14.白い薔薇
馬車から降り立つと、コレットはその華やかな雰囲気に気圧されるように息を飲んだ。
王宮に来るのはこれが四度目である。
一度目は社交界にデビューする前、王と王妃に拝謁するため。そして二度目はフィオンが惚れ薬を飲まされたことを知らされ、三度目は王妃のお茶会に出席した。
だがそのどれも昼間のことであり、王宮の大きさ、威厳を見せつけられるのには十分であったが、今日の夜会ではその雰囲気をガラリと変えていた。
日が傾いている時間帯、あたりは徐々に暗さをましている。
だが、王宮内にともされた灯りは煌々と輝き、王宮の姿をはっきりと夜空に浮かび上がらせていた。
暗さと明るさをその身にまとう王宮の姿は、荘厳でさえある。
フィオンから招待状を受け取ったコレットだったが、その後両親にも王家からマカリスター男爵家へと直々に招待状が届いていた。
フィオンからの招待状は、王の許可のもと、王弟フィオン・アルファードの名前でのもの。王家の押印の入った招待状は、つまりはフィオンのパートナーとしての正式な招待である。
今日の王宮でのパーティーは、この前のルノワール伯爵邸のものとは違い、気軽なものではない。
王や王妃が出席するこの夜会は、派閥や人間関係などが関係して開かれる貴族の夜会とは違って、王家の権威のもとに多くの貴族が集められる。
そこでコレットは、正式にフィオンのパートナーを務めなければならない。
王家の申し出を断れずフィオンの願いを受け入れてしまった時点で、ある程度覚悟はしていたつもりだったが、あまりの華やかな場では、今年社交界にデビューしたばかりのコレットは足がすくんでしまいそうだった。
しかし、今更逃げるわけにはいかない。
王宮内へと先に進んでいった両親に後れないように、コレットは慌ててその後を追った。
大広間に入れば、いくつものシャンデリアが輝き、そのまぶしさにコレットは目を細めた。
到着した貴族の名前が、広間に入ったとほぼ同時に呼び上げられる。
マカリスター男爵家がその名を呼ばれると、みな談笑していたのをピタリと止め、視線が一気に入り口付近に集まった。
その視線の種類は、嫉妬によるものや、興味を持って楽しんでいるもの、大変なことに巻き込まれた男爵家への同情の混じったものなど人それぞれだ。
両親はそれを事前に覚悟していたのか、少し顔を強張らせたものの、その場を通り過ぎ知り合いの貴族を見つけて話しかける。
一瞬凍りついたその場の雰囲気がそれによって少し緩和し、あたりにざわめきが戻ってきた。
「かなり、注目を集めてるようですわね」
緊張していたため気配に気づかず、コレットは驚いて後ろを振り返った。声をかけてきたのは、コールフィールド伯爵家令嬢エリサである。
王宮の大広間には、すでにかなりの人数の人々が集まっている。お互いに知り合いを見つけては挨拶を交わしつつ、それでも今噂の少女が気になるのか、ちらちらとこちらを見ている視線が痛い。
その中に、きつくコレットを睨んでいる少女にコレットは気が付いた。
コレットの視線に気が付くと、視線を合わせたくもないとった感じでぷいっと横を向く。
その様子をみたエリサはあらあらといった感じで肩をすくめた。
「ノーフォーク伯爵家のジュリアよ」
「ジュリア……さま」
その名前をコレットは聞いたことがあった。
フィオンの婚約者候補として、有力だと言われていた少女の一人だ。
バード公爵家の当主は二十一歳となった今、縁談がかなり持ち込まれている。
まだはっきりと決まっていないため、望みを捨てずにせっせと娘を紹介しているものも少なくないが、その中でも三人が有力候補とみなされていた。
ジュリア・ノーフォークはその有力候補三人の一人だった。
コレットに顔を寄せ、少し内緒話をするようにエリサが話しかけた。
「入り口のほうを見て」
促されるままにそちらをみると、サーランド侯爵家の名が呼び上げられるところだった。
「サーランド侯爵家の姉妹の妹。ほら、水色のドレスの。彼女がモニカ・サーランド。バード公爵家とはご親戚にも当たるのよ」
モニカ・サーランドもフィオンの有力な婚約者候補である。
ただ親族であるがゆえに、バード公爵家の一層の影響力の強さを懸念するため、反対の意見もちらほらと聞かれるというが。
「後は、まだ来ていないようだけれど、オースティン公爵家のアニエス。アニエス以外は、ルノワール伯爵家のパーティーにも来ていましたから、見たことあるかしら。とにかく、この三人の名前は覚えておきなさいね」
かすかに見覚えのある顔に、コレットは頷いた。
おぼろげながら見たことがある顔を、しっかりと頭にいれる。名前は聞いたことがあったが、フィオンの婚約者候補として本人を認識するのは始めてである。
「コレット。胸を張って堂々としていらっしゃい」
「え?」
「自分に恥じるところなどないのですから、しっかり前を向いて。少しでも弱気になっては、まわりの嫉妬を跳ね返すことなどできませんわよ」
最初はフィオンとのことを反対していたエリサだが、こうなってしまっては仕方がない。
コレットの立場が悪くならないよう、友人として協力するしかなかった。
「弱気になると、人はすぐそれを感じ取って攻撃してきます。その隙を与えないようにね」
「ありがとう」
友人の忠告に、コレットはしっかりと頷いた。
この場の雰囲気のなか、気にせずに話しかけ心配してくれるエリサの存在が、コレットにはとても嬉しかった。
ざわめくホールで人の波が避けた。
その中コレットの前に現れたのは、バード公爵フィオン・アルファード。
今宵は王弟として出席しているらしく、まわりに気を配りつつフィオンはコレットに近づいてくる。
「コレット、よく来たね」
白い手袋をしているコレットの手をとると、貴婦人にするように優雅に口付けを落とした。
「こんばんは、バード公爵。本日はお招きありがとうございます」
腰をかがめて、コレットはフィオンに頭を下げる。
「今夜は楽しんでいってください。エリサ嬢も」
「ありがとうございます、公爵」
隣にいたエリサは、ついでのように声をかけられ肩を軽くそびやかしながら微笑んだ。
コレットに視線を戻すと、フィオンは自分の胸元に刺してあった花を一輪取り上げた。
棘の抜かれた白い薔薇の花をいとおしそうに口付けると、それをコレットの結い上げられた髪にそっと挿し込む。
いきなりの行動に、コレットはどうしたのかと目を瞬かせた。
視線をフィオンが花を挿したであろう場所に移すが、自分の髪に挿された薔薇の花を見ることはできない。
白い薔薇の花を髪に飾ったコレットを、フィオンは満足そうに見て微笑む。
今日のチェリーピンクのドレスと、髪を結い上げた同色のリボンに白い薔薇はとてもあっている。
「よく似合ってる」
嬉しそうに微笑むフィオンに、コレットもつられるように微笑み返した。
「ありがとうございます」
それは花をもらったことに対して。
「それじゃ、また後でね」
そっと耳元にコレットにだけ聞こえるように言うと、フィオンはその場を離れた。
主催者側の彼は、今日はコレット一人についているわけには行かない。
王と王妃は、パーティーの参加者がそろったところで顔を出す。二人がいない間、来客の相手をすることが、王弟であり王族の一員でもあるフィオンの役目なのだ。
そんな忙しい中、コレットが来たことに気づきやってきたのだろうが、そのやり取りがまわりの人々の視線を集める結果になってしまっている。
噂どおりのフィオンの様子に、まわりもかなり驚いているようだった。
それと同時に、いっそう若い女性の視線がきつくなる。
それにしても……と、エリサは去っていったフィオンを見送った後、コレットをちらりと見た。
まわりからの視線を気にしないようにと、しっかりと前を見ている親友の姿に、以前とは違うものを感じた。今しがたフィオンに白い薔薇を贈られたコレットは、この前のパーティーのときよりも戸惑いが少ないようだ。
もちろん、この前のように突然の出来事ではないということもあるかもしれないが、フィオンに対する警戒心がかなり薄らいでいるような気がする。
まあ、フィオンと一緒にいることを選んだ時点で覚悟を決めた、ということもあるのかもしれないが。
「それにしても、この前以上ですわね」
コレットに対するそれは、もう恋人への態度そのものといってもいいかもしれない。
「それも白い薔薇なんて……」
「え?」
「そこまで考えているかどうかわかりませんけれど。白い薔薇の意味、知ってまして?」
反応がいまいち鈍いコレットに、エリサは続けた。
「『私はあなたにふさわしい』」
パーティーで同じものを身に着けるのは、パートナーの印といってもいい。
自分の身に着けていた花をコレットに渡した時点で、このパーティーに来ている人たちに、コレットが自分のパートナーであるとはっきりと知らしめている。
その上で、みなの前でコレットに告白しているようなものだ。
さらにそれが白い薔薇であることで、自分がコレットにふさわしい人物なのだとみなにいっている。
コレットがどうのという問題ではなく、自分がコレットを選んだのだと。
(それって……)
もらった花の意味に、コレットの頬が赤く染まる。
薔薇は愛を告白するときによく使われる花ということは認識していたが、髪飾りとしてもらったために、あまり意識していなかった。
あのやりとりでは、意味を知っている人からみれば、フィオンの告白を自分が受け取ったように見えるのではないだろうか。
慌ててみても、今さらどうすることもできないが。
自分が思っていた以上に、バード公爵はコレットのことに本気であるらしいと、エリサはフィオンの後姿を見送った。
フィオンがコレットに興味を持ったのは、惚れ薬を飲まされたから。
そう思っていたが、これだけ公然とコレットをみなの前に出すということは、それだけではないのだろうか。
あのバード公爵に本気で口説かれたとして、コレットがいつまで耐えられるものかと、エリサは隣にいる親友を思い、小さく息を吐いた。
「好きになったら、大変でしてよ」
「え?」
つぶやくように言われたそれは、コレットの耳には届かなかった。
どうしたのかと自分を見るコレットに、エリサはなんでもないと首をふった。