年表2
・一九八五年
・ソ連、書記長にミハエル・ゴルバチョフが就任
ソ連の経済と国家財政の傾きに対して、本格的な改革に着手。
・米、債務国に転落
・日本、対外貿易黒字世界一となる
・「プラザ合意」
日米為替レート大変動(240円→150円時代へ)。
その後日本は、日銀(+大蔵省)が円高克服のために大幅な金融緩和を計画するが、周辺国との軍事対立、アメリカとの関係悪化を避けるという理由で政府が認めず。
しかし日本はアメリカに対して悪感情を強め、アメリカとの関係見直しを考えるようになり、北日本との関係改善の一因ともなる。
・日本、日航機事故
航空史上屈指の大惨事となる。
・日本、原子力潜水艦保有
日本、初めての原子力潜水艦(攻撃型)を保有。
国内では原子力の軍事利用に対して大きな物議を醸し出す。
翌年には満載排水量6万トンを越える中型空母が完成し、アメリカ製の機体(F-18)を多数搭載。
北日本を始め、近隣共産主義国との緊張関係が増大。
近隣諸国の一部からも懸念の声が出るが、日本は共産主義国への対向を理由に自らの軍備増強を肯定。
・一九八六年
・米、テロの温床としてリビアを攻撃
大型攻撃空母の威力が示された戦闘となる。
以後リビアの過激な行動は沈静化。
日本国内では、空母保有が肯定的に考えられる事件の一つとなる。
・ソ連、「チェルノブイリ原発事故」
世界最大の原発事故。
あまりに広範囲に影響が及んだ事もあり、ソ連からの情報が海外にも発信される大きな機会となる。
・ソ連、アフガニスタンより撤退開始
北日本軍のアフガン撤退開始はソ連軍よりも早く、1988年に最後の部隊が撤退。
・ソ連、「ペレストロイカ」開始
米ソ冷戦構造の解消とソ連の改革が進むと共に、ソ連率いる社会主義陣営の崩壊が始まる。
この頃既に、ソ連の国家財政は完全に破綻。
・米、スペースシャトル打ち上げ失敗
アメリカの宇宙開発が大きく後退する。
・日本、有人宇宙ロケット打ち上げ成功
航空宇宙産業躍進の象徴となる。
民意もあり国防予算と共に宇宙開発予算もさらに増額。
この時期は、融和路線の反動から北日本への対抗心がむき出しとなり、核兵器を持てない日本は宇宙開発を国防と国威発揚の手段とした。
・一九八七年
・中距離核戦力(INF)全廃条約締結
米ソの軍縮が本格化。
しかしINFが核兵器全体に占める割合はごくごく限られていた。
・日本、円高に伴う不景気は徐々に緩やかな好景気に転換
ずっと日銀が言い続けていた金融緩和は完全に中止となる。
通常の経済活動に加えて、名古屋五輪開催に向けた中京地区の開発が好景気の推進役となる。
・日本、国営鉄道を民営化
日本での行政改革進展の象徴となる。
・北日本、アメリカ及び南の日本との対話を再開
核兵器に関しては軟化する姿勢を示して、アメリカ及び南の日本との関係改善を進展させる。
市場経済の導入本格化が目的で、以後インフラ整備や制度面から計画的な市場経済化が進む。
・一九八八年
・台湾、蒋経国死去。
民主化始まる
・イラン・イラク戦争終結
戦争半ばから、イラクが化学兵器を使ったことなどでイランの被害者面が強調され、日本とイランの関係は進展して、戦後も石油輸入の関係で維持される。
・日本、「名古屋オリンピック」開催
自動車輸出の好調もあって、東海圏の開発と産業、経済が躍進。
北日本が再びオリンピックに参加して、両者の歩み寄りと融和が本格的に再開。
・「ブラック・マンデー」
ウォール街で株価大暴落。
アメリカ国内での構造改革が原因。
日本は堅実な経済成長を続けていたため、大きな影響を受けず。
逆に、世界的に日本経済の影響力が強まる。
これ以後アメリカでは日本脅威論が唱えられるようになり、経済問題で何度も衝突する事が増える。
この頃から、日米経済摩擦や経済戦争という言葉が言われるようになる。
・日本、外国人労働者、事実上の外国人労働者の急増始まる(じゃぱゆきさん)
日本は、国内での下層労働力確保のために、北日本の人的資源に注目するようになる。
・日本、本州・四国唯一の架橋「瀬戸大橋」完成
(※他にも2ルートが計画されたが、国防予算と軍需・航空宇宙産業への傾注から計画段階で中止された。
)
日本国内の大規模社会資本整備完了の象徴とされる。
以後、一部を除き大規模公共事業が減少。
政府の政策転換と新規産業開拓が精力的に進められる。
一方では、冷戦構造解消の流れから「南北トンネル(津軽海峡トンネル)構想」が本格的に持ち上がる。
・「国際宇宙ステーション(ISS)」の開発が決定
日本も参加。
日本は非常に乗り気で、施設の運搬及び物資輸送用の大型ロケットの開発も始まる。
・一九八九年
・日本、昭和天皇裕仁崩御。
平成天皇明仁親王践祚
北日本からの特別使節が昭和天皇の大喪の礼と、その後の平成天皇即位の礼に出席。
どちらも北日本にも生中継され、北日本からも報道関係者が多数来訪。
・南北日本政府、北日本の核開発後初めての公式対話
相互間の軍縮と交流について一定の合意を得る。
ただし、核兵器問題は事実上の棚上げだが、廃絶に向けた一歩として日本製軽水炉型原子炉の商業輸出が決まる。
南北対話を日本経済界は好意的に解釈。
北日本も、日本の有り余る資金を自国に呼び込むために政治の舵を切る。
北日本では、市場経済の導入と市場開放が本格化。
一方では、北日本と人民韓国の関係冷却化が進む。
・日米、「FSX問題」最高潮となる
日本、南北日本間の対立を盾にエンジンと一部部品の購入以外では自力開発を決定。
経済対立もあって、日米間の関係が最もぎくしゃくした時期となる。
同時に問題となった「思いやり予算」の減額交渉も進む。
日本軍の中型空母や原子力潜水艦保有などが、日本側でこれを後押し。
・6月、「天安門事件」
人民中華の民主化運動弾圧に対して、世界中が人民中華と事実上断交。
ソ連だけが、事件直前に人民中華との関係を修復。
日本も長期の冷却状態となり、借款などの援助、支援も全て停止。
邦人も大量に引き上げ、国交も最低限となる。
財界も引き上げ、進出先を他国に転向。
日本政府も人民中華に対して強い態度で臨むことになる。
北日本と人民中華は、依然として国交断交状態。
事件自体は、その後のソ連と東欧での民主化運動に大きな影響を与え、人民中華と先進国との交流、投資再開は93年頃まで待たなければならなかった。
その間人民中華の経済は大きく後退して長期の不景気に突入。
人民中華のGDPは、4年連続でマイナス成長となる。
・8月「函館会議」
南北日本、経済協力について正式合意。
以後、世界第二位の経済大国となった日本の膨大な資産、資金が、北日本にすさまじい勢いで流れ始める。
北日本を新たな投資先として見る向きができて、日本の景気拡大が続く。
以後、観光地としても北日本各地の開発が進むなど、交流面でも大きな変化が見られるようになる。
また、日本での実質的な冷戦崩壊の分岐点とされる。
・11月
・「ベルリンの壁崩壊」
冷戦崩壊の象徴とされる。
・「マルタ会談」(ブッシュ=ゴルバチョフ会談)
東西冷戦終結。
・日経平均株価は、1989年の大納会(12月29日)に最高値2万5000円代を記録。
以後5年間、2万円〜2万5000円台を維持する状態が続く。
・一九九〇年
・ソ連、ゴルバチョフがソ連大統領に就任
ソ連の共産党指導体制が事実上崩壊。
・米ソが戦略兵器削減交渉(START)基本合意
核兵器軍縮が本格化。
米ソ共に作りすぎた核兵器を持てあましていた。
・8月、イラク、クウェート占領
国連決議でイラクを強く非難。
アメリカを中心にして多国籍軍派遣が決定され、冷戦構造崩壊で余剰となった膨大な戦力が中東方面に移動。
日本も多国籍軍に参加し、艦隊と航空隊を派遣。
砂漠への不慣れを理由に、地上部隊はほとんど派遣されず。
軍の派遣を理由に、アメリカが求めた経費拠出にはほとんど応じず。
・東西ドイツ統一
冷戦崩壊の象徴的事件とされる。
日本でも、南北双方で国家統一についての機運が見え始める。
特に日本経済が新たな投資先として北日本に期待。
しかし双方の国民は、国家統合についてはそれ程求めていないことが世論調査から判明。
北日本は南の日本に飲み込まれることを警戒し、南の日本は経済的に遅れた北日本を抱え込むことをいやがった。
また北日本人は、国民のかなりの割合が民族的に日本人とは言えないので、その点も双方が国家統合に反対する要因ともなっていた。
陸で国境を接していないことも大きな理由とされた。
また、人民韓国の市場開放などが期待されたが、金日成の独裁体制などは代わらず。
・一九九一年
・「湾岸戦争」
多国籍軍はクェートを奪回。
軍事評論家の懸念を大きく覆し、極端なほどの一方的戦闘になる。
日本軍も空爆を中心にして戦闘に参加。
北日本、東側兵器の価値下落によって武器輸出産業に大きな打撃。
南日本の外貨導入促進と、技術革新、産業転換が一層進められる切っ掛けの一つとなる。
・南アフリカ、アパルトヘイト(人種隔離政策)完全廃止
・共産主義陣営の組織相次いで解散
北日本は、ロシアとの間に新たな外交及び経済関係を再構築。
また南日本を始め、アジア、太平洋諸国とも広く関係を求めるようになる。
それまで「同盟国価格」だった資源問題が主な原因。
以後、一層日本経済との連動を強めるようになる。
・WWWの登場
インターネット時代の幕開け。
日本は、官民を問わず新たな投資先と労働力を吸収する新規産業分野として、情報通信産業、IT産業に莫大な投資を開始。
国内景気の維持のため、北日本への投資と資産創造も非常に急速となる。
北日本への投資と開発では、かつての「列島改造」にならって「北方改造」と言われた。
あまりの投資に、北日本では南の日本に飲み込まれるという警戒感が出る。
・ソ連、クーデター未遂(8月)
・ソ連、ゴルバチョフ大統領辞任(12月)
ソビエト連邦崩壊。
各地が独立。
(※以後、ロシア(露)と表記)
北日本でも一部政情不安となるが、政権自体は堅調を維持。
・一九九二年
・欧州連合(EU)成立
ECから発展して、国家連合を目指す組織が誕生。
・ユーゴスラヴィア崩壊・分裂
民族問題、宗教問題が絡んで酷い内乱状態となり、欧州を中心とする国連軍が介入。
・日本、Jリーグ創設
双方の日本でサッカー(フットボール)が活発化。
南北交流の一つの手段として、北日本でも同時期から活発化。
・この頃からエイズが、全世界で猛威を振るう
特に途上国で蔓延。
・一九九三年
・パレスティナ解放機構(PLO)とイスラエルが暫定自治協定に調印
しかし、安定にはほど遠い状態が続く。
・日本、神戸沖に関西国際空港開港
国策のハブ空港として強力に建設が進められたため、当初から大きな規模(4000メートル滑走路2本)を有していた。
海上にできた巨大空港だったため世界から注目を集める。
十年ほど後の第二期工事は大規模に杭打ち構造方式を採用。
・南北融和景気に停滞と陰りが見え始める
少しずつ下がっていた平均株価は2万円前後で停滞。
政府は、積極的な財政投融資を本格的に検討。
日本の動きに、世界も今更強く異を唱えることができず。
・日本、「東アジア共同体」を構想
日米+ASEANを軸に、中華、インド、オセアニアを加えた形で構想される。
いまだ日本との交流再開の目処が見えていない人民中華は極めて消極的。
7月、
・北海道南西沖地震
奥尻島が大きな被害を受け、その事が南の日本にも広く報道され、多くの義捐金が北日本に送られる。
北日本の南への警戒感が大きく和らぐ。
・一九九四年
・露、「チェチェン紛争」勃発(〜九六)
以後、コーカサス地域では民族問題が深刻化。
・人民韓国、金日成死去
金日成死去に前後して人民韓国での政変や近隣諸国への戦争が言われるが、息子の金正日に政権委譲が行われ特に大きな動きはなし。
しかし人民中華国境線は極度の緊張状態となる。
海峡を挟んだだけの日本も海上監視を強化。
北日本と人民韓国の関係も、特に途絶することなく続く。
・日中の交流再開
天安門事件以後最低限に落ちていた日本、人民中華の交流が経済面を中心に復調し始める。
しかし日本は、人民中華と依然国交断絶状態の北日本との関係を重視して、関係拡大には常に消極的となる。
日本の行動も、ヨーロッパ諸国に次ぐ形となった。
・一九九五年
・日本、パソコンのOS「TRON94」発売
前後して、「日米OS戦争」が本格化。
おおむね日本の不利で競争が続くが、米電子産業界内でも対立が生まれて混乱。
・世界貿易機関(WTO)設立
世界市場のグローバル化が進む。
・日本、阪神大震災(大規模都市型直下地震)
日本国内で軍の役割が見直される。
北日本から援助隊が多数派遣され、両者の融和を象徴となる。
以後、災害時の相互救助が日常化。
関西経済が大打撃を受け、大規模な財政出動による復興政策が進められるも、日本経済全体の停滞を加速させる。
開港したばかりの関西国際空港の運営にも打撃。
・日本、「オウム真理教事件」
新興宗教による大規模な無差別テロにより、治安国家神話崩壊。
戦後日本の欠陥が明らかになる。
古いまま半ば放置状態だった対テロ法、国内法、警察力、刑法の大幅強化へ。
事件そのものは、一時北日本の関与が噂された。
・パソコンのOS「ウィンドウズ95」発売
・ボスニア和平協定調印。
ユーゴ内乱終結
・一九九六年
・包括的核実験停止条約
北日本も批准。
アメリカとの対話を進め、核兵器保有国としての地位を固める向きに動く。
アメリカの日本に対する政策と、北日本が経済的成功で自信を持つようになったという背景があった。
日本政府は、北日本の条約参加を高く評価するも北日本の核兵器廃絶を依然として求めるとコメント。
近隣諸国(中韓)は南北日本の行動を茶番だと強く非難。
・南北トンネル建設開始
南北日本の間にある津軽海峡で、世界最大の海底トンネル工事が開始される。
開通は14年後の2010年を予定。
日本が誇る最新のボーリング工法が使われる。
同時に、新幹線を北日本の首都札幌まで通す計画が大車輪で進む。
・日本、独自の「自動位置測定装置網」整備決定
商業衛星事業の一環、社会資本整備の一環として、日本の及び東アジアを中心にした自動位置測定装置網の建設を決定。
アメリカが反発したが、欧州やロシア、中華でも同様の計画が推進中か計画中のため、強く反対する事もできず。
もっとも、日本の装置は一部でアメリカと連動。
・一九九七年
・「アジア通貨危機」発生
約十年間続いた日本の好景気の失速に端を発して、東アジアで経済成長が失速。
世界規模の景気後退が訪れて混乱。
投資などが回復基調だった中華経済も大きな打撃。
日本、天文学的な財政出動をいち早く実施して、経済の沈下と停滞を何とか最低限で押しとどめる。
平均株価は一時1万5000円を割り込むが半年ほど後には2万円代前半で安定。
北日本は、次の札幌冬季オリンピック開催のための好景気があったため、大きな打撃にはならず。
また一定段階を過ぎていた経済発展状態もプラスに働く。
・英国、人民中華に香港を返還
・人民中華、トウ小平死去(トウ=登にこざと辺)
・世界人口60億人突破
・一九九八年
・北日本、「札幌冬季オリンピック」開催
旧共産圏初の冬季オリンピックを実現。
前後して北日本の経済開発、社会資本整備が大きく進む。
また、北日本の各地に南日本からの観光客が数多く訪れるようになり、北日本各地の開発も進む。
同時に、新千歳国際空港が西側並の設備を持つ空港として開港。
・パキスタンが初の核実験実施
アメリカとの関係悪化。
インドとの関係も一時悪化するが、その後大幅に関係が進展。
核開発がもたらした変化となる。
なおパキスタンの核開発では、北日本が技術供与したという嫌疑が一時期持たれる。
・米、アフガンとスーダンのテロ組織を初めて攻撃
国家組織ではない原理主義の脅威が広がりを見せるようになる。
・人民韓国、核実験実施
人民韓国、各国から非難や制裁を受ける。
北日本の援助があったと言われ、北日本も国際批判にさらされる。
北日本は否定し、その後パキスタンの存在が浮上。
・一九九九年
・欧州通貨統合
各国の通貨が統合されて、新たに「ユーロ」誕生(二〇〇一年に使用開始)。
マルクやフランは姿を消すことになる。
この影響で、南北日本の間でも通貨統合、自由経済協定に関する話しが進展。
・「地球温暖化防止京都会議」開催
・露、「第二次チェチェン戦争」
・米、パナマにパナマ運河地帯返還
・ポルトガル、南中国にマカオ返還
・二〇〇〇年
・コンピューター西暦2000年問題(Y2K)
・アメリカ、日本と共同の国土ミサイル防衛(NMD)配備計画が諸国の反発を受けて国際問題化
しかし北日本は強く問題視はせず。
南北日本のつながりと、北日本の対米融和が浮き彫りとなる。
・イラン、総選挙で改革派が大勝
しかし、依然として不安定な状態が続き、アメリカの変わらない反イラン政策も強く影響。
日本は改革派を支持。
・二〇〇一年
・米、「同時多発テロ」(九月十一日)
ニューヨーク、ワシントンで、ハイジャック自爆機が各施設に激突。
世界中に大きな衝撃を与える。
・米、アフガニスタン侵攻
原理主義テロ組織殲滅のための派兵。
アフガン内戦は当面の終息へ。
日本及び北日本も少し後に国連軍に参加。
北日本は、初めてアメリカ軍と共に戦う。
・北日本、一気に親米路線に外交の舵を切る
同時テロを機に、北日本が大きく外交転換。
アメリカも受け入れ。
南北日本の関係はさらに進展。
北日本と人民韓国との関係が極端に悪化。
対馬海峡での緊張も高まり、日本と人民韓国双方の軍隊が海と空で睨み合う。
・2008年のオリンピック開催地決定
選出において、人民中華(北京)、日本(大阪)共に落選。
日本は1988年の開催が問題視され、人民中華はインフラ不足が影響。
・二〇〇二年
・米、大統領が一般教書演説で悪の枢軸演説(イラン、イラク、人民韓国を非難)
核悪用の疑いがあると説明。
北日本の核兵器については言及せず。
人民韓国が北日本に強く反発。
人民韓国の反発により、一時期、対馬海峡が強い緊張状態に陥り、日米共同の機動部隊が大規模な軍事演習を実施するなど牽制。
・東ティモール民主共和国誕生
・日本、アジア初のワールドカップ開催
北日本も参加。
北日本では、旧共産圏の影響で野球は盛んではなく、夏季競技ではサッカーは盛んで、市場経済導入すぐにもプロリーグが創設されていた。
・二〇〇三年
・「イラク戦争」
アメリカなど一部の国々がイラクに一方的に戦闘を仕掛ける。
南北日本は戦争反対を表明し、当初は軍も派遣せず。
日米関係に亀裂。
・「北東アジア会議」開始
北東アジア各国間の国交正常化のため、北東アジア会議始まる。
人民中華と人民韓国、北日本間の問題解決と国交復帰が議論される。
人民中国、人民韓国、日本、北日本、アメリカ、ロシアが会議に参加。
・アメリカ・日本、ミサイル防衛(MD)実戦配備開始
北東アジア各国との関係悪化。
ただし北日本はむしろ歓迎。
・東アジアを中心に新型肺炎流行
新たな疫病として注目を集める。
・二〇〇四年
・スマトラ沖地震
大津波により広範な地域に甚大な被害が発生する。
日本は、災害救助としては初めて空母を海外出動させる(※今までは揚陸艦まで)。
日本の軍国主義拡大だとして、人民中華、人民韓国は反発。
・日中反発
日本の首相の靖国神社参拝問題を契機に、人民中華が過剰反応。
大規模な反日運動が発生。
領土問題(尖閣問題)、排他的経済水域、尖閣油田、ガス田などの問題も一気に取りざたされ、尖閣諸島、東シナ海では日中の艦艇が睨み合い状態となる。
その後、アメリカ、ロシアを加えた国際交渉で対立状態は一応解消。
しかし多くの問題は先送りされ、心理面でも大きなしこりを残すことになる。
大きく拡大しつつあった日本の対中投資も激減し、ベトナムやインドに向かう。
日本では、翌年から冷戦崩壊後漸減していた軍事予算が増額に転換。
対中借款も、人民中華の発展を理由に大幅減額。
・二〇〇五年
・南北日本、自由貿易協定締結
完全な関税自由化を達成。
民族及び国家の統合ではなく、国家同士の連合化による差別化と連合化の道を選択する。
近い例としては、ドイツとオーストリアのような関係を目指すことになる。
次は十年以内の通貨統合が目指す事もこの時確認。
同時に、ビザ無し渡航も可能となる。
・国連改革失敗
常任理事国、非常任理事国の増加は見送られる。
人民中華では大規模な反日暴動が起き、両国の関係がさらに冷え込む。
日本資本の急速な撤退と他国への転向に、人民中華政府が慌てる。
・二〇〇六年
・新興国の躍進
新興国での経済発展に連動した資源高騰とグローバリゼーションの大きな進展で、新興大国(人民中華、ロシア、インド、ブラジルなど)の躍進が目立つようになる。
北日本も、新興工業国として存在感を示す。
・国際宇宙ステーション完成
計画途上でアメリカが予算を大幅に削減するなどの困難が多数あったが、日本の積極参加が成功に結びついた。
日本は建設の2割以上を担当し、補給船、連絡船も運航。
・二〇〇七年
・月面探査、世界各国で再び密度を上げ始める。
日本が先駆け、人民中華やインドは、イデオロギーの矛先とする。
・米、サブプライム問題
アメリカの不動産・金融バブル崩壊始まる。
・二〇〇八年
・「金融危機」
アメリカの大手証券会社崩壊を象徴として、世界中で急速な不景気到来。
・二〇一〇年
・南北トンネル(津軽海峡トンネル)開通
南北日本の交流と物流網が激変。
東京=札幌が一本の鉄道で行き来できるようになる。
路線自体は高速鉄道も通行可能な一般鉄道で、カートレイン方式で車も通行できるようになる。
以後南北日本間の交流が一層活発になり、日本史は次のステージへと移行していく。




