17.訴え
パーティーの最中、ようやく人の輪から抜け出すと、フィオンは大広間を抜けテラスへと足を進めた。
先ほど囲まれている際に、コレットがアニエスとテラスの方向へ歩っていくのが見えた。
アニエスは、フィオンにとって幼馴染ともいえるほどに見知った間柄である。彼女をよく知っているから、アニエスがコレットに対して嫌がらせのようなことをするとは考えにくかったが、まったく接点のないであろう二人が一緒にいなくなったことは、やはり気になる。
まあ、アニエスがコレットに言うであろうことは、だいたい予想はできるが……。
テラスに一歩踏み出すと、一人広間に戻ろうとしているアニエスと目が合った。
アニエスもフィオンに気が付く。
「やあ、アニエス」
「こんばんは、フィオンさま。お久しぶりです」
「オースティン公爵とは何度もお会いしているけれど、アニエスと会うのは久しぶりだね」
「去年、バード公爵位を継がれたときのパーティーでお会いしたのが最後でしたわ」
「そんなに経ってた?でもあの後は、僕もしばらく公爵領の方に行っていたから、そうだね。元気だった?」
「はい。フィオンさまは、いろいろ大変のようだとお伺いしています」
「大変?」
「薬のお話は聞き及んでいますわ」
「ああ。そのこと」
たいして自分では大変に思っていないフィオンは、何度も言われたそれに肩をそびやかす。
犯人を捕まえることは重要だし、その目的もまだはっきりしていない。確かに大変な状況がないわけではないが、みなが言う大変はそれとは異なっている。
みなが言う大変は、フィオンがコレットを好きになってしまったことなのだ。
「犯人が捕まらないのは、困ってるよ。またどんなことをしてくるか分からないからね」
「……それだけ、ですか?」
「他に何かある?」
フィオンの言葉に、アニエスは苦しそうに眉根を寄せた。
「マカリスター男爵令嬢のことです。今も、私が彼女とテラスにでたことをご存知で、こちらにいらっしゃったのでしょう?」
薬で好きになってしまったという女性を探しに。
「フィオンさまは、それでよろしいのですか?」
真っ直ぐにフィオンをみて、アニエスは尋ねた。
テラスに、広間からの音楽がもれ聞こえてきた。庭を通る風がさわさわと木々を揺らし、心地よくテラスに響いていく。
「薬だろうが、一目惚れだろうが、そんなに違いがあるのかな」
遠くを見ながら、フィオンがつぶやくように言った。
静かな声で言われたそれに、アニエスはえっ?というように大きく目を開いた。今耳にした言葉が信じられない。
自分を見つめたアニエスに、フィオンはちらりと視線を向けた。
誰かを好きになるのに、きっときっかけなんて些細なことだとフィオンは思う。自分でも気が付かないうちに、その気持ちは芽生え育っていく。
恋はしようと思って誰かを好きになるのではない。
同じ時間をすごし、同じだけの言葉を交わしたとしても、その人を好きになれるかなれないか、それは自分の中にある。自分の中にありながら、それでいて自分でさえ制御することなどできないもの。
自分でコントロールできるのならば、恋で悩む人などいないだろう。相手の気持ちが自分にないからと、すぐに諦められるものならば苦しむこともない。
自分でどうにもならないという点で、薬であろうが一目惚れだろうが、フィオンにとってはたいした違いはないように思えた。
もちろん、王族でもあるフィオンは、恋愛感情だけで自分の相手を決めるわけにはいかない。
だが、それを見越した上で、フィオンはコレットがいいと思ったのだ。
彼女に側にいて欲しいと……。
犯人の思惑通りになるつもりはないが、それでも薬の相手がコレットでよかったと、フィオンは本気でそう思っている。
「コレットが好きだよ」
しっかりとアニエスに向き合うと、フィオンははっきりと気持ちを言葉にのせる。
「僕だって、薬のことは十分理解してるつもりだ。それでも、ずっとこのまま彼女を好きでいたいと思う気持ちは、恋とは呼ばないのかな?」
「フィオンさま……」
「アニエス、ごめん」
アニエスの気持ちを、フィオンは知っている。
それでも……。
「なら、ならばせめて、彼女を選ぶのは、薬の解毒をされてからにしてください」
他の人を選ぶのはしかたがないにしても、薬の効果が残ったままだなんて、そんなことは耐えられない。
「そうしていただかなければ、どうしたって納得なんてできませんわ」
長い睫毛に縁取られた深い緑色の瞳は、涙をいっぱいにためてきらきらと輝いている。
フィオンの婚約者候補として、一番に名を連ねていたアニエスである。
こんな結末を、どうして想像できただろう。
フィオンと視線が絡み合う。
こぼれそうになる涙を見られないように、アニエスは少し顔をうつむけると、フィオンに頭を下げ、そのまま走るようにテラスを後にした。
アニエスの後姿を見送ると、フィオンはため息をつく。
誇り高き公爵令嬢。
アニエスならば、フィオンの相手としてまわりもこんなに騒がずに納得するのかもしれない。
(それでも……)
フィオンはあかりを灯された庭を見渡した。
そこにコレットの姿は見当たらない。
求める少女を探すために、フィオンは庭へと続く階段を下りた。
突然現れた人物に、いっせいにみなが振り返った。
「バード公爵……」
ジュリアが自分の名前を呼ぶのも気にせずに、フィオンはコレットにまっすぐに近づく。
「どこにいったのかと心配したよ」
髪がとけてしまったコレットは、パーティーにはふさわしくない格好になっていた。
それを気にするふうでもなく、フィオンはとけてしまった彼女の髪をそっとなでると、コレットの栗色の髪を一筋すくいあげ、口付けをおとす。
人前で髪にキスをおとされたうえ間近で見つめられ、コレットの頬がかあっと赤くなった。
「髪がとけてしまったんだね」
ちらりとフィオンがまわりに視線を移したことに気が付き、コレットは慌てて言う。
「木に」
「ん?」
「……木に、リボンが引っかかってしまって……」
確かに、少し視線を上げれば、コレットのドレスと同じチェリーピンクのリボンが、木の枝の先に引っかかってはいるが……。
フィオンはコレットから離れると、手を伸ばしてリボンのついた木の枝をつかんだ。枝に力をいれて下に下げると、コレットのリボンを優しく取り上げる。
それをコレットに渡すと、にっこりと微笑んだ。
「君の可愛らしさに、木も嫉妬したのかな」
優しく微笑むフィオンからリボンを受け取ると、コレットは泣きたくなった。
フィオンに対して、本当のことをいうわけにはいかない。
ジュリアや他の令嬢も、コレットがフィオンの申し出を受け入れなければ、こんなことをしなくてもすんだはずなのだ。
先ほどのアニエスも、傷つけることもなかった。
まわりにいる少女たちが、戸惑っていることがコレットにも分かった。
あまり目撃されたくない現場である。すぐにでもこの場を離れたいだろうに、それをしないのは、コレットとフィオンを二人きりにしたくないためか。
コレットはぎゅっとリボンを握り締めると、消え入りそうな声で言った。
「私、一度控えのお部屋に戻ります」
髪がとけてしまった状態では、このまま広間に戻るわけにはいかない。
自分のわきをすり抜けて行こうとするコレットの手を、フィオンがつかんだ。
弾かれるように、コレットはフィオンを見る。
「そのままでは目立つから、こっちに」
言われていることの意味が分からず、コレットは首をかしげる。
「髪。僕が結いなおしてあげるよ」
フィオンの言葉に、コレットだけでなくまわりの少女たちも驚いて目をむく。
王弟であるフィオンに、メイドのように髪を結わせるなんて……。
「だ、だめです」
コレットは慌ててフィオンの申し出を断った。
「どうして?」
「どうしてって」
そんなこと言うまでもない。
「フィオンさまにそんなことさせられません」
「大丈夫、結構うまいと思うよ?」
手先は器用だしねと、フィオンは笑いながら付け加える。
「それに、控えの間に行くまで、誰かに見られるかもしれない。こんな無防備な姿の君を、他の男に見せるわけにはいかないよ」
コレットの耳元でささやくと、フィオンは愛しそうにコレットの頭に手を添えて、彼女の髪に口付けた。
コレット以外目にはいらないといったあまりの溺愛っぷりに、まわりの少女たちは顔を見合わせる。
これだけコレットに夢中になっているフィオンに、先ほどのことが知られたらいったいなんと言われることかわからない。
自然と少女たちの視線が、彼女たちの中心人物であるジュリアに集まった。
そんなまわりの様子に、フィオンもちらりとジュリアを見やる。
フィオンとコレットのやり取りに、青ざめたような表情をしているジュリアの手にあるのは、フィオンがコレットにおくった白い薔薇だ。
フィオンはジュリアに向き合うように歩を進めた。
コレットが一人控え室に行かないように、その手は握り締めたまま。
「バード公爵。あの」
「ジュリア嬢、その花を返していただいてもよろしいですか?」
微笑みながらも有無を言わさない言葉に、ジュリアは薔薇を差し出すしかない。
悔しそうに唇をかみ締める。
「拾っていただいて、ありがとう」
コレットがリボンを木にとられたというのなら、そのはずみで薔薇は地に落ちるだろう。
白い薔薇に、地に落ちて汚れた形跡がなくとも……。
何か言いたげなジュリアを後目に、フィオンはコレットの手を引いてその場を離れた。