3.出会い
ルノワール伯爵夫人への挨拶を終えたコレットは、庭園の明かりのなかによく見知った顔を見つけて頬をゆるめた。
伯爵夫人は、現王妃の父方の叔母にあたる人物だが、貴族の令嬢のレディ教育に熱心な人物ということもあり今日のパーティーには妙齢の女性が多く集まっている。伯爵夫人が自分が教育した女性たちをお披露目するために開いた夜会なので、そんなに堅苦しくないパーティーではあるが、そこは王妃の叔母である。パーティーの参加者の面々には、かなり身分の高い人物も少なくない。
マカリスター男爵家の娘であるコレットは、三年前に子爵家へとお嫁に行った姉のつてで、ルノワール伯爵夫人のレディ教育に通わせてもらったことにより、今回の夜会への招待をうけていた。
ルノワール伯爵夫人との面識はあるが、来客には知り合いが少ない。豊かな土地ではあるが、地方の小領主であるマカリスター男爵家と強いつながりを必要とする貴族は決して多くはないのだ。
見知らぬ人のなかで心細い思いのなか、見知った顔を見つけてほっと息を吐く。思っていたよりも緊張していたらしい。
コレットの視線に気がついた相手、エリサ・コールフィールドはあでやかな笑みを浮かべ振り返った。
「お久しぶりね。最近パーティーでも見かけなかったけれど、どうかなさったの?」
二人で給仕から飲み物を受け取ると、エリサが口を開いた。
「……」
「婚約の準備で忙しかったのかしら?それなら、わたくしには経過を報告していただきたかったわ」
コールフィールド伯爵家のお嬢様らしく、すこしつんとした口調でエリサはコレットに言葉をかける。それでも、エリサがコレットを親友として扱っているせいか、見下した感じはない。
「実は……」
コレットが口を開きかけたのと同時に、近くで歓声が上がった。庭園のなか、綺麗に手入れをされた木や花のアーチなどによってさえぎられ、どこから歓声が聞こえたのかはわからない。
「なにかあったのかしら」
「ああ、今日はバード公爵がいらっしゃってるから」
「バード公爵さま……ですか?」
エリサの言葉に、コレットは小首をかしげた。
バード公爵といえば、前王の王妃の父親にあたる。かなりの年齢になっていたと思うが、こんな若い人の多いパーティーに参加するのだろうか。でも、ルノワール伯爵夫人の兄、現王妃の父親はバード公爵家の姫君を妻にとられたのだから、親族として出席してもおかしくないか。
「違うわ。バード公爵は代をかわられたの。現在公爵位はフィオンさま」
「フィオンさまって……」
「そう、王弟フィオン・アルファードさま」
王弟フィオン・アルファード。
前王とバード公爵家の姫との間に生まれた王子であり、現王とは腹違いの兄弟にあたる。
前バード公爵には姫が二人。一人は前王の後妻となりフィオン王子が生まれる。もう一人の姫は侯爵家へと嫁ぎ、その子供が現王パトリック・アルファード、フィオンの兄の妻である。
実質跡継ぎがいなくなったバード公爵が、王妃となった娘の子供、フィオン・アルファードに正式に公爵位を譲り渡したのは去年のことだった。
そういえば、父親であるマカリスター男爵がそんなことを話していたような気がするとコレットは思い出す。
「結構噂になってましたのよ?フィオンさまは、独身男性のなかで一番の注目株ですもの。以前からみんなのうわさの的でしたし。まぁ、婚約者のいるコレットはあまり興味なかったでしょうけれど……」
話していて、エリサはコレットの様子が少しおかしいことに気がついた。
何かいつもと違う。
「少し、歩きましょうか。まだ時間もあることですし」
近くのテーブルに持っていた飲み物を置き、エリサはコレットを庭園の奥へとうながした。
薔薇のアーチを抜けると、あたりの人も少しまばらになった。その先にある東屋に腰を下ろす。まだ日が落ちるまでにはしばらくの時間があり、庭園の景色がよく見えた。
「なにかありましたの?」
「え?」
「わたくしにわからないと思いまして?」
エリサの問いに、コレットは困ったような笑みを返す。
「実は……、婚約の話はなくなったんです」
「は?」
「……」
自分の耳が信じられないといったように、エリサはその青い瞳でコレットをまじまじと見つめた。コレットが嘘をいっているとは思えないが、それにしても。
エリサとコレットは、ルノワール伯爵夫人のレディ教育の時に仲良くなった。もともと貴族の娘である二人は、お互いの存在は知っていたものの特に話す接点がなかったのだ。
エリサは社交界にデビューする前にと両親であるコールフィールド伯爵夫妻に進められたのだが、コレットは確か婚約前の花嫁修業の一環だったはずだ。
婚約者が王立学校に行っていると言っていたが、卒業を迎えたら婚約するのだと言っていたのに。
エリサの反応に、コレットは悲しそうに瞳を伏せた。
婚約。それは正式にしていたものではなかった。
婚約者であるアッカーソン男爵第二子息であるキースが王立学校を卒業後正式に発表するということで、両家の間で二人が幼いころから口約束となっていたことだ。
今年の春に、キースは王立学校を卒業。
春から初夏にかけて、王都では社交シーズン真盛りとなる。その際に王に許可を受け、正式に婚約を発表する予定となっていたのだ。
しかしよりにもよって、婚約相手のキースに子供が出来たというのだ。
相手については詳しくはわからない。父親もかなり腹を立てていて、詳しくは話さなかった。もし話していたとしても、混乱したコレットの耳にちゃんととどいていたかはわからないが。
どうしてこんなことになってしまったのかコレットにはわからなかった。何が悪かったのだろう。
確かに、最近キースと会うことは少なかった。でも、それはキースが卒業にむけ王立学校での勉強が忙しかったからだと聞いていたのに、実はそうではなかったのだろうか。
しょせんは親が決めた婚約である。長年の間、キースにもいろいろ考えるところがあったのかもしれないが、真相はわからぬまま。父親のあの剣幕では、キースと直接会うどころか、手紙のやりとりも無理だろう。
結局、コレットはなにもわからぬまま婚約解消へといたってしまったこととなる。
幼馴染でもあるキースはコレットにとって優しい兄のような存在だったのに、その彼がまさかこんな形で自分から離れていくなんてどうして想像できただろう。
大まかに婚約解消の話を聞いたエリサは、大きく息を吐いた。
ちらりとコレットを見る。
友人としての欲目ではないが、コレットに大きな欠点があったとはエリサには思えなかった。
だいたい、この婚約に異論があったのなら、最初から別の理由で婚約を解消すればよかったのだ。家同士の婚約の約束ならば、それは本人たちの問題よりも家同士の問題ともなる。それを土壇場になって他に女が出来たから別れたいなんていうのは、どうみても相手の男が悪い。
会ったこともないが、エリサの中で、その男の印象は最悪だ。そんな男のために、コレットがこんなに落ち込んでいるのが頭にくる。
「コレット、そんな男はこちらから願い下げです。もうお忘れなさい」
どうあがいても、あがけばあがくほどコレットの評判は落ちる。
正式に婚約していなかったのが幸いだったというべきだろうか。口約束だけのことなので、婚約の話を知っているのはごくわずか、限られた人間だけだろう。相手方としては自分の方に非のあるスキャンダルである。お互いにとって公にしたくない事情もあり、これならコレットの将来へも影響は少ないはずだ。
「今日はいろいろな男性も多いことですし、嫌なことは忘れて楽しめばいいですわ」
今まで婚約者に操立てして、あまり他の男性と親しくしなかったコレットである。新たな婚約者候補を探すのには、今日のこの場は絶好といってもいい。
「気づいてらして?先ほどからあなたを見ている男性、多いんですよ?」
コレットの手をとり、エリサは立ち上がった。
冗談めかしたエリサの口調に、コレットはくすりと笑った。
「それは私ではなくて、エリサを見てるんです」
濃い金色の髪に青い瞳。
お嬢様的なつんとした印象はあるものの、エリサはかなりの美人である。
「まぁ、自分のことをわかってないのね」
エリサはそう言うと肩をすくめた。
幼いころから見られることには慣れているエリサである。相手が自分をみているのかそうでないかくらいはわかる。
艶やかな栗色の髪に、琥珀色の瞳。コレットが今日着ている柔らかな若葉色のドレスは、ちらりちらりとあしらわれた白いレースや刺繍もあいまって彼女をとても可愛らしくみせている。
派手な印象をもつエリサとは対照的に、コレットの印象は可憐な花を思わせる美しさがあった。
まわりの視線に疎いのは、幼いころから婚約者一筋だったのだから仕方のないことか。
「仕方ありませんわね。今日はたっぷりとコレットに付き合ってあげますわ」
「くすくす。今日はいいんですか?お目当てのお方は」
「あの方は今日いらっしゃらないのよ。だからって、静かに待ってるなんてわたくしの性に合わないわ。あの方がわたくしを選ぶのではなくて、わたくしがあの方を選ぶのですから」
自分は選べる立場なのだとはっきりというエリサが、コレットにはまぶしかった。
二人が伯爵邸の近くまで戻ると、夜会の開始も近いことから多くの人が集まりだしていた。
高くなりはじめた月が、その色を濃くしていく。もうすぐ満月も近い。少しずつ太陽の時間から月の時間へ。空が夕焼けを残した赤紫から徐々に月明かりを含む群青色へと変化していく。
月に目を奪われていたコレットは、ふと何かに気がついたように人の波をみわたした。
「どうかしまして?」
「え?いえ、なにか、今声がしたような気が……」
コレットが言い終わらないうちに、あたりがざわめきはじめた。
まわりも気がついたらしく、人々の視線がざわめきの方へと注がれる。ざわめきが大きくなるのと、人垣が割れるのはほぼ同時だった。
はじめにコレットの目に飛び込んできたのは、明るいプラチナブロンドの金髪だった。走ってきたのだろうか、すこし肩が揺れている。
人並みの間をぬけて現れたその人は、誰かを探すように視線をさまよわせた。
コレットと視線が重なる。その瞬間瞳が驚いたように見開かれ、そしてはじかれたように笑顔がこぼれた。
まっすぐにコレットの前に進んだ彼に、あたりは何が始まるのかと静まりかえった。さっきまでのざわめきが嘘のようだ。
自分を見つめてくるエメラルドの瞳に、コレットは動くことができない。
「僕と踊っていただけませんか?」
そう言ってコレットの前にひざまずいたのは、王弟フィオン・アルファードその人だった。