日常と変化
「ぴよ、ぴよよ。 (はあ、やあ、はあ。)」
重心を低くし、斜め後ろに下げた右足に体重を乗せる。精神を整え、最高のタイミングで嘴を突き出す。翼は毒を体外に出す特訓をしていた。
(くそっ、全然出ない。)
自分の能力を把握した後、翼は毒関連のスキルに注目した。毒生成と毒耐性、これからの方針を立てる為に重要だと考えたのだ。毒耐性と猛毒耐性は毒の効果を受けにくい体になるというもので、翼の生活に大きな弊害をもたらすものだった。天死茸のだけの味を落としてきたのだ。これは食事中に異変を感じた翼が自分のステータスを鑑定した結果分かったことだ。
美味い物を食べる為には美味いものを知らないといけない。美味いものを知る為には実際に食べてみるのが早い。しかし、ひよこの体では命を落とす確率が高く、食べる前に死んでしまうかもしれない。翼は自身を鍛えることをした。
(そこまでは間違ってないと思うんだけどな。)
翼の修業は上手くいっていなかった。その理由は翼が目をつけたもう一つの毒スキル、毒生成のスキルが使いがっての悪いスキルだったからだ。
まず、毒生成のスキルで毒を作っている感覚が翼には無い。スキルが上昇しているのでスキルを使っていると考えることが出来るが、意識的に使用することが出来なかった。
そして、翼が現在練習していることから分かる通り毒を体外に出す方法が分からないのだ。嘴から出るのか、お尻から出るのか、それとも体外に出すことは不可能なのか、全く分からないのだ。
(このスキルが使えるようになると生き残る可能性が大きく上がる筈だ。無ければ、まあお察しの通りだけだな。)
つつくとかみつく、幼い時モンスターを育てて闘うゲームでお世話になったが威力は低かった。一応、毎日大木をつついたり、かみついたりしているが木は傷つくことは殆ど無い。
(本当、如何やったら飛ばせるんだろうな、毒。アニメや小説の様に唾みたいには飛ばせなかったし、勢いをつけても駄目。うーん、もう一度やってみるか。まだ嘴痛いし。)
毒を飛ばす練習に痛みは無い。しかし、実際に嘴をぶつけているつつくスキルの練習では痛みが生じるし、かみつく練習では苦みが生じる。これは僅かに傷ついた大木の樹皮が口の中に入るからだ。
ふー、ふう。
息を吹き出す音が聞こえる。だが、嘴から毒が出ることはなかった。
修業を終えた後、翼は何時も通り枝を集めていた。小さな嘴で枝分かれが少ない枝を咥えて歩く、何処からどう見ても只のひよこである。
(うんしょ、うんしょ。頑張れ俺。俺なら出来る~。俺、俺、おれれー。)
脳内で意味不明な歌が歌いながら上機嫌で歩く。その足取りは軽い。
「ぴよー。 (ふうー、疲れた。)」
翼は初めて自分がこの世界に着た場所に戻ってきていた。口に含まれている枝を自分の体長位ある卵の殻の傍に並べる。そして、一番振りやすそうな枝を選んで咥えて地面に突きさした。枝は浅く土に埋まり、枝を地面と水平になるように起こすと少しだけ土が空中に跳び出てきた。そう、翼は穴を掘っていたのだ。翼が穴を掘っているのには勿論理由がある。それは家を作るためだ。修業から疲れた身体を休める場所が無いのは酷く効率が悪いと考え、修行の一環として家造りを始めたのだ。
(人間だと簡単なことでもひよこだと難しい。これも良いひよこ経験だな。)
悟った様な考えを頭に浮かべ作業を続ける。一回一回の量が少なく、嘴で咥えているので安定しない。掘り続ける。それがやりたいのだから。
がしがし、ぶにゅ。ぶにゅぶにゅ。
修行の日々に突然変化が起こる。翼が何時も通りにマイホーム造りに精を出していると何時もとは違った感触のものにぶつかった。土に埋もれていてよく見えないが、枝を押しつけると跳ね帰ってくる。
(うん、何か当たったな。えいえい。)
翼の危機管理能力は変わらない日常のせいで殆ど失われていた。翼は物体を覆っている土を除ける様に枝を動かした。
しゅ、しゅ。つんつん。ぶにゅ、ずさっ。
「びよ。 (うお、動いた。)」
翼はひよこにしては大きく後ろに跳んだが、動いた物体との距離が余りないのでそろりと後ろに下がった。
ずし、ずし、ずざざ。
翼が遠目に見ていると物体は土の中から出てきた。小さく鋭い爪、イルカを思い出させる細長い鼻、真っ黒な身体をもった竜がそこにはいたのだ。
「もぐっ、もぐもぐ。」
翼は素早く鑑定を行った。
名前:ネームレス
種族:ストーンヘッドモール
性別:雌
状態:負傷
Lv8
スキル:
穴を掘るLv6、かみつくLv3、頭突きLv5、ひっかくLv2、硬化Lv3
毒耐性Lv5
エクストラスキル:
直感Lv----
土竜、現代の地球で人間(主に農家)に多大なる災厄を齎す竜種の一種だ。
(こっわ。)
自身と同じ位の大きさの竜にビビった翼だったが、土竜に対して枝を構えその動きをじっと観察した。野生の動物に背を向けてはいけない、田舎での常識だ。
「もぐー」
土竜は大きく手を広げ翼に威嚇した。
(えいっ。)
同格の大きさの生物の威嚇は恐ろしく、恐怖の余り翼は口に咥えていた枝を土竜に向けて投げてしまった。しまったと翼が思うも、翼が投げた枝は回転しながら土竜に向かい、その頭にぶつかった。そして土竜はゆっくりと倒れた。
「ぴ、ぴよ。 (た、倒してしまったのか。)」
走って逃げようとした翼だったが、土竜があっけなく斃れたのを見て足を止めた。翼がそのまま土竜をじっと観察するが土竜に動く気配は無い。翼は土竜を警戒しながら慎重に距離をとると、一気に枝置き場に走った。枝置き場につくと一番長い枝を選び口に咥えてダッシュで土竜の元に戻った。
元の位置に戻ると土竜はまだ倒れていた。翼は口に咥えていた枝の端っこを咥え直し、枝の先を土竜に向けた。
つんつん、つんつん。
土竜に向けた枝で翼は土竜をつついた。枝につつかれた土竜に自身の力で動く気配は無く、枝につつかれる度に身体を地面に引きずった。翼は何時でも逃げられる準備をして土竜に近づいた。
翼は土竜に近づくと、まだ息があることに気がついた。それに背中に隠れて見えにくいが地面に真っ赤な液体が流れていることも分かった。
(さて、どうするか。選択肢は三つだな。
一つ目はほっとく。背中から溢れる血の量からして恐らくほっといたら死ぬだろう。
二つ目は殺す。ステータスにLv があるからゲームみたいに殺せば経験値が入って自分を強化出来ると思う。一つ目の案を採用した場合は経験値が入らない可能性があるが、自分の手で殺せば入って来る確率は上がる筈だ。
三つ目は傷を治して看病する。運が良ければ仲間が出来るし、失敗して敵対してもこれだけ弱っていれば直ぐに殺せるだろう。)
翼は悩んだ。理由は理性と心が選んだ答えが違うからだ。
翼の理性は二つ目の選択肢を推している。将来のことを考えれば殺しには慣れていないといけないし、経験値も欲しい。進化してひよこの姿から別の姿になれば余裕を持って生きることが出来る様になるだろう。二は自分に対しての投資と考えれば最も良いだろう。
しかし、翼の心はこの土竜を助けろと言っている。もう一人は嫌だと心が言っているのだ。毎日毎日一人で行動をするのは寂しい。寝る前にはお休みと言って欲しい、起きたらおはようと言って欲しい、頑張ったら頑張ったと言って欲しい、もう一人は嫌だ。悲しみを紛らわす為に体を鍛えるのも、ご飯を食べるのも、寝るのも嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌なんだ。
(決めた。)
翼は土竜の体の下に自身の体を潜り込ませると全力でその体をひっくり返した。土竜の背中には多くの打撲傷や切り傷があり、止まること無く血が流れている。翼は急いで卵の殻の所に行き、水を口に咥えて土竜の下に戻った。そして、傷口に水を流した。水を流すと土竜は僅かに震えた。
(ごめんな。ちょっと我慢してくれ。)
心の中で誤りながら何度か水を流す。ある程度汚れが落ちた時に傷を覆う物がないことに気付く。
(考えろ。考えるんだ、俺。何か代わりになるものは無いか。これまでの生活を思い出すんだ。……… そうだ、あれを使おう。あれなら大丈夫かもしれない。)
翼は駆け出した。数少ない可能性を信じて。
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「も、もぐー。」
普段通りに目を覚ました土竜だったが、起きると同時に痛みが体中を駆け巡った。全身から来る痛みに反射的に体を動かそうとするも体は全く動かない。
「もぐ~。」
土竜は直ぐに動くことを諦め、痛みを最小限に抑える為にじっとした。それでも痛みは体を襲う。土竜は楽しい思い出を思い出すことで痛みを減らそうと試みる。自由に地面の中を掘る面白さ、ミミズを追いかけて食べること楽しさ、普段は気にもしないありふれた日常。その多くが土竜に幸せを与えてくれたのだと分かる。
「もぐっ」
幸せな気持ちになりそうなところを痛みによって現実に戻される。痛みからか、絶望感からか、目元が熱くなる。初めての体験に土竜はどうしようもなく、目を閉じるのであった。
土竜が動きを止めて数十分後、土竜の元に一匹のひよこがやってきた。そのひよこは深緑に近い体色をし、毒々しい臭いをさせながら土竜に近づいてきた。
「ぴよっ、ぴよぴよ。」
土竜の耳にひよこの鳴き声が聞こえた。しかし、土竜はそれを無視した。ひよこに気づかれていない可能性に賭けたのだ。
「ぴよ、ぴよぴよ。」
ひよこが近づいてくるのが分かる。臭いがどんどん強くなるのだ。土竜は痛みに耐えながら両手で鼻を抑える。
「ぴよぴよ。」
土竜の耳元でひよこの鳴き声が聞こえた。何かされるのではないかと震える土竜だったが、何かをされることはなかった。
(何とか土竜は生きていてくれた。それにしても俺が飯を一緒に食べるかと聞いた時に祈る様なポーズをとったのは驚いたな。俺のことを神だとでも思ったのだろうか。)
翼は食べ物を取りに生きながら、先程の土竜の行動を思い出して笑みを浮かべていた。最悪な結果を避けることが出来て安心したのだ。
(後は俺が用意した食料を土竜が食べて生きていけるかだけだな。)
翼は足元に転がっている茸をじっと見つめる。今翼の手元にあるのは天死茸では無い茸だ。土竜が起きた時用に必要になると感じて急いで探しに出かけたのだ。その行動力もあって何とか天死茸以外の茸を手に入れることが出来た。しかし、問題はあった。どの茸も毒を含んでいるのだ。もっと別の場所を探せば毒なしの食材を手に入れることが出来る可能性があったが、土竜の側を離れることを嫌がった翼が多少の毒は大丈夫だと思うことにしたのだ。
口いっぱいに茸を含んだ翼は土竜の元に戻って行った。
土竜の前には水でびしょびしょになった茸が沢山置かれていた。涎まみれの茸を食べさせるのは忍びないと思った翼が口に含んだ水をぶっかけたのだ。
「ぴよぴよ。 (さあ、食べても良いぞ。)」
翼は祈る様なポーズをとっている土竜に声をかけた。だが、土竜は食べ物に手をつけようとはしなかった。
(やっぱり毒があるって分かるんだろうな。動物は鼻が聞くもんな。でも、食べて貰わないと困るんだよな。このまま食べずに餓死されたら助けた意味が無くなるし。)
翼は僅かな間悩んだが、直ぐに決断した。
始めに何時も利用する枝を持って来る。次に、地面に寝転がって口の枝で土竜の口を狙う。最後は何時も通りだ。
つんつん、つんつん。
土竜の口をつつく。嫌そうに土竜の口が動くが関係ない。翼は何度も何度も土竜の口をつつきまくった。
「もぐもぐー。もご、もぎょ。」
土竜が痛ましい悲鳴声を上げた。それと同時に翼は急いで枝先に茸をつけて土竜の口に押し込んだ。土竜が嫌そうな顔をするが、翼は心を鬼にして突っ込んだ。
翼が頑張ったお陰だろう、暫くして土竜の動きが止まった。翼は口の中に食べ残しが残っていないのを確認すると、土竜に向かって鑑定をかけた。
名前:ネームレス
種族:ストーンヘッドモール
性別:雌
状態:負傷、麻痺
Lv8
スキル:
穴を掘るLv6、かみつくLv3、頭突きLv5、ひっかくLv2、硬化Lv3
毒耐性Lv5
エクストラスキル:
直感Lv----
麻痺毒、翼が見つけた茸が持っていた毒だ。この毒は体に力を入れることを不可能にし、痛覚を遮断する。麻酔の様な毒だ。口の中に押し込んでいる間に土竜が動きを止めたのはこの毒が効いてきたのだ。
「ぴよぴよ。 (ご飯はちゃんと食べないと元気になれないぞ。)」
土竜の頭を羽で撫でながら翼は土竜に注意をした。そして、土竜の背中に載せてある大量の物の一つを口に取った。
「ぴよよ、ぴよぴよぴよよ。 (良いか、この茸は食べちゃ駄目だぞ。死んじゃうからな。)」
土竜の背中を抑えていたものの正体は天死茸だ。翼が主食にしている天死茸だがその繫殖能力は非常に高いものだった。翼は毎日通っている大木の周りに大量に生えており、一度天死茸の群生地にあっても数分も歩かない間に別の群生地に辿り着くことが出来る。翼が天死茸を包帯代わりに利用したのはこの為だ。水で洗えば最低限の清潔感は確保できるだろうし、大量に生えているので血で汚れた場合に代えがきく、それに加え土竜の体を覆うほどの量を確保できるので翼が安心できるまで配置することが出来る。
(これから一緒に暮らすことになるのだから死んでくれるなよ。)
翼はそう願い咥えていた茸を飲み込んだ。