21.系図
マカリスター男爵家の書斎で、自分の身長より少し高い場所にある本に、コレットは少し背伸びをしながら手を伸ばした。
一冊の本を取り出すと、そのまま近くのソファへ腰を下ろしページをめくる。
最後のページにまで目を通すと、小さくため息をついた。やはり自分の知りたいことはここには載ってはいないらしい。
先にソファに腰を下ろしていたアンリは、コレットが持ってきた本をちらりと見た。
アンリは父親の書斎に自由に入ることを許されている。もちろん触ってはいけない場所などはあるが、持ち出さなければ本を自由に見ていいと王立学校に入学された際に許可を受けていた。
勝手に書斎に入ることをためらっていた姉に付き添って、いったいそこまでしてどんな本が読みたいのかという興味もあって一緒に来てみたのだが……。
「なに? そんな本読んで。とうとう観念してバード公爵家にでも嫁ぐ気になった?」
「馬鹿なこと言わないの」
そういうと、コレットは慌てて本を閉じた。
コレットが開いていた本には、王家にまつわる家系図が記載されている。
現王家の血脈がどう受け継がれているのか、それを知ることは貴族としての常識ともなるので、その手の本はどの貴族の館でも置いてある。
それを見ていたコレットに、将来の親族についてでも調べているのかとアンリはからかった。
「別に俺はどっちでもいいよ? バード公爵が義理兄さんになっても」
「なっ……」
弟の言葉に、コレットは驚いて大きく目を開いた。
王弟であるバード公爵が、薬によって一目惚れした相手は、一地方領主の男爵家令嬢だった。その家族であり、将来のマカリスター男爵家を継ぐ立場である弟にも世間の目は厳しいだろうに、そんなことは全然気にしていないふうのアンリの態度に、コレットは眉根を寄せた。
あの事件後、一度詳細を知るべく王立学校の寄宿舎から男爵家の町屋敷に戻って来たアンリだったが、その後一度学校へと戻った。だというのに、夏期休暇まであとわずかという今の時期になって、再び自宅へと戻ってきたのだ。
それが今回の事件と無関係だとは思えないのだが……。
「アンリは学校で何か言われたりしてないの?」
先ほどの弟の言葉を逸らすように、コレットは話題を変えた。
「何かって、コレットのことで?」
「そう」
他の貴族にとっては、あまり面白くない事件のはずだ。学校での弟の立場にも影響などしていないのだろうかと、コレットは心配になって尋ねてみる。
「だいたいは、様子を見てるってところかな。今のところ」
王家がマカリスター男爵家を糾弾していない今、みなアンリにどう接していいのか迷っているといった感じだろうか。
王族関係の人間には、バード公爵があの状態なので何気に気を使われている気もする。王立学校の上層部には王家との血族となる人も多いのだ。早めの夏期休暇に一人入ったのも学校側の配慮であるのだが、それが気に食わないと思っている人物がいることも確かだ。
「まぁ、何人か言ってきたやつもいるけど」
「どうしたの?」
アンリはじっと姉を見た。
どうしたのかと、コレットは小首をかしげる。
「バード公爵が姉にかなりご執心で、男爵家としてそれを拒むことは難しいといっておいた」
アンリの言葉に、コレットは目を丸くする。
かあっと頬が赤く染まった。
「みんなの前でそんなこといったの?」
「そんなことって、本当のことだろ」
「それは……」
悪びれもせず、アンリはしれっと言い返した。
フィオンからの求愛を直接受けている身としては否定もできず、だがそれを肯定してしまうのもどうなのかという感じもして、コレットは口ごもる。
「コレットが公爵とくっついたら、男爵家としては断れなかった立場なわけだし、だめだとしても薬のせいでうまくいかなかったことにしとくから、コレットの好きにしたらいいよ」
マカリスター男爵家の跡継ぎとして、今後の対処は考えている。
「お姉ちゃんって呼びなさいって言ってるのに……」
そんなアンリの態度に、コレットはぶつぶつとつぶやきながら困ったように弟を見た。
いくらなんでも物分りがよすぎる。
「お父さまは、反対してるみたいよ?」
別に諸手を上げて賛成されても状況が状況だけに困るのだが、フィオンとのことにニコニコと賛成している母親とは反対に、父親であるマカリスター男爵はあまりこの話をしたがらない。
「あれは、父親特有の現象だから仕方がないよ」
「なによそれ。知ったような口きいちゃって」
「父親っていうのは、娘の相手が誰だって素直には喜べないものなんだってさ」
以前、コレットの婚約を決めたのは父親である。
コレットが結婚するということ事態に気分を害するようなことはないと思うのだが、やはり王家の人ともなると話が違うのかもしれないとコレットは思った。
(別に、賛成してほしいわけじゃないけど……)
これではまるでフィオンとのことを認めてもらいたいようだと思い、コレットは心の中で言い訳する。
そんな姉の様子を見て、アンリは肩をすくめた。
以前のコレットの相手は第二子息だった。
もちろんアッカーソン男爵家とのつながりを持つという意味合いもあの婚約にあったわけなのだが、それなら第一子息の方が家を継ぐ身なので立場的には磐石である。しかしあえて父親は家を継がない身分である第二子息であるキースを選んだ。
彼をマカリスター男爵家に迎えてアンリの相談相手とする。そうすれば、コレットはずっと男爵家の一員として家にいることになると考えていた父親の気持ちは、コレットにはよくわかっていない。
バード公爵家といえば名門中の名門。
その上王弟でもあるフィオンでは、コレットは男爵家から出るだけでなく、頻繁に会うことも難しくなってしまう。父親が渋る一番の原因を思い、アンリは苦笑いをした。
もちろん惚れ薬が関わっているというのも、父親が気に入らない原因の一つではあるのだが。
「それで? 王家に入る気もたいしてないくせに、なんでそんな本を見てるわけ?」
あらためて指摘され、コレットは持っていた本に視線を落とした。
ここには自分の知りたかったことに関わる内容は何も書いてはいない。
「誰にも言わない?」
「言われたくない内容なの?」
「……前の王妃さまって、ご病気でなくなられたのよね?」
「前のって、バード公爵の母親に当たる?」
「そう」
前王には二人の王妃がいた。
一人は現在の王の母親にあたる隣国スロンの姫君、そしてもう一人はスロンの姫君の亡くなった後に後妻として入ったバード公爵家の姫君。つまりはフィオンの母親である。
「病気だって聞いてるけど、なにか気になることでもあるの?」
「そうじゃないんだけど……」
先日の王宮でのパーティー。
あの時、母親のことを言われた時のフィオンの様子が気になった。
「前の王妃さまは、フィオンさまを王さまにしたかったのかしら」
コレットのつぶやくような言葉に、アンリは驚いたように姉を見る。
アンリの表情に、言うべきではなかったかとコレットは思った。が、弟の口から出たのは別の言葉だった。
「知らなかったの?」
「え?」
「俺でも知ってるのにって、まあ、家にいるコレットは仕方がないか」
前王妃が亡くなられたとき、コレットはまだ十歳だった。
子供に知らせることでもないし、大きな声で言うのもはばかられる内容である。
アンリは王立学校での微妙な貴族間の雰囲気を感じとり、その原因の一つとしてそれを知ったのだから、コレットが知らないのも無理はない。
「なにかあったの?」
ちらりとアンリはコレットを見る。
「俺も詳しく知ってるわけじゃないからな」
「う、うん」
内緒話をするように、アンリはコレットに近寄った。
「前の王さまが亡くなってから、今のパトリック陛下が王位に就かれるまでに何年か時間があっただろ?」
「それが何かあるの?」
王位の継承など初めてだったので、幼かったコレットはあまり疑問にも思っていなかった。
「あれは、前の王妃さまがパトリック陛下の即位に同意しなかったからだって話があるんだ」
後見のない世継ぎの王子と、国内の有力貴族の出身の王妃。発言権の大きさはおのずとしれてくる。
「王妃さま一人じゃそこまでの権限はないんだけど、他にも今のバード公爵の方に王位を継がせたかった人たちがいて、それでもめてたみたいだよ」
その痕跡が今でも残り、貴族間の派閥となって現れている。
家同士の利害が関わってくるともなれば、貴族の子息が通う王立学院でも交友関係に微妙に影響してくるのも当然だ。
「でも、前のバード公爵さまは、陛下のご即位に協力なさってたわよね?」
フィオンの母親である王妃が亡くなった後、前バード公爵の計らいにより、現王パトリックの妻として、フィオンのいとこでもあるディアナが彼に嫁いでいる。
それによって、ディアナの実家ローレン侯爵家とバード公爵家が後見となる形で王の即位が行われたのは有名な話だ。
いくら社交界にデビューしたばかりで、中央の政治的絡みに詳しくないコレットでも、それぐらいは常識として知っている。前バード公爵が今のパトリック陛下を王として押したのだから、まさかその娘であるフィオンの母親が反対していたなどとは思いもしなかった。
「だから、詳しいことはわからないって言っただろ」
そんな王宮での駆け引きがあったとき、アンリは実際六歳ほどだったのだから、詳しいことなど知るわけもない。
「結局は王妃さまがご病気になったし、王弟殿下もお若かったからっていうのもあっただろうけどさ。でもあのまま長引いたらまずかったよね」
「何が?」
「国内の権力争いは、国を乱す元だってこと。コレットには難しかった?」
からかい半分に笑うアンリを睨むと、コレットはゆっくりと視線を落とした。
だから、なのだろうか。
王宮で会った王さまとフィオン。
一緒にいるところを見たのはそんなに多くはないが、二人の仲が悪かったようには見えなかった。むしろ、兄弟仲はいいようだった。
そんな王と権力争いをすることになるのは、フィオンにとっては不本意だったのではないだろうか。
例え、それが実の母親が望んでいたことだとしても……。
あのとき、母親のことに触れられたときのフィオンの苦しそうな表情が、コレットの脳裏から離れなかった。
書斎を出て自室に戻ろうと廊下を歩いていると、パタパタとした足音が聞こえてコレットはぎくりと肩を震わせた。
隣を歩いていたアンリと目を合わせると、恐る恐る音の方向に目をやる。
書斎に入ること事態が禁止されているわけではない。でも父親に相談もなくだったので、見つかれば注意を受けるには十分な理由だ。
階段を下りて現れた足音の主は、メイドのノーラだった。
「どうしたの? ノーラ。そんなに急いで」
「お、お嬢さま、ここにいらっしゃったのですか? お部屋にいらっしゃらなかったのでお探ししました」
どうやら書斎に入ったことではなかったようだと、コレットは肩から力を抜いた。
自分には関係ないことだと、アンリはコレットの横を通り過ぎて行く。
「今、今、今……」
「ノーラ、落ち着いて。今何かあったの?」
小さく首を縦に何度も振って、ノーラはなんとか言葉を搾り出す。
「今、いらっしゃってるんです!!」
「どなたが?」
「応接室で、男爵さまとお話されていて」
どうやらコレットが書斎で調べものをしている間に、父親は帰ってきていたらしい。
見つからなくてよかったと、小さく息を吐く。
「早くコレットお嬢さまを連れてくるようにと男爵さまが!」
慌てて話すので、ノーラの言葉は要領を得ない。
コレットは小首をかしげる。
「ノーラ。どなたがお父さまとお話されているの?」
「だから、バード公爵さまです! 公爵さまがいらっしゃってるんです!」
ノーラの言葉に、先に歩いて自室に戻ろうとしていたアンリが驚いて振り返った。
そんな弟と目が合うと、コレットは何か言われる前に視線を逸らした。