え、それどうするつもりなの、持って帰るの、まじで、まじで!?
じり、と布越しに火が刺してくる。あり得るはずも無いことだが、遠からずな錯覚に隊のほとんどの者が錯覚を起こしていた。見渡す限りに黄金と白の砂でできた丘では昨日の夕方に出た筈の故郷が鈍い灰色の小石に見える。
「あっじぃぃぃいっすよおお、俺こんな時間に砂漠出てたの初めてっすよおおお」
「あはは、フェルちゃんは元気だなー叫ぶと余計にしんどいぞー」
「ううううーこんな時期に翼竜とか勘弁してほしいでず」
「本当にな、だが翼竜の営巣は毎年雨季の前だからな」
「来年もこのくそ暑い日に見回らないといけないとか拷問っす…」
「まあ今年はキャラバンが巣を見つけてくれたからちょっと楽だったよ、なあテオドル!」
声を発さず頷きだけを返したのは、三十余人程の麟馬隊を率いる彼らの故郷アデニウムの第一皇子テオドル。短い銀髪をターバンの下に隠していても、布から覗く浅黒く焼けた目元から新月の夜を思い出させるような濃い藍色の瞳が皇子たる者の気品を感じさせた。皇子の側近である年若いシモンとフェルナンは自身の麟馬を彼の横につけ文句を言いながらも並走する。
「おっと、フェルちゃん見えてきたぞ」
「あれが…俺、初めて見ました…!」
「ここからは静かにしような…と言いたいんだが、何か既に騒がしい気がするんだけど」
「…ニュンパエアの者だな」
ニュンパエアとは彼らの国アデニウムの隣国であり、魔法が盛んで水が潤沢にあるオアシスの国だった。アデニウムとは同盟国にあたるが、両国の国境付近で翼竜が営巣した為に彼の国もまた偵察に訪れていたようだ。しかし様子がおかしい。翼竜は夜行性でこんなに陽が高い内からは自ら動こうとはしないし、元々人を襲うような種族ではない。勿論モンスターが持ちうるべき嗜虐性はあるが、聡明な竜族は態々食べがいのない小さな人間を狙うよりはより食いでのある大きな生き物を仕留める。今回の偵察とて生態調査の意味合いが大きい。だというのに、両者は戦闘態勢に入っており魔法と竜炎がぶつかっている様が数十キロ離れた場所でさえも見て取れた。
「あーあ、ドンパチしちゃってんじゃーん」
「フェルナン、皆を下がらせろ」
「御意のままに」
フェルナンが引き返すのと同時に巨大な魔方陣が空に描かれ、一瞬で消え去った。その凄まじい魔力にシモンが思わず息を漏らすと、次の瞬間すぐ側で雷が落ちたような衝撃と爆音が響いた。シモンが慌ててしかし迅速にテオドルの麟馬を押し下がるよう怒鳴ったが彼の耳には何の情報も入らず、あろうことかそのまま麟馬を降り翼竜の巣の方へ走り出した。
「テオドル!」
シモンは今度こそ動揺して麟馬から転げ落ちたが、テオドルは構わず走って行く。彼は空を見ていた。全力で走りながらも、落ちて来るものから目を離さずに。落ちてくるそれは深い青紫色をしており、衝撃に備えて丸くなっていうようだった。シモンが後ろから叫んでいるが、テオドル自身も何故走っているのか分からなかったのだから止まりようがない。
「ぐ…っ!」
砂に足をとられたが、丁度いい場所だったようで空にあった丸い青紫はテオドルに向かって落ちてきた。受け止めると思っていた程の衝撃はなく重さもあまり感じない。緩和の魔法をかけていたのだろうと推測されたが、あまりゆっくりと感心もしていられず彼の後ろをついて来ていた忠誠心の篤い麟馬にそれを抱えて飛び乗った。遅れて走ってきたシモンも同様に引き返し隊に戻る。
「何やってんだ、お前は!あんなのに巻き込まれたら吹き飛んじまうだろうが!てかそれ何!?」
「知らん!」
「知らんじゃねえ!」
「お二方でケンカしないで下さいよ!隊列並び直すんで早く中央へ入って下さい!」
「ああー!フェルちゃんこいつの味方なの!?長いものに巻かれる感じなの!?」
「後にしろっつってんですよ!さっさと中央行って下さい!」
フェルナンは上司を追いやると素早く隊列を組み直し彼らを中央に囲んで自身が殿を務めた。全速力で隊を走らせながら何度も後ろを振り返ったが、翼竜たちは彼らなど気にも留めていないように交戦を続けている。初の偵察はとんでもないことになったと心の中でため息を吐きながら、いつでも腰の剣を抜きとれるように構え麟馬を走らせた。
麟馬隊の全速力をもってしても彼らの国までは一日半はかかる。夜通し走り続け、残りが半日程度になった頃に通りかかったオアシスで隊を休ませることになった。
「で?」
「で、とは」
「お前、今回ふてこいな、それ何って聞いてんだけど」
「分からん」
「いや見ましょうよ、中身」
部隊の屈強な男たちが天幕を設置しているのを横目にシモンは苛立ちを隠さない。テオドルが命の危険まで冒して受け止めたものを彼ががっちりと掴んで離さなかったからだ。フェルナンに言われ渋々、テオドルが青紫の布を捲る。
「女だ」
「女の人っすね」
「そうだな」
「そうだな、じゃなくね?え、俺がおかしいの?」
「やーどうっすかねー」
「どうっすかねーじゃないよ、フェルちゃーん」
顔を手で覆い天に向けるシモンに構わず、テオドルは布の中身をじっくりと見た。さらさらと流れる真っ直ぐな黒髪は胸までかかり、ミルクにバターを溶かしたような肌は彼らのそれとは明らかに違う柔らかさを携えていた。吹き飛ばされた衝撃からか未だに瞼は閉じられているが小さく息はしているようだ。しかし差し込む陽射しの強さにむずがったのでテオドルはもう一度、布を被せた。
「殿下、また被したらその人が息できなくなっちゃいますって」
「そうか」
「そうっすよ」
「それよりも水はどうする、丸一日飲んでないだろう脱水起こすぞ」
「むしろその人、吹き飛ばされてましたよね、衛生班呼んできまっす」
テオドルは息ができるよう布に少しだけ膨らみを持たせた。そこから覗く彼女の顔をまたじっと見つめる彼をシモンは呆れながら大きく息を吐いた。