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仮2  作者: 矢久 勝基
あの空を見失って
10/12

あの空を忘れた街で

 わたしを馬鹿だと思う?馬鹿だよね。馬鹿だ。知ってるよ。

 こういう方法もあった、私ならそういう選択はしない……いっぱいあると思う。

 でもそれはみんな、すべてが終わって、後から冷静に考えればってことなんだよ。すべてすべて、その場面場面で最高の判断ができるのなら、人は失敗も後悔もしない。

 とにかく、わたしは巨大なイリュージョンも真っ青な極端なウソのおかげで、"小さな街"に戻ることができなくなった。ウソをつき通せるほどガンの知識はない。家系は確かに母方がガン家系だけど、余命六ヶ月を演じきる自信はなかった。

 ……つくづくわたしも自分自身をよく知っているようで、自分が放ったジョーカー的な大見得は、見事わたし自身をも縛り上げた。

 もう、どんな顔して勝丼君に会ったらいいのかわからない。あんなウソがウソだとバレるのは絶対に嫌だった。

 でもこれで、わたしは風香にならないで済む。勝丼君も余計なことに迷わなくて済む。

 わたしは少し泣きながら、これでよかったんだと自分に言い聞かせた。


 ……それから何年がたったんだろう。

 就職した不動産業はそれなりにやりがいを感じている。地元に帰らず神奈川で就職したことを親は少し気に入らなかったみたいだけれど、言っても聞かないわたしに今ではすっかり諦めムード。最近は話題にも出なくなった。

 仕事は個人向けのアパートを担当している。家賃管理をしたり……入居希望のお客様にアパートを紹介したり……。

「こんにちは。担当の佐久間です」

「どうも。今日はよろしくお願いします」

「希望はできるだけ安いアパートということですが」

「はい。田舎から出てきたもんで、あんまり持ち合わせがなくて……」

 苦笑を浮かべている仙台出身のおのぼりさんに対して、わたしはにこりと笑ってみせた。

「じゃぁ……ちょっと駅から遠くなっちゃいますけど、例えばこちらのワンルームがユニットバス、トイレ付で四万八千円。管理費が月二千円となります。とりあえずここを基準に考えてみましょうか」

 ……とまぁ、こんな感じ。わたしなりにがんばってる。

 彼氏?……その方面についてはがんばってない。職場の男の人はみんな十歳以上離れてるし、ちょっといいかなとか思った人はすでに妻子もち。仕事量も多いし、今はそんなに考えなくても……と思ってる。まだ二十五歳。花の命は結構長いのよ。

「藤井さんは二十二歳でしたっけ」

 数日後、いくつかの物件を絞って、わたしは車で先日のお客様と物件めぐりをした。

「まだ二十一っすけど、二十二の学年っす」

「新卒ですか?」

「いや、俺専門学校だったんで」

「じゃあ仙台でしばらくお仕事をされてからこちらへ?」

「バイトっすけどね。ようやく資金がたまったんす」

 よっぽど首都圏に来たかったんだね。わからなくはない。わたしも大学を決めるとき東京に近いところに住みたかった。こっちで受験したのはそれが理由の一つでもあった。

 わたしは交差点でハンドルを右に切って、すぐ左にあったアパートを一つ紹介する。

「お仕事はなにをされるんですか?」

「専門が介護の学校だったんで、そっち関係っすね」

「ご通勤は車で?」

「いえ、金がないんでチャリっすかね」

「そしたらもう少し駅に近いほうがよろしいのでは?」

「いや、がんばります。マジぎりぎりなんで……」

「そうですか……」

 起伏の多い街だからね。全部自転車はタイヘンだよー?

 そんなことを営業言葉に変換して言いかけたその時、彼の方から質問があった。

「スミマセン。ちょっと伺いたいんすけど」

「はい、なんでしょう」

「イルカの繁殖に成功してる水族館ってどこっすか?」

 面白いことを聞く。

「新江ノ島水族館ですね。この街の最寄り駅からなら三十分くらいです」

 紹介して少しも舌を休めず、わたしは聞いた。

「イルカが好きなんですか?」

「あ、俺は別に……」

 なんだよ!!

 ……そんなこんな……結局八件ほど紹介して、ついでに近くのスーパーや娯楽施設も紹介しつつ、わたしたちは事務所に戻ってきた。

「どうでした? この街、気に入りそうですか?」

 満面の営業スマイルを浮かべて、田舎臭いけれどちょっとかわいらしい青年に聞く。

 すると彼は頭をかいて、

「まぁボチボチですかねー」

 あまりかわいくないことを言った。なんだよ……人がせっかくいい顔したのに。

「ただ、この街の空はとても気に入りました」

「空?」

 仙台とどこか違うの?

「この街の空に憧れてたんすよ」

「あぁ……そうでしたか。気に入っていただけて何よりです」

 訳の分からないことをいうお客様に対して、とりあえず愛想笑いで相槌をうつわたし。……の、ほっぺためがけて、彼は言った。

「とりあえず八件のどこかに決めるとは思うんでよろしくっす」

「あ、ホントですか!? ありがとうございます!」

 わたし、満面の笑顔リターンズ。三月とか人が動くシーズンならともかく、今は契約をとるのがちょっと大変な時期なので、抱きしめてあげちゃいたいくらいだった。


 夜、退社して家に帰ったわたしは、紅茶を一杯マグカップに注ぎ、仕事の都合で再びよく電源を入れるようになったパソコンに向かって、ほんの少しだけ仕事をした。

 書類をクリアファイルに入れてホットで一息。明日もって行くかばんにファイルを入れれば、観光案内のパンフレットがその中でお座りしていた。

 そうそう。今日最大のうれしいニュース。今度の社員旅行は沖縄らしい。ステキステキ。

 パンフレットいっぱいに広がっている青い空と透き通るほどに美しい海に砂浜。いやいやいや、湘南の海に彼ら(?)の爪の垢を飲ませてあげたいわ。

 そんな素敵な空を眺めながら、今日、ご案内したお客様が空に触れていたことを思い出した。

「空ねぇ……」

 沖縄に比べるとずいぶん薄く、かすんで見える神奈川の空。きれいでないとはいわないけど、この街の空は他の街の空と何か違うんだろうか。

「そういえばアイツ、どうしてるかなぁ……」

 空と言えばえっと……なんだっけ、アイツの描いてた小説のタイトルが『あの空がナントカ』ってやつ……。なんだったっけな……。

 小説の内容はいっぱい話したけど、タイトルに関しては一回か二回聞いただけだからそこまで深い印象がないのよ。もう何年も前だしね。

 でももちろん、"アイツ"のハンドルネームくらいは覚えてる。

 ……『勝丼』。

 名前が脳裏によぎるだけで懐かしさがこみ上げる。若かった……。あの頃のいろいろが頭をよぎって、一言、そうつぶやいてしまうわたしはやっぱりオバサン化が進んでいるんだろうか。

 ま、そこは気にせず、"アイツ"を求めて、再びパソコンに向かってみることにした。

 もちろん、"小さな街"には帰れない。万が一彼がログインしていたら、わたしがログインしたことがたちどころにわかってしまうから。

 ……思い出はキレイなまま……彼を騙したことは一生封印すべきことだと、オバサン化した頭でも深く思う。

 あ、言っとくけど二十五だからね。わたしがオバサンオバサン言ってるのは謙遜だからね。そこ大事だから。花の命は結構長いんだから。

 とにかく、小説のタイトルという、一番大きな手がかりで攫うことはできないので、変わりに"勝丼"でインターネット検索をしてみる。

 すると出てくるわ出てくるわ。『勝負事に勝つための勝丼レシピ』やら、『勝利のための方程式、この夏は勝丼合宿で受験対策!』やら、終いには『創作料理勝丼』やら、『ご当地戦隊ドンブリンジャー紹介。勝丼、天丼、鰻丼、牛丼、ポセイ丼』など、強豪ライバルが多すぎて勝丼君がヒットすることはない。

 というか、彼がネットでその名前を披露しているとも限らず、この線での捜索は諦めた方がよさそうだった。


 しかしこういうことは、少し探して見つからないとムキになる。ならない?なるよね?……わたしはなんとか勝丼君の手がかりを探そうと躍起になった。

 必死に記憶をたどり、彼との会話や共有した時間を思い起こす。そういえば!

 わたしはブラウザのブックマークを開いた。いくつか現れる項目。その中にわたしは、とあるyoutubeのページを登録していた気がする。

「あった」

 開いてみる。まだ開いた!

 ……それは勝丼君がアップロードした、インディーズのライブ風景だった。なんでも曲がいいとかで彼が薦めてくれたものなんだけど、なにせ当時の携帯ムービーで撮った映像だ。暗いライブハウスで音なんて割れ割れに割れてて、いいかどうかなんて分かったものじゃない。

 わたしはここから、投稿者の情報を開いてみた。こんなことは大学の時には一切できなかったけど、時は巡ってこちとら社会人。youtubeは不動産業にだって利用されている。

 ここには彼の投稿したいくつかの動画と、簡単な紹介文があった。最後の動画が二年前だから、もうここは利用してないのかもしれないけれど、いくつかの動画を再生しているうちに、ある動画でわたしは色めき立った。

 ……それは、彼の友達が作ったという曲に乗せて、小説のワンシーンであろうある場面を文字で表現しているというものだった。

 なかなかいい。実際その作品は音楽にも助けられて、かなりロマンチックに仕上がっている。しかしわたしはそれよりも、その動画の最後に、彼の痕跡を見いだしたことに心が躍った。

 <自作小説『雨色の夜空』の自分的テーマ曲。興味が沸いた人はコチラをどうぞ>

 すかさずそのリンクをたどってみる。……そこはとあるweb小説投稿サイトだった。


 "勝丼"という作者は、その中では一人だけだった。

 いや、もし何人かいたとしても、作者小説一覧を見れば、どの勝丼君が"小さな街"で笑っていた勝丼君かは一目瞭然。

 『あの空に繋がるまで』……たった一つ、この小説だけが、そのページには置かれていたから。

 そう、『あの空に繋がるまで』……。

 せわしなく検索方法を探していたわたしは、ここでスローモーションがかかったようになった。

 まるで、過去からのタイムカプセルを見つけてしまったような心境だ。くす玉を割ったようにあの頃の記憶が、そのタイトルからあふれ出てくる。大学生活の思い出なんて、正直、わたしにはこれしかない。逆に言えば、そのタイトルに大学生活すべてが詰まっていると言っても過言ではなかった。

 そんな重要なキーワードなのに忘れるなって感じかもしれないけれど、そうじゃない。

 重要だからこそ、忘れようとしていたのだ。大学生活を、わたしは忘れていたかった。

 同じ理由で、わたしはせっかく見つけたその小説にしばらく触れることができなかった。すでに風化している脆い思い出である。触れたら、すべてが崩れてしまうんじゃないか。

 確かになっていく記憶の中で敏史や歩美が再び息を吹き返せば、わたしはその物語の描き出しまでを鮮明に覚えていることを知った。

 『歩美の髪が長いのは……』

 彼氏が切らせてくれないとか、好みの髪が結えないのかと思いきや、『うなじを蚊に刺されるのが嫌だったから』と続く。

 恋愛モノの描き出しとしては「ん?」と思ったものだけれど、実はここに巧妙な伏線が張ってあって、わたしは素直に感心したものだった。

 小説情報には『完結』と書いてあり、それが一年前であることを思うと、彼はこれをその後数年がかりで完成させたらしい。

 わたしにとっても敏史や歩美は大事なキャラクターたちだったから、それが途中で捨てられていなかったことがまず感無量だった。

 でもそれが吹き飛ぶほどの衝撃が……。

 マウスを操作して一ページ目をめくり、わたしは思わず左手で口を押さえる。

 『この小説を、蘭さんに捧ぐ……』

 ……視界が一瞬涙に曇った。

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