそらく髪のことを言ってくれたのだろうが、そうとわかっていても妙にドキドキしてしまう。
などとは流石に言えないフォルクローレなのであった。
「まだ時間はあるんでしょ? じゃあ一緒に見てよ。お願い!」
「わかったわかった。そんなにお願いしなくても一緒に行ってあげるから。もー、しょうがないなぁ」
二人は手を繋いだまま階段を登っていく。もちろん、先導するのはエルリッヒだ。なんだか妙な力関係である。何はともあれ部屋まで戻ってきた二人。早速フォルクローレを姿見の前に立たせる。
「……どう?」
「ほら、服の裾がよれてる。それに、髪飾りも少し斜めになってるし。普段は自分でやってるんだし、何も私が同席しなくてもいいと思うんだけどねぇ。せっかくだし、もう少し飾ってみる?」
普段身に纏っているフォルクローレ語るところの錬金術士の正装も、なかなかにお洒落ではあるのだが、そもそも着飾ることにはほとんど関心のない身では、それを活かしきれず、ただ着ているだけ、と言う状態で、衣装に着られていると言ってもいい。本当のところは自分なりのこだわりもあるのかもしれないが、少なくともそれを聞かされてはいない。
しかしながら、エルリッヒも着飾ることへの関心が薄かった時期が長いので、こうして頼られると言うのは非常にこそばゆいものがある。本当に自分で役に立つのだろうかと言う思いと、せっかくの可愛いフォルクローレを台無しにしてしまわないかという心配だ。すでにいつもの衣装である程度の可愛さが担保されているのがせめてもの救いだった。
なにしろ、この300年の間に厳選したアクセサリーが手元にある。そこには、今まで出会ってきた多くの友人たちの「かわいい」が詰まっている。それは間違いのないものだ。時代時代で移り変わっていく価値観の中で、同じ言葉で表現できる価値が紡がれているのだから、誰が見ても可愛いアイテムたちなのだ。
「よーし、いい感じのアクセサリーを見繕っちゃうからね!」
「っ! 楽しみ! 任せた!」
かくして、フォルクローレの着替えの最後の仕上げをするため、腕まくりをするのだった。
〜つづく〜




