15.夜会
王と王妃が広間に入室すると、夜会も本番となる。
大広間のなか、数段高くなっている場所に置かれた玉座の前に立つと、王がパーティーの開始を宣言した。
来客の会話を妨げないものだった音楽は、パーティーの開始の合図とともに、ダンスを行うための曲へと変わる。
王と王妃が玉座に着席したところで、この会場で一人動いた人物。
広間の中心に現れたのは王弟フィオン・アルファード。まわりの視線を一身に浴び、それに臆することもなく堂々と歩くその先にいるのは、噂の令嬢である。
フィオンはまっすぐにコレットの前に進むと、彼女にそっと手を差し出した。
シャンデリアの光を反射して、フィオンの金色の髪がきらきらと輝く。
王弟という立場に相応しい輝きを身にまとうフィオンは、その一連の動きでさえまわりの視線が自然と集まり、若い女性のため息にも似た声がもれた。
みなの視線の中、ふわりと腰を落として礼を示すと、コレットは差し伸べられた彼の手に自分のそれを重ねた。
フィオンに手をとられる形で歩を進め、王と王妃の前で臣下の礼をとるように頭を下げる。
王と王妃がそれに答えるように頷くと、フィオンはコレットと向かいあう形になり、彼女の腰のあたりに手を添えた。
さすがに緊張で、コレットの表情が硬くなる。
まわりの人数は、ルノワール伯爵邸でのそれとは比べ物にならないほど多いうえ、その視線は決して好意的なものとは言い難かった。
緊張している様子のコレットに、フィオンはにっこりと微笑む。
フィオンにとっては、王宮でのパーティーなど慣れたものだ。
「緊張してる?」
小さな声で内緒話をしてくるように話すフィオンを、コレットは上目遣いに見る。
「……してます」
「大丈夫。今日もとっても可愛いよ」
そういう問題でもないのだが……。
そう思ってフィオンを見ても、恋する瞳でとろけるような笑みを向けられては、何もいえない。
こんな大きなパーティーの中でも変わることのないフィオンの態度に、コレットの肩から力が抜けた。
つられるように微笑み返す。
コレットの肩から余計な力が抜けたことを感じると、フィオンはダンスのためのステップを踏み出した。
王弟である彼のダンスが、ダンスの始まりを告げている。
いつもなら、そこに少しずつみなが加わり、ダンスパーティーの幕開けとなるのだが、今日の様子は違っていた。
多くのものが様子を伺うように、ダンスをしているフィオンとコレット、そしてそれを見守っている王と王妃へと視線をおくる。
バード公爵フィオン・アルファードのパートナーを務めているのは、『惚れ薬』の相手として噂になっているマカリスター男爵家の令嬢である。
噂以上にその令嬢に夢中になっている公爵に、それに対し王と王妃が何の静止もせずに許容している様子は、まるで惚れ薬など最初からなく、フィオンがコレットに一目惚れしているかのようにもみえた。
くすりと壇上から小さな笑い声が洩れた。
それをただ一人聞き逃さなかった王は、その声の主を見る。
コレットとフィオンがダンスをしている様子を、楽しそうに見ているのは彼の妻、王妃ディアナである。
「騒ぎが大きくなるぞ」
小声で王が話しかけた。
楽しそうに瞳を輝かせたまま、王妃は夫に視線を移す。
「何がですか?」
「薬の件、この分では国中に知れ渡ってるのではないのか?」
パーティーに来ているものの反応から、すでに噂はかなりの勢いで広まっているようだ。
「問題は噂が広まることではありませんわ。犯人が捕まらないことです」
王妃はぐるりと広間の中を見渡した。
「きっと今日、このなかにいらしてるんでしょうね」
惚れ薬の効果を狙っていた真犯人は、何食わぬ顔をして、今日のパーティーに参加していることだろう。
薬の効果で、自分が受けるはずであったフィオンの愛情を、別の女性に奪われてしまった形となった犯人は、いったいどんな気持ちで二人を見ているのか。
「しかし、これでは……」
薬の効果が消えたとき、これでは相手となったコレットにかなりの風評被害がでる危険性がある。
王として、臣下となる国内の貴族の令嬢に対して、今後起こるであろう難題をそのままにしておくことはできない。たとえそれが一地方領主の娘だとしても。
「私、コレットがとても気に入りましたわ」
「それならば、なおさら」
「ですから、このままフィオンのお相手として、いていただいてもかまわないと思ってますのよ」
「何を言っているのか分かっているのか?」
「あら、マカリスター嬢では、あなたの弟のお相手としてご不満?」
「そういう問題ではない」
「そういう問題でしてよ」
きっぱりと王妃は言い切った。
その真剣な表情に、王は息を飲む。
と、ディアナは誰もが見惚れるような表情で、ふんわりと微笑んだ。
「ほら、ダンスが終わりましてよ。陛下」
一曲目のダンスを終えたフィオンは、コレットの手を引いて玉座の前へと進んできている。
王として、このパーティーに参加しているものとの交流は、責務である。
自分に近づいてくる二人を、王は複雑な表情で見つめた。
王と王妃へのあいさつが終わると、それを待っていたかのようにフィオンのまわりには人が集まった。
夜会は貴族の社交場である。
王や王妃だけでなく、王弟である彼に対しても交流を望むものは少なくない。
取り囲まれたフィオンから、コレットはそっと離れる。
自分がいつまでも側にいると、会話の邪魔になってしまう。
夜会はパートナーが決まっていれば基本的にはその相手とのダンスが中心となるが、パートナーとしか踊れないということではない。基本的にたくさんの人との交流を目的としているパーティーである。パートナーになったからといって、いつまでも相手を独り占めするようなことはしないのが暗黙のルールだ。
それが王弟であり、バード公爵位を持つフィオンにならなおさらである。
若い女性が気に入った男性を放さない、という光景もときおり見られることもあり、それをまわりが微笑ましく見ることもよく見かけることも確かだが、そんなことをコレットができるはずもなかった。
自分から少し離れたコレットに気が付き、フィオンはすぐに後を追おうとするが、まわりにいる貴族に引き止められる。
自分の父親以上に年の離れた人々に囲まれ、王弟として彼らを無下にするわけにもいかない。
申し訳なさそうに自分を見るフィオンに、コレットはなんでもないというように微笑むと、その場をそっと後にした。
フィオンから少しはなれた場所に立つと、コレットはほっと息をつく。
あれだけ大勢の人の前にでることなど慣れていないコレットには、さすがにかなり緊張していたようだ。
今でもまわりには嫉妬や忌諱の視線を感じるが、それでもその視線の数はダンスを踊っていたときの比ではない。
噂の令嬢に、大広間で公然と話しかける人物はおらず、コレットは一人パーティーの様子を見渡した。
フィオンだけでなく、王や王妃のまわりにも、次々とあいさつに伺う人が溢れ、広間の中心ではダンスを踊る人も増えてきている。
その中に、コレットは見知った相手を見つける。
今日は、エリサのお相手もきちんと参加しているようだと、無意識に頬を緩めた。
ふいに、自分の隣に人の気配を感じ、コレットはそちらに顔を向けた。
コレットの隣に立った人物は、コレットを見ずにまっすぐ前を向いている。
長いブルネットの巻き毛を結い上げた少女は、赤く塗られた唇が白い肌に際立って見える。
コレットの視線に気が付いたように、ゆっくりと視線を合わせるその少女は、息を飲むほどに美しかった。
長い睫毛に縁取られた深い緑色の瞳が、しっかりとコレットを見る。
「マカリスター男爵家のコレット……さんですわよね」
「はい」
問われて、コレットは頷いた。
「わたくし、アニエス・オースティンと申します。お初にお目にかかりますわね」
言われた名前にコレットは、はっとした。
アニエス・オースティン。
オースティン公爵家の姫君で……。
(フィオンさまの、婚約者候補)
聞いたことのある名前に、コレットは息を飲む。
「あなたにお話がありますの。少し、お時間よろしいかしら?」