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竜の翼ははためかない10 〜血の色よりも濃く淡く〜  作者: 藤原水希
幕間 悩みと、日常と、友達と
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チャプター35

〜コッペパン通り エルリッヒの自室〜



 朝。いつものように夜明けを告げる鳥のさえずりで目を覚ます。少しだけ眠い目を擦りながらゆっくりと体を起こし、大きなあくびをする。そして、視線を左に落とす。そこにあるのは、カーテンから漏れる朝日を受けて輝く黄金の髪と、安らか、というよりは若干気の抜けた様相を見せるフォルクローレの寝顔。平和そのものの寝顔を確認すると、少しだけ身を乗り出してカーテンをもう少しだけ閉め、陽の光が入る隙間を狭める。そして、幾許かの追加の眠りに戻る。

 試合の観戦のため店を閉めている今、この時間に起きる必要はない。大会が始まってからの新しい日常だった。それでも一度はこの時間に起きる習慣を続けているのは、大会が終わって元の生活に戻った時に寝過ごさないためだ。今こうしていても、もう少し眠ることができる生活にはそれなりに強い魅力がある。この時間の使い方に慣れすぎてしまったらと思うと、正直恐ろしい。

 とはいえ、この新しい朝の過ごし方にはもう一つの理由があった。こうしてフォルクローレの平和な寝顔を見ることも、すっかり毎朝の楽しみになっていた。初めは少しでも眩しくない方で寝たいということで、ベッドの右側で眠っていたのだが、ある時寝相の悪さのためにベッドから落ちてしまい、それ以来壁際で眠ることになった。元々一人用で決して広くはないベッドなので、二人が寝る分には少々狭い。それでも、直接フォルクローレの温もりを感じられるのがとても嬉しいのだった。

 いっそこのまま同居を持ちかけては、と考えたこともあるが、あまりに普段の生活様式が異なるため、無理な話なのだ。もしかしたら、フォルクローレも同じことを考えたことがあるのかもしれない。

 尤も、食費が浮く、という程度の打算が含まれている可能性も高いのだが。

「ふわぁ……」

 国家事業としての大会に、公式の来賓として観戦が求められており、大会期間中に店を閉める分の収入は国が保障してくれるとあって、こんなに気楽な気持ちで店を閉められることもなかなかない。もちろん、いつものみんなのことを考えれば、また普段通りに店を開ける日が早くきてほしいとも思うのだが。

「とりあえず、今日ももう少し……」

 大会の観戦も、思った以上に疲れる。今しばらくは、この許される朝の微睡を大切にしよう。フォルクローレの髪をひと撫でしてから、意識を眠りに落としていった。




〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜



「おはよ!」

 一人先に起きたエルリッヒが朝食の支度を終える頃、フォルクローレが眠い目を擦りながら階段を降りてくる。ちょうどこの時間に目が覚めるのか、朝食を作る音や匂いに反応して目覚めるのかはわからないが、とにかくいつもこのタイミングなのだ。就寝時間は同じなので、もしかしたら、フォルクローレの方が寝つきが悪いのかもしれないし、眠りが浅いのかもしれない。だが、それを調べる術はないので、とにかく自分よりは朝寝坊、ということで片付けるより他はなかった。

 とはいえ、二人が同時に動くには手狭な2階の自室のことを考えると、一人で先に着替えられるのは何かと都合がよかった。もちろん、手狭というだけでなく、いまだに一緒に着替えるようなことは気恥ずかしさがある、という理由もあるのだが。夜の着替えは夕食の片付けや一階の掃除を理由にフォルクローレに先に行ってもらっているため、今の所二人が同時に着替えるようなことにはなっていない。

 この日も、フォルクローレは寝巻きのままだ。寝ぼけ眼で階段を降りて来られると、いつか転げ落ちるのではないかと心配になるのだが、幸いそのようなことにもなっていない。

「もうできるから、井戸で顔を洗っておいで」

「うん、そーする」

 こうして一時的とはいえ同居生活を始めて以来、フォルクローレは生活の全てをエルリッヒに甘えっぱなしにしていた。嫌気が差す人もいるかもしれないが、少なくとも一時的なことだし、以前のこともありあまり役割分担することも考えておらず、何より生来の性格のせいもあるのだろう、フォルクローレの生活の面倒を見ることがむしろ楽しかった。なんとなく、幼少の頃に憧れた『お姉ちゃん』という立場の疑似体験になっているからかもしれない。

 兎にも角にも、お互いが利害の一致を見てこの生活は穏やかに成り立っていた。

「えーっと、あとは……」

 地下の貯蔵庫からミルクを取り出してグラスに注ぐ。それで朝食の支度は完了だ。いつもながら、年中一定の室温を保ってくれる地下の貯蔵庫には感謝しかない。

 本来の姿に戻れば、氷結の力など造作もないのだが、なにぶん人間の姿でいるときは、そのような便利な力はほぼ行使できない。周囲のみんなと同じ生活水準をなぞるしかないのだ。それが、この街の一員になれているようで嬉しくはあるのだが。

 正体がバレたとはいえ、この国の、この街の住人として暮らすからには、生来の特殊な力を生活水準の向上に使いたくはないし、本来の姿に戻るのも、極力いざという時に限りたい。

「……結局のところ、直接見られたわけじゃないからなー。だからこそ、みんな好意的に受け止めてくれてるんだろうし。これからも気をつけないと」

「何を気をつけるの? いやー、毎朝のことだけど、顔を洗うとさっぱりするね! で、何に気をつけるの?」

 独り言を聞かれた時の恥ずかしさは、筆舌に尽くし難い。まさか、フォルクローレに聞かれていようとは。今更聞かれたらまずいような内容ではないのだが、恥ずかしさだけは隠しようがない。

「フォ、フォルちゃん、いたんだ」

「そりゃいるよー。顔を洗ってきただけなんだし。でも、気をつけるって何? 真面目な話でもそうでない話でも、相談に乗るよ?」

 親切心と好奇心の絶妙なバランス。フォルクローレの言葉からは、いつもそんな空気が感じられる。もう少し好奇心を抑えてくれると話しやすいのだが、それでも、この手の話題を忌憚なく出せる相手は、やはりフォルクローレが一番だ。

「いやね、出来るだけ元の姿に戻らないようにしないとなって思って。さ、冷めないうちに食べちゃうよ。話はそれからでも時間があるんだし」

「それじゃ、いただきま〜す。はむっ! もぐもぐ……なんでそんなことを急に思ったのかはわからないけどさ、悩むくらいなら自分が決めたやり方に素直にするのが一番だと思うよ。もぐもぐ、ごくり。この黒パン、相変わらずそのままだとなかなかにモサモサしてるね」

 話すか食べるかどちらかにした方が良いのだが、今更行儀の話をしても仕方がない。ある程度の礼儀作法は錬金術アカデミーで学んだ上で行儀の悪い振る舞いをしているのだ。それを知って以来、エルリッヒは細かい注意をすることはやめることにした。

「この黒パンは、ジャムを塗るかミルクを浸して食べるのが美味しいんだよ。パン屋さんでもそういう触れ込みで売られてるんだし。元々は食糧難の時期にあんまりパンには向かない品種の小麦を使ってみようっていうことで誕生したらしいんだけど、ある程度食料事情が改善した頃に、誰かがミルクに浸して食べてみたんだってさ。そしたら、全然違うっていうんでそういう食べ方が広まった、そうだよ。今じゃ、ジャムを塗るのはもちろんだけど、クリームを塗ったりスープに浸したり、似たような食べ方が色々と広まってるね」

「おぉ〜! いつもながら、さすが本職の料理人。詳しいねぇ。それでさ、なんで急に本来の姿のことなんて考えたの? 正直、この300年間ずっと悩んできたわけでしょ? そろそろスッキリさせてもいいと思うよ?」

 フォルクローレの思いがけない言葉に、食事の手が止まってしまった。




〜つづく〜

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