29.報告
今まで目を通していた手紙を机の上に落とすと、カサリと紙のこすれる音が室内に響いた。
机の上に重なった手紙の山。
それを見てため息をつくと、フィオンはイスの背もたれに体重をあずけて視線をあげた。
「それで、詳しいことは分かった?」
フィオンの言葉に、机をはさんだ向かいに立っていたロイドは、きちんと整理された報告書をフィオンの前に出す。
「こちらが夏至祭の日に、リアーズ・ガーデンに出入りしていた方の名前になります。広く開放されていましたので、すべての人物を上げることは困難でしたが、貴族の方々はほぼ把握できています」
ロイドは、夏至祭の日のリアーズ・ガーデンを警備していたものからの情報をフィオンに話した。ガーデン内に入るときに馬車に入れられた家紋が警備のものの目にはいる。貴族が犯罪に巻き込まれれば面倒なことになるため、警備もそれだけ力が入っていた。どの貴族がいつ入園し、いつ退園していったのか。その情報はかなり正確である。
なかにはおしのびで遊びにくるようなものもいるが、身なりがそもそも貴族と庶民では異なるし、警備兵はあらゆる場所での警護にあたっている。見かければどこの貴族なのか判断できるものも多い。貴族であるのなら、夏至祭にリアーズ・ガーデンに入った時点で、それを完全に隠すことは難しい。
コレットがフィオンとはぐれた原因。
馬車でガーデンを出る前に聞いたそれをロイドへ伝え、警備の強化も含めてその原因となった女を捜したが、コレットがその女の姿を見たのは暗がりで、それも顔を見たのは手をつかまれて走っているとき、半歩以上後ろからであったこともあり犯人を見つけることはできなかった。
その女の雰囲気が侍女のような感じだったことより、その日ガーデン内に来ていた貴族をすべて調べたのである。
もちろんその女が必ずしも貴族に仕える侍女ではないかもしれないし、侍女だったとしてその家のものが一緒にガーデン内に来ていたかといわれるとはっきりはしない。
しかし、侍女ともなればそれなりに身なりの整った人物である。
そんな女性が一人で夏至祭のリアーズ・ガーデンに入ってくればどうしても目立つ。行うことを考えれば目立ちたくない心境のはずだ。貴族の令嬢の付き添いなどでその場に来た可能性も高い。
ガーデン内にいた貴族の名前を確認し、フィオンはルノワール伯爵邸で行われたパーティーに出席していた人物とそれを頭の中で照らし合わせた。
今回の犯人と薬を盛った犯人が同一とは限らない。大事に至らなかったこともあり、単なる嫌がらせという見方もできなくはないのだが。
再び、フィオンは机の上の手紙の山に視線を落とした。
手紙の中身は、決して本人には見せられないような罵詈雑言の数々に、恨みや嫉妬の言葉、意味をなさない黒く塗りつぶされるようにペンを走らせただけの紙など。
これらすべて、マカリスター男爵家に届いたコレットへの手紙である。
犯人につながる証拠となる可能性があると、コレット宛の配達物は現在すべてがチェックされている状況である。
きちんと送り主が明記されているものや、招待状などしっかりとその家名のもと正式な手続きを踏んでわたされたものなど以外は、マカリスター男爵の許可の元、すべて王家の管轄下にある。
送り主が明記されているものに関しては、個人の問題もあるため父であるマカリスター男爵が一応の管理を任されていた。
現在のコレットへの配達物は、本人に直接渡さない限り必ず誰かのチェックがかかることになっている。
「手紙の配達人については?」
「みな関係のないものがお金で依頼を受けたようです。使用人に運ばせたり、郵便配達人を経由したりしたものはありませんでした」
マカリスター男爵の許可も得て、男爵家の警備はまわりからはそれと気がつかれないように増強されている。屋敷の前ではなく、手紙を持ってきたものがその場から離れた後どこへ帰っていくのかを確認し、その上で手紙のことを聞きだしていた。
郵便配達所に手紙を持ち込めば、料金を支払い配達してもらうことも可能だが、そこでは必ず宛先と差出人が確認されている。差出人の名前がないものをむやみに配達したりはしないため、自分の名を明かさずにこのような手紙を出すことはできない。
使用人すら使わないで運ばせるあたり、自分の行為が、淑女としてどれだけ恥ずかしいことをしているのかという自覚だけはあるようだ。
「手紙なんて、すぐ調べがつくんだけどね」
手紙など、筆跡や紙の材質、デザインなどで人物が特定されやすいのだから、自ら証拠を残しているようなものだ。
これらの手紙は、筆跡などからも一人の人物からのものではない。人物を特定したとしても、たんなるいたずらの範囲で収まる可能性もある。しかし、これらのものをそのままにしておくことは今後もっと大きな嫌がらせに発展する可能性もある上に、この中に夏至祭や惚れ薬の犯人がまぎれている可能性も十分にありえる。
それにしてもと、フィオンはそれらの手紙をもう一度手に取った。
現在の状況下で、この手紙がコレット本人に届くと思っていたのなら、これらを送った人物達の浅はかさを考えられずにはいられない。
これらの手紙にしても、夏至祭のことにしても、どうもつめがあまい。それは『惚れ薬』の服用のさせ方にも共通する部分だ。
そう考えると、惚れ薬の一件も王弟であるフィオンを利用しようとしたというより、若い女性が無謀な計画を立てて実行したような印象をうける。
「引き続き、コレットのまわりの警備を強化するように。コレットがこれ以上危険な目にあわないようにね」
「はい。必ず」
夏至祭のときにコレットを見失うという失態をしたロイドは、フィオンの言葉に深く頭を下げた。
「それと……」
「なに?」
「少し気になることがあるのですが」
「気になること?」
報告というにははっきりとしないロイドの言葉に、フィオンは聞き返した。
「マカリスター男爵家に直接何かをしてくるわけではないのですが、ときどきその周辺で見かける人物がいます。黒い髪の、年頃は十代後半ほどの女性なのですが」
「通行人といった感じではないと?」
「いえ、身なりもおかしなところはありませんし、特に不審な行動があったわけではありません」
王都にあるマカリスター男爵家の屋敷は、人気のない場所に立っているわけではない。周辺には他の貴族の屋敷もあれば、通りを抜けていけば店も立ち並んでいる。
近隣に住む人物やそこで働くものなどもいるのだから、同じ人物を見かけることだけが不審の理由にはならない。
「しかし確認のためにとその女性の所在を確認したのですが、わからないのです」
「わからない?」
「はい。その女性がどこから来ていて、どこへ行くためにマカリスター男爵家の近辺を通っているのかが」
何度も通りかかるということは、そこに何らかの用事があるはずである。
「何度かその後をつけて確認したのですが、いつも必ず見失ってしまうんです」
「場所は?」
「場所ですか?」
「見失った場所」
「そのときによって多少は異なるようですが、セイズ川のほとりで何度か」
「そう……」
フィオンは少し考えるように口元に手をあてた。
「その人物も引き続き調査を。ただし、相手に気がつかれないようにね」
気がつかれてはこちらがしっぽを捕まえる前に行動を止められてしまう可能性もある。
「はい」
ロイドは一礼すると、その場を後にした。
誰もいなくなった書斎で、フィオンは小さくため息をついた。
夏至の夜の、あのコレットの涙が忘れられない。
いつもなら、フィオンが距離をつめれば腰が引けていた彼女が、あの日はそれすら忘れてしまったかのようにフィオンを受け入れていた。フィオンの腕のなかにその身をあずけていたコレットを思い出すたび、それが嬉しくもあり、そして苦しくもある。
アッカーソン男爵家第二子息、キース・アッカーソン。
会うのは初めてだったが、その名前は知っていた。
正式なものではなかったとはいえ、コレットのことを調べれば、その名前はおのずとあがってくる彼女の元婚約者だ。
幼いころの婚約など、貴族の社会では珍しいことではない。
それは家同士、親同士の利害によるもので、本人たちの意思は含まれていない。だからこそ、フィオンは他の女を選んだというキースのことを、たいして気にもしていなかった。
コレットにとってはショックな出来事ではあったろうが、しょせんは親同士が決めた婚約者、そう思っていた。
しかし、コレットにとってはそうではなかったということなのだろうか。
自分の腕の中で小さく震えていたコレットを思い出し息苦しさを覚えると、フィオンは首元のタイを少しゆるめた。
書斎の扉がノックされると、執事のクレマンが入室してきた。
カートにはお茶の用意がされている。
「旦那さま、お茶の時刻でございます。少し休憩なさってください」
そういって机に向かっているフィオンに声をかけたが、返事がない。
見ると、机に頬杖をついたフィオンが、目を閉じて苦しそうな表情をうかべている。
「ご気分でもすぐれませんか?」
いわれて、ゆっくりと目を開けた。
クレマンをみて、フィオンは深く息を吐く。
「いや、大丈夫だ」
そういうとフィオンは机から離れると、ソファに腰をおろした。その前のテーブルに、クレマンはお茶を注いだカップを静かにおいた。
胸のつかえを落とすように、フィオンはそのお茶を流し込む。
カップを戻してソファにもたれかかるフィオンは、やはりいつもの彼とは少し様子が違うように感じられる。
「やはりどこか具合がすぐれないのでは?」
問われ、フィオンはクレマンをじっと見た。
「……胸が」
つぶやくように言う。
「胸でございますか?」
「胸が、痛いような気がする」
「どのような感じで痛みますか?」
「……締め付けられるような、そんな感じで」
押さえるように、胸に手をあてる。
「他には何かございますか?」
もしかして、今になって薬の副作用が出たのかと、クレマンは慎重にフィオンの様子を確認した。
「少し呼吸も苦しいかもしれない」
はやり医師を呼ぶべきかとクレマンが思ったとき、フィオンは大きくため息をついた。
「コレットに会いたい」
昨日会いに行ったばかりである。仕事もあれば、犯人を捜す手配もある。他にもいろいろと忙しい身であるが、それをぬってコレットに会いには行っている。しかし、会っても、別れればまたすぐに会いたくなってしまうのだからどうしようもない。
フィオンの言葉に、クレマンははたと気が付く。
これはもしかして……。
薬の副作用といえばいえなくもないだろうが。
「旦那さま」
「ん?」
「もしやそれは、コレットお嬢さまのことを考えられたときに胸が痛むのですか?」
クレマンの言葉に、フィオンはしばし考える。
確かに、今までコレットのことを考えてはいたが。
思い当たることがあるようなフィオンに、クレマンは自分の考えに確信をもつ。
「それが何か関係があるの?」
「それは……」
「何?」
こほんと一つ、クレマンは咳をすると言葉を続けた。
「旦那さま、恋をするとそのような症状があらわれることがあります」
「恋?」
コレットに恋をしている自覚はある。
しかし、誰かを好きだと思ったことが今までの人生の中でまったくなかったわけではない。それでも、こんな痛みをフィオンは知らない。
怪訝そうに眉をよせるフィオンに、クレマンは心の中でため息をついた。
今までフィオンが好きだと思った女性が、彼に心惹かれないなどということはなかったのだから、その胸の痛みが何を意味するのか知らないとしても不思議ではないのだろうが。
身分も高く、見目麗しき王弟殿下から優しく声をかけられて、心ときめかない女性などいなかった。その言葉に好意を感じ取れば、女性として夢み心地に恋へと気持ちは変わっていく。
だが、恋とは本来楽しいだけのものではない。
「恋とは、至高の喜びも、それと同時に苦しみをも与えてくれるものなのです」
些細なことで胸が痛み、嫉妬に苦しみ、それでもほんの小さなことで胸が熱くなる。
たった一人に強く心を揺さぶられる、それを恋と呼ぶのだから。
書斎の窓からバード公爵の敷地内に馬車が入ってくるのがみえたため、クレマンはその対応をするために部屋からでていった。
一人になって、フィオンは何気なく自分の手に目をやった。
お見舞いに行った際に、倒れそうになったコレットを抱きとめた。一瞬強く抱きしめた自分に、体をかたくしたコレット。
彼女はまだ自分に心を許したわけでないと、そう自覚させられる。
どう考えても、今後コレットとキースの間になにかが起こる可能性はない。そうだとわかっていても、この胸のもやもやとした気持ちが消えなかった。
書斎のドアがノックされると、再び書斎にクレマンが姿をあらわした。
そういえば来客がきたのだということを思い出す。
「誰だったの?」
「王宮からでございます」
「王宮?」
「すぐに宮殿のほうにいらっしゃるようにとのことです」
今日、王宮に上がるような仕事はなかったはずだがとフィオンは思考をめぐらせた。
何か急な用件でもできたのだろうか。
「その……」
珍しく、クレマンが言いよどんだ。
「どうした? 使者が何かいっていたのか?」
フィオンに問われ、クレマンは意を決したように姿勢を正した。
「解毒薬ができたそうでございます」
その言葉に、フィオンの動きが止まった。その後ゆっくりとクレマンから視線をはずす。
今の時点で解毒薬といえば、言わずともなんの解毒かはすぐにわかる。
少し硬くなったその表情からは、フィオンが何を考えているのか読み解くことはできない。
「……そう」
静かにうなずくと、お茶の入ったカップをとり残りを一気に飲みほし、フィオンはソファから立ち上がった。
「王宮へ行く。仕度を」