62.遭遇
「待ってくださいっ!」
そう言った自分の声にはっとして目が覚めた。
自分がどこにいるのか把握できず、梁がむき出しのままの天井を見つめたままコレットはぱちぱちと目を瞬かせる。少しだけ顔を動かしあたりを見渡せば、わずかに荷物が置かれただけの簡素な木造の室内が目に入った。
そうだ。
ここは森の中の山小屋の中だった。
監禁されていたところをあの少女に助けられ、その後自分一人がここに残ったことを思い出す。少女がこの場を去った後、不安と緊張が張り詰めた中長い時間をじっと過ごしていたが、いつの間にか意識を手放していたようだ。
ゆっくりと体を起こすと、コレットはぼんやりと虚空を見つめたままつぶやいた。
「夢……よね」
先ほどあげた声の原因を思い返し、コレットは握りしめた手に力を込めた。
「君には迷惑をかけてすまなかった」
優しい声色に変化はないのに、突き放されているように感じたのはどうしてだろう。
「今後のことは何も心配しなくていい。きちんと対処していくつもりだよ」
そう言って自分に笑いかけたエメラルドの瞳には、以前のような熱はこもっていなかった。
伝えたいことがあるのにうまく声を出すこともできず、自分に背を向けて歩き出す彼を追いかけたくても足が動かない。
ようやく声をかけたと思ったら、目が覚めた。
あれは夢だったはずだ。
だが、本当に夢だろうか。
思い出せば思い出すほど、ただの夢だったはずのそれは、コレットの中で現実味をおびていく。
フィオンが解毒薬を服用してからの状況は、あの夢がこれから起こることだと思わせることばかりだ。
胸のざわめきを抑えるように手を当て、コレットはこぶしをぎゅっと握りしめた。ここにあっていつもコレットの不安を和らげていたネックレスは、もう手元にはない。コルセットを外すときにも確認したが、衣服に引っかかってもいなかった。
(あきらめないって決めたのに……)
今の状況も、フィオンへの想いも。
それなのに、不安に押しつぶされてしまいそうだった。
涙が滲んでくるのを抑えるように、コレットは自分の腕に顔をうずめた。開けられた窓から入った風が、コレットの栗色の髪をわずかに揺らす。空気が冷たくなったような気がして、コレットは顔を上げた。小屋の中が、急に暗くなったように感じる。
少しだけ開けられた窓を見上げても、近くにある木にさえぎられ外の様子はわからない。だが、確かに意識を手放す前より日が陰っているのは間違いなさそうだった。
夜が来る。
その事実に、コレットの体が小さく震えた。
夜になれば、月明かりも届きにくい森の中は深い闇に包まれて、足場もかなり悪くなる。助けが遅くなれば、ここで一人夜をすごすことになるかもしれない。
ぎゅっと強く目をつぶった後、コレットはしっかりと目を開いて前を向いた。
(あきらめない、絶対に。そう決めたんだから)
現実が夢より辛いことになろうとも、それでもこの想いをあきらめないと決めたのは自分だ。フィオンに会って、自分の想いを告白するまで。自分の気持ちを伝えるまで絶対にあきらめたりしない。
完全に日が落ちて真っ暗になれば、この小屋の中でさえ身動きができなくなる。そうなる前に、自分ができることをしなくてはならない。
壁に手をつき、ふらつく体を抑えながらコレットは立ち上がった。
もう一度しっかりと小屋の中を見渡すと、小屋の端にあった布袋を持ち上げる。音をたてないように気をつけながら、軽くほこりをはたいた。夜になればここではかなり冷えるかもしれない。多少汚れていても、ないよりはいいかもしれないと先ほどまで自分がいた場所に置く。
(あとは……)
コレットは足元にある瓶に目を止める。
少女が渡してくれた瓶は、持ち運びがしやすい大きさで、それほど大きいものではない。体のほてりと喉の渇きでこまめな水分補給をしていたため、瓶の中の水はほんのわずかしか残っていなかった。夜の間に水が全くないというのはかなり心細い。
この小屋の裏手には清水が湧いている。
この瓶を自分に渡すときに少女が言っていた言葉を、コレットは頭の中で反芻した。
ちらりと扉を見る。水をくむためには外に出なくてはいけない。外に出れば、それだけ誰かが来たとき見つかる可能性が高くなってしまう。
しばらく迷った後覚悟を決めると、コレットはゆっくりと入口の扉に近づいた。
扉に耳をあてて外の様子を確認する。わずかに開ければ、近くを流れる川の音が大きく聞こえたが、それ以外は鳥の声と木々が風で揺れる音だけだ。
人の気配は感じられない。
コレットは意を決して扉の外に体を滑り込ませる。まわりを気にしながら小屋の裏側にある湧水の場所へと急げば、靴ずれの跡がピリっと痛んだ。躓きそうになるのをなんとかこらえ急いで小さな泉に近づく。
目的の場所はすぐに見つけることができた。
小屋の裏側は大きく岩肌が見えている状態だった。その岩の隙間から清水があふれていて、小さな泉をつくっている。
その場にしゃがみ込んで持ってきた瓶に水を汲み終えると、コレットはほっと息を吐いた。
座り込んだまま、ふと空を見上げる。コレットのいる場所からはもう太陽の姿を確認することはできないが、木々と岩の間から見える空はまだ明るく、雲は少しオレンジ色に染まりながら輝いている。
しかし明るい空の様子とは異なり、森の中では高く育った木々がいち早く太陽の光を遮り、急いで地上を夜へと導いていく。小屋の裏側が高い岩場になっていることも、太陽の光を遮りコレットが暗さを感じた原因のひとつらしい。
大きな羽ばたきの音が聞こえたかと思うと、川のそばから黒い鳥が飛び去って行った。急に近くに現れたそれに、コレットはびくりと体を震わせ首をすくめる。
ここは人がいる場所から遠く離れた森の中。
犯人たちに見つかる以外の危険性に思い至り、コレットは持っていた瓶をかかえるようにして抱きしめた。
暗い色へと変化した木々のざわめきに不安をあおられ、コレットは急いで立ち上がると小屋へ向かって踵を返した。
小屋に近づいたコレットは、近くで聞こえた馬のいななきにはっとして足をとめた。
反射的に小屋の影に体を隠し、あたりの様子をうかがう。
助けが来たのだろうかとじっと耳をすますと、馬の蹄の音と馬車の車輪の音が今度ははっきりと聞こえてきた。
山小屋の近く、木々が少し開けた場所に馬車が止まり、その中から二人の女性が下りてくる。
一人はヴェールで顔を覆った女性だった。遠目から見ても着ている外出着の生地は上質なものだということがわかる。もう一人はその侍女といった風体で、川から吹き上げてくる風にあおられる茶色の髪を気にするように、何度も髪を手で押さえていた。
馬車からおりたヴェールの女性は、御者の男となにやら話しているようだ。
川の水が岩にぶつかって流れる音にかき消され、何をは話しているのかはわからなかった。しかし、どう見てもコレットがここにいることを知って、助けに来たとは思えない。
とにかく今の段階で、見つかるわけにはいかなかった。
小屋の出入り口まではあと数歩というところだが、コレットが隠れている場所からそこに向かうまでには彼らに見つかる可能性がある。入るところを見つかってしまっては、逃げ場もなくなってしまうため、今小屋に入るのは危険だ。
小屋の影にそっと移動しようとしたコレットの目に、女性のヴェールが風にあおられ飛ばされるのが見えた。ヴェールを追いかけるように首をめぐらせた女性の顔がこちらを向く。
「あっ」
小さく声をあげ、コレットは慌てて自分の口に手をあてた。
どうやら彼らはコレットの声には気が付かなかったらしい。女性のヴェールを侍女らしい女性が拾って渡そうとするがその女性は受け取らずに、そのまま再び会話を始める。
ゆっくりと体を動かし、コレットは見つからないように小屋の影にある木の横に移動した。
ヴェールをかぶっていた女性には見覚えがあった。
その人物を見間違えるはずはない。
以前、スティルス湖畔で会った人物。そして、フィオンに惚れ薬を盛った主犯と聞かされたジェシカ・ランデルその人だった。
(なんで、こんなところに……)
自分の心臓の音が、やけにうるさかった。コレットの鼓動に合わせるように、持っていた瓶の中の水が小さく揺れる。緊張と不安で体が震えるのを抑えるように、座り込んだまま身を小さく縮こまらせた。
時間だけが過ぎていく。
馬車や馬の音は聞こえない。耳に届くのは、流れる川の水音と虫の音。そして時折森の中から聞こえる鳥たちの鳴き声だけ。
まだあの人たちは近くにいるのか。それすらもここにじっとしているだけでは知ることはできなかった。呼吸をすることすら見つかりそうで怖い。
緊張に耐え切れなくなり、コレットはわずかに身じろぎする。
バタンッ!
急に聞こえた大きな音に、コレットは首をすくめた。
ついでバタバタとした足音が聞こえる。どうやら、小屋の中に誰かが入ったようだ。すぐ近くまで来ている気配を感じ、コレットはさらに体を縮こまらせた。
だが、ここでじっとしているわけにはいかない。
小屋の中には先ほどまでそこを使用していた痕跡が残っている。ここにいてはすぐに見つかってしまう。
せめて森の中の身を隠さなければとコレットはそっと立ち上がった。音を立てないように注意しながら、小屋の裏手に急ぐ。
木々の間に体を滑り込ませようとしたそのとき、すぐ近くでパキッと枝を踏む音が聞こえた。自分が立てたものではない音に、コレットははっとして振り返る。
先ほどまでジェシカと話していた男が、コレットのすぐ近くに立っていた。
「こんなところに隠れてるとはね。盗み聞きとは、貴族のお嬢さんがすることじゃないぜ」
そういうと、男はにやりと口をゆがめた。




