16.嫉妬
コレットはアニエスについてテラスに出た。
テラスで談笑している人たちを避け、庭へと降りる階段の下へと移動すると、庭を照らす明かりを見つめたまま、アニエスは口をひらいた。
「あなたはバード公爵のことを、どう思っていらっしゃるの?」
涼しい夜風が、二人の間をすり抜けていく。
「私は……」
アニエスの問いに、コレットは言いよどんだ。
どうと言われても、アニエスに言えるだけの答えをコレットは持っていない。
しばしの沈黙。
「わたくしは幼いころから、フィオンさまの妻になるのだといわれて育ってきました」
コレットの答えを聞かずに、アニエスは言葉を続けた。
オースティン公爵家の姫君で、フィオンよりも二つ年下のアニエスは、身分的にも年齢的にも王弟であるフィオンにつりあっていた。
オースティン公爵の計らいで、二人は幼いころから何度も会っている幼馴染でもある。
「あの方が好きなのです」
まっすぐにコレットを見ると、アニエスははっきりと言う。
感情的にならないように努力しているのか、胸の前で組まれた両手は小刻みに震えている。
「それをこんな形で奪われるのかと思うと、悔しくて仕方がありません」
公爵家令嬢であり、身分的にもフィオンにつりあう立場にいたアニエスは、候補のなかでも最も有力視されていた。
婚約者候補が他にもいる時点で、フィオンが最終的には自分を選ばない可能性がゼロではないことは分かっている。
それでも、それをフィオン本人が決めたのではなく、惚れ薬でということなら話が違う。
「今回の事件のあらましはうかがっています。あなたが犯人でないことくらい、わたくしにだって想像できます」
コレットを本気で疑っているのは、嫉妬で目が見えなくなっている人物がほとんどだ。犯人が見つからない今、そのほうが怒りの矛先を持っていきやすい。
「でも、あんな状態の彼と一緒にいてそれで平気だとおっしゃるのなら、この事件を利用しようと考えていらっしゃるなら、わたくしはあなたを軽蔑します」
きっぱりとしたアニエスの態度。
公爵家令嬢として育ち、誰にも臆することなどなく発言するアニエスに、コレットは何も言い返すことができなかった。
アニエスが去っても、コレットはその場から動けなかった。
彼女のまっすぐな目が、恋をしているものの瞳が脳裏から離れない。
すぐに広間に戻る気分にはなれず、コレットは庭へと降り立った。王宮の側を流れる人工的に作られた小川のそばで、庭をともしている灯りをぼんやりと見つめる。
王妃の頼みを拒絶できず、フィオンの言葉にうなずいてしまったからこそ、今自分はここにいる。いくらフィオン本人から望まれたこととはいえ、彼が自分の言葉で傷つくことが耐えられなかったからといって、やはり受け入れるべきではなかったのかもしれないと、コレットは小さく息を吐いた。
フィオンを傷つけたくないと思った自分のために、傷ついている人間がいる。
フィオンに婚約者候補がいることは知っていた。それなのに、フィオンの態度にそれをすっかり失念していた自分にも嫌になる。
もし、本当にフィオンが自分のことを好きでいるのなら。そして、自分が心から彼のことを好きだと思っているのなら、誰かを傷つけても一緒にいたいと思うことに、意味があるのかもしれない。
しかし、コレットとフィオンの間にそんなものはない。
あるのは、『惚れ薬』が飲まされたという事実だけ。
薬の効果が切れたなら終わってしまう、そんな脆い関係だけなのだ。
それは、アニエスを始め彼の婚約者候補だけでなく、彼を心から愛しく思う人や、そして何よりフィオン本人にも、失礼なことをしているのではないだろうか。
自分の行動が及ぼした結果を突きつけられ、コレットは落ち込むしかなかった。
「お加減でもすぐれませんか?」
ふと声をかけられ、コレットは振り向いた。
庭にも人が出て談笑している人たちもいるのだが、それからも少し離れた場所に一人たたずむ少女に、さすがにどうしたのかと思ったのか、一人の給仕のメイドが話しかけてきた。
コレットとたいして年のかわらなそうなメイドに、コレットは力なく微笑むと、首を横に振った。
「なんでもありません。少し夜風にあたっていただけです」
「お飲み物などお持ちいたしましょうか?アルコールの入っていないものもありますが」
「大丈夫です。ありがとう」
メイドとはいえ、今は優しい言葉が辛い。
そのメイドを避けるように、コレットは庭を散策するように歩き出した。
歩き出したコレットの後ろ姿を、給仕の少女はじっと見つめる。
王家の庭に、心地よく夜風がふく。その風に、少女の肩で切りそろえられた黒髪が、さらりとゆれた。
少し庭を散策した後、コレットは王宮へと足を戻した。
さすがにあまり広間から離れていると、両親やエリサ、そして今日のパートナーであるフィオンに心配をかけてしまうかもしれない。
フィオンが今日はコレットにばかり付き合っているわけにはいかないとはいえ、だからといってあまり自由に歩き回っているのも問題だ。
広間につながるテラスへ向かう階段が見えてきたとき、コレットの耳に何人かの少女たちの声が聞こえてきた。
向こうもコレットに気が付いたようで、視線が合う。
「あら、これはこれは。マカリスター男爵家のご令嬢ではなくて?こんなところで、何をしていらっしゃるのかしら」
先に声をかけてきたのは、先ほどコレットを睨んでいた少女、ノーフォーク伯爵家のジュリアだった。
ジュリアと一緒にいた少女たちも、コレットにじろじろと遠慮のない視線を向けてくる。
「広間の方は、居心地が悪いのかしら?」
「それはそうでしょうね」
「というか、この状況でよくここにこれたものですわよね」
遠慮のない少女たちの非難の言葉に、コレットは戸惑う。
一人庭へ降りてきたことへの軽率さを感じていた。
「ねぇ、どんなご気分かしら。薬のおかげで公爵の心を手に入れたというのは」
コレットたちがいる場所は、王宮の広間からそんなに遠くない場所ではある。
しかし、木陰になっているため、あまり人の目には触れにくい。
そのうえ王宮は現在夜会の真っ最中である。灯りが煌々とともされているところからでは、薄暗い庭の中はよくはみえない。
それを知っているのか、少女たちは誰に気づかれることもないだろうと、強気になってコレットに話しかけてくる。
「まあ、そうでなければ、公爵はあなたのことなんて見向きもしなかったでしょうけれど」
ジュリアはコレットを値踏みするように見ながら、横を通り過ぎる。
と、視線が一点でとまり固まった。
目を合わせているわけではないジュリアが見ているのは、コレットの髪。そこには、フィオンに贈られた白い薔薇があった。
ジュリアはそれを憎らしげに見つめる。
ジュリアの手が薔薇の花に伸ばされた。
悪意を持って伸ばされた手に、コレットは思わず後ずさるが、別の少女にぶつかる形でそれを止められた。
ぶつかってしまったことに驚いて振り向いたコレットの髪から、薔薇の花が引き抜かれる。
さらり。
コレットの髪が風に揺れた。
花を引き抜かれた際に、それに伴って髪を結っていたリボンも引っかかったのか、ゆっくりと地に落ちる。
おりた髪に驚いて、コレットは両手で髪を押さえるが、触れた刺激で編まれた髪もするするととけていった。
慌てて下をみて、落ちたリボンを探すが、薄暗い場所ではなかなかすぐに目に入ってこない。
チェリーピンクのリボンの端に付けられた白いレースが目に留まり手を伸ばすが、もう少しで手が届くところで、リボンがすいっと動いた。
動いたリボンを視線で追うと、少女の中の一人が笑いながらその手におさめている。
返して欲しいとコレットが言う前に、少女はそのリボンをポイっと投げ捨てた。
夜風にのり、リボンはふわりと風に舞う。
ゆっくりと落ちてくるかと思われたそれは、しかし地に落ちる前に、近くの木の枝に引っかかった。
そんなに高い位置ではないが、コレットが手を伸ばしても届くか微妙な距離だ。
小川も側にあるこの場所では足場が悪く、その上夜会用のヒールのある靴を履いている。飛び跳ねてとるのも難しそうで、木に登ってなんてとんでもない話だ。
「あら、髪がとけてしまいましたわね」
「そんな髪では、広間にはもどれませんわよ」
確信犯であるのに、くすくすと笑う少女たちに、コレットは悲しくなった。
意地悪をされたということもある。
でも、それ以上に、彼女たちにそうさせてしまった要因は自分にあるのだと思うと、どうしていいのか分からなかった。
「どうされました?みなさんで」
不意に聞こえた声にはっとして、コレットは声のしたほうをみた。
まわりにいた少女たちも振り返る。
まさかこんな場所に現れるとは思っていなかったのか、コレットのまわりにいる少女たちの顔色が、こわばっている。
「バード公爵……」
ジュリアが驚いたように、その場に現れた人物の名前をつぶやいた。