18.結い髪
コレットをその場から連れ出すと、フィオンは庭にある池の側の東屋に足を進めた。まわりに人がいないことを確認すると、コレットをそこにあるベンチへと誘う。
あかり取りのために、東屋の側にもいくつもの火が灯されていた。
池に反射したあかりがゆらゆらと揺れ、幻想的な雰囲気があたりを包んでいる。
広間に比べればその明るさはわずかなものだが、それでも相手の表情を読み取れるぐらいの明るさは保たれていた。
オレンジ色の光が二人を照らす。
「ほら、そっちを向いて座って?」
一応断ってはみたが、やはりフィオンはコレットの髪を結う気満々のようだ。
コレットは困ったようにフィオンを見上げる。
「フィオンさま、やっぱり……」
「大丈夫。まぁ、道具もないから完璧に仕上げるのは難しいかもしれないけど、控え室に行く際見られても平気なくらいにできる自信はあるよ」
そういうと、半強制的にコレットはベンチに座らされた。
髪がとかれてしまったとはいえ、人気のない場所でフィオンと二人っきりのこの状況は、コレットの現在の心境としては好ましくない。
だが、このままフィオンから逃げるように控え室に行ったとして、確かにフィオンの言うとおり髪がおりてしまったこの姿を誰かにみられる可能性が高くなる。
コレットがまわりから好意的に受け止められているわけではない現在、それによってどんな噂がたつのかわかったものではない。
この状況では、フィオンの言うとおりにするのが一番いいのだろうけれど……。
「まっすぐ前を向いて」
コレットからリボンを受け取ると、座っているコレットの後ろに立ち、フィオンはそっとコレットの髪に触れた。
リボンがほどけてしまった髪に、ところどころ引っかかっていたピンを抜いていく。そんなわずかな刺激でさえ、コレットの肩がぴくりとゆれた。
いつも髪はメイドが結い上げている。
髪を誰かに触れられることには慣れているはずなのに、フィオンに触れられるだけでいつもと全然違うように感じるのはどうしてだろう。
ピンを取り除くと、フィオンは梳るように、手でコレットの髪を梳かした。
髪だけでなく、肌に直接フィオンの指先の感触を感じ、コレットの頬がかあっと赤く染まった。恥ずかしくて、顔が自然とうつむく。
すいっと後ろから伸びた手が、コレットの顎に触れ、そっと顔を上へとむけた。
びっくりして振り返ると、優しく微笑むフィオンと目が合う。
「うつむかないで。ね?」
「……はい」
自分だけが意識しているようで、コレットはなおさら恥ずかしくなってくる。
再び前をむきしっかりと顔を上げると、フィオンの指が再びコレットの髪へとすべり込んだ。
フィオンの指が撫でるように頭部に触れれば、その部分から甘い痺れのようなものが首筋から背中にかけて広がっていく。
(どう……して……)
初めて感じる甘い感覚に、コレットはわけも分からない。
いったい自分はどうしてしまったのだろうか。
その痺れるような感覚に耐えるように、コレットは体を硬くした。鼓動は激しく脈打って苦しいほどなのに、頭はぼおっとしてきて何も考えられなくなってくる。理由もわからず涙が出そうになった。
池のほとり。水の冷たさをはらんだ風が、コレットの髪を優しく揺らす。
(おかしくなりそう……)
先ほどより熱くなっていく自分の体温を感じながら、コレットは小波だつ水面を見つめた後、ぎゅっと目を閉じた。
ぽんと両肩に手が置かれた。
思考が停止状態になっていたコレットは、その刺激にびくんと驚く。
「できた。触ってみる?」
フィオンの言葉に促されるように、髪が乱れないように気をつけながら、コレットはそっと自分の髪に手を伸ばした。
あたりはあかりが灯されているとはいえ、水辺で自分の姿を映し見るほどには明るくはない。指で確かめるしかないが、それでも触れる限りではきちんと結い上げられているようだ。
指先にリボンとフィオンに贈られた薔薇の感触を感じる。
コレットと向かい合うように、フィオンが移動した。
仕上げに正面から見据えてコレットの前髪を整えると、出来に満足するようにフィオンはコレットをまぶしそうに見つめた。
にっこりと微笑む。
「それでは、お手をどうぞ」
そう言って、フィオンは恭しくコレットに手を差し伸べる。
(ここが暗くてよかった)
これなら赤くなった頬にもきっと気づかれていない。
そう思いながら、コレットはフィオンの手に自分の手を重ねた。
控え室に入ったコレットは、鏡の前に座るとほっと息をはいた。
フィオンが結ってくれた髪は、櫛を使っておらず手で梳いたため、多少ざっくりと梳かした印象があるものの、それすらもふんわりと編まれた髪にあっていて、明るいところでみても決して遜色がないほどに上手に結い上げられていた。
ゆるく編まれた髪は後ろでねじってまとめられ、ピンで留められている。それを飾るのは、チェリーピンクのリボンとフィオンに贈られた白い薔薇。
状況が状況だったとはいえ、落ち着いて考えてみれば男性に髪を結わせてしまうなんて、とってもはしたないことをしたような気がする。
それも相手は、王弟でもありバード公爵位をもつフィオンである。
当人であるフィオンはまったく気にしていないのだから、コレットがそれを気に病む必要はないのだが、そういう問題でもない。
フィオンに申し付けられて、髪を結うためのメイドはコレットが到着する前に、控えの間に待機していた。
一礼すると、メイドは鏡の前に座ったコレットの髪を結い直すためそっと触れる。
フィオンが結った状態でも、普段ならば問題ないくらいの出来栄えだが、ここはパーティーの真っ最中。もう少ししっかりと結っておく必要がある。
なれた手つきで髪をとくメイドの手の感触に、先ほどまでの優しく髪に触れるフィオンの指先の感触を思い出し、コレットの頬が赤く染まった。
急に体を硬くしたコレットに、メイドは小首をかしげる。
「どうかなさいましたか?」
「えっ?あ、なんでもないです」
火照った頬を隠すように手をあてると、コレットは小さく首を振った。
しっかりと髪を結い上げられ、頬の赤みの引いた自分の顔を、コレットは鏡越しに見つめる。
髪を結われたことに少なからず衝撃をうけ、思考が停止状態になっていたが、その前に起こったことを忘れているわけではない。
脳裏にアニエスの悲しそうな顔とジュリアの鋭いまなざしが浮かんできた。
二人の言葉が、コレットの頭の中をグルグルとまわっていく。
これからもフィオンと一緒にいるのなら、それを覚悟する必要がある。でも、本当にそれでいいのだろうか。
答えの見つからないまま、コレットは小さくため息をつくとイスから立ち上がった。