仰々しく閉じ込めにかからなくたって、自分の立場は弁えております
エレナが目を覚ましたのは丁度、日が沈む頃だった。城の最上階にある部屋からは熟れすぎた李の様な色の空が良く見える。しかしその窓には頑丈そうな鉄格子がはめ込まれ外に繋がっているであろう黒い石造り扉も容易に開く気配はない。
「…閉じ込められてる」
ため息とともに呟いたその言葉を拾う者はない。エレナは豪奢でやけにふかふかしたベッドに腰掛け、口元に組んだ手を当てながらもう一度ため息を吐いた。ニュンパエアの調査団はどうなったのか、何故一人だけアデニウムに保護などされたのか、そもそも面識もない皇子に何故いきなり求婚をされたのか…疑問が溢れてとどまらないが、彼女のそれに答える者もいない。
「(答えたとして真実とも限らない、さて)」
「妃殿下、失礼致します」
鈍く低い音と共に扉がこじ開けられた。顔を見せないようになのか扉を開けた二人の兵士は鉄の帽子のような兜を口の上まですっぽりと被っている。その兵士の間から数人の女官が素早く部屋に入ると扉はまた彼らによって閉められた。女官たちはエレナが見たことのない薄布を何層にも重ねた衣装を着けいてた。
「この度はご婚姻おめでとうございます、ニュンパエアよりの輿入れとあればご不安もさぞかしおありでしょうが我々女官一同、本日より誠心誠意お仕えさせて頂きますのでどうぞご安心下さいませ」
「さあさ、お召し物を換えましょう!」
「お体をお拭きいたしますわ!」
「髪を整えるのは私が!」
「装飾はいかがいたしましょう、妃殿下は肌の色が薄いので宝石もお化粧も映えますわ」
女官たちは一様に目を輝かせてベッドを囲む。あまりの勢いにエレナが何も言えないでいると、それを良いことに彼女たちは自分の責務を滞りなく一つの漏れもなく嬉々として行った。数人に囲まれて小一時間はかかるような身支度をしたことがなかったエレナは女官たちが下がった後、ぐったりと繊細な装飾の施された椅子にもたれることしかできなかった。着けたことのない細やかな柄のドレスは見る角度によって色合いを変えるような複雑な織物でできているし、じゃらじゃらと付けられたブレスレットは異様な程に輝いている。靴は皮と布で編み込まれており、一人で脱ぐことは出来なさそうな作りだ。
「何が、何が起きていたのか、魔導着とられたし…え、待って嘘、まさかこれ毎日…?」
「うんごめん、これからずっと毎日だわー」
エレナが飛びのくと、がじゃんと派手な音を立てて椅子が倒れる。振り返ると驚いた顔のシモンが扉の近くでそれを見ていた。
「妃殿下、シモン様!何かございましたか!?」
「大丈夫大丈夫、椅子が倒れちゃっただけだから」
「お怪我はなさいませんでしたか」
「平気平気ー閉めて良いよー」
兵士たちは戸惑うような仕草を見せながらも言われたとおりに重たい扉を閉じた。
「いやあごめんね驚かせて、声はかけたんだけど分からなかったみたいだね」
「いえ、こちらこそ…」
「さて、で、何が聞きたい?まだテオドルは来ないから答えられることなら答えるよ?」
エレナはじりじりとすり足でシモンから距離をとり鉄格子の嵌められた窓枠に手をついた。
「なぜ、何をお答えくださるというのです」
「まあ、ほら、あんまりにも可哀想だからさ、俺にも良心というものがあるんだ」
エレナの値踏みするような視線にシモンは苦笑を返す。エレナに真偽は分からないが悪い提案ではなかった。どちらにしろ情報は多い方が良い。彼女の目の前にいるのはその若さでアデニウムの外交を一手に任されるようなやり手で、貴族としての地位も高い侮れない男だった。エレナは掌が湿るのを感じた。
「この状況は一体どういうことでしょう」
「うちの皇子様の一目惚れ癖で君が皇子妃になっちゃった感じかな」
「一目惚れ癖」
「女の子に惚れたのは初めてよ!?あいつはそういう軽い感じじゃないから!ちょっとお茶目だけど、見た目通り硬派な感じ!大丈夫うちも一夫一婦制だから!そこは是非安心して!」
「ニュンパエアの調査隊がどうなったかご存知ですか」
「遠目から一瞬だったが応戦していたように見えたな、でもあれじゃあ難しいかもね」
「…今後、私はどうなりますか」
「一月後の結婚式でお披露目かな」
「…」
「…」
「…」
睨み合っていた二人の内、先に目元を和らげたのはエレナの方だった。和らげたというよりは疑いもしくは呆れのような色が大きかったが。
「うん、言いたいことは分かるけどその目は止めて」
「確か現皇帝の血筋は一粒種ですよね、先代からそうだった筈ですが」
「そうですね、俺でさえ先々代の帝弟の孫だからね」
「大丈夫なんですか、血筋とか国内情勢とかその他諸々」
「うん、君に心配されるくらいには大丈夫かな!」
「何と言うか、その、心中お察し申し上げます…中間管理職は辛いですよね…」
「君もこっち側の人間か…」
シモンは目を覆いながら顔を伏せる。彼が部屋に入ってきた時の緊張感など霧散してしまって何となく決まりが悪くエレナは窓枠を撫でた。次に何を話したものかと両者が言い淀んでいると、また扉の開く音がした。
「不貞行為、駄目絶対!」
「縁起でもないこと言うんじゃねぇよ、殺す気か俺を」
元気の良い声と不穏な言動と共に入室してきたフェルナンは二人を見て首を傾げた。
「あれ、シモン様疲れてます?」
「今、更に疲れたわ…てか、帰ってくんの早かったな」
「すっごく飛ばしました!あ、妃殿下、俺フェルナンって言います!どうぞよろしく!」
「はあ」
「妃殿下もお疲れですか、シモン様に苛められました?俺が殿下に言いつけといてあげますね!」
「なあ俺のことを絞首刑にでもしたいの、何なのもう部下が反抗期で辛い!」
「お疲れなら蜂蜜が良いっすよ、俺それも買ってきたんでどうぞ!」
フェルナンは白地に可愛らしい花が描かれている小さな蜜壷を懐から出すとエレナに差し出した。エレナは戸惑い受け取るか迷ったが、目を輝かせているフェルナンの後ろでシモンが頷いているので断ることもできない。
「…ありがとうございます」
「はい!お気に召しましたらまた献上致しますので仰ってくださいね!」
「はいはいフェルちゃん近い、妃殿下がお困りだからね」
「おっとすみません、つい」
ぐいぐいとエレナに近寄るフェルナンの襟をシモンが掴んで引きはがす。
「でも妃殿下が思ったより落ち着かれていて良かったです、お倒れになられたので心配してたんですよ」
「それは、申し訳ありませんでした」
「謝る必要なんてないですよ、でも良かった!」
「何が良かったのよ」
「だってシモン様、ニュンパエアに帰るー何て言われたどうしたらいいか分かんないじゃないですか」
「あはは馬鹿だなお前は、妃殿下はご聡明であらせられるからそんなこと言う訳ないじゃないかー」
「そうなんすか、やった!警備増やさなくていい!」
「いやそれはやっとけ」
「えー今よりもっすかー?」
「うん、これじゃ足りない」
「うえー」
途中一瞬ではあったが部屋の温度が下がった気がしてエレナは自分の腕を抱いた。外交に携わらないフェルナンは、それでも異様な若さで皇子の側近にまで上り詰めていたことからニュンパエアでも何度か話題になっていた。皇子の正式な側近二名がエレナの動向を探りにきている。その事実がこの一連の流れに現実味を帯びさせた。
「高級魔術師は私一人ではありません、殿下のご意向に従いましょう」
「賢明なご判断だ、ニュンパエアは良い魔術師を持った」
「ニュンパエアの調査団がどうなったか気になります?調べさせましょうか?」
「いえ、避難させなければいけない者はすでに避難しております、残った者がいたとしても卵持ちの翼竜なら逃避は可能でしょう」
「ふうん、精鋭部隊だったんすねぇ」
そんな雰囲気ではなかったとと言うのをシモンは飲み込んだ。ごねられたらことだ。フェルナンもシモンを見て咄嗟に口を閉じた。しかしまたすぐにそれは開く。
「そう言えば皇子がもうすぐ来るって言ってました!」
「それ一番に言うべきじゃね?」
「アンクレットに刻印入れたらすぐ来るって」
「アンクレット?」
「ああ、うちの風習で」
説明しようとしたシモンの声はまたもや開いた重たい扉の音で消されてしまう。そこに立っていたのは旅装束を解き、白を基調とした簡略型の官服を着たテオドルだった。右手には大きな篭を持ち左手には大量の箱を抱えているが、それを手伝う者はいなかった。しかし側近二人はそれを咎めるでもなく何事もないかのように受け入れる。
「引くわ、初回でその量は引くわ、ねえ妃殿下」
「初回、とは?」
「お伺いの風習もないんすか、ニュンパエアって」
「奥さんや彼女へのご機嫌伺いっていうか、まあ貢物だよ」
「は!あれっすね、これは!」
「フェルちゃん、煩い」
「後はお若い人同士でーってヤツっすね!シモン様、さ!お邪魔虫しちゃダメっすよ!」
「そっか、まあそうだな、じゃあごゆっくりー」
テオドルが入ってきたまま開かれていた扉から二人はするりと抜け出て行ってしまった。またしっかりと閉じられた部屋の中には当然だがテオドルとエレナの二人が残された。