1
「セレスッ!!」
朝、いつも通り、登校したわたしは教室に入ってすぐ、待ち伏せしていたと思われる見慣れた集団に立ちはだかれ、またかと呆れながら足を止めた。
「朝から何の用ですか、殿下?」
アルメシア王家特有の漆黒の髪と同色の瞳。
出会った時に向けられた誰もが見惚れる笑顔に、優しく穏やかな印象を受けたのはもう三年も前のこと。
名前を怒鳴り声で呼んでくる、見る影もないかなり傲慢そうなイケメンに尋ねれば、彼 ルイス・アルメシア第二王子殿下を含めた現在、彼等に庇われる形で顔を手で覆い、震えている少女の取り巻き達は、さらに怒りを大きくして、わたしを睨み付けてきた。
「白々しい! 昨夜、貴様がアリエスを階段から突き落としたことは分かっているのだぞ!!」
「良い加減に罪を認めなよ! アリエスが一人の時を狙って、証拠がないからなんて、汚い言い逃れじゃもう済まされない!」
「今回は奇跡的に無傷でしたが、これは立派な傷害罪に値いたします」
「アリエスが同じ庶民で、何の後ろ盾のない君の為に大事にならない様に、周りに頼み込んでいるのに、君はなんて薄情で最低な人間なんだ!」
へぇ、ついに階段から突き飛ばしたのか……。
この前までは、机や物を台無しにされたり、倉庫に閉じ込められたり、水をぶっかけられたり、で済ましていたけれど、今回はかなり思い切った様だ。
それにしても、何段目からどんな風に落ちれば、無傷で済むのだろうか?
残り二三段なら飛んで着地出来そう……ああでも、それで落ちたなんて大げさだな。いや、彼等ならばそれで落ちたと騒ぎそうだ。
まぁ、わたしには関係ないから、どうでも良いか。
「わたしはやってないでーー」
「まだ言い逃れる気か!!」
「……やってないことをやった、と認める馬鹿はいないですから。毎回言ってますけど、別にこっちは大事にしてくれて良いですよ。実際にやってないんですから」
わたしのはっきりとした言い分に、彼等はさらに怒りを増させ、彼等に守られている少女は顔を上げた。
「セレスさん、きっと、私は無意識に貴方に失礼を働いてしまったのでしょう。だから、貴方にこの様な非道な罪を犯させ、孤立する道を歩ませてしまっている……申し訳ありません。その上でどうか、お願い致します。
この場で罪を認めて下さい。そして、貴方自身に謝って差し上げて。
数々の嘘を重ねたことで、貴方の心はきっととても苦しんでいます。
私への謝罪は結構です。私は貴方の心が苦しみから解放される、それだけで十分なのです」
潤んだサファイアの瞳。柔らかなボブカットの桃色の髪。程良く育った胸の前で手を組み、天に願う聖女の様な態度で、わたしを見つめてくる彼女。
庶民の出にして、その身に宿る膨大な魔力と魅了の隠れスキルで、殿下や国の将来を背負う令息達の心を奪い、表向きに学園中を味方に付けている、学園の聖女、アリエス。
まるで、乙女ゲームを思わせるこの状況の、言ってみれば主人公的存在だ。
悪役令嬢的立場の人が良い子だった故に、孤立していたわたしが悪役として、彼女に嫌がらせをする謎の犯人として、こうやって疑いを掛けられているのである。
まぁ、わたしは上手くあしらっているし、彼等がこれを大事にせず、わたしに嫌がらせをして来ない為に、この半年間、糾弾まがいのことを繰り返しているだけだが、相手をするのが全く持って面倒臭い。
「ご心配なく。罪は愚か、嘘も吐いてないわたしの心は当然、無傷ですから」
聖女様以外の視線が離れたのを良しとして、わたしはもうすぐ始まる朝礼の準備をする為、他人事の様に告げながら席へ急ぐ。
わたしには庶民枠を頼りに入学した為、彼等が言う様に後ろ盾はなく、成績を落とせば退学させられてしまう。アリエスがこの問題を大きくさせれば、簡単に退学が決まるだろう。
いっそ、もう自主退学した方が良い気もするが、辞めても行く宛も帰る宛もないので、卒業までの後一年、辛抱と言う奴だろう。
「ッ!! アリエスがここまで言っていると言うのに、貴様はどこまで愚か者なのだッ!!」
一限目は語学だったな、などと考えて小走りに歩んでいれば、彼等はまたわたしの前に立ちはだかってきた。
そのしつこさについついため息を零してしまいながら、わたしは睨んで来る彼等に呆れた視線を返す。
「もう愚か者でも最低野郎でも良いんで、そこを退いて貰えます? 貴方達に構ってられる程、わたしは暇じゃないんで」
「貴様、自分の立場が分かっているのか?! 僕達が少し手を加えるだけで、貴様の今後の処遇などどうとでもなる!! 貴様も、貴様の家族も、この国の居場所を失わせることも出来るのだぞ!!」
「……それは不可能ですよ」
今度は心から憐れんでしまいながら、わたしは彼等が言い返す前に言葉を続けさせて貰う。
「わたしは孤児で親は愚か、身内とも縁を切ってるんですよ。
こう何度も、わたしのことを罰しようとするくらいなら、せめてわたしの入学時の資料くらいは目を通してきたらどうです?」
「……は?」
その唖然とした態度から察するに、やはり知らなかったのだろう。
思っていた以上に、間抜けで無能な人達である。まぁ、一人の少女に懐柔されている時点で、こんな人達に将来を任せて、この国は大丈夫かと思ってはいたが、わたしには全くと言って関係ないだろう。
教室中に呆然としている奇妙な光景を無視して、わたしは彼等を避ける形で改めて机へと向かう。だが……
「そうだったのですか……。申し訳ありません!
セレスさんはずっと、孤独に苦しんでいらっしゃったのですね……」
誰よりもしつこいのは、聖女様であった。
「セレスさんには家族もいらっしゃらないのに、同じ庶民である私が家族は勿論、殿下や皆様に優しく愛されている……。
嫉妬されて当然です。だからこそ、もうこんなことは止めましょう!
私はセレスさんと、お友達になりたいのです。セレスさんが孤独を感じぬ様、愛して差し上げたい!
だから、セレスさん! 罪をお認めになって、もう一度、一緒に学園生活をやり直しましょう!」
「いえ、間に合ってますんで、放って置いて下さい。貴方に愛されても、孤独が埋まることはないんで」
流石に気持ち悪いな、この人……。と言うのは口に出さず、わたしは差し出された手を無視して、彼等がまた怒鳴り込んできそうなのを察しながら、今度こそと机に辿り着こうとしたその時、
「何だか、騒がしいけど、喧嘩かな?」
「おい。まずは学園長室だろ」
「そうだけど、喧嘩なら止めないと」
「待て。分かったから、俺が開ける。お前は下がってろ」
「え? もう……心配しなくて良いのに」
「……うるさい」
廊下から響いた、ほんのり甘い男女の会話。開かれたドア、そして、入って来た美男美女を見て、
「……ふぇッ?!」
思わず、そんな間抜けな声を出してしまったのは、紛れようもない席に鞄を置いたばかりの、わたし自身であった。