小さな成長
「勝丼:蘭さん」
「蘭:ん?」
とりあえず今日の押し問答……じゃなくて、小説談義が一段落した頃、勝丼君は、
「勝丼:やっぱ、恋をしたほうがいいのかなぁ……」
とか言った。
「蘭:勝丼君は、好きな子とかいないの?」
「勝丼:ときめきラヴァーのさくらちゃん」
「蘭:なにそれ」
「勝丼:ゲームのキャラ」
「蘭:馬鹿じゃないの?」
「勝丼:だってクラスの女子とか、みんな性格悪いし」
「蘭:さくらちゃんは性格がいいわけ?」
「勝丼:うん。優しいし、いつも励ましてくれるし、ちょっとドジなところがかわいいし」
「蘭:馬鹿じゃないの?」
「勝丼:馬鹿馬鹿言うなよ……」
しかし確かに、彼の小説のヒロイン見てると、なにかの感情が抜け落ちてるような違和感がある。
「蘭:勝丼君、やっぱ恋したほうがいいと思う」
ホントの女はそんなに都合よくできてないんだよ。何をされても男を想い続けるような強さも、男がかわいいと思える個性だけを振りまいていられるような余裕もありはしない。
「蘭:性格悪いっていうけど、勝丼君は女子にとって完璧な性格なの?」
「勝丼:性格は決して悪くないと思うけど……」
「蘭:その自信はどこからくるんだか……そうじゃなくて勝丼君は完璧な人?」
「勝丼:じゃない」
「蘭:イヤだって思われたところを、好きな子のために直せる?」
「勝丼:えーーー、悪いところも俺の個性だと思ってるからなー」
「蘭:アンタがそう思ってんのに、何で女子だけが悪いとこ見せないようにしなきゃいけないの?」
自分のことはありのままを愛してくれ。でもお前はそんな自分に気を使ってくれ……が通ると思ってんの?
「勝丼:でもそれって、性格の不一致って奴だと思うんだよ。ちょうど型にはまるような相性のよさっていうのがあると思う」
「蘭:そんな幻想抱いてるから恋しなさいって言ってんの! だいたいね、世界中の女の人から一人を見つけられるわけじゃないんだよ? アンタ、一生のうちに話をする女の子なんて何人いると思ってんの?」
限られた空間の、限られた人数の中で男女は結ばれなきゃならないのだ。分母が限りなく小さい中で、そんな相性を見つけられるカップルがいないとは言わない。
……でも、限りなく低い。
中には、片方が想って想って想って、男の型に一生懸命自分をはめ込もうと努力しても、挙句たった一言だけですべてを否定される恋だってあるのだ。
……わたしみたいに……。
「蘭:……恋で苦しくなってみなよ。都合のいいことばっか言ってくれるゲームの女の子じゃなくてさ。恋愛モノの小説が描きたいんでしょ?」
「勝丼:恋……かぁ……」
……恋をしたことのない恋愛作家が、しばらくチャット上でうなっている。
「蘭:それとさ、わたしから一つ注文つけてもいい?」
「勝丼:注文?」
「蘭:この小説ってぜんぜんロマンチックじゃないんだよね。事実はわからなくないんだけど、もうちょっとムードを高めてほしい」
「勝丼:また訳の分からないことを……」
「蘭:恋愛モノ描きたいなら女の読者意識しないでどうすんのよ。恋愛モノは男の人よりよっぽど大好物だと思うよ。なら、ムードは絶対だと思う」
「勝丼:そっか……」
深く納得したらしい。
「勝丼:どうしたらいいと思う?」
「蘭:なんかさ、ときめく要素入れてよ。なんていうか……ハッてするような……」
「勝丼:うーん。わかった」
……その「わかった」がホントにわかってるのか不安なのはわたしだけ?
数日がたった。九月も十日を過ぎ、わたしもそろそろ大学が始まる。
立ち直ってきたのかな……アイツも通う大学に、普通の顔して行けるのかな……。
最近は勝丼君の奇天烈なお話を読まされ続けているせいで、ともすればへこたれていることすら忘れているのだけど、それでもまともに振り返れば、その都度、わたしの心は深く沈んでいった。
「蘭:見せてもらうね」
「勝丼:うん」
「蘭:そういえばこの小説って、タイトルは決まってるの?」
「勝丼:一応」
へぇ。意外。
「勝丼:『あの空に繋がるまで』」
「蘭:へぇぇ」
「勝丼:どう?」
「蘭:いいんじゃない?」
名前負けしなければね。
だがそれは言わず、何度目になったかしれない改稿版を読み始めた。……と、程なくして吹き出してしまう。
「蘭:なんなのよこれはーーーー!!!!」
「勝丼:トキメキのとこ?」
「蘭:自覚ありか!」
わたしは目をむいて読み上げた。
……………………
歩美は記憶をたどりながら敏史の顔を覗き込んだ。
「敏史君って中学のときメキシコ行ったって言ってたよね」
「いやいや、中学のときはカナダだって」
「ハッ、そうだったっけ!?」
「ははは、中学のときメキシコを略すと「ときメキ」だな」
「ハッ! それはときめくね!!」
「俺もときめいてきたぁぁぁ!!!」
……………………
「蘭:ときめくか馬鹿ぁぁぁ!!!!」
わざとなの!?わざとやってんのこれ!?
「勝丼:いや、ちょっと考えたんだけど、トキメキっていう感情がよく分からなくって……」
「蘭:『トキメキ何とか』っていうゲームやっててわかんないの!?」
「勝丼:うーん……どれがトキメキなのかといわれると……」
「蘭:じゃ、無理して書いてくる前に聞けばいいでしょ!!」
「勝丼:いや、何も描かないで持ってきて、蘭さんに怒られるのいやだったからさ……」
「蘭:どっちにしたって怒らしてるってば」
「勝丼:いや、それは、描いてきた成果を見て怒ってるからいいんだよ。何にも描かないで、蘭さんの言ってたこと無視したっていうのとは違う」
お……。
わたしの、キーボードを打つ手が少し止まった。
「蘭:なんだ……アンタ、少し変わったじゃん」
「勝丼:え?」
「蘭:会った頃は、なんだかんだってやらない言い訳ばっかしてたのに……」
「勝丼:小説家になりたいのは本当だからな」
…………。
「勝丼:蘭さんが俺を変えてくれるかもしれないんだから、今は逃げたくない」
……へぇ……。
わたしの心は少し静かになりつつ、トキメキというものへの言葉を探した。
「蘭:……とりあえずさ……トキメキっていうのは、その人のことを『あ、いいな』って思わせる瞬間のことだよ」
「勝丼:ふむ」
「蘭:例えばその『トキメキ何とか』のさくらちゃんだって、勝丼君に『いいな』って思わせた何か小さな行動があったから『かわいい』って思ったり、『やさしい』って思ったりしたんでしょ?」
「勝丼:あぁ……」
「蘭:そういうのを『顔がかわいい』とか書かないで、行動で表現するんだよ」
たぶん、その『いいな』は、登場人物同士が感じる以上に、登場人物の行動によって読者がそう感じることが大事な気がする。だから……と、わたしは続けた。
「蘭:登場人物が気づかなくてもいいんだと思う。例えば、好きな人のために気づかないところで必死に何かしてあげてたとか……」
「勝丼:なるほど……」
「蘭:たとえそれを相手が知らなくても、そういう土壌があるっていうことを読者が知っていれば、会った時の心の動きに重みができてくると思うんだよ。それがムードになったりする……んだと思う」
「勝丼:だと思う?」
「蘭:あくまでわたしの個人的な考え」
「勝丼:そっか」
わたしは勝丼君の小説を読み進めながら、漢字の間違いなどを指摘していく。
そのうち例の敏史を歩美が止めるシーンに差し掛かった。
「蘭:ねえ勝丼君、この設定でいいの……?」
っていうかギャグ?
「勝丼:なんか、いいのが思いつかなくて……」
「蘭:だからって……」
……………………
歩美が小さな両手をいっぱいに広げて敏史を止めようとする。
「絶対だめよ! 行かせないわ!!」
その目には涙さえ浮かんでいた。だが敏史は言う。
「だめだ。僕は行かなきゃならないんだ」
「行くのならあたしを倒してから行きなさい! 竜巻飛翔脚!!」
不意に斜め下からつきあがった蹴りの連撃を敏史は寸でのところでかわし、力を溜めた。
「魔王昇光波!!!」
「きゃぁぁぁぁ!!!」
「許せ歩美……」
気を失った歩美をそのままに、敏史は走り出した。
……………………
「蘭:な・ん・で、戦いが始まってんのよっ!」
「勝丼:いやだから、いいのが思いつかなくて……」
確かに歩美の破綻した感情変化はなくなったけど、今度は物語自体が破綻してる。
「蘭:あのね……この竜巻なんとかがあったらその後の暴漢に襲われるシーンなんて、歩美は余裕で切り抜けられちゃうでしょ……」
「勝丼:あそっか。じゃあ暴漢はもっと強い男にしなきゃだめだ」
「蘭:そっちじゃない!!」
このままでは淡い学園の恋愛話が、世紀末の格闘モノになってしまう。
「蘭:とりあえず、戦うのやめない? 歩美のイメージが一気にわかんなくなるから」
「勝丼:わかった。蘭さんがそういうならやめる」
……わたしに決定権があるのもおかしい話だけどね。
……そんなこんなで読み終わり、紅茶を一杯飲んでから総評。
「蘭:合鍵のところはまぁ、あれでいいんじゃない?」
連絡がつかなくなって歩美のアパートに行ってみたら変な臭いがしてきて敏史が急いで鍵を開けようとしてたシーンね。
結局、敏史は合鍵を持っていた設定に落ち着いた。そもそも高校生がアパートで一人暮らししてるところが「ん?」って感じだけど、もはやそんなことは些細なことに思えてしまう圧倒的な展開なので、この際どうでもいい。チェーンもかかっていないことになった。
「蘭:でも自殺してるのかと思ったら、別の男連れ込んでサンマ焼いてあげてたのはちょっと面白かったよ」
寂しさと困惑で歩美が起こした行動なのだが、所帯じみすぎていて、彼への歓迎は脂の乗ったサンマを振舞ってあげることだったと。
この男はその後のストーリーにちゃんと絡んでくるから、まぁ、悪くはない。
「蘭:だけど、敏史がことあるごとに歩美を壁に追い詰めて、逃げ道塞ぐのは意味がわかんない」
「勝丼:歩美がドキッとするようなシチュエーションになった時に、思った以上に二人の顔の距離が近いって、ちょっとインパクトかなって思って……」
今思えば壁ドンのはしりを彼は表現していたわけだが、表現がいまいちだったのか、わたしにそのよさは伝わってこなかった。
「蘭:じゃあその線で、わたしをもっとドキッとさせてね」
「勝丼:うーん、やってみる。そういえば……」
彼の話題に別のスイッチが入る。
「勝丼:新学期始まったから、もう一回ちゃんと女子を見てみた」
「蘭:へぇ。どうだった?」
「勝丼:うん」
一呼吸置く勝丼君。ミニキャラの表情が『困った』的なものに変わる。なんだ、どうしたの?
わたしがなにも言わず次の発言を待つと、やがて彼の歯切れ悪そうな言葉が並びだした。
「勝丼:……やっぱり、まだ俺、結婚は考えられないよ……」
「蘭:誰が結婚してこいって言ったーーー!!」
「勝丼:え、だって好きになって付き合うってことは、結婚が視野に入るだろ?」
「蘭:別! 別! 別ーーーー!!!」
もちろん結婚したいくらい好きになるからこそ、付き合いたいと思う気持ちにもなるのかもしれないが、
「蘭:いい? 女も男もね、付き合ってみないとわからない本性があるんだから、一度付き合ったら必ず結婚意識じゃ相手にだって嫌がられるよ!」
そう……一度付き合ってみないと本当のところなんて分からない。
ちょっと突飛な例かもしれないけど、富士山と恋ってちょっと似てると思うのだ。
片思いって、富士山を遠くから眺めてる状態。とってもキレイ。朝の富士山と夕方の富士山。湖に映った富士山、雪のかかった富士山……いろんな富士山がそれぞれキレイで、どんどん好きになる。
でも、付き合うって、この富士山に近づいて登ることなんだと思う。
あんなに青く見えた富士山の大地は近づいてみると土の色をしていて、ゴミも落ちてたりする。そもそも登るのに苦労もある。
……でも登っていくにつれてそこから眺める景色は、遠くから富士山を見ていた時とはまた違った素顔を見せてくれたりする。
付き合ってみないと、ゴミも斜面の急も、新しい風景も見えないのだ。
「蘭:ゴミも見る前から一生その富士山に住むこと決めちゃったら、そのゴミが無理なゴミだった時タイヘンでしょ?」
「勝丼:なるほど……」
「蘭:だから結婚を前提に見なくていいんだよ。もっと純粋に『あ、いいな』っていう子を探してみたら?」
「勝丼:トキメキって奴?」
「蘭:まぁそうだね。何にときめいたかを考えるだけでも、小説が変わってくるかもよ」
「勝丼:なんか、小説のために恋をするっていうのもヘンだけどな」
「蘭:あはは、そうだね」
わたしはこの時、素直に笑っていた。なんか、姿も見えない勝丼君との距離が、だんだん縮まっている気がして、最近は"小さい街"が楽しい。