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仮2  作者: 矢久 勝基
小説『あの空に繋がるまで』前章
1/12

小さな街

 わたしはキレた。

「蘭:いい加減にしてよ!」

 会ったことも……顔を見たことすらない人に。

「蘭:なんだかんだ言い訳して結局自分のナマケ心を正当化してるだけじゃん!」

 声に出しても相手に届くことはない。だからハタから見れば静かな静かな怒りを今、わたしは本気になってぶつけている。なにに?……キーボードに、だ。

「蘭:言葉ばっかかっこよくてさ。結局なんにもしてないんじゃん!!」

 しゃべっているのはこんな剣幕にそぐわない、かわいらしい二頭身のミニキャラだ。それが、すっごく怒っている。

「蘭:毎日毎日毎日毎日ゲームばっかして「情報収集のため」とか言い訳のつもり? それだけで小説家になれるんならわたしだってなれるよ!」

 見えない相手は黙ったまま。どんな気持ちでわたしの書いた文字を読んでるか知らないけれど、それがどうであれ、一度こぼれだしたわたしの感情は止まらない。

「蘭:ねぇわたし、心配してんの。俺はやればできるからとか、馬鹿じゃないの? アンタは自分のことを万に一人の天才だとでも思ってんの!?」

 こんな風に怒れる立場じゃないなんて分かってる。わたしだって画面の向こうの彼よりもちょっと年が上なだけの平凡な大学生だ。特別ご大層でストイックな生活をしているわけじゃない。

 それでも、腹が立つことは腹が立つの!薄っぺらい自慢と虚勢をいつまでも聞かされる身にもなってよ!

「蘭:アルバイトだってサボることと早上がりすることなんて、別にかっこよくもなんともないし。自堕落ぶるのがかっこいいとでも思ってんの!?」

 言いながら、自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

 ……これはチャットなのだ。話したくない相手なら話さなければいい。それなのに相手の言葉のすべてを受け入れて、勝手に受け止めきれなくなっている。

 すとん……って音がした気がして……、わたしの怒りは、開いたままの窓から吹いてきた風に押し流されたように消えていった。

 とは言っても、勝丼というハンドルネームを持つ高校生の、有料で着飾った小奇麗なミニキャラが好ましく見えてくるわけじゃない。

「蘭:もういい。こんなヒステリー起こす女は嫌でしょ? ばいばい」

 ……それっきり、わたしはチャットソフト自体を切ってしまった。


 このやりとりがあったのは、実は数年も前のことだ。

 LINEとかFACEBOOKとか、今でこそインターネットのコミュニケーションツールは充実してるけど、その頃不特定多数が集まって気軽に話せる媒介といったらチャットソフトしかなかった気がする。わたしが詳しくなかっただけかもしれないけれど。

 とりあえず、スマホが出てないか出始めかって頃だから、チャットソフトを利用するならパソコンに限られていた。

 わたしはそのコミュニケーション空間に迷い込んだ。『迷い込んだ』が一番正しいと思う。

 だってわたしのパソコンは、大学で必要に迫られて買ったはいいけれど、レポート以外で使い道はなく、普段は部屋の片隅で長く半眠半休の寝たきり生活を送っていらっしゃるご隠居様だった。

 大学の夏休み、ご隠居様の封印を解いてチャットソフトなんてやっているのにはそれなりに理由があって……とにかく迷い込んだわたしはハンドルネームを『香雪蘭こうせつらん』とした。フリージアのことね。

 名前がキレイなのもあるけど、本名が佐久間雪乃さくまゆきのだから、自分の名前が入ってるこの花の名前が小さい頃から好きだった。


 そこは、小さな小さな街だった。

 香雪蘭と名付けられた女の子がいて、その街を自由に歩ける。街はミニチュアだし、女の子も二頭身だから、なんだかお人形でままごとをしてる気分。

 ただ、実際には、するのはままごとじゃなくて、会話なのよ。

 "小さな街"にはわたしと同じような"住人"がいて、どんな人とでも自由に話すことができるのだ。……そこで、始めに声をかけてきたのが"勝丼君"だった。

「勝丼:始めたばっかり?」

「蘭:え?」

「勝丼:おろおろしてたからさ」

 その人は香雪蘭に比べてもずいぶんと豪華な服を着ていて、髪型もまるでアイドルのように整っていた。

「勝丼:蘭さんは」

 と、彼はたぶん、わたしのミニキャラの下についてる名札を見ながら言った。

「勝丼:本当に女の人?」

 どういう意味よ。生まれてこの方そんな質問はされたことがないから、意味が飲み込めなかったわたしは反射的に、ボケが求められているところだと思った。

「蘭:生物学的には女だね」

「勝丼:物理学的には?」

「蘭:エネルギーの塊」

「勝丼:歳は?」

「蘭:オードリーヘプバーンよりは若いよ」

「勝丼:身長は?」

「蘭:エッフェル塔よりは低いかな」

「勝丼:かわいいの?」

「蘭:小野小町と同じくらい」

 うん、ウソは言ってない。え?小野小町?……『主観ではそう』だと思えば、ウソじゃないし。客観的にそう見てくれるかは知らないけど。

「蘭:っていうかさ、世界三大美女って誰が考えたんだろうね」

「勝丼:え?」

 だってさ……クレオパトラに楊貴妃に小野小町だよ?全員写真が残ってない時代で、しかもエジプト人、中国人、日本人。

 ……欧米圏の歴代美女が一人もノミネートされてないっていう時点で、導き出される答えは一つだと思う!

「蘭:絶対日本人の誰かだよね」

 この三人なら世界的に一番知名度が低いのは小野小町で間違いない。エジプト人や中国人が、小野小町を引っ張り出してくるとは思えない。

「勝丼:……蘭さんって変なことを考える人だな」

 失礼な……ちょっと妄想力が高いだけだから。

 ……そんなことをキッカケに、わたしはこの勝丼君という高校三年の男の子との会話に引き込まれていくことになる。


 始めはよかった。

 が、彼の話を聞くにつけ、自尊心が高いわりに自分に課すハードルが低すぎるその人格に苛立ちを覚えるようになってきた。それが爆発したのが、このお話の冒頭なわけだけど。

 そんなだったから、ここにいるのがちょっといやになったけど、わたしは"小さな街"を出て行かなかった。……この街がそんなに気に入ったから?……じゃない。

 "小さい街"以上に、自分の存在している"大きな街"にいたくなかったのだ。

 あんな街……爆発しちゃえばいい。

 今はとにかくあんな街にいたくない。夏休みという期間のすべてを注ぎ込んでもあの街から逃げ出していたかった。だって……。

 …………

 ……この季節が終わるまでに、わたしは"大きな街"と向き合えるだろうか。

 ……もう一度……恋ができるだろうか……。

「勝丼:蘭さん……」

 その時、チャット窓に届いた声があった。振り返ってみれば、アイドル並にカッコカワイイ勝丼君のミニキャラが満面の笑顔で立っていた。

 怪訝なわたし。だって、この男は突き放したはずだよね。笑顔で話しかけてくるとかどういう神経?

「蘭:何か用?」

 自然と言葉尻が冷たくなる。

「勝丼:まだ怒ってる……?」

「蘭:別に」

「勝丼:じゃあまた話し相手になってくれる?」

「蘭:わたしじゃなくたって話し相手はいるでしょ」

「勝丼:蘭さんと話したいんだよ」

「蘭:ハァ? なんで?」

 これで愛の告白とか飛んできたらさすがに笑うよ?……わたしは雑な気持ちのまま、彼の返答を待った。

 それからしばらく……空白の時間が流れて、彼がしゃべりだす。

「勝丼:蘭さん、俺のこと、真剣に怒っただろ? 俺、ちょっと感謝もしてるんだよ」

 ハァ?どういう意味?

「勝丼:俺の周り、もう誰も真剣に怒ってくれたりしないんだよ。親は俺にびびっちゃってるし、兄弟は俺に愛想尽かしてるし……」

 ちょっと憂いを帯びた表情で話す彼のミニキャラ。

「勝丼:でも蘭さんは本気で俺のことが心配になって怒ってくれたわけだろ?」

「蘭:違うよ。アンタの薄っぺらさに腹が立っただけ。そんなアンタにつき合わされてるわたしのために怒っただけ」

「勝丼:それでもいい」

 わけわかんない。

「蘭:アンタのことを心配したんじゃないって言ってるでしょ」

 わたしはあの時「アンタが心配で言ってるんだ」って言ったことをすっかり忘れて、そんな言葉を放り投げた。

 すると、彼の気持ちが文字の羅列となってそれに答える。

「勝丼:俺ね、このチャットにいるいろんな人に、蘭さんに話してたことと同じようなことばっかしゃべってたんだよ」

 でも、誰も腹も立てなかった。「いいんじゃない? 自分のペースでやればいいよ」とか、「気に入らないなら無理することないよ」とか、みんな、優しい言葉をかけてくれるだけだった……と、彼は続け、

「勝丼:だから、このままじゃダメだなって思いつつ、このままでも何とかなるかな……って、思ってたんだよ。でも蘭さんが怒った時、思った」

 そこでようやく一区切りする。わたしもつくづくお人好しで、思わず次の発言を待ってしまっている。

「勝丼:みんなのその言葉って、要するにスルーだったのかもしれない……」

「蘭:スルー?」

 勝丼君は説明してくれた。

 昨今のインターネットの世界では、都合が悪かったりめんどくさい時は、それを波風たたせずに済ませるのが慣例らしい。具体的には返答しないままうやむやにしたり、当たり障りのない発言で着地させたりするこの能力?を、"スルースキル"というらしく、そういうことができないと子供扱いされたりするそうだ。

 わたしなんかインターネットなんて初心者も初心者でずぶずぶの素人だから腹が立つことには腹が立つし、嫌なことは嫌と言ってしまうが、そういうのはチャットの世界ではオコサマがすることらしい。

「蘭:でも、それって真剣な話ができなくない?」

 わたしは褒められてるんだか馬鹿にされてるんだかわからない状態で、一つの疑問点を口走った。

「勝丼:そう、そこなんだよ」

 そのスルースキルというやつは、聞く限り、『話がややこしくなったら耳をふさげ』ということのようだ。もっと言えば、都合の悪いことは聞かない・真剣には取り合わない能力を持っているのがネット社会でのオトナ……ということだとすれば、そのオトナたちは価値観のすり合わせなどはどうやって行うのか。

 わからないけど、ややこしくなって単純にキレたわたしの態度が、逆に彼には新鮮だったようだった。

「勝丼:でも、そんな俺に本気になってくれただろ?」

「蘭:そのスルースキルとやらがなくてゴメンね」

 おざなりに言ったつもりだけど、伝わらない。

「勝丼:いいんだ。だから俺、ショックだったけど、いい人に会えたと思えた」

 知らんわ。

 ……と、思ったが、それが書けないお人好し。

「勝丼:蘭さんがいてくれたら、力をくれたら小説も描ける気がするんだよ」

 知らないよ……。わたしに何を期待してるの?

 ……思いつつ、それも書けないお人好し。わたしに、人をスルーする能力はない。

 わたしはしばらく考えた末、ある一つの条件を提示することにした。

「蘭:じゃあとりあえず、気がするだけじゃなくて何か書いてきてわたしに見せてよ。そうしたら勝丼君の言うこと信じる」

「勝丼:わかった」

 ……思えばそれが、長い戦いの始まりだった。

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