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銀木犀  作者: 福山てん
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第一章〜第二章

あの日のことは鮮明に・・・鮮やかに浮かび上がらせることができる。 


泣きながら話す父とただ謝るだけの母。


僕は妹の手を握り、そんな二人を見つめていた。 


まだ小学2年だった僕と、まだ幼稚園にも上がっていなかった妹。 


妹は始めて見る父と母の姿に今にも泣き出しそうだった。


それに気がついて僕は妹をそばに寄らせ父と母を見させないようにした。


妹はそれを感じとったのか僕の後ろに自ら隠れた。


父と母は相変わらず僕にしゃべっていた。


僕には父が語る言葉も母が謝罪する言葉も理解できなかった。


一気にしゃべり急に父は僕に一礼し、背中を向けた。


母はびしょびしょのハンカチを握り締め流れ続ける涙を拭いていた。


母が最後まで言い続けた言葉は「ごめんね、ごめんね」だった。


母は僕の前にぐしゃぐしゃの顔を持ってきた。


母からは甘いにおいがした。


僕の頭に手を置き、最後に頬をなでた。

 

母が謝るたびに唾のようなものが散ってきた。


そして勢いよく立ち上がり、父が待つほうへ走っていった。


僕は母が散らした水を舌で触った。


それはしょっぱく涙だと気がついた。


父さんと母さんはどこへ行ったのだろう。


そしてココはいったいどこなのだろう?


父と母を乗せた車はとうにいなくなっていた。


僕の後に隠れていた妹が泣き出した。






 

 そして僕は捨てられたのだと気がついた。









第一章


「ねぇ、私たちどうすればいいのかな?」

妹の百合がさほど明るくない声で言った。


「何が?」

僕はちょっととぼけて言ってみた。


「もう、今日のお葬式の話よ!」


「別に・・・どうしていてもいいんじゃない?

俺たちは母さんのかわりで来たんだし。」


「うーん・・・そうなんだけどね・・・あーん、わかんない!

自分が何いいたいかわかんない!やめ!」


僕は何も言わず目的の家へと急いだ。 


 今日は昔僕らを捨てた両親の葬式だ。


あの日から20年が経ち僕は27歳に、百合は23歳になった。


百合は当時3歳で何一つ覚えていない。


だから、百合には高校に上がったときに


僕たちの本当の両親のことを話した。


百合は今まで育ててくれた人が自分の両親ではないと知って


一時期はひどく落ち込んでいた。


しかし、それを受けとめ今は立派に成人している。


僕たちを育ててくれた母の姉、由紀子には子どもがなく、


僕たちを自分の子どものように扱ってくれた。


夫の橘義雄も気のいい人で、とても可愛がってもらった。


だから僕らは、由紀子と義雄を「母さん」「父さん」と呼んでいる。


どういう経緯で僕たちがこの家にお世話になることになったのかは知らない。


橘夫妻は母と父に関連することは何も話さなかった。


そして僕もこの20年間、一切何も聞かずに過ごしてきた。


子どもながらに聞いてはいけないのだと、


橘夫妻から発せられていたふいんきで感じとった。


幼く何も知らない百合は父と母はどこに行ったのかと泣いていた時期もあった。


そんな時は僕が百合をあやしていた。


橘夫妻に迷惑をかけたくなかったから。


「あら?お兄ちゃん、あれじゃない?喪服来た人いるわ。」


確かに数メートル行ったところに喪服を着た人が出入りしている家が見えた。


僕の心臓は飛び跳ねた。


隣にいる百合のほうが落ち着いているように見える。


あの両親にこれから会うのだ。


僕たちを捨てた両親に。


どういう顔をすればいいのかまったくわからない。


もちろん彼らはもうこの世にはいないのだが・・・。


「お兄ちゃん?・・・大丈夫?顔色悪いわよ。」


「あぁ・・・大丈夫だ・・・。」


僕は船に乗って九州まで行ったときの事を思い出した。


あの時僕は、船に揺られて酔った。


吐いても吐いても気持ちが悪い、今の気分はあの時と少し似ている。


家に近づいていくたびに頭をハンマーで殴られているような気分になった。


もういっそのこと引き返してしまいたかった。  


それでも別に構わないのだ、それに橘夫妻も僕たちが葬式に行くのは反対だった。

   

 知らせを受けた橘夫妻は、それを僕たちに言うべきか迷っていたらしい。


義雄は僕たちも大人になって落ち着いているのだから、


今蒸し返すのはよくないという意見だった。


しかし由紀子は僕たちにちゃんと話して、


みんなで話し合うべきだという意見だった。


でも由紀子もまさか僕らが行くという意見になるとは


思っていなかったらしい。


僕が最初に行くという意見を出したわけではない、


百合が言い出したのだ。


この意見に僕は橘夫妻の前ではいい顔をしなかった。


なんだか橘夫妻に失礼だという気持ちがあったのだ。


しかし、百合は絶対に行くといって譲らなかった。


百合は両親の顔も声も覚えていない。


なのになぜ行くといったのか、僕は話し合いの後百合に聞いてみた。


けれど百合は答えなかった。


そしてこう言った。



『お兄ちゃんきっと認めないし、怒るから言わない。』



その後何度も聞いてみたけれど、結局答えることは無かった。


気にならないと言ったら嘘になるが、もうあえて聞かないことにした。


百合は時がくるまで教えてくれないと知っているから。


「お兄ちゃん・・・引き返す?私は別にいいよ。

 ごめんね無理言って、やっぱ帰ろう?」


「・・・」


はっきり言って限界だった。


しゃべろうにも胃がむかむかしてとてもじゃないがしゃべれない。


口を開いたらきっともどしてしまう。


百合が心配そうに顔を覗き込む。


その顔が一瞬あの時の母さんにそっくりに見えて


僕はその場に座りこんでしまった。


くそっ情けない・・・百合に心配かけるなんて最悪だ。


しかも母さんとダブるなんて・・・。


「お兄ちゃん大丈夫?どっかトイレでもあればいいんだけど・・・。」


百合は辺りを見まわしながら僕の背中をさすっていた。


僕は相変わらず気持ち悪くてうずくまっていた。


すると、


「・・・あの、大丈夫ですか?」


その声に百合は答えた。


「あぁ、うーんちょっと大丈夫じゃないんだ。ここら辺にトイレとかない?

 公園のとかでもいいんだけど。」


「公衆トイレですか?多分この近くにはないです。

 あの大人呼んできましょうか?」


「お兄ちゃんそうしてもらう?」


僕は首を横に振った。


そして力を振り絞って顔を上げ立ち上がった。


百合に支えてもらってだが・・・。


「大丈夫・・・少し気分悪いだけだから・・・ごめん帰ろう、百合。」


「うん、ごめんねお嬢さん、ありがとう。」


僕らが背を向けて帰ろうとした時だった。


「あの・・・もしかして横井さんのお葬式に来られたんですか?」


その言葉に僕らは反応して振り向いた。


そこにいたのはまだ幼さの残る中学生ぐらいの女の子だった。


制服を着てまっすぐ立っていた。


「うん・・・けど・・・ちょっとこの人調子悪いし、今日は帰るわ。」


百合はそう言った。


しかしその女の子は百合が言ったことなど聞いていないようだった。


僕らを見つめ何か確かめているようだった。


そして僕を見てこう言った。


「間違っていたらごめんなさい・・・もしかして横井さんの子どもさんですか?」


いい年の僕らを見て『子どもさん』といわれたのにはびっくりした。


というか一番先に驚かなくてはならないところに驚けなかった。


その子の言った言葉があまりにも突然で、リアルで、何も考えられなかったのだ。


百合も同じのようだった、目を開き女の子を凝視している。


声も出ないようだった。


「違うよ・・・何で?」


僕は吐き気を抑えて言った。


「あっいえ!ごめんなさい、言ってみただけです。

 ごめんなさい変なこと言ってしまいました。」


女の子は悲しそうな困ったような顔をして下を向いた。


百合を見ると同じような顔をしていた。


僕はそれを見てなんだかいたたまれない気持ちになった。


「百合・・・行こう。」


百合は何も答えず、僕を支えて歩き出した。


帰ろうとする僕らの背中に女の子の視線が刺さっていた


僕は振り向いて何も言うことをしなかった。


振り向く力も無かったし、次に女の子と目が合えば


きっと僕らの正体がばれると思ったからだ。


女の子は多分後ろで僕らが見えなくなるまで、


そこに立っているだろう。


なぜかそんな気がした。


「・・・あの子さ、父さん達を知ってるのかな?」

 

百合が息を吐き出すように薄れた声で言った。


「さぁ・・・でも葬式に行っていたんだろうな。」


「うん、今日日曜なのに制服だったものね。中学生くらいよね、多分。」


目を閉じたら何もかも見透かすような女の子の目が僕を捕らえていた。


どういう関係なのかは知らないがもう会いたくなかった。


きっと今日が過ぎれば忘れてしまう、


今はそう思いたい。


結局僕らは死んでしまった父さんと母さんに線香をあげることはできなかった。


でも僕はこれで良いと思う。


今更、


そう本当に今更


僕もあの人たちの子どもには戻れない。


時は経ちすぎてしまっているから。


「あっお兄ちゃん!見て金木犀よ。


さっきからいいにおいがすると思ったの。」


百合はうれしそうに言った。


僕は少し顔を上げた。


おれんじ色をした、小さな花は


甘い香りをそこら中にまきちらしていた。


百合は知らないだろう、


僕らの母さんは金木犀が好きだったことを。


そして幼い頃住んでいた家の近くに金木犀があったことを。


そう百合は知らない、


何も。


けれど・・・


あの子は知っているのだろうか。


あの人たちから聞いているんじゃないか?


そして僕らのことも・・・。


「ねぇ、もう大丈夫?どっかで休む?」


「あっ?あぁ、もう大丈夫だな。


 ありがとう。」


そういってゆっくり僕は百合から離れた。


来るときはわからなかったけど


ここら辺はドラマとかに出そうなほどゆったりとした住宅街だった。


車はほとんど通らないし、騒音も無い。


そして母さんの好きだった金木犀があるのだ。


あの人たちがここを選んだ意味が


分かるような気がする。


「お線香あげられなかったね。」


ぽつりと百合が言った。


「あげたかった?」


「んー・・・そうだなぁ・・・私さぁ顔見たかったんだよね。


ほら!私見たこと無いじゃない?


 写真とかも。だから見たかった。」


「もしかしてそれ理由だったの?


 葬式来たい理由って・・・」


「違うよ。


 ん?あってんのかな・・・いやけど、


 それはサブの理由だから」

 

「じゃぁ、一番の理由は?いい加減教えてよ。」


「ダメ。秘密」


「なんだそれ」


「いいから、いいから。気にしないの!


 あっお母さんたちに電話しなくちゃね。 


 明日すぐ帰る?」

  

「うん、ゆっくりする意味も無いし」


「わかった。

 

 じゃぁ、先に帰っててよ。


 私会社の人たちにお土産買うから。


 お兄ちゃんついてこないでしょ?」


「あぁ、帰って寝る」


「はぁい。一人で帰れる?


 途中まで一緒にホテルまで帰ろうか?」


「いや、いいよ。もう大丈夫だから。


 百合もあんまり遅くならないように帰って来いよ」


「過保護ねぇ。


 お兄ちゃんもしっかり休んでね」


そう言って百合は一台タクシーを止めてどこかに行ってしまった。


僕はホテルまで歩いて帰ることにした。


さほど近くはないが、歩いて帰れないほどではない。


気分的にもそんな気分だった。


金木犀のにおいがまだ鼻に残っていた。


僕はどこまでも甘いにおいにとりつかれた気がして嫌だった。


帰ってすぐにシャワーを浴びよう、と思った。


僕は朝来た道をゆっくり歩いた。


ここを母さんと父さんも歩いたのかと思うと胸をぎゅっと捕まれた気がする。


この気持ちをどう言葉にすればいいか分からない。


悲しいとか、寂しいとか暗い気持ちの中にある、


この気持ちに僕は形容詞を付けることはできない。


いや、したくない、気がつきたくない。


僕は頭を空っぽにして、ぼんやり歩いた。


ゆっくり、ゆっくりと・・・。


「あの・・・」


僕は自分の世界から戻ってくるまでに時間がかかった。


我に返り声のほうに顔を向けた。


「あんた・・・」


声の主はさっきの女の子だった。


制服から私服に着替えていた。


上にダウンを羽織っていて、


下にジーパンをはいていた。


さっき見たときと同じようにまっすぐ立ってこちらを見据えていた。


僕は先ほど感じた吐き気がよみがえった。


「ごめんなさい・・・あっ、ついてきたわけじゃないんです。

 向こうから見えて・・・その、

 フラフラされてたんで大丈夫かなと思って・・・」


僕はその女の子を見て何か思い出しそうになった。


何かはわからないけど、


それは僕にとって危険だとサイレンが頭の中でなった。


「大丈夫なんで・・・あんまり気にしないでください」


僕は彼女を見ないで言った。


サイレンは鳴り響いて僕の頭はわれそうだった。


早くここから去りたい。


彼女とは話したくない。


「あっ待ってください!

 少しお聞きしたいことがあるんです!」


女の子はそう言って僕の腕をつかんだ。


「ちょっと・・・何あんた・・・」


僕はつかまれた腕から女の子の手が震えているのに気がついた。


この子は今緊張している。


「ごめんなさい!

 少しでいいんです、

 私の話聞いて欲しいんです!」


女の子の声は震えていて、今にも泣き出しそうだった。


けど僕は女の子よりも自分のことで精一杯だった。


今にも吐き出しそうだったのだ。


「あの・・・大丈夫ですか?」


女の子は僕の顔を覗き込んで言った。


「すごく顔色が悪い・・・熱あるんじゃないんですか?」


女の子は何のためらいも無く僕の額に手を当てて言った。


「熱があります!

 すごく熱いです。

 あのさっきのお姉さんはどこにいるんですか?」

 

僕はもうその時、吐き気を抑えるのに必死で

しゃべることが出来なかった。


だから僕は女の子の問いかけに何も答えられなかった。


「あぁ・・・どうしよう・・・あの歩けますか?


私支えますよ。


どこに泊まっているところがあるんですか」


僕は女の子がどこに泊まっているのかと聞いてきて


ビックリした。


なぜよそから来たのを知っているのか聞きたかった、


けれどそれも僕には出来なかった。


女の子が何か言っている。


どんどんその声が遠くになっていった。


視界もぼやけて、


体がいっきに軽くなった。


女の子の顔が上のほうにあって、


倒れたのだとわかった。


もはや体も頭もすべて僕のものではなくなった。

 

 


  意識がなくなっていく時、僕は金木犀の前に二人で


   立っている父さんと母さんを見つけた。





  二人は僕の名をよんでいた。







第二章

 甘ったるいにおいがする。


僕はそのにおいに酔ってくらくらしていた。


視界はぼんやりとしていて、


いくら目をこすっても視界は開けなかった。


この世界の僕はまだ幼くて


父さんと母さんが迎えに来るのを待っていた。



けれどあちこち見渡しても二人の姿は見えなかった。


僕は小さな声で二人を呼んだ。


すると向こうのほうに二人が見えた。


僕はうれしくなって、二人を追いかけた。


けれどいくら走っても二人には追いつけなかった。


僕の鼻が地面にくっつくくらい前のめりになって走っても


二人の後姿との距離は縮まらなかった。


僕は二人を呼ぼうとした。


けれど声が喉から出てくるのを嫌がっているのかのように、


息しか出てこなかった。


ハスッハスッと空気漏れのような音しか出ない。


手を叩いて呼ぼうとしても手がうまく叩けなかった。


僕は泣いて、それでも二人を追いかけようとした。


その時二人歩みを止めた。


二人が振り向いた瞬間、あの甘ったるいにおいがして、


僕は立てなくなった。


そして二人はまた僕に背を向けて歩き始めた。


もう追いつけないと分かったとき、


僕は目を覚ました。


「あっ!お兄ちゃん目覚ました!大丈夫?」


百合が心配そうな顔をのぞかせた。


見たことの無い白い天井が見えた。


そして僕の腕には針が刺さっていた。


点滴をしているのだ。


僕はどうやら病院に運ばれたようだった。


「あぁ、うん。


 さっきよりだいぶましだ」


百合はいすに腰を下ろして大げさにため息をついた。 


そして言った。

 

「もうねぇ!

 お兄ちゃんもダメなときはダメっていってよ!

 こんなことになるなら私ちゃんとホテルまで連れてくよ。

 こんな急に倒れられたら私心臓もたないし!」


僕は百合がポロポロ涙を落としながら怒っている姿を見て


少しだけうれしかった。


「うん。ごめん、迷惑かけたな。

 今後気をつけますんで」


そう言って僕は百合に頭を下げた。


百合は涙を服の袖で拭いてから一つうなずいて、


もう一度今度は安堵に似たため息をついた。


「・・・お礼・・・行こうね」


「お礼?何の?」


「やだぁ、もしかして何にも憶えてないの?

 あの女の子よ。

 今日出会った中学生くらいの女の子!」

 

そうだ、 


あの子に引き止められた時にだんだん気分が悪くなって、


意識がなくなったのだった。


「あの子すごいよ。

 意識がなくなってくお兄ちゃんを何とか支えて、 

 ベンチまで運んでさ、

 病院に電話かけて、

 それからお兄ちゃんのケータイ使って私を調べて電話くれたの。

 あっ電話帳の一番上にあった秋田さんに電話したって言ってたよ。

 秋田さんに後で連絡しておいてね。

 あとあの子がお兄ちゃんのケータイ勝手に使って

 ごめんなさいって言ってた。」


「わかった・・・

 あの子はどこにいるんだ?」

  

「帰ったよ。

 お兄ちゃん今何時か知ってる?

 もう八時過ぎてるんだからね。 

 私はお医者さんに言って

 お兄ちゃんが目を覚ましたときに不安がるといけないからって

 泊めてもらえるようにお願いしたの。

 ホテルから荷物とってきたし。

 それと、あの子には連絡場所を聞いといたから。」


 僕は女の子が必死に僕の腕をつかんだ時の


顔を思い出した。


そしてつかまれた腕が温かくなるのを感じた。


僕は捕まれたところを擦りながら百合に聞いた。


「何か・・・あの子言ってたか?」


「何かって・・・お大事に、とは言ってたよ」


「そう・・・じゃぁいい」


「・・・何かね、

 あの子おにいちゃんが倒れたのは

 自分のせいじゃないかってすごい責任感じてたの。

 なんかされた?」


僕は首を横に振った。


「だよねぇ、

 お兄ちゃんが調子悪いのはもともとだもんね」


「医者はなんていってた?」


「あっ!

 そうだった! 

 お兄ちゃんが目を覚ましたらナースコール入れてって言われてたんだった! 

 ヤバイ!

 お兄ちゃんたった今目を覚ましたことにしてよね」


百合はそう言ってナースコールを押した。


そしてすぐに大柄な医者が看護婦を連れてやってきた。


百合は医者のために椅子を空けた。


「横井さん、調子はどうかな?」


そう言って医者は大きな体を椅子に預けた。


先ほどまで百合が座っていた椅子が小さく見えた。


僕は看護婦に終わった点滴をはずしてもらった。


「もう全然いいです。すみませんご迷惑をおかけしました」


「いやいや。

 病院は迷惑をかけるところだよ。

 それに患者にだけじゃなく看護婦にまで迷惑をかけられるんだからね、

 患者の君がそんなこと思わなくていい」


大柄の医者は後ろの看護婦を見ていたずらっぽく笑った。


そんな医者の後ろで看護婦も笑っていた。


おそらくこの医者は好かれているんだろう、


今この空間はあたたかい。


「でも、君は体に迷惑をかけすぎだ。仕事は?」


医者は僕にボタンをはずすように指示し胸に聴診器を当てた。


「あっ家のデザインとかしてます。」


「ほう、そうなのか。ぜひ我が病院も新しくして欲しいね」


そう言って僕に笑いかけた。


百合も微笑んでいた。


「仕事は忙しいのか?」


「えぇ・・・それなりに、今は結構仕事がたまっています」


「そうか・・・それはいいことだが、


 ちょっと君は働きすぎだよ、


 疲れがたまりすぎてる。


 体にも心にもね」


「はぁ・・・気をつけます」


「何か近頃精神的にダメージを受けたりしたかい?」


これには百合が僕より早く反応した。


「百合、いいから」


僕は百合の言葉をとめた。


そして言った。


「先生僕はもう半年ぐらい働きづめです。

 多分それが体にきてるんだと思います。

 今後気をつけたいと思います」


僕はうすく笑ってみせた。


医者は僕に笑い返し椅子から立ち上がった。


「あんまり働きすぎると死ぬぞ。

 少し休みをもらいなさい。

 これは約束だ。」

 

「わかりました。

 帰ったら上司に相談しますよ。」


「今日はここで何も考えず眠るんだ。

 わかったね。」


「はい。」


「ではお大事に・・・」

 

そういい残して医者は看護婦を連れて出て行った。


「お兄ちゃん・・・その、ごめんね。」


「何がだ。」


「私が無理に言ったから・・・

 今日とかさ・・

 ごめん・・・」


「百合は気にすることなんて何もないよ。

 言ったろ、

 僕のオーバーワークだよ。

 今日のことは関係ないよ」


そう言っても百合は泣きそうな顔をしていた。


「百合、今日どこに止まるんだ?」


「え・・・今日は・・・

 仮眠室みたいなのあるらしいからそこに・・・

 寝かせてもらう」


百合は目を伏せて言った。


これは百合が泣くのを我慢するときの癖だ。


こういうときは何も言わないのが百合にとっては一番いい。


「百合僕もう休むよ。

 百合ももう休ませてもらいな。

 今日は疲れたろ?」

 

「うん、そうだね。

 じゃぁ・・・

 お兄ちゃんもゆっくり休んで」


そう言って百合は自分の荷物を持って部屋を出た。


僕は百合の後姿を見つめた。


僕は百合に謝って欲しくない、


もちろん泣いて欲しくも無い。


百合は過去を知りたがっていた。


両親が死ぬ知らせを受ける前からだ。


直接僕に聞いてくることはしなかったが、


僕と話しているときに遠まわしに


聞こうとしてくることはあった。


橘夫妻にはおそらく聞いていないだろう。


僕はそんな時百合の話を打ち切り話題を変えた。


百合には何も知られたくなかった。


本当の両親が他にいると知って、


気にならないわけがないのだが知って欲しくなかった。


こんな思いをするのは僕一人で十分だ。


百合までこんな途方もない思いしてほしくない。


「百合・・・ごめん」


僕は布団の中でつぶやいた。


僕は何も考えず頭を真っ白にした。


そして暗闇に落ちていった。

 

  

 「お兄ちゃん!」


僕は百合の声で目を覚ました。


「やっと起きた!

 もう十二時だよ!

 病人はいいけど寝坊しすぎだ!」


百合の声ががんがん響いた。


体を起こし、


時計を見た


もう十二時・・・


確かに寝すぎだ。


「百合頭に響く・・・ちょっと静かめにたのむ・・・」


「だめ!

 お医者さんはいいって言ったけど、」

 お客さん来てんだもん!」


「は?客?」


「そうよ。入ってもらっていい?」


「まだ起きたばっかりなんだけど・・・」


僕はむすっとして答えた。


しかし百合は、


「どうぞー!入っていいよー」


百合は無視した。


さすがの僕も妹の行動に腹を立てた。


僕は仮にも病人だ、しかも寝起きだ。


「あれ?入ってこないなぁ・・・」


百合はドアのほうに走って行った。


「あれぇ?」


「何だ?どうした?」


百合はドアを開け外の廊下を見渡していた。


「昨日の子が来てくれていたの。

 お兄ちゃん起きるまで外で待っててって言ったんだけどなぁ・・・

 いないのよねぇ・・・」


昨日の子と百合が言って


僕は少し動揺した。


お礼に行くと百合が言っていたっけ・・・


「あっお兄ちゃん言っとくけど、

 本当は私たちがお礼に行かなくちゃいけないんだからね!

 なのにわざわざ向こうから来てくださったんだから!

 お兄ちゃんがしんどいだろうからって

 なんていいお嬢さんなの・・・ねっ、お兄ちゃん」


百合は無理に気分を上げているようだ。


いつもならすぐに気がつくが、


まだ体が本調子ではないみたいだ。


気がつくのに遅れた。


きっと昨日のことまだ気にしているのだろう。


「どこいったのかなー?」


帰ってくれていたとしたら、


僕にとってはありがたい。


今は百合のことも考えなくてはいけない。


「よし!

 ちょっと探してくるね!

 その間にお兄ちゃんは目覚ましといて!」


百合は行ってしまった。


僕はまたベッドに体を預けた。


昔から百合は前の日気まづいことがあると


次の日大きな声を出し無理して


気分を上げようとする。


そして何か用事を思い出したフリをして


僕から離れようとする。


僕はため息をついた。


その時


ドアのノックが聞こえた。


僕の心臓はいっきに高鳴った。


あの子がいると思ったのだ、


あのドアの向こうに。


きっとまっすぐ立って

 

見えない僕を見つめているのだ。


もう一度ノックが聞こえた。


その音は今にも消え入りそうに


弱かった。


僕は覚悟を決めた。


「どうぞ・・・」


ドアはゆっくり開いた。


そして昨日の女の子が見えた。


制服を着て右手に花束を抱えていた。


花束といっても束といえるようなものではなかったが。


「こんにちは」


女の子は作り笑いを浮かべて言った。


「・・・こんにちは」


僕は体を起こし、作り笑いで答えた。


「お体大丈夫ですか?

 あっ・・・私がいえたことではないですけど・・・」


女の子はうつむいてしまった。


そういえば百合が昨日、


僕が倒れたのを彼女が責任を感じている


と言っていたっけ・・・。


「昨日はすみません。

 あの私・・・色いろと迷惑をかけました」


女の子は本当に自分のせいだと思っているようだ。


「別に君のせいではないよ

 もともと調子もよくなかったしね。

 僕は逆に感謝しているよ。

 昨日僕が倒れたとき、

 処置してくれたんだよね。

 ありがとう」


僕はやさしく言った。


よかったちゃんと言えた。


内心、心臓が飛び跳ねて感情がコントロールできない。


女の子は僕を見た。


あの目だ


確かめて、探るような


あの目だ。


頭が痛くなりそうだった。


その時ドアがまた開いた。


「あっ!いた!

 いったいどこにいたの?」


百合だった。


女の子はあわてて言った。


「あっごめんなさい。

 私手ぶらだったので

 これ・・・

 いい物ではないのですが・・・」


そう言って、あの花束もどきを


百合に渡した。


「わぁ!

 ありがとう!

 飾りたいんだけど・・・

 私たち今日帰るの。

 もって帰って家に飾らせてもらうね」


「あっごめんなさい!

 荷物になりますよね。

 私考えてなくて・・・」


「いやいや!

 荷物なんて思っていないよ!

 私は花大好きなの、

 ありがとう」


僕も女の子にお礼を言った。


女の子は少し微笑んだ。


そして百合は花を隅の机に置いて


言った。


「お兄ちゃん、

 診察受けに行かないといけないんだって。

 私ここで片づけしとくから、

 行って来て」

 

「何それ、もういいよ

 ぜんぜん大丈夫だし」


「看護婦さんにさっき言われたの。

 それで下に行ったら、どこに行けばいいか

 教えてくれるから。

 

 はい!

 行って、行って!」


僕はしぶしぶ起き上がった

 

そしてここで初めて着替えさせられているのに気がついた。


病院で着る、浴衣みたいなものだった。


「百合・・・これ着替えたほうがいい?」


「いいと思う。

 そんな格好の人いっぱいいたし」


僕はスリッパをはいてドアのほうへ


歩いた。


「お兄ちゃん!

 この子にお礼言った?」


百合は女の子を見ながら言った。


「あっ言っていただきました!」


女の子は百合に向かって言った。


「そういうこと。

 百合がいないとき、ちゃんと言った」


そう言って僕はドアを開け


病室を出た。


女の子はきっと僕と話がしたいんだろう。


ずっと僕を見ていた。


気がつかないフリをしていたから


女の子も話すきっかけがつかめなかったようだ。


病院の廊下は静かなイメージがあるが、


色いろな部屋から笑い声や話し声が聞こえる。


窓の外を見ると木々が葉を落としていた。


中は看護婦さんや患者が行ったりきたりしている。


僕の父さんや母さんはここに運び込まれたのかな・・・


そうぼんやり思った。


「あっ!橘さん?」


後ろから呼ばれて、振り返った。


そこにいたのは昨日の看護婦だった。


「おはようございます、

 ゆっくり眠れました?」


その看護婦はいがいと背が高く


目線が同じだった。


「あぁ・・・はい

 おかげさまで・・・。

 あの、診察室ってどこにあるんですか?」


「今、呼びに行ってたんですよ

 入れ違いにならなくてよかったです」


僕は看護婦の後についていった。


僕たちは『診察室1』とプレームに書いてあるところで立ち止まった。


看護婦がドアをノックすると中から声が聞こえた。


ドアを開けてもらい僕は中に入った。


中には小さな椅子にきゅうくつそうに座っている、


昨日の大柄な医者がいた。


紙に何かを書き終えて、医者は人のよさそうな


目を僕に向けた。


「昨日より大分顔色がいいね。

 どうだ?調子は?」


「いいです。吐き気もないです」


「ゆっくり休んだみたいだね、

 妹さんが心配していたよ」


医者は笑った。


「すみません。

 大寝坊です、起きたら十二時でした」


「よく寝たようだね。

 まぁ人間寝ることが一番好きだよね。

 もちろん私も」


昨日のいたずらっぽい笑みを見せた。


医者は僕の胸に聴診器を当てた。


暖かい部屋の中で、その聴診器だけは


冷たかった。


「熱は?」


医者は聴診器をはずして机に向かいながら聞いた。


「無いと思います」


「どこかいたいところはあるか?」


「いえ、どこも」


小さな椅子がぎしぎしいっている。


「昨日の約束憶えてるかな?」


医者はまた僕のほうを向いた。


「はい・・・しっかり休ませてもらいます」


「あぁ、昨日も言ったとおり

 体に負担をかけすぎだ。

 心臓が弱ってる。」


「心臓が・・・?」


「昨日も言ったが・・・

 心に負担かかっていることが

 何かあるんじゃないか?」


僕は首を振った。


「昨日も言ったとおりです。

 働きすぎですよ

 それで精神的にきたんです」


医者は僕の目を見つめて言った。


「体は正直なんですよ。

 君の感じたことが正直に出る。


 私では力になれませんかな?」


話せない。


僕が思って、感じて、悩んでいることなんて。


彼は僕にとってなんでもない存在だ。


「本当に無いんですよ。

 安心してください、ちゃんと休みます。

 体は大切にします」


陳腐な言葉だ。


こんなことで彼がだまされることはありえないが、


もう僕には干渉してこれないだろう。


医者は笑って「わかりました」とだけ言った。


僕は椅子から立ち上がり、


診察室を出ようとした。


「お大事に」


医者は言った。


ドアを看護婦が開けてくれ、


僕は浅く礼だけして


部屋を出た。


さっきよりも廊下が暗いような気がした。


医者は僕を知ろうとした。


体じゃなく心の中を。


僕はそれを拒否をした


彼にはきっとわからないから。


さっさと片付けをして、ここから出て行きたい。


どこもかしこも息苦しい。


両親がいた場所なんて


僕にとって苦しいだけだ。


頭がくらくらする。


僕は壁によりかかった。


息が上がる、


目の中に涙がたまっている。


僕は上を向き、涙が流れないようにした。


本当に僕の体はどうしたんだろう・・・


「橘さん!?」


その声はあの女の子の声だった。


だから僕は急いで浴衣の袖で涙をふき取った。


「どうしたんですか?体やっぱり悪いんですか?」


女の子はパタパタと僕のほうに近寄ってきた。


「いや、もう大丈夫だから。

 君は何でここに?」


「百合さんに言われたんです。

 迷ってたらいけないからって」


何をどうすれば迷うというのか。


百合は何を考えているんだ?


「あぁ、ありがとう」


僕はわけの分からないお礼を言った。


廊下を二人で歩いた。


彼女は歩くときもまっすぐだった。


前を見据えて、


なんだか僕には見えないものを見ている気がした。


そして僕ら二人の足音はなんだか世界に二人しかいないような


錯覚をさせた。


この子はいったい何者なんだろうか?


すると突然、二つ先の僕が泊まった部屋から百合が顔を出した。


「お兄ちゃん!

 やっと帰ってきた

 ありがとうね真奈美ちゃん」


真奈美と呼ばれた女の子はまた下を向いた。


「どうだった?何て?」


「心臓弱ってるから休めだって」


これに隣にいた真奈美は驚いた顔をした。


「ただの過労だ。

 帰ったらしっかり休むよ」


「嘘ばっかりだ」


百合はため息をついて言った。


「他には?何か言われた?」


「いや何も」


僕はそう言って帰る支度を始めた。


浴衣から自分の服に着替えるときは、


二人に外へ行ってもらった。


片付けといっても一日泊まっただけだから


何もすることがなかった。


それに百合が僕のいない間ほとんど手続きをしてくれていたから


僕は荷物を持って外に出るだけでよかった。


「お兄ちゃん、薬ちゃんともらってる?」


「うん。かばんに入ってるよ」


一応薬はもらった。


安定剤というものだった。


最後に医者に言われたのは、


『君にとって一番いいのは


 休むことだよ。


 薬なんかよりもずっとね』


そう言って、医者はまた笑った。


僕は医者や看護婦に頭を下げ


病院を出た。


「あードタバタしたねっ!

 お兄ちゃん過労だなんてね、

 やっぱりちょっと休むべきね」


「わるかったよ。 迷惑かけた」


「そう思うなら、

 お昼私たちにおごってよ!

 ねっ真奈美ちゃん何食べたい?」


僕は真奈美の存在をしっかり忘れていた。


真奈美は何を食べたいか百合に聞かれ困っていた。


僕は正直ここを早く離れて帰りたかったので、


うんざりした。


「お礼するって言ったもんね。

 何でもいいんだよ?

 真奈美ちゃんどうする?」


「あっ私なんでもいいので・・・

 百合さんと満治さんで決めてください」


「えーそうだなぁ・・・

 じゃぁ、スパゲッッティがいいな!

 どこかお店ある?」


「そうですね・・・

 たしか、あっちの通りに小さいですけど、あります」


「ではそこへ行きますか!行くよ!お兄ちゃん」


百合は自分の荷物とお土産を持ち歩き出した。


百合の隣で真奈美は笑って案内していた。


彼女たちは随分打ち解けているように見えた。


僕の名前も百合から聞いたのだろう。


僕はこの先に待っていることに恐れを感じていた。


きっと真奈美は『聞いて欲しいこと』を話してくるだろう。


僕はそれにどう反応するだろう。


なんと答えるだろう。


それを考えていると一軒の店の前で止まった。


『MELODY』という看板がかかっていた。


スパゲッティ屋と言うより喫茶店という感じだった。


百合を先頭に中に入ると、


センスのいい音楽がかかっており


今日初めてなのに


なぜか前も来た事があるように感じられた。


店内は狭く結構古いのだが、掃除が行き届いており


清潔だった。


「いらっしゃいませ。3名様でよろしいですか?」


「はい」


「こちらにどうぞ」


店員は僕らを窓際の席に案内した。


そして百合と真奈美はスパゲッティとオレンジジュースを


頼んだ。


僕は何か食べる気分ではなかったので


コーヒーだけを頼んだ。


ここには僕ら以外に


若いカップルと、


ランチタイムなのか


仕事着を着た女性二人組みが


自分たちの時間を楽しんでいた。


「改めて、真奈美ちゃん昨日は本当にありがとう。

 お医者様に話したら、褒めてたよ」


そう百合が言うと


真奈美は少し赤くなって


ありがとうございます


と言った。


「そうだ!

 お兄ちゃん子のこの名前知らないでしょ?

 自己紹介しようよ!」


今自己紹介したって


数時間後には


別れて、さよならするのに


何の意味があるのか。


「私、倉本真奈美です。

 中学二年です。

 よろしくおねがいします」


「ふふ!

 なんだか面接みたいね。

 ほらお兄ちゃんは!?」


百合は相変わらず


気分を上げようとしている。


「橘満治です。

 昨日はどうもありがとう」


僕はまた礼を言った。


「はーい! 私は橘百合!23歳でぇす!満治の妹です!」


百合は身振り手振りで


大げさに自己紹介をした。


真奈美はそれを見て笑っていた。


兄としての意見は


もう少し妹には大人になって欲しい、だった。


そんなことをしているうちに


注文したものが運ばれてきた。


スパゲッティはトマトのいい香りがした。


百合と真奈美はそれをおいしそうに


食べ始めた。


僕はコーヒーをひとくちすすった。


こくがあり、香りもとてもよかった。


豆から挽いているんだろうなと思った。


僕の前に座っている真奈美は


黙々とスパゲッティを口に運んでいた。


だけど彼女の目は、話したいことを


切り出すきっかけを探していた。


僕はきっかけを与えないうちに


ここを去ろうと決心していた。


「あーおいしかった!

 ここのスパゲッティおいしいね。

 お兄ちゃんも食べればよかったのに

 朝から何も食べてないでしょ?」


百合の皿を見るともう全部平らげていた。


真奈美はまだ半分残っているというのに・・・


「食欲が無いんだ。今はいい」


「ふーん・・・ あのね、お兄ちゃん、

 私病院に忘れ物したみたいなの。

 ごめんなんだけど

 取ってくるからここで待ってて?」


「は?何忘れたんだよ?」


「ケータイ。多分あの仮眠室に忘れたんだと思うの」


「あとで行けばいいだろ」


僕はあせった。


この子と二人になれば


確実に僕は


話を聞くことになる。


それだけは絶対嫌だった。


「今じゃないとダメなのよ。

 すぐ戻ってくるから!」


そう言って百合はすばやく席を立ち


店から出て行った。


僕は情けないことに、


自分の手が震えているのに気がついた。


僕は手をひざの上に置き


真奈美に震えているのを見えないようにした。


真奈美もやっと食べ終わったようで、


フォークとスプーンを皿に置き


ふきんで口元を拭いていた。


僕らは互いに口を閉ざし


相手の出方を探っていた。


気まずい沈黙が流れた。


「あの・・・」


口を切ったのは真奈美だった。


「何から話せばいいのかわからないんですけど

 満治さんは・・・あの・・・

 横井さんの息子さんですよね?」


僕は目を閉じて何も答えなかった。


平静を装ったが、心臓は飛び跳ねていた。


「・・・すみません

 百合さんから聞きました。

 百合さんは、

 自分は横井さんの娘だと教えてくださいました」


そうか・・・


多分全部仕組まれていたんだ。


今日僕と真奈美が


こうして話しているのも


百合が考え出したんだろう。


「こうやって話す場を作ったのか?二人で」


「すみません、

 そうでもしないと聞いてもらえないと思ったんです」


何をやっているんだ僕は・・・


中学生のこの子に・・・。


「私は横井さんを知っています。

 すごくお世話になりました。」


僕の知らない父さんと母さんが


現れようとしていた。


「それで・・・

 僕らのことを教えてもらったのか?」


「いえ・・・直に話してもらってはいません。

 だけど、本当に時々ポツリと話すことがあったんです。

 私、そういう時は黙って聞いていました。

 悲しそうに・・・話していましたから」


真奈美はその光景を思い浮かべたのか


少し涙ぐんでいた。


僕は頭が真っ白になりそうなのを


何とかこらえていた。


父さんと母さんの20年間の一部を


真奈美は知ってる。


「なんで・・・僕らが横井さんの子どもだと思ったんだ?」


僕はずっと感じていた


疑問の1つを聞いてみた。


「似てるんです、満治さん。

 横井高道さんにすごく似てます」


横井高道は僕の父親だった。


「・・・似てる?それだけ?」


「すみません、ほとんど勘なんです。

 だから最初声をかけるのもすごく迷ったんです。

 間違っていたら失礼だし・・・

 けど、満治さんをよく見たら絶対この人だって・・・

 確信しました」


だから彼女はずっと僕を見ていたんだ


その理由はわかった


しかし彼女もなんというか


無鉄砲だ。


ただの勘だなんて・・・


「百合になんて聞いたんだ?」


「はっきりとたずねました。

 横井さんの娘さんですか・・・って」


「なんて答えたんだ?」


「最初は否定されました。

 けれど私の思っていることをお話したら

 教えてくださいました」


真奈美は僕の質問に


はきはきと答えた。


最初の顔をうつむかせていた


彼女が嘘のようだった。


今はまた背筋を伸ばし


僕を見据えている。


「それで・・・何で僕と話がしたいの?」


「百合さんが・・・自分ではなく

 お兄さんにしてくれ・・・と」


百合じゃなく僕?


百合は僕に押し付けたのか?


どういうことだ?


「私はお二人にお話したかったのですが・・・」


「百合は・・・どうして・・・」


僕は独り言のようにつぶやいた。


「満治さん、

 私の話聞いていただけませんか?

 どうしても聞いていただきたいんです」


僕は頭の中が空っぽになった。


こうなったらもう何も考えられない。


真奈美のことばも


もう入ってこない。


「満治さん?」


頭がいたい


ここから早く離れたい。


真奈美が僕の名前を呼んでいる


でももう答えたくなかった。


僕は彼女の話を聞きたくない。


「お兄ちゃん!」


これは百合の声だった。


心配そうに僕を見つめていた。


「どうしたの?大丈夫?」


僕はほっとして、涙が出そうになった。


「真奈美ちゃんごめんね、

 今日は帰らせてもらっていい?」


真奈美は頬を赤くして、百合の言葉に頷いた。


「お兄ちゃん歩ける?」


僕は椅子から立ち上がり


机の上にお金を置いた。


真奈美は肩を震わせ


足元を見ていた。


その姿を見ても僕は何も言わずに店を出た。


そして駅に向かおうとした。


「何時の新幹線があるのかな・・・

 まぁタクシー捕まえて、とりあえず

 駅まで行こう」


僕は少し声のトーンを上げて言った。


なぜなら今度は百合が下を向いてしゃべろうとしないからだ。


僕のほうこそしゃべりたくなかった。


頭はがんがんするし


百合が真奈美に言った言葉の意味も気になっていた。


「百合?どうした?行くぞ」


僕は百合に近寄り聞いてみた。


すると


「どうして!?

 どうしてお兄ちゃんはそうなの!?

 何で、過去を怖がるの!?

 何で・・・一人で背負い込むの・・・

 何で・・・私に何も教えてくれないの・・・」


百合は泣きはじめた。


僕は気が動転した


百合が泣いているわけがわからない。


僕はその場に突っ立って何も出来なかった。


「百合・・・」


「・・・私、帰らない。あの子の話を聞くわ!

 お兄ちゃんが聞かないなら・・・私が聞く!」


百合は僕をにらんだ。


いったい百合が今どんな思いで話しているのか、わからなかった。

 

真奈美の話がどれだけ大切なんだ?


どれくらい価値があるんだ?


百合は僕に何を求めているんだ?


「いいの?お兄ちゃん・・・

 私真奈美ちゃんの話聞くよ?」


「百合・・・

 いったいどういうことだよ?

 真奈美の何がそんなに大切なんだ?」


「話し何も聞かなかったの?

 お父さんとお母さんの話し・・・」


「少しだけ聞いた。

 なぁ・・・真奈美って子は赤の他人だぞ。

 少し父さん母さんを知っているからって・・・」


この言葉に百合は反応した。


「赤の他人!?

 赤の他人は私だわ!!

 お父さんお母さんの顔も知らない!

 抱っこされた記憶も、あの人たちが笑ってる顔の記憶も

 私は何一つもっていない!


 こんな私こそ・・・

 赤の他人じゃない!!」


僕は愕然とした。


今まで百合を思って何も言わずに大切にしてきた。


それが彼女を独りにさせていたんだ。


真奈美が僕に話しをさせようとしたのも


百合は僕から聞きたかったからだ。


それを僕一人に押し付けたとか勘違いをして・・・


最低だ僕は・・・。


「百合・・・ごめん」


百合は何も答えなかった。


ずっとハンカチで涙を拭いていた。


時々嗚咽を漏らしながら・・・


 どれくらい時間が経っただろうか、


もう何十年も立っている気がした。


「お兄ちゃん・・・」


百合が真っ赤な顔をして


口を震わせながら


僕を呼んだ。


「私ホテル取ったの、

 さっきケータイ取りに帰ったときに。

 私ここに残る。お兄ちゃんは?」


「僕は・・・」


もう逃げられなかった。


ここに残ったら、


過去に向き合わないといけない。


橘家に帰ったら・・・


僕は本当の家族を失う。


「僕は・・・」


その時


甘いにおいが風に乗ってきて


僕の鼻をくすぐった。


どこかに金木犀の木があるのだろう。


甘いどこまでも甘いにおいだった。


百合は僕を見つめ、僕の答えを待っていた。


「僕は・・・

 話すよ、あの子と」


百合はほっとした安堵の笑みを浮かべ


「お兄ちゃんの・・・

 部屋も取っといてよかった」


と言った。


「百合・・・

 本当にごめん」


これには百合は答えず、自分の荷物を持ち歩き出した。


僕もそれ以上は言わなかった。


百合は多分自分の言葉に


後悔しているから。


 僕は過去を求めに行く。


それは二十年間逃げ続けてきたものだ。


けどきっともう逃げられない。


僕と百合には父さんと母さんの二十年間を知る


義務があると思うから。


 



 僕は前を見た


そこにはオレンジ色の金木犀が


風に揺られて踊っていた。

















 













 

































 




 
















ここまで読んでくださりありがとうございます。

満治がやっと重い腰を上げてくれたので、真奈美のことも両親のこともかけます。

まだまだ書きたいことはたくさんあるので、このお話を大切に完成させていきたいと思います。

よろしくお願いします。


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