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薬の罠に気をつけて  作者: 宮野りう
「薬の罠に気をつけて」本編
19/71

19.期待

 控えの間から出ると、コレットは広間に向かって歩き始めた。

 離れとなっているこの場所は、王宮の広間がある建物とは別棟になっている。二つをつなげる渡り廊下。庭を臨める回廊の中ほどに、薄明かりの中、白亜の円柱に寄りかかっている人影を見つけ、コレットは驚いて足早に近づいた。

「フィオンさま。どうなさったのですか? もう広間に戻られたとばかり」

 誰にも見つからないように、もし見つかったとしてもフォローができるようにと、フィオンはコレットを控えの間までエスコートしてきた。

 その後は、もう広間に戻ったとばかり思っていたのに。

 近づいてきた少女に、フィオンは円柱から体を離した。

 にっこりと微笑む。

「君を、待っていたかったんだ」

「ですが……」

 王家主催のパーティーで、王弟である彼が長く広間を空けることはあまり好ましくないのではないだろうか。

 コレットの言いたいことがわかり、フィオンは言葉を続ける。

「大丈夫。広間には王も王妃もそろってるんだから、僕がいなくなってもたいした問題じゃないよ」

 王家主催といっても、つまるところ主役は王であり王妃である。

 王家の人間としてそれを盛り立てて行くことは大切だが、あまり王族であることを誇示してでしゃばることもない。

 自らもコレットに近づくと、フィオンはコレットの髪をそっとなでた。

 いとおしそうに見つめる。

「……何か言われた?」

 一瞬何を言われたのか分からず、コレットは目を瞬かせた。

「アニエスやジュリア嬢に」

 挙げられた名前に、コレットの瞳が大きく開く。

 フィオンは知っているのだ。コレットがアニエスと広間を出て行ったことも、そしてジュリアがコレットに何をしたのかも……。

 なんと言えばいいのだろう。

 コレットの視線が泳ぐように庭の景色へと移った。

 髪を撫でた指がするりと動き、コレットの顔の輪郭をなぞる。そのままフィオンの手がコレットの頬を包み込んだ。

 その手の熱さにどきりとして、コレットはびくりと肩を震わせフィオンを見た。

 真っ直ぐに自分を見つめるエメラルドの瞳。その真剣なまなざしに、コレットは動けなくなる。

 熱いほどの手のぬくもりを感じ、かあっと頬が熱くなった。直接触れる手の感触に、やっと静まったばかりの心臓がまた早鐘を打ち始める。

(……だめ……なのに……)

 こんなふうに、フィオンに対して接していてはいけないのに。

 彼には婚約者に相応しい相手がいる。そして、薬のせいで自分を好きだと言っている彼は、どうあってもコレットのものにはならない。

「ごめん」

「え?」

「君が苦しい思いをするのは、僕のせいだね」

 フィオンがコレットを手放すことができないから。

「でも、君を放してあげることはできないんだ」

 フィオンの瞳の力に耐え切れず、コレットは少し顔を動かした。

 それを許さないとばかりに、フィオンはもう片方の手もコレットの頬にあてて、両手ですっぽりと包み込む。

 フィオンに両手でやんわりとだが顔を拘束され、コレットはもはや顔を逸らすことなどできない。

 少しかがんだフィオンの顔が、コレットの間近にあった。

「コレット」

 甘くささやくように、フィオンは愛しい名前を呼ぶ。

「君が好きだ」

「でも……」

「薬のことはわかってる。でも、それでも、君が好きなんだ。側にいたい」

 息がうまく出来なくなってしまったように、呼吸が苦しく感じる。

 喉に何かつまったような感覚に、コレットはそれを飲み込むように息を飲むと、なんとか言葉を搾り出した。

「フィオンさまには、婚約者候補がいらっしゃいます」

「あくまでも、それは候補だよ」

「アニエスさまは、とても素敵な方です。身分もつりあいますし、それにフィオンさまのことをとても……とても大切に」

「コレット」

「……はい」

「僕が、君が欲しいと言っているんだ。他の人は関係ない」

 添えられた手に、コレットは顔を少し上にむけられた。

 エメラルドの瞳に囚われて、コレットはもう目を逸らすことさえ出来ない。

「大切なのは」

 フィオンの金色の髪が、さらりとコレットの額にかかった。 

「君が僕をどう思っているか、それだけだよ」

 心臓の音がやけに煩かった。喉がカラカラに渇いて、呼吸が苦しい。

(私は……フィオンさまを……)

 

 




 カツンと大理石の廊下に靴音が響いた。

 自分たちのものではないその音に、フィオンのこと以外考えられなくなっていた思考回路が、現実へと引き戻される。

 ほとんどゼロになりかけていたフィオンとの間に両手を滑り込ませ、慌てて離れる。

 フィオンの手が、コレットの頬からするりと離れた。


「殿下、酔い覚まし……ですかな?」

「これはオースティン公爵」

 先ほどまで、コレットに口付けるほどに近づいていた現場を目撃されていたことを、気にも留めないようにフィオンはにこやかに話し始めた。

(オースティン公爵さま。アニエスさまの、お父上……)

 髪には白いものも混じりつつあるが、瞳は深い緑色をたたえているオースティン公爵は、アニエスと面差しがよく似ていた。そこにいるだけで空気が変わり、ピリっとした雰囲気が漂う。

 目上の貴族に対し、慌てて頭を下げようとしたコレットを相手からかばうように、フィオンは彼女を自分の背中に隠した。そのままオースティン公爵との会話を進める。

 オースティン公爵は、あいさつもしなかったコレットを気にしている様子はなかった。彼にとっては、コレットなどいないも等しい。



「今宵はすばらしい夜会でした。殿下も王族として、立派にその役割を果たされていらっしゃいましたね」

「ありがとうございます。まだまだ未熟な点も多く、お恥ずかしいかぎりです」

「謙遜は美徳ですが、真実をまげる必要もありますまい。ところで、ヘンリーさまは息災ですか。爵位を譲られて領地に戻られてからは、あまり王都に顔もだされないので、なかなかお会いする機会ももてぬのが残念ですが」

「領地に戻って、のんびりとしています。オースティン公が気にかけてくださっていることを聞けば、とても喜びます」

「近々お会いできればと思っております。ご意見を是非に伺いたい事項が多いですからね」

 そう、とオースティン公爵は続ける。

「隣国の動きについてなど、特に。フィオンさまもスロンの状況はお聞き及びだとは存じますが?」

「また近隣の小部族を併合したようですね。現在の王は、とても領地拡大に精力的のようだ」

「現在は小さな動きでも、十分に注意する必要がある、ということですな」

「……そうですね」

「殿下」

「公、僕は今バード公爵位を継いだ身。殿下ではなくどうぞ爵位でお呼びください」

「爵位を得られようと、貴殿が王族であることに変わりはありませぬ」

 いくらフィオンが臣下の礼をとっているとはいえ、完全に臣下に下ったわけではない。

 まだ王であるパトリックに跡継ぎの男子がいない今、王に何かあった場合の王位継承権第一位はフィオンにある。

 適任者がいない場合、女性でも王位を継ぐことは出来る。

 だが、まだ二歳である王女は、王弟であるフィオンがいる現在は継承権が発生しない。せめて成人になっていれば話は変わってくるのかもしれないが。

「王にお世継ぎがいない今、殿下に期待を寄せているものも多い。それはご承知ください」

「リリアは二歳になったばかりですし、義姉上もまだお若い。世継ぎの件を語るには時期尚早でしょう」

「国内の安寧あんねいのためには、はっきりしておいた方がいいこともある。きっとお母上もそう思われるのでは?」

 空気が止まる。

 コレットには、フィオンの肩が小さく揺れたように見えた。だが、フィオンは表情を変えることなく、にこやかに会話を続けている。

「どうでしょう。亡くなった人の考えは、僕には計りかねます」

「そうですかな? 今宵は、そういうことにしておきましょう」

 真っ直ぐにフィオンを見据えたオースティン公爵は、口元だけを緩めて微笑んだ。







 オースティン公爵が去った後、フィオンはふうと小さくため息をついた。

 ため息に気がつき、コレットは視線を公爵の後姿からフィオンへと移す。

 少し疲れたような、そんな表情。

 コレットの視線に気がついたように、フィオンは顔をそちらに向ける。自分を心配そうに見上げてくるコレットと視線があうと、微笑みながら肩をすくめた。

「僕をたき付けようとしている人が多くて困るね」

 彼が望むと望まざると、フィオンを王にと望むものがいるということ。

 外国の血が混じっている兄ではなく、前王と国内の由緒正しき公爵家の姫君との間に生まれたフィオンを正統な後継者として望む声は、兄が王座についても完全には消えてはいない。


 王家として、外国との友好を図るために婚姻を結ぶことなど珍しくもない。だが、それは相手もそれを望んでいる場合にのみ有効な手段となる。

 兄の母である王妃がこちらに嫁いできたときと現在とでは、スロンの国内情勢は異なっている。それをふまえた上で国内ではフィオンを王にと推す声が出ているのであるが、だがそれは、現王であるパトリックを支持してこなかったものたちの負い目も、少なからず含まれていた。

 戴冠に際して王を支持していなかったから、国を売り渡される危険性を危惧しているのだ。

 そんな愚かな判断をする兄ではないことを知っているから、フィオンは自分が王位を継ぐ必要性を感じていない。

 また兄であるパトリックの失脚は、別の意味でスロンにこちら側を抗議する機会をあたえてしまうことにもなりかねない。


 フィオンの目に宿る切ない色が、コレットの胸に痛みをもたらす。

 フィオンの微笑みがいつもより弱々しいものに感じられて、コレットは思わず彼の腕に手を伸ばした。腕に触れられたコレットの手を、フィオンは反対側の手でそっと包む。

 触れられた手に、はっとしたようにコレットはフィオンを見た。

 何度も触れたことのあるフィオンの手。先ほどまで熱いほどの温もりを伝えていたその手は、薄い絹の手袋越しにでも感じるほどに冷たかった。

 コレットの手をしっかりと握り締めると、フィオンはコレットを引き寄せた。近づき向かい合うようになったコレットの肩に、ゆっくりと額をあずける。 

「しばらく……このままで」

 フィオンの重みを肩に感じ、驚いてコレットは彼を見た。

 さらりとフィオンの髪が頬を撫でる。間近に見える横顔は、金色の髪によって隠されてその表情を知ることは難しかった。

 それでも、フィオンが傷ついているようにみえて、コレットは握られている手とは反対の手で彼の髪をそっと撫でた。

 驚いたようにフィオンが少し顔を上げる。

 失礼だったかしら?とコレットが思った瞬間、フィオンの顔に優しい笑みが宿った。


「……ありがとう」







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