34.進言
「そうか……」
王の執務室、監獄への視察についての報告を聞き終わると、王はそうつぶやいた。
「後日、報告書の再提出がされると思います。しかし、あれでは前回とあまりかわりばえがするとは思えません」
監獄での視察時の様子を思い出しながら、フィオンはいいながら眉根を寄せた。
確かに以前提出された報告書にあるとおり、監獄の守りは厳重だった。
つまりそれは、初めてそこに入れられた人物が抜け出すことは難しく、またまったくそこの知識のない人間が入り込み犯人を脱出させることも難しいことを示している。
そうなると、導き出される答えは一つ。
同じことに思い当たり、王はため息をついた。
「犯人が逃げた早さから考えて、外部からの進入というより……」
「内部にいた可能性が高いですね」
王が言いよどんだ言葉をフィオンが引き継いだ。
犯人の脱獄の早さから考えて、外部のものが脱獄を働きかけたというより、監獄にいた誰かが彼女を脱獄させたと考えるべきだろう。
監獄関係者達を、一から洗いなおす必要があるようだ。まず上げられるのは、事件後しばらくして監獄の仕事から外れた人物である。
「あの男の件は、こちらの方で調べておきます。王家としてよりも、公爵家としての方が動きやすいですから」
「フィオン、少しは休め。お前は薬を盛られた立場なのだぞ」
「兄上、僕の体調は問題ないと何度も申し上げたはずですが」
肩をすくめ、フィオンは笑った。
そんなフィオンの態度に、王はやれやれとため息をつく。
こちらが心配しても、本人が全く平気な顔をしているのだから困ったものである。
「それで別荘には、いつ行くのだ?」
報告の話は終わったと、王は椅子にもたれかかると話題を変えた。
スティルス湖畔の王家の別荘に、現在王妃が滞在中である。
「今日、一度公爵邸に戻ってから行くつもりです」
「そうか。少し、そこで静養してくるといい。マカリスター家の令嬢も伴っているようだしな」
薬が盛られた後も、王族としての仕事に、バード公爵としての仕事、はては今回の事件のことと忙しくすごしてきた。ここで少し息を抜くことも悪くない。
フィオンの休養のためにも必要だと、王妃が提案した別荘での避暑。その必要性を認めて、王としても許可をだしたのだが、コレットを連れて行くと言い出した王妃のあの嬉々とした表情を思い出せば、王妃がフィオンとコレットの中を進展させようとしているのは明らかだった。
しかし、コレットが王都に残っていれば、フィオンは別荘に避暑になど行かないといわれれば、許可を出さないわけにはいかない。
「兄上は、コレットのことが気に入りませんか?」
渋るような兄の表情に、フィオンは問いかける。
「まったく。お前とディアナは同じようなことを言ってくるな」
血筋的にはいとこにあたる二人は、外見だけでなく考え方まで似ているとあきれたように王は笑う。
「別段、マカリスター家の娘がどうのというわけではない。お前が選んだ女性であれば、私は受け入れる用意はある。だが……」
コレット自身が事件に関与しているわけではないことはわかっている。王族と男爵家令嬢という身分のことをいうつもりもない。しかし、王として、事件と関連しているものを何もなかったように受け入れるわけにはいかない。
国の秩序を保つためにも、惚れ薬の件を簡単に受け入れることはできないのだ。今これを容認してしまえば、薬による犯行が蔓延することにもなりかねない。犯人が捕まっていない状況では、なおさらである。
「兄上、これはすべて僕のわがままです」
「フィオン」
「なんとか押し切られてやってください」
眉根を寄せながら自分を見る王に対して、フィオンはまったく意に介し無いようににっこりと微笑み返し、立ち上がった。
「では、兄上。僕はこれで失礼します」
滑らかな動きで優雅に一礼すると、フィオンは退出を許すためにうなずいた王を残しその場を後にした。
王への謁見を済ませ部屋から出ると、フィオンは大きく息を吐いた。
兄の言いたいことはよく分かっている。コレットに何の問題もないとしても、彼女を受け入れることは、国内に波紋を投げかけることになるのは確かだ。
しかし、そんな事態などフィオンにとってはたいした問題ではない。
フィオンが誰を選んだとして、何かしらの変化が国内に現れる。それならば、その相手はコレットがいいと思う。他の誰でもない、彼女にそばにいて欲しい。
歩きながら考え事をしていたフィオンが、ふと視線を上げた。
王の執務室へと向かう廊下。そこを王家の従者に案内されてくる人物が目に留まる。相手もフィオンに気がついたらしく、フィオンのそばに足早に近付くとうやうやしく頭を下げた。
「これは殿下。お体の方はその後いかがですかな?」
「オースティン公爵、ご心配ありがとうございます。体の方はこの通り何の問題もありません。ところで、今日は王宮へどうなされたのですか?」
「国王陛下に言上さし上げることがございましてね」
そういうと、少し含みをもったようにフィオンを見る。あえてそれに気がつかないふりをすると、フィオンはにこりと微笑んだ。
「そうですか、ご苦労さまです」
「いえ、国のことを思い、国家のために力を尽くすのは貴族として当然のことです」
「ありがとうございます。王である兄に代わって、礼をいいます」
フィオンの言葉に、オースティン公爵の顔の表情がすっと変わった。
「殿下、そろそろ遊びも終わりにされた方がいいのでは」
まっすぐにフィオンを見ている深い緑色の瞳。かすかに白いものの混じった髪の奥にある眼光の中には、強い力が宿っている。他人を威圧するだけの力をもった眼差しを正面からしっかりと受け止めながら、フィオンは口調をかえることなく問い返した。
「遊び、ですか?」
「解毒薬を服用されなかったとか」
「どこでそのことを?」
「情報を完全に閉ざしてしまうことは難しい。それが国内の大事であればなおのことです」
「……」
惚れ薬の噂が国内中に広まっている現在、皆がそれに関心のある今、すべての情報を完全に隠しておくことは難しいのは確かである。
「殿下のお体は、殿下お一人のものではありません。殿下を大切に思っているもの、いえ、延いては国家としての大事なのですから、遊びはほどほどにされた方がいい」
「僕は遊んでいるつもりはありませんよ」
惚れ薬のせいであったとしても、今回の件、決して一時の遊びで終わらせるつもりなど毛頭ない。
「私の娘は、殿下のお気に召しませんでしたか?」
オースティン公爵家の令嬢、アニエス・オースティン。
このような事件が起こる前、誰もが認めていたフィオンの婚約者候補である。
「アニエス嬢は素敵な女性ですよ。僕にはもったいないくらいに」
「あれは、よき妻になりましょう。殿下のお立場も、公爵家の立場もよく存じています」
アニエスならば、確かに公爵家令嬢として上流貴族の立場もよく理解している。
王弟妃として、公爵夫人として社交界でも申し分のない働きができることだろうが。
「人にはそれぞれ、定められた立場というものがあります。王弟殿下として、この国を担われる方としてのお立場をお考えください」
その言葉に、ふっとフィオンは口元を緩めた。
この国の行く末など、考えなかったときがあったのだろうか。
「僕は僕なりに、この国のことを思っているつもりです」
自分の立場と、国家の安寧を。
「これ以上あなたをお引止めして、兄上をお待たせするわけには行きません。それでは、僕はここで失礼します」
フィオンの言葉に、オースティン公爵は静かに頭をたれた。
フィオンが背を向けて歩き出すと、顔をあげてその後姿をじっと見つめる。
その場を去っていくフィオンの背中を見つめながら、オースティン公爵はつぶやいた。
「ゆがめられた事実は、正さなければならない」
バード公爵邸に戻ったフィオンは、着ていた上着を脱いでロイドに渡すと、ソファに腰をおろして大きく息を吐いた。
「少し休まれますか?」
上着を受け取ったロイドは、ソファにもたれかかり目を閉じているフィオンに尋ねた。
普段疲れなど周りに感じさせることなどないフィオンであるが、ここしばらく忙しい日が続いている。疲労が残っているであろうことは容易に想像がつく。
「いや、着替えたらすぐに出かけるよ。仕度をしてくれ」
とりあえず、現在まで王都でするべき仕事は終わった。
これから数日は、義姉である王妃の提案でスティルス湖畔の別荘ですごすことになっている。そこにはすでにコレットも行っている。ここでじっとしているくらいなら、少しでも彼女と一緒にいたい。
フィオンの返事に、ロイドは頭を下げると着替えを用意するために一度部屋を後にする。
ロイドが着替えを持って戻ると、フィオンは着替えるためにソファから立ち上がった。そのとたん、ぐらりと傾いだ主人の姿に、ロイドは支えるために慌てて近付く。
ロイドが手をかす前に、フィオンはソファの背もたれをつかみ体を支えた。
「フィオンさま、本当に大丈夫ですか? やはり少し休まれた方が」
「大丈夫だよ。それより監獄の男の件だけれど」
着替えるためにタイをゆるめ、ロイドから着替えを受け取りながらフィオンは口を開いた。
大丈夫だというものを、これ以上強行に止めることもできず、ロイドはフィオンが脱いだものを受け取る。
「はい、カイサルという男について、すでに調べるよう手配をしてあります」
「それともう一つ。監獄の周辺の地理を確認しておいてくれ」
「周辺ですか?」
建物の内部とその周辺は視察時に確認している。
「もっと範囲を広げて。通常の地図に載っていない場所などはないかを確認しておいて欲しい」
「かしこまりました」
後ろから上着を着ることを手伝うと、ロイドはしっかりとうなずいた。
ほとんど着替えも終わったころ、入り口の扉がノックされ、執事のクレマンが入室してきた。
「旦那さま、ご注文の品が届いております」
そういうと、トレイにのった小さな箱をテーブルの上に置く。
「ああ、ありがとう」
最後、手袋をはめるとフィオンはクレマンが持ってきた箱を手に取った。
その箱を開けて出てきたのは、手のひらにおさまるほどの大きさの真っ黒な粉が入った瓶である。
着替えたものをたたんでいたロイドは、フィオンが手にしたものを見て首をかしげた。
「それは何ですか?」
何か今回の事件に関わるようなものなのだろうかというロイドの問いに、フィオンは少し口元をゆるめながら答えた。
「うん? まあ、一応対策はしておかないとね」
「はあ」
フィオンのいいたい意味が分からず、ロイドは首をかしげた。
どうやら犯人の手がかりとなるようなものではないようだが……。
わけが分からないといったロイドをみてクスリと笑うと、フィオンは小瓶を上着の内ポケットへとしまい込んだ。