57.知らせ
「以上が、現在までに分かっている事柄でございます」
王宮の応接室。
王と王妃、そしてマカリスター男爵を前にして、家臣により事件のあらましが告げられた。
報告が終わると、室内は静寂につつまれる。
応接室の窓からは夏の名残を残した明るい陽射しが注ぎ、カーテンに織り込まれた金糸をキラキラと輝かせた。開けられた窓からは、秋の気配を感じさせる風がわずかにカーテンを揺らすと、静まり返った室内を通り抜けて行く。
「男爵」
沈黙を破るように、王が言葉を発した。
「犯人が分かった以上、マカリスター男爵家に向けられていたわずかな猜疑の目も払われていくことだろう。男爵家の名誉も、王家の名を持って保障する。安心するがいい」
「もったいないお言葉でございます」
「ギルダス・ドーズ、ならびにランデル子爵に対し、現在も取り調べを継続中だ。現在はフィオンが指揮をとり、もうすぐ報告にくる手筈になっている」
「今回の事件に関わりまして、陛下ならびに王妃さまには、当家に大変なお心遣いをいただきましたこと、誠にありがとうございました」
そういって、マカリスター男爵は椅子から立ち上がると、膝をつき深く頭をさげた。
「男爵、頭をあげよ。協力を要請したのはこちらなのだ。そなたたちにはすまぬと思っている」
それは、事件に巻き込む形となってしまったマカリスター男爵家とそしてその当人であるコレットに対しての謝罪である。
さらに深く頭をさげる男爵に、王は再度頭をあげ座るようにと促した。その言葉に、男爵は静かに椅子に座りなおす。
「ところで」
今まで黙って事の成り行きをみていた王妃が口を開いた。
「マカリスター男爵、コレットはどのようなご様子ですの?」
王家の使者は、男爵に王宮への召集の手紙とともに犯人が確保されたことを伝えている。
自分をねらった犯人が捕まったのだ。コレットの耳にもその話は伝わっているだろう。
「娘、コレットはランデル家の令嬢と会ったことがあったのでしょう。犯人として名前が挙がったことに驚いたようでした」
「そうでしょうね」
コレットがジェシカと会ったその場に王妃も立ちあっている。
ジェシカの強い悪意にあてられ、コレットは別荘で気分を悪くする事態にも陥っているのだから、印象には残っているだろう。
「大変恐縮ではございますが、本日は陛下にお願いがございます」
「なんだ? 申してみよ」
「娘を、早いうちに当領地に戻らせたいと考えております」
「男爵領の方に?」
「はい。いつもであれば、すでに領地へと帰っている時期でございます。今年はいろいろなことがございまして遅れましたが、犯人も判明したことでございますし、いつもの生活に戻ることをお許しいただきたいのです」
「うむ……」
少し考えるように顎に手をあてた王を横目に、王妃が口をはさんだ。
「時期尚早ではありません? まだランデル家のお嬢さんとその侍女が見つかっていないでしょう」
「ですが王妃さま。相手は貴族の令嬢。家族が拘束された今では、姿を隠すことが精一杯。大きなことはできないのではないでしょうか」
包囲網がはられている王都から逃げ出すことは困難。王都内にいるのならば、見つかるのも時間の問題だろう。
「そうかもしれませんけれど、捜索の途中ですもの。現在、王都のまわりはかなり厳重に検問がしかれていますわ。往来も制限されていますし、移動には向いていないのではないかしら。それになにより、今後のことをフィオンも交えたうえできちんとお話して、結論を出してからの方がよろしいのでは?」
「はっきりとする前の方が、いいと思うのです」
「どういうことだ?」
男爵の言葉を聞きもらさず、王が問いかけた。
「今後のことについて、話し合いの場をいただけることはこの上もないほどの光栄でございます」
一男爵家に王家や公爵家の意向を伝えるだけでも誰も文句はいえない。それなのに、男爵家を気づかい、話し合いの場を設けるということは、それだけ王家がマカリスター男爵家の意見も尊重しようという態度の表れである。
しかし。
「コレットをしばらくは噂など耳に入らない場所で、静かに暮らさせてやりたいのです。今後のことをはっきりさせるとき、コレットの耳に余計な噂が入るようにはしたくない。親の浅はかな考えとはわかっておりますが、これ以上あの子が苦しむ姿を見たくはないのです」
苦しそうにそういうと、男爵は再び頭をさげた。
今まで多くをいわずに王家の意向にしたがってきた男爵の苦しい胸の内。言葉の端々にその一端が顔をのぞかせる。
「せめてその結論は、フィオンが来てからにしましょう。もうすぐ取り調べからフィオンも戻るころですわ」
王妃がそう結論付けたところに、フィオンの来室が告げられた。
フィオンが応接室に入ると、椅子から立ち上がったマカリスター男爵が深く頭をさげた。そんな彼をみて、フィオンは驚いたような視線を向ける。
今日、男爵がくることは知らされていなかったようである。
「マカリスター男爵、いらっしゃっていたのですね。慌ただしくしていて連絡もせずに申し訳ありません」
「とんでもございません。バード公爵には、今回の事件に関しまして犯人究明のご活躍。当家としてもとてもありがたく思っております」
「ところで、今日はどのような件で?」
そういって、フィオンは王と男爵を交互にみた。まだ話の途中だったのなら、割り込む形となってしまった。
「今回の事件のあらましをな。男爵にはそれを知る権利がある」
「ああ、それならば僕が説明すればよかったですね。兄上と義姉上のお手をお借りしてしまい申し訳ありませんでした」
「これは、王家の問題だ。王家としてマカリスター男爵家に協力を要請したのだから、私から説明する必要があるだろう」
「そうですか」
そういうと、フィオンは用意された椅子に腰をおろす。
促され、立っていたマカリスター男爵も椅子に座りなおした。
「それで? 取り調べに何か進展はあったか?」
「大きくはありませんね。ランデル子爵の証言により、ランデル家の所有する建物や関係する場所を捜索してはいるのですが、ジェシカとトリーヌの二人はそれらにはいないようなのです」
「ギルダス・ドーズの方は?」
「まだ黙秘を続けてはいますが、まあ、時間の問題でしょう」
口を割らせるための尋問は、時間がたてばたつほど苦しみが増していくものである。それに耐えてまで、すでに罪状がはっきりしている彼に黙秘を続ける利点はない。
姪を守るためにそれに耐えるような人物には見えないことから、本当に二人の行方を知らないのかもしれない。
「あの日、王宮に来たジェシカを拘束していなかったことが悔やまれますね」
せっかく王宮へと自ら飛び込んできたというのに。
ギルダスが事件に関与していることがほぼ間違いない時点で、ジェシカも事件に関係しているだろうことは容易に想像がついていた。
ただ、ギルダスを拘束したあの日。証拠とギルダスを決定的に結び付ける証言が必要だったこともあり、二人に疑いがかけられていることを勘付かれるわけにはいかなかった。そのため、取り調べに関与するもの以外には、ギルダスの容疑は伏せられていた。何も知らない案内役は、無理にジェシカをとどめておくことができなかったのである。
恋する瞳でフィオンを見つめてきたジェシカ。後で部屋に行くといえば、必ずその場にとどまるだろうとの考えたのだが、それに反してその場を去って行ったのだ。
その時ジェシカを頼んだ案内役の話では、部屋に案内しようとしたときに急に態度を変えたとのことだった。気分が悪いというわりには、そんなことを感じさせないくらいにスタスタと歩いて退出したとのことなのだから、本当に具合が悪かったわけではなさそうだ。
何を考え、王宮を出て行ったのか。
直前にアニエスと少し会話をしたようだったが、フィオンの解毒が成功したことについての話をしていただけのようである。
「逃亡は、知らない場所へは不安があり行けないものです。今後は王都を中心に、ランデル子爵家の領地方面にも捜索を伸ばしていこうと考えています」
「そのように手配するように。それと、あまり体に無理をせぬようにな。お前はまだ病み上がりなのだから」
生死の境をさまようかのように意識を失ってまだ半月しかたっていない。
「はい。お気づかい、ありがとうございます。」
「ところで、フィオン。先ほど、マカリスター男爵から、一つ提案があった」
「提案ですか? 何でしょう」
急に話がかわり、フィオンは目を瞬いた。
「今回の事件、惚れ薬を盛った主犯の二人はまだ捕まっていないものの、事件のあらましは解明している」
「そうですね」
「男爵はこれを機に、一度領地に戻りたいと願い出ている。令嬢とともに、な」
「どういうことですか?」
フィオンは眉根をよせて、マカリスター男爵をみた。
王がうなずき発言を許すと、男爵は口をひらいた。
「バード公爵には、今回の件に関しましていろいろとご迷惑をおかけしました」
「とんでもありません。迷惑をかけたのはこちらでしょう」
「コレットは、領地に帰したいと思います。公爵におかれましては、コレットをあわれんでくださったことに感謝いたします。しかし、事件が解決に向かった今、これ以上の関わりはお互いを不幸にするだけとなりましょう。ここで静かに終わらせることが最良の策だと考えます。今までのことは、すべて薬のせい、それだけなのですから」
ここで終われば、コレットの立場は王家に協力していただけということですまされる。
噂の類も時間がたてば次第に落ち着いていくことだろう。
「コレットを領地に帰し、僕とのかかわりを断つということですか?」
「申し訳ございません。以前のお約束も聞かなかったことにいたします」
「男爵、僕は……」
フィオンが言いかけた時、突然応接室の扉がたたかれた。皆何事かとそちらを向く。
王家の執事が入室し、深く頭をさげた。
「どうしたのだ?」
まだ謁見の途中である。
フィオンは後から入室することが王に伝えられていたが、それ以外の用事ははいっていなかったはずだ。
「申し訳ございません。マカリスター男爵家から急ぎの使者がまいっております。陛下との話し合いの最中で大変失礼とは存じますが、一刻を争う事態と判断いたしましてご報告に参りました」
「我が家からですか?」
急な知らせに、男爵も顔をこわばらせた。
家を出るときには、そのような徴候はなかったというのに。
執事の後ろに控えている男に、自然と皆の視線が向いた。
着ているものは貴族の上級使用人らしく整っている男は、王の御前だというのに髪は乱れ、顔は青く、胸元で脱いだ帽子を握っている手がぶるぶると震えていた。そのただならぬ様子に、マカリスター男爵の顔もこわばってくる。
「発言を許可する。何があったというのだ?」
王に声をかけられ、使いの男の背がびくりと震える。王、王妃、そして王弟からの視線を受け、萎縮してしまったのか、視線を漂わせ口をパクパクとするだけで言葉にならない。
「チェスター。何があった?」
マカリスター男爵が見かねたように声をかける。
主人の言葉に、ようやく我をとりもどしチェスターが男爵に駆け寄った。
「旦那さま、大変でございます! お嬢さまが」
かすれた声でそう絞り出したチェスターの声。
そのあとに続く言葉は、まわりにははっきりと聞こえなかった。
近くにいたためその内容を聞きもらさなかったマカリスター男爵の顔から、さあっと血の気が引いていく。
「何があったのですか。マカリスター男爵」
ただならぬ様子に、フィオンも眉根をよせて問いかけた。コレットに何が起こっているというのか。
声をかけられ、男爵はフィオンと王をみるが、なんといっていいものか迷うように口ごもる。
「男爵におかれましては、一刻も早く屋敷に戻る必要がございます。何も言わないままでは陛下も納得いたしません」
何が起こっているのかを先に使者から聞いていたのであろう王家の執事は、マカリスター男爵に先を促した。だが、それは正論であり、何も言わずに退出することなどできない。
「当家において、問題が発生いたしまして」
ごくりと息を飲みこむ。
「娘が、何者かに連れ去られたと」
ガタンッ!
勢いよく立ち上がったために椅子が大きく音をたてた。椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がったフィオンは、マカリスター男爵のそばにしゃがみ込んでいたチェスターに近づき腕をつかむと、ぐいっと彼を立ち上がらせた。
「コレットが連れ去られたとはどういうことだ!」
「え、えっと、お出かけになられた際に、な、何者かに襲われたらしくて。その、付き添いの侍女が発見されて、それで、報告が……」
王弟殿下につめよられ、チェスターはしどろもどろになりながら何とか言葉を紡ぎだした。
「フィオン、落ち着きなさい」
「落ち着いてなど……っ! 申し訳ありません」
王の制止に、フィオンは大きく息を吐き出すとつかんでいたチェスターの腕をはなした。
「声を荒げてすまなかった。報告を続けてくれ」
「は、はい」
フィオンに謝罪され、チェスターは恐縮しながら言葉を続けた。
マカリスター男爵家令嬢コレット。
本日の彼女の予定は、友人でもあるコールフィールド伯爵家の令嬢に会うことだった。友人宅を訪れるため侍女とともに外出した際に、何者かに襲われたというのだ。
コレットの到着が遅いことを受けて、それに疑問をもったコールフィールド伯爵家側からの連絡により捜索したところ、コレットの付き添いをした侍女が発見された。ようやく意識を取り戻した彼女の証言により、コレットが何ものかに連れ去られたことが判明したのである。
「兄上、申し訳ありませんが、ご前失礼させていただきます」
どこへ行くのかは、訊かなくてもわかる。
今にも飛び出しそうな勢いの弟に、王は小さく息を吐いた。いさめるように口を開く。
「フィオン。焦っていては見えるものも見えなくなる」
「……はい」
「まだ誰が潜んでいるやもしれぬ。必ず供のものを連れて行くように。捜索のための兵もすぐに向かわせよう」
はっとして、顔をあげると、王はしっかりと頷いた。
「ありがとうございます」
一礼し、フィオンは踵を返した。
そのまま部屋を出ようとして、あることに気が付いたように足をとめマカリスター男爵に振り返る。
「マカリスター男爵、あなたと約束したときと僕の気持ちは変わっていません。それだけは覚えておいてください」
男爵の目が大きく見開かれた。
それは……。
目の前で部屋を出ていくフィオンを、男爵は動けないまま見送る。そんな主人の袖を、チェスターが小さく引いた。急いで戻るようにいわれていたが、これからどうすればいいのだろうか。
それにはっとすると、マカリスター男爵は王と王妃に向かい急いで頭をさげる。
「陛下、大変恐縮ではございますが」
「うむ、退出を許可する。早く戻り、現状の把握に努めるように。王家も全面的な協力を約束しよう」
「ありがとうございます」
そう頭を下げると、マカリスター男爵はフィオンを追いかけるように足早にその場を後にした。
応接室の中、王は家臣にコレット捜索のための指示をだしながら立ち上がった。兵の手配に、検問の強化。情報の伝達は一刻を争う。
行動を起こしながら話を進めた方が早い。応接室を後にしようとして、王は王妃に振り返った。
「王妃も急な知らせで驚いただろう。そなたはコレットを気に入っていたようだったからな」
「ええ」
王妃は立ち上がると、王の方に向き直った。
「何かわかれば知らせよう。必ず助け出すから、心配しないで待っていなさい」
「ありがとうございます、陛下」
王妃は頭をさげると、出ていく王の後ろ姿を静かに見送った。