プロローグ
覇道学園の朝は早い。
時刻は九時五十分。すでにホームルームを終え一時限目の授業が始まっていた。
それぞれの教室で生徒たちが熱心に学習に取り組む中、遅れてのこのこやってくる影が一つあった。
「くぁぁぁ……」
大きな欠伸をする少年。金髪にピアス、着崩した制服が特徴のいかにも”不良”っぽい風貌。
覇道学園高等部2年F組・新城来人。
彼の向かう先は2年F組の教室ではない。本来なら怪我人が向かう先である保健室だった。
無論、来人は何一つ怪我など追っていない。ではなぜ保健室へ足を運ぶのか。理由は非常にどうしようもないもので、授業はもう始まっているからどうせなら一時限目が終わるまで保健室で寝ていようというものだった。
「霧生センセー。今日もベッド借りまーす」
まるで自分の家の図々しく保健室の扉を開ける。
いつもなら有無を言わさずズカズカと保健室に入り込み、そのままベッドで横になって速攻で寝ているのだが、今回は違った。
「……へ?」
来人は固まる。
迸る電光を思わせるような、青とも白ともとれる言葉にしがたい美しさを魅せる、腰までまっすぐ伸ばした長髪。
まるでどこかの職人が作った人形のように整いすぎた顔立ち。
飲み込まれる錯覚すら覚えてしまうほど美しい水晶のような瞳。
スレンダーだが出るとこはきちんと出ていて、雪のように白い肌が視線を釘付けにする。
そんな理想の美少女という言葉がふさわしい少女が、目の前で下着姿で現れたのだから固まるのも無理はなかった。
「きゃああああ!?」
沈黙を破ったのは、少女の悲鳴だった。
少女の悲鳴で、来人もようやく我に返る。
「おおお落ち着け!とりあえず服を着ろ!」
などとのたまいながら、来人は椅子に掛けてあった少女の制服と思われるものを手に取り、少女に近づいていく。
突然の事態に冷静さを欠いていた来人は、己がこの保健室から出ていくという選択肢をすっかり見失っていた。
「変態!来ないでッ!」
「ぶべらっ!?」
少女の平手打ちが来人の顔面にクリーンヒットする。だが来人もただやられるだけでは終わらない。平手打ちをかました右腕をがっちり掴んでいた。
「だから落ち着けって!ほら早く服を着ろ!」
「いやあ!離して!離しなさいってば!」
お前の方が落ち着けと言わんばかりの来人と、来人の奇行によってさらに冷静さを失っていく少女。
思っていたより少女の腕力が強く、来人はその力によって振り回されている。
嫌がる下着姿の少女に、その手を掴んで仁王立ちする男。誰かに見られたら間違いなく勘違いされる状況。
そんな状況下で、保健室の扉がもう一度開かれた。
「……何やってんだ、お前ら」
煙草をくわえて現れたその女性が、呆れたように言う。
霧生晴夏。覇道学園の養護教諭である。
ぼさぼさの黒い髪で右目を覆い隠し、常に気怠そうな表情をしている。白衣を羽織っていてもその豊満な胸が目に余る。
美人なのは美人なのだが、そのダメ人間っぷりが仇になって28歳の今になっても色恋沙汰一つないという残念な美女である。
「「霧生先生!!痴女が!!(変態が!!)」」
来人と少女の声が重なる。
来人は少女のことを痴女と、少女は来人のことを変態と言い放った。
「なっ!?だ、誰が痴女よ!?」
「だってそうだろ!?ここ保健室だぞ!?更衣室じゃねーんだよ着替えるところじゃねーっつーの!どぅーゆーあんだーすたん!?」
なだれ込むようにして捲し立てていき、最後は発音のなっていない英語でしめる。
「た、確かにそうだけど!私にだって事情があったんだから仕方ないでしょ!そもそも、どうしてあなたはこんな時間にここにいるわけ!?」
「そ、それは――――」
痛いところを突かれた。
当然、遅刻してきた上に一時限目を終わるまで寝るためにここに来たなどとは言えない。
「決まってんだろ!怪我だよ怪我!」
「嘘つけ遅刻常習犯。どうせまた一時間目すっぽかして居眠りしに来たんだろ」
堂々と嘘をついたところに晴夏が横槍を入れてくる。
「ちょ!?霧生先生アンタそっちの味方っすか!?」
「なんでお前の味方をしなきゃならんのだ。それより新城、いい加減にそれを返したらどうなんだ?」
「……あ」
手に持っていた制服一式とスパッツが目に映る。
それを見てようやく来人は「やってしまった」と自覚した。これでは変態と言われても仕方ない。
「すまん!」
全力で頭を下げながら手に持っていたものを突き出す。
「ふん!」
乱雑にそれを手に取り、「変態!」と言い残して少女はカーテンの向こうに消えていく。
「な、なんだよアイツ!俺、素直に謝ったのによ!」
カーテンに向こうにいる少女にはに聞こえないように口をとがらせて言う。
「おい新城。お前は誰の下着姿を見たのか分かっているのか?」
「はぁ?知るかよ。初対面だっつーの」
来人はそう言うと、ドカッと椅子にもたれる。
「なら教えてやろう。彼女は高等部2年A組のクリスティーナ=デ・ロッシ・リンドホルム。ヨーロッパの小国ヒュペリオンの王女にして序列四位の《雷帝》とは彼女のことだ」
「……え?」
顔から一気に血の気が引いていく。鏡を見なくても分かる。たぶん真っ青だと。
いつものように授業をサボりに来たら人生最大の危機に直面するなんて、誰が予想できるものか。いや、誰も予想できない。