表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本分裂  作者: 扶桑かつみ
3/16

フェイズ01「日本降伏」

 1945年7月26日、連合軍から「ポツダム宣言」が出された。

 指導者に欠ける日本は、国内政治上どうすることもできずにこれを黙殺。

 結果として停戦の機会を逸してしまう。

 当時内閣を牽引していたのは、首相二度目となる米内光政だったが、彼の力では短期間のポツダム宣言受諾は難しかったのだった。

 二度目の首相だっただけに、内政外交共にマイナス面もあったからだ。

 

 そして8月6日に廣島、同9日に長崎に核兵器が史上初めて使用され、年内までに約20万人が死亡した。

 その上9日にはソ連が対日参戦に踏み切り、日本は世界中の全ての国から敵視されるようになった。

 それでも日本政府は、どう降伏して良いか分からなかった。

 国内意見をまとめる事の出来る人物に欠けており、連合軍との停戦やポツダム宣言受諾以前の問題であった。

 

 そして指導者に欠ける日本上層部をあざ笑うかのように戦況はさらに悪化する。

 

 8月末までに満州国全域、朝鮮半島の3分の2、南樺太が陥落した。

 頑強に抵抗した占守島の守備隊も、数度の強襲上陸を前に戦力が枯渇。

 9月始めの戦闘でほぼ壊滅した。

 

 アメリカ軍も日本本土上陸の準備を本格的に開始し、8月末には目標が激減した都市爆撃を一時中止して、上陸予定地域の南九州の爆撃へとシフトしつつあった。

 しかも占領した沖縄には、史上最大規模の強襲上陸部隊が準備されつつあり、戦力が著しく減退した日本軍にこれをまともに撃退する力はなかった。

 しかもアメリカは、ソ連軍の急速な動きに合わせて自らの日本本土侵攻の作戦スケジュールを大きく前倒しする事を決意していた。

 

 そして9月1日にソ連軍が北海道侵攻のそぶりを見せると、政府の態度は一気に終戦に傾く。

 またアメリカ軍が本土侵攻の準備を本格化させ、3発目の原子爆弾を9月6日小倉に投下したことで、ついに日本政府に降伏を決意させる。

 原爆が一ヶ月の間に一発だったのは、プルトニウムの生産量の問題と、輸送に関して米軍が慎重になったためであった。


 しかし国体護持を掲げる日本政府は、日本本土のどこかに列強の傀儡政府が作られる事をひどく恐れ、さらなる原爆投下が一つの切っ掛けとなった。

 かくして日本政府は、9月15日にポツダム宣言を受諾。

 10月2日に東京湾の戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印が行われ、第二次世界大戦は完全に終了した。

 

 しかしそれで日本に平穏が訪れたわけではなかった。

 

 なお、日中戦争から第二次世界大戦にかけての日本の死者数は、軍人230万人、民間人90万人であり、日本本土での戦いがなかったため、民間人の被害は比較的少なかったと判定された。

 ただし、原爆だけで短期間に約30万人の民間人が命を落としており、戦後日本はアメリカに対して強い抗議を行うようになる。

 


 日本が即座にポツダム宣言を受諾しなかった事は、戦後の日本に大きすぎる影響を及ぼした。

 特に終戦の9月15日から降伏調印の10月2日までにソ連軍が日本北部各地に進駐した事は、日本の戦後に決定的な悪影響を及ぼした。

 日本政府が、もし即日ポツダム宣言を受諾していれば、最短で8月3日に日本停戦は成立し、ソ連の宣戦布告も原爆投下もなかっただろうと言われた。

 

 ソ連は進駐と称して、満州、蒙古自治政府、朝鮮半島、南樺太、千島列島の全地域をいち早く占領した。

 さらに終戦と共に急ぎ船団を組織して北海道、東北に「進駐軍」として上陸。

 さらには新潟にも足跡を記した。

 しかも既に降伏していた日本側は、停戦や終戦のための交渉こそ行おうとするも抵抗する事はなく、ソ連軍は難なく日本各地へと「進駐」していった。

 しかも狡猾なソ連は、日本本土での抵抗を極力行わせないためだけに、日本列島での進駐に際しては略奪や暴行を兵士に強く禁止していた。

 1平方センチでも多く日本列島を占領するためだ。

 

 この時点でアメリカ軍が東京湾に入り込み、日本近海を中心に日本各地でソ連軍の行動を牽制する動きを見せたため、ソ連がそれ以上踏み込むことはなかった。

 ソ連としては、既成事実を十分作れたので当面は満足できたからだ。

 特に極東の主要海峡の多くを押さえた事は、大きな利益だと判断された。

 

 そして戦後の日本では、順次連合軍による日本の占領統治が開始される。

 

 日本の統治は、ポツダム宣言が日本軍事力の降伏であるため、日本政府の存続は許され、GHQの下で日本政府は機能し続けることになる。

 しかしそのGHQは、アメリカ単独による運営ではなく、日本各地に入り込んでいたソビエト連邦との共同運営となった。

 中華民国も割り込もうとしたが、国内の共産党問題と華北にまで入り込んできたソ連を前に、日本列島どころではなくなり、結局何もすることはなかった。

 

 そして既成事実としてソ連軍の日本進駐が認められ、北海道、東北地方がソ連軍の管轄とされた。

 ただしソ連がいち早く進駐した新潟地域は、アメリカとの政治交渉の結果ソ連軍は撤退して、その代わりにソ連が進駐しきれなかった東北南部(福島地方)の占領統治と、首都東京の占領統治に参加する事になった。

 

 ただしこの場合、ソ連が東京占領に参加するために新潟から手を引いたと見る方が正確だろう。

 しかも新潟では、関東から上陸した米軍の先遣隊と県境の北側で握手状態となったのだから、実質的にはソ連の勝利と言える。

 


 一方、ソ連の戦闘なき快進撃で困り果てたのは、敵対した日本ではなく一応は同じ連合国の中華民国、わけても政権を持っていた国民党だった。

 

 満州侵攻で勢いに乗るソ連軍は、そのまま満州、朝鮮半島を走り抜けると、日本軍が占領しているという理由で、そのまま北平(北京)、天津を目指してこれを呆気なく占領してしまったのだ。

 しかもその時日本軍が既にポツダム宣言に従って降伏しており、ソ連軍を止める者は居なかった。

 本来なら中華国内の国民党軍もしくは共産党軍と握手して止める手はずになっていたのだが、アメリカとの占領競争を急ぐソ連は占領地の自治や日本軍装備の引き渡しなどで共産党と協力するも、中華地域の占領を推し進めた。

 ソ連側の言い分を受け入れるなら、日本が降伏調印するまでが戦争状態の続行になるからだ。

 部隊の降伏は受け入れても、日本軍に対する手を緩めるわけにはいかない事になるというのだ。

 

 むろんソ連側の真意は、占領地からの一時的収奪のためで、自らの行動を緩めることはなかった。

 とにかく火事場泥棒できるだけして、ソ連本国の復興に役立てなければならないからだ。

 そして華北地域も、ソ連にとっては略奪の例外ではなく、北京の様々な旧跡ばかりか、紫禁城までが一部略奪の対象となっていた。

 日本軍の協力者として、多数の者が即決裁判で「処罰」されていった。

 何しろ軍や国家に属していなければ、それは戦時法の上では立派な許せざるべき犯罪者だからだ。

 

 この過程で多数の現地日本人が軍も含めて次々に捕虜となり、ソ連軍が揚子江で停止し重慶からやってきた中華民国や米軍と握手するまでに、統計上は満州、朝鮮、中華民国内の合計で300万人以上の日本人がソ連側の捕虜となった。

 その中からシベリアに抑留された軍人の数も150万人に及んだ。

 しかもソ連は、日本軍占領地域全ての一時的軍政実施を求めるようになり、既成事実として中華民国の日本軍占領地域の半分以上がソ連軍とソ連が大きく後押しした中華共産党の支配下となった。

 

 多少の行為は甘く見る予定だったアメリカも、さすがに同盟国ソ連を非難せざるを得なかった。

 それにアメリカとしては、余りにも行きすぎたソ連の火事場泥棒に立腹しており、ソ連の東アジアでの行動に厳しい言葉を投げつけた。

 

 そして日本、中華大陸での行きすぎたソ連の占領が、アメリカとソ連の関係をいち早く冷却化した。

 しかしソ連は、占領地からの略奪、特に持ち運びやすい大陸からの略奪を熱心に行っているため、国民党や連合軍ばかりか、自ら支援を与えていた中華共産党からすら強い非難を受けていた。

 

 ロシア人にとって知ったことではなかったが、これは後に中ソ断絶を早める遠因となった。

 

 また米ソの反目により、ソ連軍は自らの侵攻から半月もすると、日本人をより多く無傷で確保することを前線各部隊に強く通達した。

 無闇に殺したり虐げたりすることなく、新たな体制を受け入れる者には可能な限り厚遇も与え共産主義者へと導くことを命令した。

 

 当然ながら、正しい道を歩む日本人の国家を作り出すための準備運動であった。

 

 かくして極東アジアは、米ソ冷戦の舞台へと急速に条件が整っていく事になる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ