44.命令
「見つかった? どこで?」
上着のカフスボタンをとめていたフィオンは、ロイドの報告に手を止めて振り返った。
「スティルス湖の支流のかなり下流の方です。思ったより流されていたようです」
「状態は?」
「はい。それが……」
ロイドは口を濁す。
「何か問題でも?」
「彼の肩口には銃で撃たれた痕が残っていました」
あの夜、フィオンと対峙したときのカイサルがおっていたのはナイフで刺されたような痕のみだった。
銃痕があるとすれば、その後に受けたことになる。
それを受けたのは、クリプトンホテルから出る前か、出た後か……。
「カイサルが見つかったことは、他に誰が知っている?」
「当家の管理下で発見しましたので、まだ他に報告はいたしておりません。フィオンさまにご報告の後にと思いましたので」
「そうか」
フィオンはしばし考えると、机にむかいペンをはしらせた。
書いたものを封筒にいれ、印を押す。
「これをクリプトンホテルの支配人に。カイサルが見つかったことは口外せずに、この手紙を渡してくれ」
「これは?」
「カイサルの捜索の進行具合を確認する手紙だよ」
「ですが、カイサルは……」
先ほど見つかったと報告したばかりである。
「カイサルの状況は世間には知らせない。もちろん、クリプトンホテルの支配人にもね。彼らが知った時点で、それは相手方にも情報が流れたと思っていい」
他の人間が知れば、カイサルの後ろに潜む人間にも必ずそれが知られることになる。
それまでに、こちらでできる対策はしておかなくてはならない。
「わかりました。お預かりいたします」
ロイドは、フィオンから手紙を受け取った。
「返事はどうされますか?」
「とりあえず、現状どこまでわかっているのかを知らせるように言ってその返事をもらってきてくれ。僕はこれからでかけるけど、夜には戻る予定だから」
そう言うと、フィオンはイスから立ち上がる。
「お供せずに大丈夫ですか?」
「ああ。王宮に行くだけだから問題ないよ。兄上に呼び出されてね」
多分今回のクリプトンホテルでの一件についてだろうとフィオンは続けた。
王妃もいた場所での事件である。
王に直接報告しないわけにもいかない。
「じゃあ、頼んだよ」
ひらりと軽く手を上げると、フィオンは部屋を出るためにロイドに背を向けた。
「監獄の関係者だったらしいな」
フィオンを謁見室に呼び出すと、重い沈黙の後に王はそう切り出した。
人払いをしてあるため、部屋の出入り口付近には警備のものが待機しているが、部屋の中にいるのは王とフィオンの二人だけ。そのため、決して大声ではなかった王の言葉は、それでもはっきりとフィオンの耳に届いた。
その内容が、クリプトンホテルでの事件のことを指しているのは聞くまでもない。
「はい。現在はすでに監獄の仕事は辞していましたが、薬の事件の際には監獄で働いていたようです」
上段に腰をおろし自分を見下ろしている王に、フィオンはそう答えた。
その事実からでも、カイサルが惚れ薬事件の犯人の脱獄に関与し、それと今回の事件とが無関係ではないことを示している。
言わずとも、王もフィオンもその事実に気がついていた。
「現在、捜索も進めているところですが」
「フィオン」
その言葉を王がさえぎる。
まっすぐにフィオンを見据えて、王はゆっくりと言葉をつむいだ。
「もちろん、犯人を捕まえること、その後ろに潜むものを見つけ出すことも急務であり、必要なことだ。だが、マカリスター家の娘にまで直接被害がでた以上、私もただ見ているわけにも行かない。それは、わかるな」
「はい」
「貴族たちの中にも、惚れ薬という禁薬が使われたことに対し、この状況に異を唱えるものも少なくない」
王のもとには、この状況の打破を求める陳情書も少なくなくあげられている。
「フィオン、解毒薬を飲め」
耳に届いた王の言葉に、フィオンの瞳が大きく開いた。
王家として解毒をするための研究をしている。それは分かっていても、王が自分に対し直接それを口にしたのははじめてである。
「兄上、それは」
「お前の一存だけで、本来なら何の関係もなかった彼女を危険な目にあわせている。その自覚をもて」
フィオンに惚れ薬が盛られたことにより、今回の事件に巻き込まれる形となってしまったコレット。
本来ならコレットにはまったく関係のなかった事件である。
いや、薬の効果によって関わることになってしまったとしても、フィオンが近づかなければこれだけ危険な目にあうことなどなかっただろう。
すべてはフィオンがコレットとの距離を近づけたため。
兄である王の言葉に、フィオンはぎゅっとこぶしを握り締めた。
眉根を寄せながら、それでも自分の言葉にうなずかないフィオンに対し、王は言葉を続ける。
「マカリスター嬢コレットは、この件について了承した」
「……えっ?」
自分の聞いた言葉が信じられず、フィオンは顔を上げた。
「コレットが、僕が解毒薬を飲むことを、ですか?」
「そうだ」
「いつですか」
「今日、先ほど私から説明した」
その言葉に、フィオンは唇をかみ締める。
フィオンが解毒薬を服用する必要性を王自らが説明したとなれば、コレットが異を唱えることなどできるはずがない。
貴族の令嬢であるコレットに、王の言葉は絶対である。
そうわかってはいても、フィオンの心にずきりと痛みが走る。
しかし、自分のわがままがコレットを危険な目に合わせているという自覚もあるからこそ、それ以上フィオンには何も言えなかった。
「フィオン。このままでは、いくら犯人が見つかったとしても事件がすべて解決したということにはならない。お前が解毒薬を飲まない限り、お前も彼女もずっとその呪縛から逃れることなどできないのだぞ」
「……」
「フィオンっ!」
「もし……、僕が解毒薬を服用したのなら」
つぶやくように、静かにフィオンが口を開いた。
「これ以上、犯人以外の件で惚れ薬については触れないでいただけるのでしょうか」
解毒薬を飲んだとして、それでも今後自分がどんな決定をしても薬の影響を疑われるのではなんの意味もない。
「もちろん、そのための解毒だ」
「それは、兄上も含めてと思ってよろしいですか?」
「どういうことだ?」
「もし、僕が解毒薬を飲んでもコレットと一緒にいたいと望んだのなら、兄上はそれを認めてくださいますか」
フィオンの訴えに、王は困ったようにため息をついた。
「フィオン」
「解毒薬を飲んだのなら、その後どのような判断をしてもそれを認めてくださいますか。その後も薬の影響を疑われ、何度も解毒を迫られるのなら何の意味もない」
自分のこれからの判断が、結局はすべて薬のせいにされてしまう。
いくら解毒薬を飲んでも、そこがはっきりしなければまったく意味のないものになるとフィオンは語気を強めた。
「マカリスター嬢の今後を憂える気持ちもわからなくはない。だが、それは王家として対処していく問題だ。お前が背負う必要はない」
このような事件に巻き込まれてしまって、コレットの今後に影響がないとは考えられない。
だが、王妃のおぼえもめでたく、さらに王の後援もあるとなれば、コレットに他の縁談を見つけることは難しいことではない。
「兄上。僕はそのようなことを話しているのではありません。僕がもし解毒薬を服用した後にそう申し上げたとき、兄上は惚れ薬の影響のある戯言としてではなく、王弟として、バード公爵としての意見であるとそう受け取ってくださるのかどうかを確認しているのです」
フィオンの真剣な瞳が、王をまっすぐに見つめる。
「わかった。お前が解毒薬を服用し、自分の立場をふまえた上で判断したことなら私は認めよう。もちろん、他の貴族、いや、いかなるものであろうとも、解毒薬を服用した後にその件を持ち出すことを禁じる。それでよいな」
一度ゆっくりと目を閉じると、フィオンは苦しそうに息を吐いた。
「……わかりました。仰せに従います」
王は安堵の表情を浮かべながら、うなずいた。
椅子から立ち上がり、しっかりとフィオンを見据える。
「王の名のもとに、バード公爵フィオン・アルファードに命ずる。惚れ薬に対する解毒薬を服用せよ」
パトリックの言葉を受け取り、フィオンはゆっくりと肩膝をつき頭をたれた。
「御意のままに」