8.紅茶
王妃の私室らしき部屋に通されテーブルにつくと、王妃はそこにあった呼び鈴をならした。
すぐに、カートを押したメイドが入ってくる。
そちらを見もせずに、王妃はコレットににっこりと微笑んだ。
「ごめんなさいね。急におよびたてして」
「い、いえ。とんでもありません」
入ってきたメイドにちらりと視線を動かしていたコレットは、声をかけられ王妃を見た。すぐに紅茶が入れられ、コレットと王妃の目の前に置かれる。それとともに王妃の前には小さな小瓶が置かれた。
その小瓶をしなやかな指でつまむと、王妃は目の前の高さに持ち上げる。
「これがなにかわかりまして?」
キラキラと光る綺麗な小瓶をじっとみる。
何か……と聞かれても。
「香水の瓶……でしょうか?」
「これは紅茶を美味しく飲むための香料のようなものですわ。入っていますからどうぞ召し上がってみて」
にっこりと微笑み、王妃は目の前の紅茶を飲むように促す。
なにか腑に落ちない気もするが、コレットは目の前のカップに手を伸ばした。
ふんわりと上がる湯気から、薔薇のような匂いがした。一口飲むと少し甘いような味がする。
「どうですか?」
「はい。美味しいです。お花のようないい香りがします」
その答えに満足したように、王妃はにっこりと微笑んだ。
「気に入っていただけたのならよかったわ」
そういうと、王妃も自分の紅茶に手をつけた。
「それで、今日お呼びした件なんですけれど」
「はい」
「まあ、だいたい察しはついていると思いますけれど、フィオンのことですわ」
「……はい」
「驚いたでしょう。急にですものね」
「は、はぁ」
「こうなってしまった以上、あなたも無関係ではありませんのでお話しますけれど。フィオンは惚れ薬を飲まされたようなのです」
王妃の言葉に、コレットはパチパチと目を瞬かせた。
「惚れ……薬?」
「そう。それであなたを見てしまったらしいのよ」
コレットの顔が青ざめる。
震える手を何とか動かし、カップをソーサーの上に戻した。
「もちろん、あなたが薬を入れたとは思っていないわ。こちらでもいろいろ調べていますから。ただ、フィオンがあの状態なので、ミス・マカリスターには少し協力をお願いしたいの」
「協力……ですか」
「そう。フィオンのお話相手になってくださらないかしら」
「薬のためならば、お会いしないほうがよろしいのではないでしょうか」
変に噂にでもなれば、王弟殿下としても問題なのではないだろうか。
「フィオンの様子を見ていたらわかると思うけれど、あのこかなりあなたのことが気に入ったみたいなのよ」
「でも、それは……」
「たとえ薬のせいだったとしても、それは本人にはどうすることもできないでしょう?恋する気持ちは自分でコントロールできるものではないし。お願いできないかしら」
コレットの額に嫌な汗がにじむ。
王妃直々に頼まれて、断れるわけがない。だけど、これを承知するのはあまりにも問題が多いような気がするのだが。
「ね?」
「…………はい」
にこにこと微笑む王妃には、決して相手に『否』と言わせない雰囲気があった。
そんな王妃に対し、コレットはうなずくしかなかった。
コレットを退出させると、時間を少し置いて王が部屋に入ってきた。
「王妃。どうだった?」
「ミス・マカリスターはやはり犯人ではありませんわ」
目の前に置いてある小瓶を見ながら、王妃は答えた。
お茶を入れるところを会話で気をそらし、さらに犯行に使われた『惚れ薬』の容器を目の前にちらつかせる。
犯人であるならば、それが何の容器であるかわかるはずだ。
もし見ていなくても、昨日の今日である。自分にやましいところがあるものは、いろいろな想像力が働きお茶を飲むことができないだろう。
そして犯人ならば、絶対に薬の味など判るわけがない。飲んだらどうなるのかわかっているのに、それを試しに飲んでみるようなことをする人間はいない。紅茶に別の味が混じればそれだけで不安に駆られるはずだ。
実際紅茶に入れたのは別の容器に入っていた薔薇の香料で、特に飲んでも問題はなかったのだが。
コレットはそれを何の違和感もなく飲んだ。
特に手が震えることも、体が受け付けなくなる事もなかった。少し緊張していた様子だったが、王妃の目の前である。それは許容範囲だろう。
フィオンと二人でいたときも、彼の甘い言葉にうっとりとして自分を見失うようなこともなかった。ちゃんと自分の立場をわきまえている少女に、王妃は満足そうに微笑む。
「彼女なら、フィオンをまかせられそうですわ」
「王妃、何を考えている」
「何のことですか?」
「さっきの会議でもそうだ」
みなの前で、あえてコレットとフィオンを近づけようとしていた。
薬が関係していることである。今後のフィオンやコレットのことを考えれば、どうしたって二人をあまり接触させないほうがいいと思われるのだが。
「王妃」
「……」
「ディアナ!」
強い口調で名前を呼ぶ王に対して、王妃は涼しい顔でカップを持ち上げると、紅茶をゆっくりと口に運んだ。
「マカリスター男爵家が今回の事件に関与した可能性ははっきりいってありませんわ」
カップを両手でもったまま、王妃は口をひらいた。
「マカリスター男爵家の令嬢がフィオンと会う確率はとても低いですし、ルノワール伯爵夫人に紹介をお願いするのも不自然ですしね」
コレット個人としても犯行は難しい。そして、地方の小領主であり、中央の政治にもあまり関与する職にもついていないマカリスター男爵も、フィオンをそこまでして取り込むメリットはない。それは先ほどの話し合いでもみなの意見が一致したところだ。
もちろん娘の結婚相手としてフィオンは誰もが羨む相手ではあろうが。
「それで?」
「ならば、犯人にとってこれは不測の事態。だったら、フィオンがマカリスター嬢と仲がよろしいことを見せ付けてやればいいのです。それを引き離すなんて、犯人の喜びそうなことをこちらからする必要なんてないですわ」
犯人は目的を失敗したのだ。
その失敗の尻拭いをこちらで率先してする必要などない。
王家として二人の仲を引き裂かないのなら、それを不都合と思う人間が何らかの策を講じるしかない。
にっこりと王妃は王に笑いかける。
その艶やかな笑みに、なぜか王の背筋に冷たいものが走った。
「みなさん、どんな反応をするのか楽しみですわね」