2.発現
バード公爵家の従者であるロイドは、彼の主人である公爵を探していた。
彼が今いる場所、ルノワール伯爵邸ではもうすぐ夜会が始まろうとしていた。
もうすぐ初夏という現在、夜会が始まろうという時刻にあってもまだ外は明るさをたもっている。夕暮れが近づきあたりは少しずつ暗くなってきているが、美しく灯りをともされた庭園を堪能している人たちも多い。
ホストであるルノワール伯爵夫人にあいさつをすませたゲストたちは、本格的なダンスが始まる前に庭やホールで知り合いと話したり、それぞれに紹介を受けたりとあたりをにぎわせていた。
まだ人目につく場所にいてくれればいいのだが、とロイドは大きくため息をついた。
ここには客人用として休憩するための個室の多く用意されている。そこに入っていれば一つ一つ確かめるためにかなりの時間を費やすだろうが、それをしている時間の余裕がないためロイドはかなりあせっていた。
足早に歩を進め渡り廊下を横切ろうとしたとき、奥の庭から女性たちの歓声のような声が聞こえた。
ピクリと反応し足を止め、ロイド声のしたほうへと顔を向ける。
パーティーの間、従者が駆け回るのは決してほめられた行為ではない。
しかし、公爵家の従者として十分訓練されていたロイドは、そのことを失念していたような猛スピードで声のした方向へと走っていった。
「公爵、もうすぐダンスが始まりますわ。今宵はもう相手はおきまりですの?」
「お決まりでないのなら、ぜひわたくしと」
「いいえ、ぜひわたくしと踊ってくださいませ」
「わたくし、今日のために一生懸命ダンスを練習してきましたのよ」
たくさんの妙齢の女性が集まっているその中心に、彼の探していた人物がいた。
さらりとした金色の髪の青年は、女性たちより頭ひとつ分以上の身長差があり、遠めでもよく目立つ。
「ありがとう。僕の体がひとつなのがとても残念だ」
にっこりと笑う公爵に、まわりからは甘いため息と歓声がおこった。
若き独身の公爵は、今日も若き女性たちからの人気は絶大なようである。
近付いてくる従者に気がつき、バード公爵フィオン・アルファードはおやっ?という表情で彼をみた。
いつもならこういう場面で邪魔をすることなどないのだが、今日はやたらと険しい顔をしている。
フィオンの視線に気がつき、まわりの女性たちもロイドの方に視線をむけた。
注目を浴びるなか、ロイドはきっちりと臣下の礼をとる。
「お話し中申し訳ありません。公爵に至急の用件がございます。お楽しみ中すみませんが、ご足労願ってもよろしいでしょうか」
「こんなところでかい?」
夜会は社交の場である。そこに従者が入ってくることなら本来許されることではない。だが、それを中断させてまでも自分に報告しなくてはならない事項とは……。
フィオンはロイドをじっと見る。
しばらくの沈黙。
「わかった、行こう」
「ありがとうございます」
フィオンとロイドのやりとりに、まわりの女性たちがざわつく。
せっかく公爵の目にとまるチャンスだったというのに、それがつぶされてしまうわけだ。
「行っておしまいになるんですの?」
「申し訳ありません。みなさんとの楽しいひとときをここで中断するのはとても残念なのですが」
まわりの女性たちをゆっくりと見ながら、微笑みかける。
「またの機会がありましたら、ぜひに」
フィオンのやわらかい笑顔に女性たちのため息がもれる。多くの熱いまなざしをうけながら、フィオンはロイドを伴ってその場を離れた。
客室として用意された休憩室に入ったフィオンは、そこにおかれたソファに腰をかけた。
足を組み、背もたれに体をあずける。
「いいタイミングだったね」
廊下で伯爵家のメイドになにやら言付けし、彼女からグラスとポットののった盆を受け取り室内に入ってきたロイドに、フィオンは話しかけた。
いつもは遠巻きに見ているしかない女性たちも、今日のホスト、ルノワール伯爵夫人の紹介によりフィオンに話しかける機会を得た。
何度も話したことのある令嬢もふくめ、ここぞとばかりに若き公爵の目に留まろうという女性たちにかなりの人数囲まれてしまっていたのである。
あの状態のままダンスが始まったとき、誰を選んだ選ばないで話題にされるのかと思うとぞっとしない。
「楽しまれていらっしゃったように拝見いたしましたが……」
「女性と話すことは楽しいけれどね」
問題は、結婚相手を誰にするかと目を皿のようにしてフィオンを見ている人物が多いということだ。
「フィオンさま、ご気分はいかがですか?」
「気分?」
「はい。なにかいつもとかわったような症状はありませんか?」
しばし考える。
「いや、特にはないよ」
それがいったいどうしたというのか。
「それより、至急での用件があったんじゃないのかい?」
フィオンの問いにロイドは何も答えずに、彼の前にグラスを置き、水を注いだ。
「水を飲まなければ話が聞けないほど、僕は酔ってはいないよ」
「酔い覚ましのためではありません。お話しますから、とりあえずお水をお飲みください」
ロイドをじっとみつめ、フィオンは大きくため息をついた。
ロイドの性格はよくわかっている。
自分にとって、公爵家にとって何が最善であるかを一番に考えている彼をフィオンは信頼していた。
体を起こして水の入ったグラスを持ち上げる。
喉の渇きは覚えていないが、言われるとおりにそれを口へと運んだ。
「もうすぐ、医師も参りますので、それまでたくさん水を飲んで……」
どこから出したのか、大きめの金属製の容器をフィオン目の前におく。
「ここに吐いてください」
言われた言葉に、フィオンは吹き出しそうになった水をあわてて飲み込んだ。
あわてて飲んだため、気管に入った水によって激しく咳き込む。
「げほっ、ごほっ、ロイ……、何を言って……」
激しくむせて涙目になりながら、水をこぼさないようにと自分の手からグラスをとって背中をさすってくる従者をにらむ。
息をするのが精一杯で、にらむ以外は言葉にならない。
なんとか咳がとまり、肩で息をしながらフィオンはソファにもたれかかった。
「先ほどフィオンさまの飲み物に薬を入れたというものをとらえました」
頬杖をつきながら、フィオンはロイドの報告を聞く。
「薬?」
「はい。どの時点で服用されたのかはまだ調べがついておりませんが、落ち着きましたら本日どのようなものを口にされたのか教えていただきたいのです」
「薬、ねぇ」
バード公爵フィオン・アルファード。
現在公爵位にあり臣下の礼をとってはいるが、現王パトリック・アルファードの腹違いの弟である。
王弟として、毒に耐性を付けるための訓練はしている。
たとえ飲んでいたとして、今の今まで症状がでていないのだから、そんなに大騒ぎするようなことなのだろうか。
ロイドが差し出したグラスを再度受け取り、水を飲む。
この場で吐く気はもうとうなかったが、薬を飲んだとして、体内濃度を低下させておくことに異存はない。
しかし、今日口にしたものに変な違和感を感じたものはなかったが、薬など本当にはいっていたのだろうか。
「味も、においもなしか」
一応の毒物の知識ぐらいあるつもりだが、これだけ症状がでないのは薬を入れたものを服用していなかったと思うほうが自然ではないのだろうか。
「症状がでる時間は人によって違うようです」
フィオンの考えを読んだようにロイドが答えた。
「それで、なんの薬を入れたと犯人はいってるんだい?」
一時の沈黙。
「それは……『惚れ薬』だそうです」
「は?」
惚れ薬……。
毒薬ではないが。しかし。
「すいませんっ!」
やおら大きく声を上げると、ロイドは九十度に体をまげて頭を下げた。
「私がもっとまわりに目を配っていればこんなことには」
惚れ薬。
フィオンに飲ませて彼を虜に……という作戦だと考えられるが、しかしそれは好きな相手を自分のものに以上の意味が生じる。
バード公爵か、それとも王弟としてか、はたまたフィオン本人か、どれを狙っての犯行か。
どの縁談にもいい返事をしないフィオンに、業を煮やしたものがいたということだ。
目の前で頭を下げるロイドに、フィオンは大きく息を吐いた。
本当に飲んだとして『惚れ薬』の効果はまだでていないようだ。
「頭をあげて。まだ薬の効果は出ていないようだし、なんとかなるだろう」
ゆっくりと頭を上げたロイドとフィオンの視線があった。
「ところで、このまま二人でいると、もしかして僕はロイドに惚れる可能性もあるのかな?」
にやりと笑っていうフィオンの言葉に、ロイドが固まった。
背中を冷たい汗が流れる。
可能性は、なくも、ないが……。
「冗談だよ」
気心が知れている相手といっても、さすがに男は遠慮したい。
視線をはずしたフィオンに、ロイドは呪縛を解かれたように力を抜いた。
トントン。
ドアをノックする音に、ロイドはそちらへ向かった。
ドアを開けると、そこには公爵家御用達の医師と公爵家従者の二人が立っていた。
ロイドが顔を確かめ入室すると、医師は顔を隠すように大きな布で口元をおおい、頭もすっぽりと布の袋をかぶった。
薬の効果がいつ現れるかわからない状態で、不用意に相手に顔をみられないための手段である。
なるほど、と、先ほどフィオンにいわれたことを気にしたロイドは、自分の胸ポケットにはいったハンカチーフをとりだすと、三角にたたんで口元をおおい後ろに縛った。
これならなんとか少しは……。
「フィオンさま、医師がいらっしゃいました。診察を」
布越しで少しくぐもった声になりながら、ロイドはフィオンに声をかけた。
診察をするために医師をフィオンのそばに案内するが。
ソファに座ったまま、フィオンはロイドたちとは別方向に視線を向けたまま振り返らない。
「フィオンさま?」
再度呼びかけるが返事がない。
フィオンが見ている視線の先は窓。
すべての窓のカーテンをきっちりと閉めたつもりだったが、もうすぐ初夏となるこの季節、部屋を閉め切るには暑すぎるため、窓は開けていた。
フィオンが見ている窓のカーテンが大きく揺れている。
「どうかされましたか?公爵」
医師が呼びかけるもまったく反応のないフィオンに、まわりにいた人間はみな一様に息をのんだ。
まわりを見もせず、ただ窓一点をみていたフィオンはすっと立ち上がり、窓に向かって歩いていく。
止めに入ろうとロイドが動いたのと、フィオンがカーテンをあけたのは同時だった。
これから夜会が始まろうとしている邸内では、建物やホール、その周辺には灯りがこうこうとともされている。
そのため、窓から見える景色も建物周辺はよく見える。
その一点をフィオンはじっと見つめていた。
「公爵っ!」
背後で医師が大きく声をはりあげてフィオンを呼ぶ。
やっと呼ばれたことに気がついたように、フィオンが振り返った。
その目は、何かに驚いたような、信じられないものをみたようなそんな表情を浮かべている。
「公爵、『なに』をごらんになりました?」
今、彼が見つめていたもの。
問われた答え、それを確かめるようにフィオンはもう一度窓の外に視線を向けた。
目的のものを探すように視線をさまよわせ、そして……。
くるりときびすを返し、フィオンが走り出した。
止める間もなく部屋を飛び出し、廊下で歩いていた人にぶつかりそうになるのをするりとよけ走り去る。
あわててロイドや他の従者も追いかけるが、一人がメイドにぶつかり、グラスが絨毯へと転がり飲み物がしみていく。それを横目で見ながら、ロイドはフィオンの後を追いかけた。しかしすでにその距離はかなりひらていている。
部屋に一人残された医師は、先ほどまでフィオンが見ていた窓の外の景色を見わたしため息をついた。
とうとう薬の効力が現れてしまったか。
問題は、彼が誰をみていたのか……。




