12.手紙
王都の高級住宅街にある一際大きな邸宅。
上品な家具や調度品にかこまれた、バード公爵家の応接室の扉がパタリと閉じられた。
閉じたと同時に、今までにこやかな表情を浮かべていたフィオンは、疲れたように小さくため息をつく。
今のでいったい今日何人目の客だったか。
父親に連れられてきたランデル子爵家の令嬢が、去り際フィオンのことを何か言いたげな表情で見つめていたが、さすがにそれを相手にしている気分にもなれなかった。
フィオンが惚れ薬を飲まされたとの噂を聞きつけ、バード公爵家に足を運ぶ貴族が前にもましていっそう増えていた。
そのほとんどが、娘を伴っての訪問である。
口では見舞いの言葉を告げながら、内心は別の目的があるのが明らかだ。
貴族社会の礼儀として、そしてフィオンの立場上、見舞いに来るというものをあまり無下に断ることはできない。
しかし、惚れ薬の相手がなぜ自分の娘ではなかったのか、そう言いたげなのがありありと感じられると、さすがのフィオンも辟易としてくる。
今ほど出て行ったばかりのランデル子爵との会話を思い出し、フィオンは柳眉を曇らせながらイスに体を預けた。
「公爵。お噂はお聞きしました。なにやら大変なことになったようですね」
たっぷりと太った体には春の日差しでさえきついのか、ランデル子爵は額に浮かぶ汗をぬぐいならら話かけてきた。
応接室でにこやかに迎えたフィオンは、子爵と彼に伴ってやってきた令嬢を客室のテーブルへと誘う。
「お体の方は大丈夫ですの?」
ランデル子爵の後ろに控えていた、ジェシカ・ランデルが尋ねる。
父親に似なかったことが幸いしてか、ジェシカはなかなかの美人である。
お見舞いにくるには少し派手では?と思うような赤のドレスがよく似合っていた。
父親であるランデル子爵は、爵位でこそ子爵であるが、王宮での職務にも熱心な人物である。ただ唯一の難点は、彼もフィオンを王にと望む一派の一員だということだ。
表だってそれを口にすることはないが、それとなくフィオンに働きかける言の葉で察することはできた。
ジェシカとも会うのはこれが初めてではない。
ランデル子爵には、ジェシカを何度も引き合わされている。
フィオンの結婚相手にと望んでいることは明らかだった。
フィオンはにっこりとジェシカに微笑みかける。
「心配してくれてありがとう。みなにも言っていますが、体は本当になんともないんです」
薬を飲まされたといっても、とくに具合が悪くなったりしているわけではない。
「ですが……」
言いにくそうにジェシカがいいよどむ。
言いたいことは分かる。
フィオンが口説いているという少女のことだろう。
だが、フィオンはあえてそれに気が付かないフリをして話題をかえた。
「子爵も大変でしょう。確か、実行犯が入っていた監獄の責任者のお一人は子爵の親族の方でしたよね」
「え、ええ。まあ」
確かに、ランデル子爵の弟が責任者の一人として名前を連ねている。
「実行犯が早く捕まることを願っていますよ。それによって真犯人にたどり着きやすくなる」
「尽力はしているようなのですが、なかなか……」
痛いところをつかれ、子爵は汗を拭く手を忙しなく動かす。
ランデル子爵個人の責任ではないとしても、事態が事態なだけに、犯人が捕まらなければ今後の責任問題も大きくなってくるはずだ。
子爵家に飛び火する前に何とかする必要があるだろう。
他の相手に心奪われているフィオンに、本来なら娘を売り込んでいる場合ではない。
「何かわかりましたら、すぐに公爵にご連絡さしあげます」
「ええ、よろしくお願いします。真犯人の顔をぜひ見てみたいものですからね」
「公爵は犯人には言いたいこともたくさんおありでしょう」
なんといっても、わけの分からない薬を飲まされてしまった被害者なのだから。
「それもありますけれど、興味があるんです」
「興味ですか?」
「ええ。そこまでして僕のことを手に入れたかった人が、どんな人なのか」
「まぁ、そうかもしれませんね」
こほんと子爵は咳払いする。
「とにかく、まだいろいろ捜査の段階でもあるようですし、公爵には薬のお相手とは少し距離をとっていただければと……」
「薬の相手?」
「マカリスター男爵家の令嬢と伺いましたが」
「ああ。それはちょっと難しいですね」
少し考えるようなしぐさをして、フィオンが答える。
「これが薬の効果なのかどうか、僕には分からないのですが、彼女と一緒にいたい気持ちを抑えることができないんです。マカリスター嬢にはとても迷惑をかけていると思いますが」
惚れ薬の効果に戸惑うこともないフィオンに、ランデル子爵は焦る。
さすがに、それはまずい。
「で、ですが公爵。まだその、犯人が捕まっていない時点では、そのいろいろと問題があるのでは」
「何がですか?」
「その女性が犯人ではないという確証もありませんし」
「ああ、コレットは犯人ではありませんよ」
言い切るフィオンに、子爵は引きつったような表情を浮かべた。
あの後ランデル子爵には、コレットと距離をとるよううったえられた。他の来客と違わぬ言葉を、切々と聞かされたことになる。
「まったく、どうしてみんな反対するのかな」
来客と入れ替わるように応接室に入ってきたロイドは、いきなりフィオンに話しかけられ、何のことかわからず固まる。
「どうしてみんな、コレットとのことを反対すると思う?」
「それは……理由はいろいろあると思いますが」
以前より、自分の娘や親族をフィオンの結婚相手として望んでいる人物にとって、ぽっと出の男爵令嬢にフィオンを奪われるかもしれない事態におちいっているのだ。あせるのも無理はない。
「出会いが、出会いですし、なかなかみなさん理解されるのは難しいのではないでしょうか」
惚れ薬で一目惚れなんて、とうてい許容できる範囲ではないということだろう。
王弟であり、名門バード公爵家の当主の結婚相手として、一地方領主の男爵家令嬢というのは、そうそうあることではない。
「さすがに僕も、男やメイドに恋をしたなんてことになったら焦っただろうけど、コレットで何か問題があるのかな?」
身分の問題を出すものもいたが、コレットは男爵家令嬢であり、きちんとした貴族の娘だ。労働者階級や中流階級の女性でもあるまいし、たいした問題ではない。
薬のことが公にならなければ、本当にフィオンがコレットに一目惚れしたということになっていただろう。
それを阻止したのが実行犯の証言なのだから、ある意味その犯人は自白した目的を果たしたことになる。
「はぁ」
フィオンの言葉に、ロイドはなんともいえない表情で相打ちを打つ。
コレットではみながだめだと思う理由は理解ができる。
それを無理やり通そうとする主人の方が、恋に盲目になっているような気もしないでもない。
さすがに従者であるロイドはそんなことを口にはしないが。
トントン。
ドアがノックされ、バード公爵家の老執事であるクレマンが応接室へと入ってきた。
手には手紙がある。
「大旦那さまからでございます。書斎へとお持ちしますか?」
「そうだ、クレマン。君はどう思う?」
「はい?何がでございましょう」
手紙を持ったまま、クレマンは首をかしげた。
「君も反対するかい?僕とコレットのこと」
「反対でございますか」
「どうやらロイドは、来客と同じ意見のようなんだ」
二人に見られて、ロイドはたじろぐ。
ロイドから視線をはずし、執事であるクレマンははっきりと答えた。
「マカリスター男爵のご令嬢を反対する理由が、私にはございませんが」
クレマンの言葉に、フィオンはにっこりと笑う。
フィオンは立ち上がると、クレマンが持ってきた手紙を受け取った。
「というわけだから、ロイド。君も僕とコレットがうまくいくよう協力するようにね」
去り際にぽんとロイドの肩をたたくと、執事の言葉に機嫌をよくしたフィオンは、軽い足取りで応接室を後にした。
応接室に残されたロイドは、考え込むように眉根を寄せると首をかしげる。
フィオンとクレマンの二人が賛成しただけで、自分の意見の方が間違いであるかのように感じるのはなぜだろう。
テーブルの上に残っていた来客用のカップを片付けるクレマンに尋ねる。
「なぜ反対されないのですか?」
「何をですか?」
「マカリスター男爵令嬢とのことです」
「反対する理由がありますか?」
ロイドにはたくさんあるように感じられた。
なんと言っても、かなりのスキャンダルであることは確かである。
「いくらでもありそうですが……」
家柄は貴族という意味では許容範囲だとしても、きっかけがきっかけである。まだ犯人が捕まっていない今の状況では、マカリスター男爵令嬢をすんなりと受け入れるのもどうかと思われる。
「ロイド。あなたはもう少し、主人の気持ちを理解する必要があるようですね」
「気持ち……ですか?」
戸惑うロイドに、クレマンは微笑むように目を細めた。
「きっと、大旦那さまも反対はなさらないと思いますよ」
書斎に着いたフィオンは、イスに座ると手紙を机の上に置いた。
手紙には蜜蝋の上から、前バード公爵であり祖父でもあるヘンリーの押印がある。
祖父はバード公爵位をフィオンにゆずった後、現在はバード公爵領で隠居生活を送っていた。
ペーパーナイフで封を切り、手紙に目を通す。
なかに書かれていたのは、先日の件を報告したことの返事である。
『思うとおりにしなさい』
体調を気遣う言葉の後に、そう書かれていた。
先ほどの執事同様、祖父であるヘンリーもコレットとのことに反対はしていない。
これでバード公爵としても、フィオンはコレットを口説くことができる。
イスの背もたれに体を預けると、フィオンは窓の外に目を向けた。
昨日のコレットとの会話を思い出す。
琥珀色の瞳の少女を思い出すだけで、フィオンの胸に甘い感情が湧き上がってくる。
困ったようにフィオンを見つめながらも、拒絶の言葉を言わなかったコレット。
本当なら、惚れ薬で好きになったなど、いくら王弟といえど失礼にも程がある。コレットには、フィオンを罵り、拒絶する権利があった。
そして拒絶以上に、この状況を利用することさえコレットには出来たはずだ。
王弟であり、バード公爵である自分の利用価値はフィオンが一番よくわかっている。
フィオンの口説き文句にあわせていれば、社交界で確固たる地位を築くこともできるかもしれない。
でも、彼女はそのどちらもしなかった。
困ったような表情をしながら自分を見ていたコレットは、この状況に困惑しながらもフィオンのことを気遣ってくれていた。
コレットに恋をしてしまったフィオンが、彼女の言葉でどれだけ傷つくのかを十分理解し、言葉を選んでいるのはフィオンにもよく分かった。
そんな彼女の言葉一つ一つで、コレットへの愛しさがどんどん募っていく。
ロイドに問うまでもなく、みながコレットを反対する理由をフィオンは知っている。
だが、だからこそのチャンスである。
惚れ薬を飲まされた。
それを利用することにより、反現王派の干渉する姫以外を手に入れることができる。
もし薬の効果であっても、男だったり身分が貴族出身でなかったり、そしてなにより現王に対する反対勢力、フィオンを王にと望むものの関係者だった場合、気持ちを抑える自信はフィオンにはあった。思いは止められなくても、会わないといった判断はできる。
だが、マカリスター男爵家は王宮での権力はなく、フィオンに政治的圧力をかけられるような立場にはいない。そして、王宮での役職を利用して圧力をかけられたりする心配もなかった。
思いもよらず、フィオンにとって結婚相手の条件に当てはまった家柄だったのだ。
そして何より、コレットを手放したくないと思う自分がいる。
薬の効果に踊らされているわけではなく、逆に薬の効果を利用してコレットを手に入れようとしている自分は、コレットにとってもっとも危険人物なのかもしれないと、フィオンは自嘲するように笑った。
説明しているわけではないが、祖父と執事であるクレマンはそのことを理解しているのだろうと思う。
だからこそ、惚れ薬で好きになってしまったという女性に対して、公爵家に迎えることになるかもしれない事態であっても反対しない。
(さてと)
次はどうするか。
昨日の別れ際、コレットには来週王宮で開かれるパーティーの招待状を渡してある。
いくら気持ちを伝えても、コレットはどうやら自分が完全に薬のせいで彼女のことを口説いていると思っているようだ。
まずはそんな彼女に、自分がどれだけ本気であるかを知ってもらう必要があると、フィオンは楽しそうに口元をゆるめた。