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薬の罠に気をつけて  作者: 宮野りう
「薬の罠に気をつけて」本編
43/71

43.吐露

 遠くの山から顔を出した太陽が、白くかすむ世界に光をはいた。

 朝日に照らされ朝露を含んだ葉をきらきらと輝かせる木々の間から、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。

 湖面を隠すように覆っていたわずかに残っていた霧も、太陽の光を浴びて少しずつその姿を消していく。

 スティルス湖畔では、いつものように夏の一日が始まろうとしていた。


 柵に手をかけ、崖の下をのぞくように見ていたフィオンは、ゆっくりと顔をあげた。

「血痕はここで途絶えています。その状態から、昨夜怪我をした犯人のものと考えてまず間違いないでしょう」

 後ろに控えながら報告をするホテルの支配人を、フィオンはちらりと一瞥した。

 スティルス湖畔地域は山の中腹ちゅうふくにある避暑地である。

 昼と夜の寒暖差のために霧がうまれ、山に阻まれ姿をあらわすのが遅くなった太陽がやっと顔を出したばかりの今は、対岸はかすみがかったようにうっすらと白く見えた。

「明るくなってきましたので、さらに捜索の範囲も広げさせます。必ずや殿下のもとに朗報をお届けできるはずです」

「ということは、まだ見つかってはいないんだね」

「は、はい。申し訳ありません」

 もう一度、フィオンは崖下を見下ろした。

 再び視線を落とした湖の上は、朝日を浴びて波をきらきらと輝かせ始めている。

 あの怪我でこの崖を無事降りることができるか、疑問が残るところである。遺体となってみつかるか、それとも……。

「あの状態で一人逃げることは困難でしょう。あたりに聞き込みも開始いたします。水流にのって下流に流されたということもふまえまして捜索していますので、もうしばらくのご猶予を」

「わかった。引き続き捜索を続けるように」

 フィオンの言葉に、支配人は深く頭を下げた。


 支配人が慌しくホテル内に戻っていったのを確認し、フィオンは部屋へと戻るために歩き出した。

「それで?」

 後ろをついてくるロイドに話しかける。

「昨日の男の身元が分かりました。以前監獄の雑用をしていたカイサルという男です」

「彼が、か」

 大方の特徴から予測はしていた答えに、フィオンは頭の中で夕べの男の顔を思い出した。

 思い出すだけで、コレットに怪我を負わせたことへの怒りがよみがえってくる。

 自分の銃に何発弾が仕込まれていて、どれだけを撃ったのか。銃を扱いなれているものであれば把握できるはずのことを、彼は把握していなかった。

 自分が使用していた銃を向けられ、フィオンが引き金を引いたときの反応から、あの銃は彼の持ち物ではないことはあきらかだ。もとより、盗みでも働かなければ、銃など監獄の雑用程度のものが所持できる代物ではない。

 惚れ薬の犯人が捕らえられていた監獄で働き、その後姿を消した男。彼がこの場でコレットを狙ったのは、必ずその背後に誰かがいることを示唆している。

「それにしても、そんな怪我をしているとは思えなかったけどね」

 フィオンと対峙した際には腕を押さえていたが、血の滴る腕はどう考えても直前に追った傷である。走って逃げた姿からも、コレットをその手で拘束したであろうことからも、仕事ができなくなるほどの怪我を負ったとは考えにくかった。


 パタリと部屋のドアが閉まる。

「それで、もう一人の方は?」

「はい。昨夜は、令嬢を伴い一度部屋に戻られましたが、その後すぐに外出されています」

 主語を言わないそれは、しかし、フィオンとロイドの中では誰のことを言っているのかすぐにわかった。

「友人の所にホテルの様子を確認しに行った、とのことですが、途中で姿を消した時間があったようです。ホテルの自室に戻られたのは夜もかなりふけたころでした」

 犯人が姿を消した時間に、同じように姿を消した時間がある。

 それは偶然なのか、それとも……。

「引き続き、彼の行動を確認してくれ。それと、もう一人。先日会った、監獄のルッツ、彼の動きも確認して欲しい」

「かしこまりました」

 鍵となる人物であるカイサル。

 その周辺にいる人物を再度確認していく必要がある。その裏に、必ずこの事件に関わる人物が隠れている。

 惚れ薬を自分にもったものと、彼に命令し、コレットに直接危害を加えようとした人物が……。








「思っていたより、早くもどっていらっしゃったのね」

 カップをソーサーの上に戻しながら、エリサは口を開いた。

 クリプトンホテルでの事件の後王家の別荘に戻ったコレットは、怪我の療養のためにしばらくそこに滞在していた。その後予定を切り上げて王都に戻ってきたのは、つい三日ほど前だ。 

 それを知ったエリサに誘われ、今日はコールフィールド伯爵の町屋敷タウンハウスに招かれ二人でお茶の時間を過ごしていた。

「それで?」

 急に問われて、コレットは小首を傾げる。

 それでと言われても、なんのことだかわからない。

「別荘では、何か進展はありまして?」

「進展ですか?」

「そう、きちんと白状なさい。王妃さまのはからいで王家の別荘にいったのに、フィオンさまと何もなかったなんてことは聞きませんわよ」

 言われたことの意味に、コレットの頬が赤く染まった。

 コルセットもつけず、上掛けすら着ていない夜着のままフィオンの腕に抱きすくめられたことを思い出し、いたたまれずに顔を隠すように両手で頬を覆う。


 恥ずかしかった。

 消えてしまいたいぐらい恥ずかしかったのに、抱きしめられた腕の強さや、そのぬくもりがいつもよりももっと近くに感じられて、忘れることができない。

 思い出すたびに、恥ずかしくて、でも愛しくて、そして側にいられないことが寂しくなる。

 そしてなにより、あの日から思い出すたびにそんなことを考えてしまう自分が一番恥ずかしくて、どうしていいのかわからない。


 そんなコレットの様子を見て、エリサは大きくため息をついた。

 フィオンとの間に何かがあったのは間違いない。

 それがどんなことだったかはわからないが、それがコレットにとって大きな意味を持つことだけは彼女の表情から読み取ることができる。

 一人何かを思い出し表情を変えるコレットの腕を、エリサはそっととった。

 急に手をとられ、驚いてコレットはエリサを見る。

「この怪我も、フィオンさまが関係されてますのよね?」

 長めのゆったりとした袖に隠されてはいるが、コレットの腕にはまだ皮下出血の痕が残っている。

 包帯をした方が余計にめだってしまうこともあり、外出の際には肘の部分以外には包帯はしていなかった。そのため少し袖を上げれば、まだ治りきらない痕がちらりと顔をのぞかせる。

「こ、これは、私の不注意が原因で……」

「そうだったとしても、そうせざるを得ない状況があったのはあなたのせいではないでしょう?」

 その場にいなかったエリサでも、状況はたやすく想像することができる。

 フィオンと離れたときが、嫉妬渦巻く女性たちにとってコレットを攻撃できる絶好のチャンスである。

「でも、本当に悪いのは私なんです。フィオンさまはすぐに助けに来てくださいましたし」

 必死にフィオンを弁護するコレットに、エリサはにっこりと微笑んだ。

 しっかりとコレットの手を両手で握る。

「コレット」

「はい」

「自分の気持ちには、気付いていらして?」

「え?」

「もう、わかってはいらっしゃるのでしょう」

 エリサの問いに答えることができなくて、コレットは息を飲んだ。

 是とも否とも言わないコレットを、エリサの青い瞳がまっすぐに見つめ返す。

「わたくしにまで、気持ちを隠す必要なんてありませんのよ」

 驚いてコレットは大きく目を見開く。

 エリサに促されるようにして、コレットの唇が動いた。

「私は……」

 一度息を飲むと、ゆっくりと言葉をつむぐ。

「フィオンさまが……好きです」

 今まで口にすることが出来なかった言葉がこぼれた。

 口にしてしまうと、コレットの肩からすとんと力が落ちたような気がした。そして、それと同時に抑えていた気持ちが溢れてしまうように愛しさがこみ上げてくる。

「でも、好きになっては駄目だって……思って」

 自分で口にした言葉が、コレットの心を激しくえぐる。

 好きになっては駄目だと、ずっと言い聞かせてきた。薬のことも、身分のことも、まわりの状況のことも、そんなのどうしたって耳に入ってくる。

 そんな状況で、どうしてフィオンのことが好きだなんていえるのだろう。

「どうしていいのか、わからなくて……」

 好きと言うことが出来なくて、それでも自分の気持ちをなかったことにはもう出来なくて。

「その気持ちは、フィオンさまには言いまして?」

 ふるふるとコレットは首を力なく横に振った。

 そんなこと言えるわけがない。

「どうして言いませんの?」

「言うことなんてできません」

 思うことは自由でも、それを相手に伝えた時点で自分だけの問題ではなくなってくる。

「迷惑に、なりたくないんです」

 フィオンに、いつかその気持ちが迷惑になってしまうときがくるような気がして。

 コレットの答えに、エリサはおかしそうに笑い声をあげた。

「前にも言いましたわよね。好きになられて困るのなら、最初からあなたを口説いたりはしないでしょうって」

「でも……」

 それは惚れ薬を飲んだから。

 その言葉のすべてが薬のせいだなんて思っていない。けれど、薬の影響がまったくないわけではないことは、コレットもよく分かっている。

「コレット、あなたが一人で悩むことなんてありません。その悩みも不安も、フィオンさまに一緒に背負っていただけばいいのです」

 それだけの覚悟がなければ、この状況でコレットを好きだと言えるわけがない。

「もしそこで逃げ出すようなら、それだけの人だったということです。あなたが好きになる価値なんてない。でもそうではないことは、コレット、あなたはよくわかっていますわよね」

 コレットの目はエリサを見つめていた。しかしその目に映っているのは、エリサの言葉によって思い出される彼の人の姿。


 よく、わかっている。

 彼の言葉は、軽く言っているようでもその気持ちに嘘なんてなかった。それが例え薬の影響だったとしても。

 コレットを見つめるまっすぐな瞳も、自分に触れてくるその手の優しさも、その中には迷いも嘘もなく自分を求めてくれていた。

 フィオンに、言ってもいいだろうか。

 この気持ちを。

 素直にこの気持ちを伝えることは、自分に許されることなのだろうか。

「あなたは考えすぎですのよ」

「それは……、いろいろ考えます」

 コレットは困ったように眉根を寄せた。

「とりあえず、もう考えるのはおやめなさい。考えるのは、自分の思いをちゃんと口にしてから、それから二人で考えればいいことでしょう」

「……どうして、エリサは私とフィオンさまのことを応援してくださるの?」

 不思議そうに自分を見るコレットに、エリサはにっこりと微笑んだ。

「だって、あなたがフィオンさまを好きだと思っているのがわかってしまったんですもの。仕方ないですわよね」

 肩をすくめたエリサに、コレットは少しだけ表情を緩めた。




 馬車の中で揺られながら、コレットはエリサの言葉を頭の中で繰り返した。

 少しだけなら、わがままを言ってもいいだろうか。

(思いを口にすることだけなら、許していただけますか?)

 誰に許しを請うているのかも分からず、コレットは心のなかでそうつぶやいた。


 馬車の扉が開けられて、コレットははっと顔をあげた。

 考え事をしていて、家に到着したことすら気がつかなかった。 

 御者に手をかりて馬車を降りたところで、玄関の扉がバタンと大きく開かれる。

「お帰りなさいませ、お嬢さま」

「た、ただいま。どうしたの? ノーラ」

 飛び出さんばかりの勢いで急に出てきたメイドの少女に、コレットは驚く。

「急いで旦那さまのところでおいでくださいませ。急な御用がおありとのことで」

 促されるままに、コレットは玄関に入った。

 家の中に入れば、他の使用人たちもなにやら外出の準備などをしていて騒然としている気がする。

「何かあったの?」

 ノーラが答える前に、玄関ホールの階段の上から声がかかる。

「コレット、戻ったのね。よかったわ。今、伯爵家に使いをだそうと思っていたところだったのよ」

「お母さま。ただいま戻りました。どうかなさったんですか?」

「急いで仕度なさい。使いの方がいらっしゃって、お父さまとあなたに至急王宮に上がるようにとのことなの」

「今からですか?」

 慌てる母親とは反対に、急に呼ばれたことの意味もわからずコレットはきょとんと目を瞬いた。




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