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SF作家のアキバ事件簿277 ミユリのブログ 砂になるヲタク

作者: ヘンリィ
掲載日:2026/10/30

ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!

異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!


秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。

ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。


ヲトナのジュブナイル第277話「ミユリのブログ 砂になるヲタク」。さて、今回は友人の警備員が不慮の死を遂げ、その裏に化学会社の巨大な陰謀が…


謎を追うスーパーヒロインたちは、いつか追われる身となり、不老不死をめぐる人類規模の陰謀は、ついに主人公の命までも…


お楽しみいただければ幸いです。

第1章 ミユリのブログ


"もともとマリレは、キッチンメイドよりも稼ぎの良いお仕事を探していたの。


セキュリティ部門。つまり、メイド服で御給仕する代わりに、メイド服で警備する仕事。メイド服の持つ意味が変わっても、秋葉原の経済原則は変わらない。問題は時給だから。


「そうか。おめでとう、採用だ。貴女は今日からガラクター化学薬品工業のセキュリティ部隊"雅楽忍者隊"のメンバーよ!」


そんなわけで、マリレは忍者になった。


もっとも、忍者といっても、忍び込むのは敵の城ではなく、夜勤のセキュリティセンターだけど。


その頃、スピアはプロデューサーのドミニに、自分の未来について尋ねていた。


「で、私たちはどこに行くの?」

「もちろん五反田よ」

「五反田?今1番ホットな"五反田系"の聖地で私がデビュー?ホンキなの?」

「YES。気に入られれば、向こうで録音してテスト盤を取るから」


秋葉原の地下を出た途端に全ての夢が走り出す。行き先は、今や"23区のラスベガス"と呼ばれ国際的エンターテイメント都市に進化した五反田だ。


スピアは、メジャーへの道を歩もうとしている。マリレは"雅楽忍者隊"に入った。

そして私は、アキバを離れることを決めた。


テリィ様は、私を癒したのは事故だったと言った。


あれは、起こってはならない事故だった。私は命を落としかけていた。だから、テリィ様は私を癒した。


それは、わかっている。


でも、あのときテリィ様に助けられたことで、私は変わってしまったの。


超能力に目覚めたのか。それとも、もともと私の中にあった何かが、テリィ様の癒す力に反応しただけなのか。


まだ、答えは出ていない。

だけど、私はマデラに告げた。


「私、決めたわ。大阪へ行きたい」


アキバを離れ、自分の人生を見つめ直したかった。


あの決断が正しかったのかどうか、今でも私にはわからない。ただ、あのときの私は、自分で決める必要があった。


そして、私がいなくなったアキバでも、時間は止まらずに進んでいく。


ミユリのブログ つづく"


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


神田リバー沿いの"ガラクター化学薬品工業"。

午後11時29分。セキュリティセンター。


コンソールの前で、マリレが居眠りをしている。

雅楽忍者隊のコスプレ姿。


忍者は、音もなく敵に忍び寄る。

マリレの場合、音もなく眠りに落ちている。


「ねぇ、マリレ。起きて」


鼻の頭に笙(しょう)を載せたマンクが、隣から声をかける。同じ"雅楽忍者隊"のコスプレ。


「なによ」

「ほら。これを見て」

「そんなことで起こさないで」

「さっきは立ったのよ」

「何が?」

「笙(しょう)よ。鼻の頭から落ちそうになったけど、ちゃんと立ったの」

「……それ、立ったんじゃなくて、落ちかけたんでしょ」


マリレは、目をこする。


「まったく。5人そろってワイワイ夜勤してた頃が懐かしいわ。2人体制になってから、マジで退屈。これじゃプリキュアよ」

「不景気だからしょうがないわ。人件費削減。地球は経費削減で回っているの」

「夢のない世界ね」

「夢なら、さっき見てたじゃない」


マンクが笑う。

そのとき、彼女はマリレの右手に気づく。


「どうしたの、その手?」


白い包帯が巻かれている。


「窓に突っ込んだのよ」

「なんでまた?」

「スピアのことで」


マンクは一瞬、口をつぐんだ。


「……あらあら。大立ち回り?」

「まあね」


マリレは、それ以上説明しない。


スピアが五反田へ行くこと。レコード会社の人間たちが彼女の歌を商品にしようとしていること。そして、自分がその未来にどう関われば良いのか、わからなくなっていること。


窓ガラスを割ったところで、何ひとつ解決しない。

そんなことは、マリレにもわかっている。


「じゃあ、今度の週末は暇かしら?」


唐突にマンクが尋ねる。


「暇よ」

「対戦相手が欲しいの。"ウル虎ノ門2"を買ったんだけど、コンピューター相手じゃ勝てなくて」

「じゃあ、私は"ウル虎ノ門ジーベン"で行くわ」

「あら。でも、アイスラッガーは故障中よ」

「大丈夫。エメリウム光線があるから」

「よし。じゃあランチのカップ麺を賭けましょう。叩きのめしてあげる」

「決まりね」


マリレは、椅子から立ち上がる。


「さて、巡回のお時間よ」


2人はタブレットを手に、セキュリティセンターを出て逝く。


廊下に響く足音が遠ざかる。

その直後だ。


入れ違いに、白い化学防護服に身を固めた男たちが入って来る。


人気の消えたセキュリティセンター。

男たちは周囲を確認し、金属製のボックスを開く。


中から取り出したのは、いくつもの小さな容器と、分析用の器具だ。


1人がコンソールの周辺を調べる。

もう1人は、証拠品袋を広げる。


そこに入れられたのは、キャンディーの空袋。


別の男は、置かれていたカチューシャを手に取り、内側に残った毛髪を採取。慣れた手つきでラベルに番号を振り、DNA鑑定用の試料として保管する。


さらに、血のついた絆創膏を見つける。明らかに喜んだ様子で、男は試験管へ収める。


手順に迷いがない。

まるで、何度も繰り返してきた作業のようだ。


キャンディーの空袋。

毛髪。

血のついた絆創膏。


一見、何の関係もなさそうな証拠品の数々。

男たちは、それぞれに番号を振る。


金属ボックスの蓋が閉じられる。


第2章 問題児メイドと五反田ロックスター


学園前の郵便ポスト。


ミユリさんは手紙を投函すると、ポストの向こうに広がる校舎を見渡す。古風な赤レンガの建物に、手入れの行き届いた庭。寄宿舎も併設されている。見た目だけなら、全国の問題児メイドを収容する"学園"には見えない。


ミユリさんは、満足そうにうなずくと、スーツケースを引いて門をくぐる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"スピアへ

 地底超特急に揺られた旅は、あっという間に終わった。でも、人生でいちばん自由を感じた時間だったわ。


 秋葉原から遠ざかるほど、私は普通の腐女子に戻っていくような気がした。超能力も、使命も、誰かを救う責任もない。ただ、窓の外を眺めて、自分の行き先を考えていられた。


 だから、大阪に着いたときは、まるで自分の街に帰ってきたような気持ちになれたの。


 ここなら、やり直せるかもしれない。


 少なくとも、今度は自分のことは、自分で決めたい。


……そう思っていたのだけれど"


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


マクゴ・カナル校長室。


「本学園は、校則が厳しいことで有名です」


デスクの向こうに座る校長は、初老の女性だ。厳格な表情に、寸分の隙もない身だしなみ。英国の魔法学校から連れてきて、そのまま大阪に赴任させたような人物。


マクゴ校長は、書類を1枚めくる。


「何しろ全国から問題児メイドを集め、再教育を施す学園型メイドカフェですから。貴女が以前いた御屋敷より、はるかに厳しい生活になると思ってください」

「それこそ、私が望むところです」


ミユリさんは、真面目に答える。


ここでは規則がある。時間割がある。門限がある。決められた生活を送りながら勉強に集中できる。


腐女子として、普通の生活を取り戻すには、むしろそれくらいの制約が必要なのカモしれない。


「大変結構。では、校則を説明します」


校長は書類を差し出す。


「門限は、御屋敷の営業終了時刻である午後9時。男子禁制。喫煙、飲酒、ドラッグはいずれも厳禁。違反者は即退学です」

「わかりました」

「規則を守れない生徒に、ここにいる資格はありません」

「はい」


ミユリさんは、深くうなずく。

普通のメイドなら、牢獄のような御屋敷だと思うかもしれない。


でも、今の私には、隔離されているくらいがちょうど良いわ。ここで腰を据えて勉強すれば、諦めかけてたパークリー音楽院だって目指せるカモ。


そして、自分の力を制御する方法も、いつか見つかるかもしれない。


今度こそ、私は普通の生活を手に入れる。ミユリさんは、校則の冊子を受け取りうれしそうだ。


この後、転校からわずか5分で、その校則の最初の試練に直面するとは思ってもいない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


寄宿舎。ミユリさんの部屋。


ノックをすると、ドアがほんの少しだけ開く。

隙間から、翠色に髪を染めたメイドが顔を出す。


ミユリさんの頭の先から靴まで、値踏みするように眺める。ミユリさんが話しかける。


「ここが私の部屋だと思うの」

「間違いない?」

「間違いないわ」


ミユリさんがうなずくと、翠色の髪のメイドは、しばらく考えたあと、ようやくドアを全開。


「これで気楽なお一人様暮らしもお仕舞いか」


どうやら、ここでは入室にも審査があるようだ。

ミユリさんは、スーツケースを引いて室内に入る。


「貴女がアイリ?」

「YES。歓迎委員もやってるわ。確か、ミユリさんよね?」


アイリは、ミユリさんの胸元の名札を見る。


「私が来るの、知らなかったの?」

「知らなかったけど、部屋で名札は要らないわよ」


ミユリさんは、名札を外す。


なるほど。歓迎委員というのは、歓迎する前に相手の個人情報を確認する仕事らしい。


「で、呼び名は?年増だから『お姐』とか呼ばれてたワケ?」

「普通に名前で呼ばれてたわ」

「どこの出身?」


アイリは、悪びれもせずタバコに火をつける。


「お台場」

「どの辺?」

「砲台の近くよ」

「まあ、うらやましい。都会の女って感じね。それで、彼氏は置いてきたの?」

「ううん。彼はいないわ」

「レズビアン?」


ミユリさんは一瞬、返事に困る。

アイリは、慌てて手を振る。


「別に誘ってるわけじゃないのよ。うちは腐女子が多いから、火遊びしてる子も珍しくない。念のため聞いただけ」

「火遊びって、タバコのこと?」

「まさか」


アイリは、煙を吐く。

ミユリさんは、思わずくすくす笑う。


どうやら、この歓迎委員は、校長の説明に出てきた"問題児メイド"そのもののようだ。


「タバコ、嫌いなの?」

「別に。ただ校長と話してきたばかりだから」

「何を?」

「喫煙は即退学だって」


アイリの手が止まる。


「……あら」

「転校5分でトラブルに巻き込まれるのは嫌よ」

「真面目にとらないで。怒らせる気はないわ」

「じゃあ、なぜ聞くの?」

「一応、念のため」


アイリは、次のタバコに火をつける。

念のための意味が、ますますわからなくなる。


そのときだ。


コン、コン。


部屋のドアが鳴る。

2人は同時に振り向く。


「誰なの?」


ミユリさんが尋ねる。

ドアの向こうから、聞き覚えのある厳格な声。


「マクゴです」


アイリの顔色が変わる。


「やば!」


タバコを灰皿に押しつける。窓を開け、煙を逃がす。消臭剤を噴射する。灰皿を隠す。一連の動作は、ムダがなく、訓練された特殊部隊のようだ。


問題は、部屋にタバコの臭いが残っていること。


ミユリさんは一瞬だけ考える。

そして、制服を脱ぎ始める。


ブラとボトムだけになる。


「ちょっと、何脱いでるのよ!」

「静かに」


ミユリさんは、アキバでカレルから押し付けられた香炉を取り出し火をつける。


「少し待ってください。今、制服に着替えているところなので」


ドアの向こうが静かになる。


「……わかりました。では、少々お待ちします」


しかし、足音が遠ざかる気配はない。

ミユリさんはアイリを振り返る。


「制服を貸して」

「えっ?」

「早く!」


アイリが慌てて制服を差し出す。


下着姿のミユリさんはそれを身体に当てる。アイリはその間に、窓を閉め、消臭剤をもう1度だけ噴射する。


「今、開けます。少々お待ちを」


ミユリさんは深呼吸してからドアを開ける。


「すみません。制服に着替えようと思っていて」


ハケト校長が、室内を見回す。

窓。机。ベッド。香炉から立ち昇る紫煙。


そして、下着姿に制服を当てて立つミユリさん。


「……タバコを吸っていたのですか?」

「いいえ。お香を焚いてました。私は、仏教徒です。仏教は禁止ですか?」


校長の眉が、わずかに動く。


「いえ、特定の宗教を排除するなど……」

「良かったです」


ミユリさんは、微笑む。

校長は、アイリに視線を移す。


アイリは、壁の一点を見つめている。まるで、そこに校則の全文が書いてあるかのようだ。


「それから、渡すのを忘れていました。こちらの書類、明日記入して提出してください」

「わかりました」


ミユリさんは書類を受け取り、丁寧に頭を下げる。

校長はもう1度だけ部屋を見回してから、廊下へ出て逝く。


ドアが閉まる。

しばらく、2人とも動かない。


やがてアイリが、ゆっくりとミユリさんを振り返る。


「……頭の回転、早いのね」


ミユリさんは、制服の襟を直した。


「経験よ」

「ねえ、ミユリ姐様」

「何?」

「貴女、もしかして、かなり面白い人?」

「そうでもないわ」

「いいえ。気に入ったわ」


アイリは、笑う。

ミユリさんも微笑みを返す。


問題児メイドに囲まれる寄宿舎で、ミユリさんの新しい生活が始まる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


スピアの手紙。


"ミユリ姉様。元気?


五反田に初めて来た人は、街の勢いに圧倒されるっていうけれど、確かにその通りよ。


人混み。騒音。看板。呼び込み。人間の欲望をそのまま電源につないだようなエネルギー。秋葉原も相当なものだけど、五反田には五反田の迫力がある。


街が生きているというより、街そのものが何かを食べてグワングワン成長している最中なの。


私は、この街が気に入ったわ。

いつまでも、ここにいたい。


不思議ね。秋葉原では、ずっと自分の居場所を探してばかりいた。

ここでは、まだ何者でもない私が、これから何者にでもなれるような気がする。


私の街。


そんなふうに思える場所に出会えるなんて。少し前までは考えもしなかったわ"


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


五反田。有楽街の四叉路。


街灯の下で、若い男がギターを弾いている。通り過ぎる人々は、足を止める者もいれば、見向きもしない者もいる。しかし、男は特に気にする様子もなく、ギターをかき鳴らしている。


その横に、白く巨大なリムジンが滑り込む。


長い車体が街のネオンを映し、周囲の人々が一斉に振り返る。一緒に自撮りする者も現れる。

やがて、リムジンの屋根がスライドする。


そこから顔を出すスピア。


「Hello、五反田!ロックスターのお出ましよ!」


ギターを弾いていた男が演奏を止める。


「……スピア?」

「ちゃんと会いに来るって約束したでしょう?」


ビリィはリムジンを見上げ、次にスピアを見る。


「でも、まさかリムジンで来るとは」

「エッヘン。私、レコード会社に愛されてるの」

「誰かに気に入られたのか」

「厳密に言うと、ちょっと違うわね。ドミニが貸してくれたの」


スピアは、得意げに胸を張る。


「それより、ビリィもあとで彼女に会って。才能を見抜く目があるスカウトよ。貴方も自分を売り込んだら?」


ビリィは、少し考えてから、首を振る。


「気持ちはうれしいけど、そこまで甘えられないよ」

「そう?」

「俺は、俺のやり方でやるさ」


スピアは、ほんの少しだけ寂しそうな顔をする。


以前なら、ビリィのその言葉に腹を立てていたかもしれない。あるいは、自分の夢を理解してくれないと責めていただろう。


でも、今は違う。


自分の夢を追うことと、誰かの夢を尊重すること。その2つは、必ずしも同じ道を進む必要はないのだ。


「わかった。じゃあ、いつか私が有名になったら、貴方のライブに花輪を贈るわ」

「できれば花輪より、客を連れてきてほしいな」

「欲張りね!」


スピアは、リムジンのドアを開ける。


「とにかく乗って。レコーディングに遅刻しちゃう。ほらほら!」

「はいはい、五反田のロックスター様」


ビリィが乗り込む。

ドアが閉まる。


白リムジンは、有楽街のネオンの海へ走り出す。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクター化学薬品工業。夜間巡回タイム。


雅楽忍者隊の制服を着たマリレとマンクは、長い廊下を歩いている。

白衣の男とすれ違う。男は2人に目もくれず、カードキーをかざし奥の扉へ消える。


マリレは、手元のチェックリストを確認する。


「施錠確認。異常なし」

「この工場って、謎の部屋が多いよね」


マンクが扉を見つめる。


「中で何をやってるのかな?」

「考えたこともない」


マリレは、あっさり答える。


「気にならないの?」

「気にしたら時給が上がるの?」

「……上がらないと思う」

「じゃあ、気にしないコトね」


マンクは納得できない顔で、端末を操作する。

画面に表示されたのは"アクセス拒否"。


「また拒否された」

「何に?」

「第7研究区画。何度やっても入れないのよ」

「そりゃ、入る権限がないからでしょ」

「でも、考えてみてよ。異なる時空に通じる、例の"リアルの裂け目"が開いてるって噂よ。我が社は、マルチバースに存在する別時空のテクノロジーを手に入れて世界征服を企んでるのカモ」


マリレは、足を止める。


「あらあら。また始まった」

「そもそも、リモコンとか電子レンジとか携帯電話とかの発明って、最初は社会の理解を超えた技術だったわけでしょ?」

「マンク」

「何?」

「ここは薬品会社よ」

「だから?」

「せいぜい、新しい咳止めシロップの極秘研究をしているのが関の山よ」

「それじゃ夢がないわ」

「夢なら自分で見なさい。勤務中に」


マリレは、歩き出す。


「さあ、仕事仕事。さっさと回っちゃお」


マンクは、端末を見つめたまま溜め息をつく。

画面には、無情な文字が残る。


"ACCESS DENIED"


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"アクセス拒否区域"。重い扉の向こう。


白い光に照らされた研究室では、化学防護服を着た研究員が試験管を次々と並べている。

ラベルには、黒い文字でこう記されている。


"マリレ:血液抽出物"


研究員は試験管を装置にセットし数値を確認する。

画面には、通常の血液検査では見慣れない波形が表示されている。


「……やはり、反応が残っています」


背後に立つ悪の女幹部みたいな黒革コスプレの金髪女は、腕を組んだまま画面を見つめている。


「どの程度?」

「まだ断定できません。ただ、通常の生体反応とは明らかに異なります」

「なら、確かめなさい」


研究員は、手元の注射器に薬液を吸い上げる。


「本当に、やって良いのですか?」


金髪の女にためらいはない。


「やってちょうだい」


研究員は防護ゴーグルの位置を直す。

注射器を持つ手が、一瞬、止まる。


それから、研究台の向こうにいる人物へ近づく。

相手の顔は、ゴーグルと防護マスクに隠れている。


薬液が注入される。


装置の数値が跳ね上がる。

笙の音色の警告音が鳴り、研究員が慌てて操作する。


悪の女幹部みたいな金髪女は、表示された波形から目を離さない。


「始まったわね」


その声には、期待とも恐怖ともつかない響きがある。研究室の扉が閉じる。


外の廊下では、雅楽忍者隊のマリレとマンクが、何も知らずに次の巡回区画へと向かっている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクター化学工業。セキュリティセンター。


「で、いつカップ麺を奢ってくれるの?先月出た農家豚骨プレミアムが良いンだけど」


マンクが椅子に座ったまま言う。


「誰が買うモンですか」


マリレは、モニターから目を離さない。


「踏み倒す気?」

「ええ。だって、ゲームに付き合ってあげたじゃない」

「付き合ったんじゃない。私が勝ったのよ!」

「ウル虎ノ門5兄弟対シルビーパルタン星人1人よ?袋にされたら勝てるはずがないわ」

「それ、キャラ選択の問題でしょ!」


マンクは、コンソールを叩く。


「お願いだからカップ麺を買って。バレンタインデーに全財産を使って、今スカンピンなの」

「彼女にチョコ?百合だっけ?」

「違う!自分で食べるために買ったの!」

「マンクって、ほんとに変な人」


マリレは、笑う。

マンクも、つられて笑う。


ほわ〜〜ん


そのとき、警報の笙の音が鳴り響く。

2人の表情が一変する。


モニターの表示が赤く点滅している。


「第5セクターに異常発生よ!」


マンクが椅子から立ち上がり、カメラ映像を拡大。

画面の奥に、扉が映っている。


開いている。


「誰かが侵入した」


マリレは、立ち上がる。


「誤作動じゃないの?」

「本物よ。これは訓練じゃない」


マリレは、マニュアルを開いて手順を確認する。


「マンク。貴女は万世橋(けいさつ)を呼んで。私は様子を見てくるわ」

「了解!」


マンクは、直通電話を取る。


「もしもし、こちらガラクター化学薬品工業。第5セクターで侵入警報が……」


マリレは、廊下へ飛び出す。

間の抜けた笙の音色の警報が工場全体に響く。


彼女は走り、問題の扉にたどり着く。

ドアの隙間から、赤い光が漏れている。


マリレはライトを構え、中へ入る。


室内には、薬品の容器が散乱している。

床には、白い粉が落ちている。


彼女は、周囲を照らす。

誰もいない。


「こちらマリレ。扉を閉めた。中には誰もいないわ」

「了解。今から合流する」


マリレは、扉を閉じる。

その瞬間、警報音が止まる。


あまりにも唐突な静けさだ。


彼女は、床の白い粉に目を落とす。

しゃがみ込みライトを近づけた、そのとき。


すべての電源が落ちる。

照明が消え、端末が沈黙し、非常灯も消える。


完全な暗闇。


「……マンク。全館停電(SBO)したわ。どうしたの?」


通信機に呼びかける。


「今、セキュリティセンターにいるけど、電源は落としてナイけど」


マンクの声だ。


「マリレ、聞こえる?吹き抜けに誰かいるわ」


マリレは、立ち上がる。


「待ってて。すぐそっちへ行く」

「動くな、動くな!」


その声に、切迫したものが混じる。

次の瞬間。


銃声が響く。

1発。2発。


乾いた音が、暗闇の中を突き抜ける。


「マンク!」


マリレは、走り出す。


ライトを片手に廊下を駆ける。壁に肩をぶつけ、足をもつれさせ、セキュリティセンターへ向かう。

吹き抜けの階段を、黒い影が駆け上がっていく。

一瞬だけ、ライトがその姿を捉える。


人影だ。だが、顔は見えない。


「止まりなさい!」


マリレの声が響く。

影は振り返らず、闇の向こうへ消える。


マリレは追わない。

フロアに人が倒れているからだ。


「マンク!」


彼女は膝をつく。マンクが横たわっている。眼鏡は床に落ち、片手が不自然に伸びている。


「マンク、目を開けて。しっかりして。私を見て!」


返事はない。


「マンク、答えて!」


マリレは肩を揺する。


「ねえ、お願い。冗談でしょう?昼のカップ麺なら奢るから。だから、起きてよ」


いつものマンクなら、直ぐに言い返してきたはずだ。


「ほんとに?」

「利子もつけてよ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」


そんな、くだらないやり取りをするはずだ。


「マンク……」


マリレの声が震える。


「お願いよ。目を開けて。ねえ、私を見てよ」


彼女は、マンクの手を握る。

冷たくなって逝く手を、両手で包み込む。


「死なないで……」


ようやく、涙がこぼれる。


「お願いだから、死なないでよ……!」


暗闇の中で、マリレの泣き声だけが響く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクター化学薬品工業。役員会議室。


長いテーブルの向こうに、金髪のキャリア風の女子が座っている。周囲を取り囲む役員たちは、なぜか全員覆面をしており、誰1人として口を開かない。


その視線の先に、マリレが立っている。


「では、整理してちょうだい。笙のアラームが鳴ってから、貴女は何をしたの?」

「第5セクターのドアが破られていて」

「聞こえないわ。もっと大きな声で」


マリレは一瞬、唇を噛む。


「第5セクターでドアが破られているのを発見しました。侵入者がいる可能性があったため、現場を確認しに行きました」

「マンクさんは?」

「セキュリティセンターに残りました。マニュアルに従い、警察に通報するためです。その後、停電が起きました。彼女から、人影を見たという無線連絡が入った直後、銃声が聞こえました」

「そう」


金髪の女は、手元の書類に目を落とす。


「話の辻褄は合っているわ。何も問題はないわね。ほかに質問は?」


役員たちは一斉に目を伏せる。

誰も質問しない。


マリレは、その沈黙が銃声より不気味と感じる。


「結構。マリレさん、もう帰って良いわ」

「えっ。これだけですか? マンクは殺されたんですよ。私は目撃者です。警察にも話さないと」

「心配しないで。警察には当社から報告書を提出しておきます」

「でも、私が見たことを話さないと」

「マリレさん」


金髪の女は、初めて正面から彼女を見る。


「目の前でお友達を亡くしたのよ。さぞかし辛いでしょう。2日ほど仕事を休んで良いわ。ゆっくり休んで」


優しい声だ。


だからこそ、マリレにはわかる。

これは、慰めではない。


ほとぼりが冷めるまで、口を閉じておけ、という命令なのだ。


「……わかりました」


返事をしながら、マリレは拳を握る。

マンクは死んだのに、何事もなかったコトにされようとしている。


会社にとって大切なのは、マンクの死ではない。

その死によって、何が知られてしまうのか。そっちの方が問題なのだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ラギィのペントハウス。

ドアを叩く音が、プレハブ中に響く。


「はいはい。今、開けるから」


出てきた居候のカレルの顔を見るなり、マリレは脇をすり抜け、奥のソファへ向かう。


「マリレ、大変だったな」


カレルの声にも、立ち止まらない。

ソファで雑誌を読んでいたラギィが、顔を上げる。


「相談したいことがあります」

「何?」

「マンクを殺した犯人を捕まえたいンです」


ラギィは、雑誌を閉じる。


「犯人を捕まえる?それは万世橋(アキバポリス)が捜査しているでしょう」


「でも、私は目撃者なのに、警察と直接話ができないンです。会社が嫌がっていて」

「マリレ、落ち着いて」


ラギィはテーブルに雑誌を置き、向かいのソファを勧める。


「まず、ここに座って。何を見たのか、最初から話して」


マリレは、腰を下ろす。


「停電の直前、マンクから人影を見たと無線が入りました。そのあと銃声がして……私が戻った時には、マンクが倒れていました」

「人影の特徴は?身長、体格。何でも良いわ」

「暗くて、良くわかりませんでした。背は高かったと思います。でも、その時はマンクのコトが気になって……」


マリレは、両手で頭を抱える。


「あのとき、もっとちゃんと見ていれば」

「今さら自分を責めても仕方ないわ」


ラギィは、静かに言う。


「防犯カメラは?」

「停電で止まっていました」

「非常用電源は?」

「そこまでは確認出来ていません」


ラギィは、腕を組む。


「映像もなく、犯人の顔もわからない。会社は情報を握っていて、貴女は警察に話すコトさえ出来ない。ずいぶん厄介ね」

「やっぱり、無理でしょうか」

「そうね。普通に考えれば、手がかりは少ないわ」


マリレの肩が落ちる。

そのとき、ソファの後ろからカレルが顔を出す。


「諦めるの、早くない?」

「カレル、何かあるの?」

「あるカモしれない。会社が隠したいコトがあるなら、そこを調べれば良いンじゃね?」


ラギィが眉を上げる。


「簡単に言ってくれるわね」

「簡単とは言ってないよ。面白そうだとは言った」

「面白そうって……マンクが殺されたのよ!」


マリレの声が跳ねる。

カレルは、いつもの軽口を引っ込める。


「ごめん。そうだね」


短い沈黙が落ちる。

ラギィは、マリレを見つめる。


「わかった。私も調べてみる。ただし、犯人が会社の人間だと決まったわけじゃない。思い込みで動くのは危険よ」

「はい」

「それから、会社には知られないように。貴女自身も、これ以上危ない目に遭わないこと」


マリレは、深く頭を下げる。

ラギィが再び雑誌を手に取る。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪の日本橋。寄宿舎併設の学園カフェ。


「はい。お電話ありがとうございます。え?御屋敷ではありませんが」


電話を取ったアイリは、面倒くさそうに受話器を耳に当てている。


「え? ミユリなんてメイドはいませんけど」


目の前では、学園服姿のミユリさんが御給仕中だ。


「……あ、そうか。ミユリ姐様!」


ミユリさんが振り返る。


「姐様に電話」


受話器を渡し、何事もなかったように仕事に戻る。


「もしもし?」

『ミユリさん。僕だ』

「テリィ様!」


声が弾む。けれど、そのあとに続く言葉は、なかなか出て来ない。


『元気?』

「ええ。テリィ様もお元気?」

『うん。……会いたいよ』


ミユリさんは、小さく息を吐く。


「電話しなくてごめんなさい。あのとき、ひどいことを言ってしまったから。かけづらかったの」

『気にしてないよ。それより、元気にしている?』

「元気です。ここに来て、本当に良かったと思ってます。今週末はスキー旅行のイベントがあるの」

『そう。楽しそうだね』


僕は笑う。笑いながら、次の言葉を探している。


『あれから、症状は出ていないンだね?』

「ええ。ここに来てから、1度もないわ」

『それは良かった』


ホントに、良かったと思う。ミユリさんが苦しんでいない。それが何よりだ。


それなのに。


『じゃあ、もう戻って来てくれないかな』


受話器の向こうで、沈黙が生まれる。


『アキバを離れたい気持ちはわかるよ。でも、僕はミユリさんナシではダメなんだ』


自分で言っておきながら、ずいぶんと身勝手な論理だなと思う。

そもそもミユリさんは、僕から離れるために大阪へ行ったのだ。


それは、理解しているつもりだ。

けれど、理解するコトと、諦めるコトは別だ。


「……やだ、どうしよう」


ミユリさんの声が揺れる。

その手のひらに、青白い光が走る。


稲妻のような細い光が指先を伝い手首へと跳ねる。


『ミユリさん?どうしたの?』

「いいえ。何でもありません」

『ホントに?』

「大丈夫。今、ちょっと話せないの」

『あとで電話してくれる?』

「わかりました。ごめんなさい。行かなきゃ」

『うん。またね』

「……ええ。またね」


通話は、切れる。


ミユリさんは受話器を戻そうとして、手を止める。

プラスチックの受話器が熱で溶けたように、グニャリと形を失っている。


「……え?」


アイリが戻って来る。

そして、曲がった受話器を見て足を止める。


「ちょっと待って」


ミユリさんは、慌てて受話器を置く。


「故障中みたい」

「電話って、そんなふうに故障するものなの?」

「……さあ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ワラッタレコード五反田本社。第3スタジオ。


「貴女は、私の友達なんかじゃないわ」


スピアの声が、スタジオに響く。

ドミニは、眉ひとつ動かさない。


「だって、私の"STOP"が、盆踊りの曲になっているじゃない!」

「わかるわ。だから気になるのよね。でも、仕上がりはバッチリ。とても良く出来ているわ」

「良く出来てる?盆踊りソングとして?」

「ええ。まぁ」


ドミニは、ミキサー卓の向こうで軽く肩をすくめる。


「スピア。音楽は、作った人の手を離れたあとにも成長するものなの」

「成長じゃなくて、別の生き物になってるし!」


スピアが言い返したトコロで、ドミニの視線が入口へ向く。


「ところで、そちらは?」

「ああ、紹介するわ。お友達のビリィ。彼もソングライターなの」


ビリィが1歩前に出る。


「どうも。よければ俺の曲も……」

「今度、デモ音源を持って来て。聴いてみるわ」

「何なら、今ここで1曲歌えますけど」

「いいえ。デモ音源でお願いね」


ドミニは、すでに次の資料を手に取っている。

ビリィはスピアを見る。スピアも彼を見る。


2人の間に、言葉にならない苦笑いが交わされる。

ビリィが退室すると、ドミニは椅子に座り直す。


「じゃあ、本題に入るわね。"STOP"は悪くない。かなり良い線までいっている。でも、ホームランじゃない。意味はわかる?」

「じゃあ、使わないの?」

「もちろん、私は気に入っているわ。ただ、会社が期待しているのは、もっとポップな曲だと思う」


スピアは、唇を結ぶ。


「それなら、ビリィと私で作った別の曲を歌うわ」

「いいえ。ここに別の曲があるの」


ドミニが譜面を差し出す。

スピアは受け取らず、譜面を見つめる。


「……どうして?」

「どうしてって?」

「会社はソングライターを探していたンでしょう? 私の曲を聴いてくれたから、ここまで来たんじゃないの?」


ドミニは、今度は少しだけ表情を和らげる。


「スピア。私が気に入ったのは、貴女の声やルックス。歌い方も、ステージでの存在感も。トータルな貴女を気に入ったの」

「でも、これは他人が書いた歌よ」

「プロが描いた曲よ」

「私だって曲を描けるわ」

「もちろん。でも、貴女はまだ新人。才能はあるけれど、荒削りなの」


スピアは、譜面を手に取る。


「……こんな歌、私っぽくない」


ドミニは、すぐには答えない。

そして、うなずく。


「わかった。お願いがあるの。とにかく1度、録音してみて。自分の歌と聴き比べて、それでも気に入らなければ、貴女の曲にする。それで良いでしょう?」

「ホントに?」

「ええ。将来の選択肢は、たくさんあった方が良いじゃない」


スピアは、譜面を見つめる。自分の歌を守るために、会社の歌を歌う。

そして、その歌が売れれば、きっと次の選択肢が増える。そう考えれば、筋は通っている。


通り過ぎるほどに。


「……わかったわ。1度だけね」

「それで完璧。安心したわ」


ドミニは、満足そうに笑う。


その横で、ビリィは両手を上げて、お手上げのポーズをしてみせる。スピアも笑おうとする。

けれど、譜面の上に書かれたタイトルを見ているうちに、その笑顔は消えて逝く。


そこに描かれているのは、彼女が歌うはずの歌。

なのに、彼女の声は、未だ1度も聞こえて来ない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。寄宿舎。


ミユリさんが部屋に戻ると、アイリはベッドの上で本を読んでいる。

扉が閉まる音に顔を上げ、本を伏せる。


「ねえ、貴女ってミユリ姐様?」

「そうだけど」

「それとも、ミユリ姉貴?」


ミユリさんは、制服の襟を整えながら苦笑。


「ずっと姉様って呼ばれていたの。秋葉原ではね」

「ふうん。出身も秋葉原?」

「そうよ」

「じゃあ、彼氏がいないって話は?」


ミユリさんの手が止まる。


「……誰から聞いたの?」

「貴女がそういう話をしないから、いないのかなって」

「ずいぶん勝手な推理ね」

「探偵の才能があるのよ」


アイリは、得意そうに胸を張る。


「で、さっきの電話の相手が原因?」


ミユリさんは、返事をしない。

アイリは本を閉じ、ベッドの端に座る。


「ここに来たのって、その人から逃げるため?」

「逃げるためじゃないわ」

「じゃあ、何のため?」


ミユリさんは、窓の外を見る。

大阪の夜は、秋葉原の夜より少し静かだ。


「自分のことを、自分で決めたかったの」

「その人のことが嫌いになった?」

「……いいえ」

「じゃあ、好きなんだ」


ミユリさんは、困ったように微笑む。


「どうして、そうなるの?」

「好きじゃなかったら、そんな顔しないでしょ」


アイリは、あっさりと言う。


「隠すコトないのよ。自分を出せば、私たちは友達になれるわ」

「アイリ……」

「ただし、私は恋愛相談の専門家じゃないからね。経験はそれなりにあるけど」

「それなりって?」

「そこは聞かない約束」


2人は、笑う。


その笑いが消えたあとも、ミユリさんの手のひらには、かすかな熱が残っている。


さっきの電話。テリィ様の声。そして、青白い光。

自分の人生を自分で決めたい。


そう思って、ここへ来たはずだが。


なのに、たった1本の電話で、心も、身体も、未だ彼の声に反応してしまう。何でなの?私。


ミユリさんは、そっと両手を握りしめる。

今度こそ、自分で選びたい。


誰かに必要とされるからではなく。誰かを必要としているからでもなく。


自分が、ホントに望むものを。その夜、ミユリさんは初めて、アイリに話してみようと思う。


ただし、手のひらから光が走ったことだけは、未だ誰にも言えない。


第3章 合言葉は自由


ガラクター化学薬品工業。セキュリティセンター。


操作卓の前には、雅楽忍者隊のコスプレに身を包んだマリレが座っている。モニターには、工場内の監視映像が並んでいる。


ドアが開き、同じコスプレのラギィが現れる。


「面接、どうでした?」

「楽勝よ。当然でしょ」

「私の名前を出しました?」

「no thank you。貴女の紹介は必要ないわ。こっちは警部をやっていたのよ」

「また制服が着られて懐かしいでしょう?」

「別に。制服に懐かしさを感じるほど、未練ないし」


ラギィは、室内を見回す。


「それより、現場を見せて」

「はい。こちらです」


マリレが立ち上がる。


その背中を見ながら、ラギィは小さく笑う。

警察を辞めてから、しばらくは退屈だ。


捜査のない生活。

報告書のない日々。

事件のない平穏。


世間では、それを第二の人生と呼ぶ。


ラギィに言わせれば、事件がないのではない。事件に出会っていないだけだ。そして今、目の前には、どう見ても何かを隠している会社がある。


「さあ、案内してちょうだい。私の第2の人生、初仕事よ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


第5セクター。


マリレが黄色い鑑識テープをくぐり、破壊されたドアを指差す。


「犯人は、このドアから侵入しました」


床には、割れたガラスが散乱している。

ラギィはしゃがみ込み、しばらく破片を観察する。


「まだ片付けていないの?」

「修理を先延ばしにしておきました。ラギィに見てもらおうと思って」

「良い判断ね」


ラギィは、ドアの穴から手を差し入れ、鍵の位置を確かめる。


「この高さだと、外から手を入れて鍵を開けるのは難しいわね」

「何か道具を使ったというコトですか?」

「そうカモしれない。ところで、現場に何か落ちていなかった?」

「いいえ。何も」

「そう」


ラギィは、床に散らばるガラス片を見渡す。

そして、ひとつの破片を拾い上げる。


「よく見て、マリレ」

「何をです?」

「ガラスの向きよ」

「向き?」

「破片が外側に向かって散っている。つまり、ガラスは外から内へ割られたンじゃない。内側から外へ飛び散ったのよ」


マリレは、目を見開く。


「じゃあ……外から侵入したように見せかけた?」

「その可能性が高いわね」

「でも、マンクは侵入者がいたと言っていました」

「侵入者がいたコトと、その人間が外から来たことは別よ」


ラギィは、立ち上がる。


「誰かが内側からドアを壊し、外部から侵入されたように偽装した。あるいは、侵入者が内部の人間だった。どちらにしても、会社の説明を鵜呑みにするわけにはいかないわ」


その様子を、少し離れた監視室でモニター越しに見ている人物がいる。


金髪の女。


モニターに映るラギィの顔を、じっと見つめる。感心したように一言つぶやく。


「……さすが元警部ね」


女は、インカムに手を添える。


「引き続き、監視して」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ラギィのペントハウス。


高層ビルの屋上にへばりつくように作られた、小さなプレハブ小屋。周囲には空調機やダクトが張り巡らされ、眺望などというものはない。


かつて警部だった女の住まいとしては、あまりに華やかさに欠ける。


もっとも、ラギィ本人と居候のカレルは、全く気にしていない。


「ラギィ。頼まれた検視報告書です」


訪ねて来たのは、彼女の後任を務めるハント警部。


「ありがとう。悪いわね」


ラギィは書類を受け取る。


「会社が保険の申請に使うんでしょう?」


ハントは、苦笑する。


「しかし、被害者はお気の毒に」

「ところで、何か手がかりはあったの?」

「先輩。それは聞かない約束でしょう。捜査については、外部の人間に話せません」

「そうね。そう教えたのは私だもの」


ラギィは、書類を机に置く。


「でも、貴女にとっては初めての殺人事件でしょ?何か役に立てればと思って」


ハント警部は、少し考えて声を落とす。


「……実は、困っているコトがあるンです」

「何?」

「現場に足跡が残っていました。今、南秋葉原条約機構(SATO)に鑑定を依頼しているンですが、ずいぶん忙しいらしくて。結果が出るまで何週間もかかると言われました」

「SATOねえ……」


ラギィは、天井のダクトを見上げる。


「鑑定の専門家を知っているわ。少し借りても良いかしら?」

「どうぞ。実は、報告書は2部持って来ているンです」


ハント警部は、もう1部を取り出す。


「さすが。気が利くじゃない」

「先輩の後輩ですから」

「その割には、ずいぶん規則に忠実ね」

「先輩が教えたンです!」


2人は、笑う。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ハントが帰った後、ラギィは報告書を開く。

足跡の写真を見つめる。


靴底の模様。歩幅。体重のかかり方。

その1つ1つが、現場に残された無言の証言だ。


「さて。鑑識の順番待ちをしている暇はないわね」


ラギィは、スマホを抜く。


「マリレ?今夜、もう1度現場に入るわよ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


その夜。


第5セクターには、既に清掃が入っている。

マリレが床を見回して、申し訳なさそうに言う。


「床はもう掃除されちゃった。これじゃ意味がないカモ」

「いいえ。意味はあるわ」


ラギィは、バッグからスプレーを取り出す。


「マリレ、照明を落として」


マリレがスイッチを切る。

ラギィは、床に液体を吹きつける。


「それ、何?」

「秘密兵器。と言いたいところだけど、ただの検出液よ」


床にブルーライトを当てる。


すると、何もないはずの床に、かすかな足跡が浮かび上がる。


「うわっ!すげえ!」

「声が大きい」

「ごめん。でも、こんなにキレイに出るのね」

「写真を撮って。後で検視報告書と照合するわ」


マリレがスマホを構える。


「これが犯人の足跡?」

「そう。少なくとも、犯人が通った可能性のある経路ね」


ラギィは足跡を追って、廊下へ進む。

スプレーを吹きつけながら、後ろ向きに進む。


ブルーライトを手にマリレが追う。


「ラギィ。後ろ、壁だけど」

「わかってるわ」

「ぶつかるけど!」

「だから、わかってるって」


ゴツン。


ラギィのヒップが壁に当たる。


「……今のは捜査とは直接的な関係はないわ。だから、報告書への記載は不要よ」

「了解(ROG)」


マリレは、笑いをこらえながら、壁を照らす。

そこに、小さなドアがある。


「こんなところに扉が?」

「図面にはあった?」

「ないわ。私も見たことナイし」


ドアには電子ロックがついている。

ラギィが装置を調べる。


「開けられる?」

「ええ。簡単です」


マリレが手をかざす。


次の瞬間、電子ロックが作動、ドアが音もなく開く。

ラギィは、マリレの手をチラ見する。


「……ずいぶん便利な特技ね」

「会社で覚えました」

「そう。会社でね」


ラギィは、それ以上追及しない。


2人はライトを点灯、暗い部屋へ足を踏み入れる。

そこには、無数の標本棚と試験管、正体のわからない装置が並んでいる。ラベルには、化学物質の名前や管理番号が記されている。


しかし、その中には、通常の化学会社の研究室とは思えないものもある。


「何に使う部屋なんでしょう?」

「わからない。少なくとも、株主や社員に見せるための部屋じゃないわね」


マリレは、棚を順に照らす。

そして、1本の試験管の前で動きを止める。


「……ラギィ。これ、見て」


試験管には、ラベルが貼られている。

"マリレ:血液抽出物"とある。


「私の……血?」


マリレの声がかすれる。

ラギィは試験管を手に取り、ラベルを確かめる。


「マリレ、ここで血液検査を受けたコトある?」

「ないわ。こんなもの、採られた覚えもない」

「それなのに、貴女の名前がついている」

「私を調べてルンだわ」


マリレは、試験管を見つめたまま、つぶやく。


「……私が、時空漂流者(レーンウォーカー)だとバレているのかしら」


ラギィは、返事をしない。


その言葉を冗談として片づけるには、目の前の研究室はあまりに異様だ。マリレがさらに奥を照らす。


「あっ。これも!」


そこには、マリレ自身のファイルが置かれている。

その隣には、ビニール袋に入ったメイド服。


「これは……ミユリ姉様の服?音波銃で撃たれた時の……テリィたんが、パワーで治した奴だわ」


ラギィは、メイド服に目を落とす。


「つまり、この会社はマリレの血液だけでなく、ミユリ姉様のコトも調べている可能性があるわけね」

「そんな……」


マリレは、ビニール袋をつかむ。


「処分しなきゃ」

「待って。証拠よ。勝手に捨てたら、こっちが困るわ」

「でも、会社に見つかったら」

「だから、持ち出すの。処分するんじゃなくて、保全するのよ」


ラギィは、周囲を見回す。


「ここにあるものは、全部、会社が隠したがっている証拠かもしれない」


マリレは、自分の血液の試験管を見る。


その小さなガラスの中に、自分の知らない自分が閉じ込められているかのようだ。


2人は、ファイルとメイド服、いくつかの資料をビニール袋に入れ、部屋を出ようとする。


そのときだ。


パッと照明がつく。2人は反射的に棚の陰へ身を隠す。廊下から、男たちの声が聞こえる。


「"マチガイダ・サンドウィッチズ"のわさびは強烈過ぎるよ。マヨネーズは良い感じだ」

「だから、最初からつけすぎるなと言っただろう」


白衣を着た研究者が2人、部屋へ入って来る。

どうやら、夜食の話をしているらしい。


ラギィは一瞬、顔を見合わせたマリレに目配せ。

そして、棚の陰から堂々と姿を現す。


「遅くまでご苦労さまです」


研究者たちは、ぎょっとして振り返る。


「……誰だ?」


ラギィは、雅楽忍者隊のコスプレ(ミニスカw)を指差す。


「警備の"雅楽忍者隊"です。失礼ですが、IDバッジを見せていただけますか?」

「え。今は持っていないよ。普段は身につけていないンだ」

「そうですか。でも、例の事件以降、IDの携帯が義務づけられています。確認させてください」

「わ、わかった。車に置いてあるから今、取ってくるよ」


研究者の1人が、出口へ向かおうとする。


「おっと。そこまでしなくても結構です」


ラギィは、破顔し一気に親しみのある笑顔を見せる。


「ただし、今後はどんな時でもバッジを身につけてくださいね。いやぁ事件のせいで警備が厳しくなって、こちらも大変なんですよ」

「……そ、そうか。ご苦労さん」


研究者たちは、互いに目を合わせる。

ラギィは笑顔のまま、2人の顔を記憶する。


名前も、声も、歩き方も。警部時代に身についた癖は、退職しても消えてはいない。


そのとき。


背後のドアが開き、網タイツにレオタードの女戦闘員が2人、イヤホンに手を添えながら入って来る。


その中央に、黒革コスチュームの悪の女幹部。金髪。よく見ると、役員室でマリレを尋問した、あの女。キャリアガールから悪の幹部。ギャップ萌え。


「はい、そこまでよ」


悪の女幹部は、穏やかな声で言う。


「こんばんは、ラギィさん」


ラギィは、ゆっくりと振り返る。

女は、微笑んでいる。


「ずいぶん熱心にお仕事をされているのね。元警部さん」


ラギィは笑みを返す。


「ええ。せっかく再就職させていただいたので、少しでもお役に立ちたくて」

「ところが、ここは"雅楽忍者隊"が勝手に入って良い場所ではないの」

「そうですか」


ラギィは、手にしたビニール袋を背中に隠す。


「我が社は、この部屋でいったい何を研究しているのでしょうか」


悪の女幹部は答えない。


代わりに、2人の女戦闘員が1歩前に出る。

ラギィは、マリレが息をのむ気配を背中で感じる。


ここは、ただの化学会社ではない。


血液を採取し、人間の衣服を保管し、社員にさえ立ち入りを許さない秘密の研究施設。

そして、その中心にいる女は、すべてを知っているような顔をしている。


「ラギィさん」


女が1歩近づく。


「貴女、どこまで御存知なのかしら?」


ラギィは微笑む。


「それを、これから調べるトコロよ」


女の笑顔が、ほんの少しだけ消える。

部屋の空気が、静かに張り詰める。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ワラッタレコード五反田本社。第3スタジオ。


"さあ、2人で欲望のまま踊るのよ"


スピアの歌声が、スタジオに響いている。


"さあ、お願い、その言葉で誘って

 私にタッチ!貴方ならOKよ!"


調整室は、既に異様な熱気に包まれている。


ヘッドホンをつけたドミニは、椅子から半分立ち上がり、腰を振っている。他の関係者も、狭い部屋に輪を作って盆踊りを始めている。


"それが私の望みなの

 サノヨイヨイ!

 愛してベイビー!"


スピアの声が、最後の1節を歌い上げる。


「カット!」


そう言ってスピアは歌うのをやめ、ヘッドホンを外す。調整室では、ドミニの腰がピタリと止まる。


「スピア!勝手に止めないで!」

「ごめんなさい。でも、やっぱり無理」

「カットは私が言うの。わかった?それじゃ、第2節からテイク2」

「ドミニ。私、この曲を好きになれない」

「どうして?」

「わからない。でも、私らしくないの。どうしても歌に入り込めない」


スピアは、ヘッドホンを譜面台に掛ける。ドミニは深く息を吸う。怒りを抑えるように、声を落とす。


「スピア。これなら会社のウケも良い。貴女を売り出すには、この曲が必要なの。だから私を信じて」

「信じてるわ。でも、歌っていて気持ち悪いの。自分の歌じゃないから」

「頑張ってみて。うまく歌えてるわよ。その調子で良いの」

「違うのよ!」


スピアの声がスタジオに響く。


「私が歌いたいのは、私自身を表す歌なの!」

「これはビジネスよ。甘いコトを言わないで。今は自分を捨ててちょうだい」

「自分を捨てたら、ただのカラオケシンガーになっちゃうじゃない!」


調整室の盆踊りが止まる。


さっきまで熱狂していた関係者たちが、一斉にスピアを見つめる。


「そのくらいなら、私、パーツ通りに帰ります!」


ドミニがゆっくりと立ち上がる。


「スピア。貴女はこの歌を歌うの?それとも歌わないの?」


調整室の片隅で、元カレのビリィが顔を上げる。

ドミニは、譜面を指先で叩いている。


「はっきり言って、貴女が作った"STOP"はウケが悪い。こちらの曲でなければ、メジャーデビューは無理。間違いない」

「話が違うわ」

「何が?」

「私の歌を聴いて、ここまで来たんじゃないの?」

「もちろん。貴女の声も、ルックスも、スターになる素質も買っているわ。だからこそ、私の言うコトを聞いて欲しいの」

「つまり、私の歌は要らないのね」

「そうは言ってなひ」

「でも、私が歌いたい歌を歌わせない」


ドミニは、少しだけ首を傾ける。


「いいえ。いつだって選べるわ」


そして、親指で背後の出口を指す。


「この歌を録音してメジャーデビューするか、パーツ通りに帰るか」


スタジオが静まり返る。


スピアは、ドミニを見つめる。

アキバを出てから何度も自分に言い聞かせている。


ここは"五反田系"の聖地。

チャンスの街。自分を変える場所。

秋葉原では届かなかった夢に、手を伸ばす場所。


リムジンも、レコード会社も、プロデューサーも、みんなその夢の一部だ。


けれど、目の前の譜面に描かれた歌を歌う自分を想像すると、どうしても自分の姿が見えない。


「……わかったわ」


スピアは、バッグを肩に掛ける。


「秋葉原に帰ります」


ドミニは、何か言おうとしたが、言葉が出ない。

スピアは振り返らず、スタジオを出て逝く。


ビリィが立ち上がり、彼女の後を追う。

すれ違いざま、ドミニに軽く手を上げる。


「お世話になりました」


そして、スピアの肩に腕を回した。


「これでリムジンともおさらばだな」


スピアは笑う。


「歩いて帰るの?」

「まさか。メトロだよ。スターも庶民も、終電は待ってくれないからな」


2人の笑い声が遠ざかって逝く。


調整室のモニターには、録音途中のファイル名が表示されている。


STOP_FINAL_12


その曲は、まだ終わっていない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。寄宿舎。


消灯後の部屋で、ミユリさんはベッドに横たわり、アイリと恋バナ中。


「それで、ガチ逮捕されちゃったわけ?」

「YES。パトカーに押しつけられて、手錠まで掛けられたわ」

「わあ。意外だなあ。第一印象からじゃ想像もつかないわ」

「でしょ? 私だって、こうして話していると、まるで他人のことを話しているみたい」


アイリは枕を抱え、目を輝かせる。


「ねえ、もっと教えて。留置場ってどんな感じ?」

「ここと大して変わらないわよ」

「えっ、こんなに快適なの?」

「いえ、そういう意味じゃなくて……」

「でも、ここには"ラット"があるわ」

「"ラット"?」


ミユリさんは、初めて聞く言葉だ。


「私たちの避難所よ」


アイリは、秘密を打ち明けるように声を潜める。


「明日、一緒に行こう?」

「今じゃダメなの?」

「消灯したから」

「それは知ってるわ」

「じゃあ、どうして聞くのよ」


ミユリさんは、ベッドから身を乗り出す。


「もう友達なんでしょ?自分を出せって言ったのは誰?貴女よ」


アイリは、天井を見上げる。


規則を守り、勉強をして、超能力のコトも忘れて、普通の腐女子として暮らす。


そう決めて来た大阪。


ところが、同室の女の子と仲良くなるために、今度は規則を破ろうとしている。

人生とは、なかなか思いどおりにならないモノだ。


「……これが私だから」


ミユリさんの言葉を聞いて、アイリは、ガバリと起き上がる。


「行きましょう」


ミユリさんは、にっこり笑う。


「そうこなくっちゃ」

「でも、見つかったらどうするの?」

「そのときは、そのとき」

「貴女、ずいぶん無責任ね」

「貴女に言われたくないわ」


2人は制服の上に上着を羽織り、そっとドアを開ける。寄宿舎には、螺旋階段がある。


2人は、足音を忍ばせながら上へと進む。階段のはるか上、明かり取りの窓から、淡い光が差し込んでいる。


その光の中に、人影が現れる。

ガウンをまとったマクゴ校長だ。


「……!」


2人は息をのみ、手すりの陰に身を隠す。

校長はゆっくりと階段を下りてくる。


1段。また1段。


足音が近づくたび、ミユリさんの心臓が大きく鳴る。校長が立ち止まる。


何か気配を感じたのか、ゆっくりと振り返る。

2人は、息を止める。


校長は階段の奥を見つめたが、やがて首を傾げ、下の階へ消えていく。

しばらくして、ドアの閉まる音。


「……行った?」


ミユリさんが小声で尋ねる。


「たぶん」

「たぶんって何よ」

「確実に行ったと確認していたら、今ごろ見つかってるわ」


アイリは立ち上がり、階段を2段飛ばしで上がり始める。


「貴女、ホントにイカれてるわね」

「良く言われる」

「褒めてないからね!」


2人は、さらに上へ進む。


やがてアイリが1枚の古いドアの前で足を止める。


「ここよ」


ミユリさんは眉をひそめる。


「どうしてラットっていうの?ネズミが出るの?」

「もともとはドイツ語よ。地下食堂っていう意味」

「ここ、地下じゃないけど」

「細かいことは気にしない。歴史は色々あるのよ」


アイリは、ドアを開ける。


古いソファと小さなテーブル、そして酒瓶が並んでいる。そして……部屋の中央には旧式な天体望遠鏡。天井はドーム型。ここは使われなくなった廃天文台だ。


今は、ドームは閉じられ、壁の照明だけが室内を照らしている。学校の規則はもちろん、時の流れからも切り離された、小さな別世界。


「……ここが?」

「そう。私たちの避難所」


アイリは棚の前に立ち、酒瓶を1本取り出す。


「ボトルから直接飲む子もいるけど、私に言わせるならそれは野暮。私は断然、スキットル派よ」

「スキットル?」

「持ち歩ける小さな酒瓶。大人の嗜みってやつね」

「貴女、未成年じゃないの?」

「その質問は、ここではNG」


アイリは、小さな金属製の容器を取り出す。ミユリさんの分もある。


「ほら。乾杯」

「何に?」

「友達になった記念」


2人は、容器を軽くぶつける。小さな金属音が、静かな部屋に響く。


ミユリさんは1口飲む。

喉の奥が熱くなる。


「……強いわね」

「でしょ?」


アイリは、満足そうに笑う。


「ここでは、誰も姐様なんて呼ばない。学園の優等生でもない。問題メイドでもない。ただの自分でいられるの」


ミユリさんは、もう1度、部屋を見回す。


誰かが用意した規則の中で、普通の生活を取り戻そうとしている。

けれど、ホントの自分を取り戻す場所は、規則の外にあるらしい。


「アイリ」

「何?」

「連れて来てくれて、ありがとう」


アイリは、少し照れたように笑う。


「どういたしまして、ミユリ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。神田リバー沿いにあるマリレのアパート。


ラギィが姿を消してから、2時間が経っている。

マリレの部屋には、僕とエアリも集まる。


「ラギィは未だ戻ってないぞ。もう2時間だ。どこかに寄り道している可能性もあるけど」

「テリィたん。私たちのコト、何処まで知られたと思う?」

「それは、未だわからない」


そのとき、玄関のドアがノックされる。

カレルだ。


「昨夜からラギィが戻らないんだ。連絡もない」

「電話は?」

「ない」


拙速な僕は、思わず立ち上がる。


「よし。行こう」

「待って、テリィたん。昼間は無理よ。従業員が大勢いるモノ」

「なんだよ。どうなってルンだ?」


カレルだけが、話の流れについていけない。

エアリが彼の肩に手を置く。


「カレル。ラギィが危ないの」


その1言で、カレルの表情が変わる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。寄宿舎付属の占星術部の天文台。


「ええっ!あの国民的SF作家のテリィたんが彼氏なの?もしかして、貴女は"地下鉄戦隊メトロん5"の女戦闘員かなんかにチョイ役で出てる?レオタードに網タイツで」


廃部になった占星術部の誰も使わない天文台のソファに深く沈み、アイリは身を乗り出す。


「彼氏なのか元カレなのか、自分でも良くわからないわ。それから、女戦闘員じゃなくて、せめて悪の女幹部のモデルかどうかを聞いてよ。同じ網タイにレオタだけど」

「どっちも貴女からは想像出来ないし」

「とにかく!テリィ様は、なんだかとっても大きな存在なの。だから、私には理解出来ない」


ミユリさんは、スキットルを口に運ぶ。

その飲みっぷりを見て、アイリが目を細める。


「話したいんでしょ。聞いてあげようか?」

「そうね。でも、話が色々込み入っているから」

「大変な恋愛をしてるのね。良いから話してみて」


ミユリさんは、しばらく黙っている。


「テリィ様は、ほかの女の子と付き合ったの」

「浮気したのね?」

「妊娠した」

「ウソでしょ」

「それから、色々大変なコトになったわ」

「そんな男と付き合うなんて、どうかしてる。貴女は裏切られたンだよ?」

「違うの。そのときは、まだ付き合っていなかったから」

「でも、愛してたンでしょ?」

「もちろんよ。今も愛してる」

「傷つけられても?」

「YES」


即答だ。呆れるアイリ。


「そんな男、ヤメたら」


アイリはスキットルを奪うように受け取ると、ぐびりと飲む。


「そんな単純に言わないでよ。色々なコトがあって、複雑な事情があって、そう簡単にはいかないのよ」

「あのね、ミユリ姐さん。これって、すごーく簡単な話なのよ」


アイリは、力説スル。


「事情なんて、いくらでもある。でも、それは全部言い訳なの。傷つきたくないから、人は言い訳にしがみつく。自分で考えた言い訳に、いつの間にか自分自身が負けちゃうのよ」


明快だ。嫌な奴だなアイリ。


「姐様、何がそんなに怖いの?教えてよ」

「わからない」

「でしょ?あのね。私は恐れないわ」


アイリはスキットルを一気にあおると、天文台のドームの開閉ギアに手をかける。


何処かで歯車が回り、ドームが開く。

ゆっくりと夜空が現れる。


「私は何も恐れない!」

「ちょっと、何を叫んでるの?校長センセに聞こえるわよ」

「さあ、姐さんもこっちに来て。宇宙に向かって、自分の声で宣言するのよ!」


アイリが手招きする。

立ち上がるミユリさん。


「裏切り男は最低!」

「そうよ!その通りよ、姐さん」

「ぶっ殺せ!男なんか消えちまえ!私は1人で平気だもん!」


アイリが一瞬、言葉を失う。

どうやら、ミユリさんのほうが過激だ。


「どうだ!まいったか、バカ野郎!」


2人の声が、夜空に吸い込まれていく。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。マリレのアパート。作戦会議中。


雅楽忍者隊のコスプレに着替えたマリレが、テーブルの上に広げた見取り図を指でなぞっている。


「それじゃあ確認するわよ。まず、私が1人で先にセキュリティセンターに入る」

「俺の無線はどこだ?」

「カレルは残って」

「おい。ラギィは俺の大家だぞ。また仲間外れにする気かよ」


僕が間に入る。


「そうじゃない。全部の事情を知っているのはカレルしかいないンだ。僕たちは捕まるカモしれない。最悪、殺される可能性だってある。だから、カレルには外で待機していて欲しい。お前は生き残るのが任務なのさ、カレル」

「……わかった。具体的には?」


神田明神も照覧あれ。

口から出まかせがポロポロ出る。


「万世橋(アキバポリス)に連絡してくれ」

「何を話すんだ?大家と時空漂流者とSF作家が、ガラクター化学に捕まったって?」

「冴えてるな。スーパーヒロインの素性は、この際バラして構わない。任せるよ。とにかく助けを呼んでくれ」

「わかった。テリィたん、ラギィを頼む。それから全員、無事で戻れよ。必ずだぞ」


カレルはいつになく真剣だ。

マリレが見取り図を畳む。


「テリィたん。エアリを迎えに行って。2人で後から来て。ガラクターで会いましょう」

「ROG(了解)」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。エアリとジェシの寝室。午前3時。


エアリはコートの襟を立て、玄関ではなく窓の方へ向かう。

ベッドの上で薄く目を開けたジェシが、枕元の時計を見る。


「……午前3時?」


窓の外に、エアリの姿が見える。

ジェシは、目をこする。


エアリは窓枠に足をかけ、身軽に外へ出る。


「えっ?」


ジェシはベッドから身を乗り出す。

エアリは振り返らず、夜の街へ消えて逝く。


「……新婚早々、嫁が夜逃げだと?」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。神田リバー沿い。

ガラクター化学薬品工業のセキュリティセンター。


暗闇に浮かぶ監視モニター。


数10台の画面には、工場の廊下、研究棟、搬入口、実験施設が映し出されている。

制御卓に座る雅楽忍者隊コスのマリレは、ヘッドセットに向かって指示を出す。


「防犯システムのバイパスは完了。正面ゲートと研究棟の通路、監視カメラの映像をループさせてある。今なら中に入れるわ」

「ROG(了解)。フラミンゴは舞い降りる」

「何ソレ?テリィたん、これから私が2人の動きをフォローする。だから、指示に従って。勝手に動かないこと」

「ROG(了解)」

「それと、絶対に見つからないで。ここの警備員は、普通の会社の警備員とは違うから」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクター化学薬品工業の敷地外。

黒いキューベルワーゲンが、工場の外れに停車。


運転席にはジェシ。その視線の先で、2人の人影が敷地内に滑り込んでいく。


黒色のメイド服に身を包んだエアリは、いつもの御屋敷にいる時のメイドとは別人だ。コートを脱ぎ、腰を落とし、手には小型ライト。


まるで特殊工作員だ。良くてサバゲーマー。


「なんだか"トンネルラット"みたいだな」


僕が小声で言う。


「余計なこと言わないで。ラットは大阪の秘密バーだけで十分よ」


エアリが小声で返す。


「こちらセキュリティセンター。聞こえる?」


マリレの声が無線に入る。


「聞こえる」

「2人とも、そのまま右へ。次の角を左。廊下の奥に監視カメラがあるけど、今は映像を固定してある」


僕たちは、暗い廊下を進む。


モニターを見つめるマリレの指が、次々と操作卓を動かす。

画面の1つに、白衣の研究者が現れる。


「待って。テリィたん、正面から人が来る。すぐ隠れて!」

「ROG(了解)」


僕とエアリは、廊下脇の物陰に身を隠す。

誰かの靴音が近づいてくる。


ライトを消す。

息を止める。


白衣の男は、何やら独り言を言いながら、僕たちのすぐ前を通り過ぎて逝く。足音が遠ざかる。


「通過したわ。今よ」


再び歩き出す。

僕は、拳を握る。


絶対に、ラギィを救い出す。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクター化学の研究棟。暗いストレージ。


「その先よ。右側の扉」


マリレの指示に従って、僕たちは重い扉に手をかける。エアリが超能力で電子錠を解錠する。


暗い。エアリがライトを照らす。


部屋の隅に、1人の女性が座っている。

手足を縛られている。


「誰なの?」

「コードネームはマンドリン」

「ライトが眩しいんだけど」

「ラギィ!」

「何よ。そんなに驚かなくても良いでしょ」

「幽霊?足はある?」

「トイレに行きたいわ」

「怪我は?」

「大丈夫。監禁されただけ」


ラギィは、相変わらずだ。

僕は、縄をほどきながら無線を入れる。


「マリレ、フラミンゴは卵を産んだ。繰り返す。フラミンゴは卵を産んだ」


意味はない。だが、通じる。


「了解、テリィたん。すぐに逃げて!」

「ROG。ラギィ、行くぞ」

「その暗号、どういう意味なの?」

「今は、説明している時間がないな」

「あとで聞くから」


僕たちは、部屋を飛び出す。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


研究棟の廊下。


「侵入者だ!」


背後から怒号が響く。


振り返ると、大柄な女戦闘員が2人、サイレンサー付きの自動小銃を構えている。


「走って!」


銃声。


サイレンサーを装着した自動小銃の発射音は間抜けな音がするが、着実に壁に弾痕を穿(うが)つ。


僕たちは走る。

そのとき、ラギィの体が大きく揺れる。


「ラギィ!」


彼女の足がもつれ、床に崩れ落ちる。

僕は、両手で抱き止める。


血が広がっていく。


「よくも!」


エアリが振り返る。その手がユックリ前に伸びる。

次の瞬間、見えない巨大な力が廊下を走る。


「きゃあああ」


2人の女戦闘員が、まるで見えない壁に激突したように宙を飛ぶ。背後の壁に叩きつけられ、そのまま床に転がる。


「テリィたん!」


エアリが駆け寄る。


僕の腕の中で、ラギィは血まみれだ。


「大丈夫か?しっかりして」

「動ける?」

「どうかしら……」

「ラギィ!」

「大丈夫よ……」


そう言いながらも、ラギィの声は弱々しい。

エアリは、険しい顔で僕を見る。


僕は、傷口に手を当てる。

何の自信もない。


僕は"覚醒"していない。そもそも男だから流行りのスーパーヒロインでもない。自分の力が何なのかさえ、よくわかっていない。


それでも、手を離すコトは出来ない。


「さあ、僕を見て。こっちだ。僕を見て」


ラギィの目が、かすかに開く。

僕の手のひらが熱くなる。


その瞬間。

ラギィの身体が激しく震える。


「ラギィ!」


全身が痙攣するように跳ねる。


そして、止まっていた時間が動き出すように、胸が大きく上下する。心臓が力強く鼓動を始める。


もう1度、ラギィの体が激しく震える。僕は、息を呑む。傷口から流れていた血が止まっている。


肌の色が戻っていく。まるで、時間を巻き戻すように。やがてラギィは、ゆっくりと目を開く。


「テリィたん……ありがとう」

「ラギィ?いや、僕は何をしたのだろう」

「大丈夫。もう平気よ」


その声は、さっきまでとはまるで違っている。

僕は、黙って自分の手を見つめる。


まただ。


あのとき、ミユリさんを救った時と同じ感覚。

僕の中に何かがある。いつもは眠っている何かが。


でも、それが何なのかは、未だわからない。


「さあ、早く立って!」


僕は、ラギィの腕を取る。

ラギィは、自分の足で立ち上がる。


廊下には、赤い血の海が広がっている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


立ち上がった瞬間だ。


カチャリ。


四方から金属音がする。


左右の廊下から、女戦闘員が1ダース現れる。拳銃。自動小銃。ロケットランチャー。あらゆる銃口が一斉に僕たちへ向けられる。


エアリには、銃口がラッパ型に開いた、おかしな銃が向けられている。何だアレ?


ラギィは、壁に背を預ける。

逃げ道はない。


その包囲の奥から、1人の女性がゆっくりと歩いて来る。金髪。整った顔立ち。


黒革のコスチュームにピンヒール。その姿は、研究所の管理責任者というより"ザ・悪の女幹部"だ。何より風格がある。


彼女は倒れたボディーガードにも、壁の弾痕、血痕、あらゆる痕にも目を向けない。


ただ、僕の手を見ている。


「貴方サマが、その傷を直したのね」


僕は、答えない。

女は、1歩近づく。


「やっぱり……古(いにしえ)の呪術医(シャーマン)は貴方サマだったのね」

「え?シャーマン?M4か?」

「私たちは、長い間、貴方サマを探してきたの」


彼女の口元に、初めて笑みが浮かぶ。


「ようやく見つけたわ。私たちの呪術医(シャーマン)サマ……」


その言葉に、エアリが僕を振り返る。

ラギィも、僕の顔を見る。


女は銃口の並ぶ廊下の真ん中で、厳かに宣告する。


「そのヲタク、黒きメイドを従え、ガラクター基地に降り立つべし」


次の瞬間、全ての女戦闘員が武器を捨てて平伏す。


僕は、ようやく理解する。

僕は、最初から仕掛けられたワナの中にいたのだ。


そして今、僕は呪術医(シャーマン)となる。


第4章 永久機関、そして星が知っていた


ガラクターの秘密基地。


大勢の網タイ&レオタの女戦闘員に取り囲まれて、僕たち3人は廊下を歩かされている。


先頭を歩く金髪の女幹部が、重厚な扉の前で立ち止まる。指紋認証、カード認証。2つのロックが解除され、扉が静かに開く。


「僕に何の用があるンだ?」

「聖なる呪術医(シャーマン)サマ。癒す人が必要なの」

「癒す人?でも、僕は……」

「オカルト雑誌"ラー"から流出した個人情報をダークウェブで購入したトコロ、汝は超古代から続く伝統医学の薬草医(ハーバリスト)の薬草医検定3級の資格を持つ」

「そんな検定があるのか?」

「もちろん。汝サマは20xx年y月、呪術海鮮カフェの海女メイドの膝枕オプションでそう語った。以来、ガラクターは長い時間をかけて汝サマを探してきた」


彼女は、部屋の照明をつける。

一斉に明るくなる室内。


そこは、病院でも薬局でもなかった。


無数の試験管、培養装置、電子顕微鏡。壁一面に並ぶモニターには、人体の細胞画像や複雑な数式が表示されている。


そして、その中央には…


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。寄宿舎のミユリさんの部屋。


ベッドに横になり、ヘッドホンで古いJAZZを聴いているミユリさん。


そのとき、ドアをノックする音。


「アイリ?また鍵を忘れたの?」


返事はない。

ミユリさんはヘッドホンを外し、ドアを開ける。


「誰だと思う?」


そこに立っていたのは、スピアだ。


「スピア!」


ミユリさんの顔が一気に明るくなる。


「驚いた?」


次の瞬間、2人は強く抱き合う。


「どうして貴女がここにいるの?」

「姉様、お久しぶり。あ、あら?お酒の匂いがプンプンするけど」

「匂う?急いでガムを噛まなきゃ」

「姉様、お酒飲んでるの?」

「ちょっとだけよ」

「全く……」


スピアは、笑いながら部屋に入って来る。


「ねえ、秘密のバーがあるの。行く?」

「秘密のバー?港区のバーじゃなくて?」

「そう。普通の寄宿舎生活では、なかなか経験できない場所よ」

「それって、アイリのラット?」

「知ってるのね」

「もう常連よ」


2人は、顔を見合わせて笑う。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


占星術部の廃天文台。

天井ドームは全開。星空が広がっている。


望遠鏡の下に置かれた古いソファ。

2人はそこに寝転んでいる。


「ホントは、大阪に来るコトは迷ったし、少し怖くもあったの」


ミユリさんが話し始める。


「でも、たった数日で、久しぶりに普通の腐女子に戻れた気分よ」

「普通の腐女子?」

「そう。変な能力も、事件も、戦いもない。好きな音楽を聴いて、好きな本を読んで、友達とくだらない話をする。それだけで良いの」


スピアは、星々を見上げる。


「スーパーヒロイン関係のゴタゴタから解放されると、ほんとにホッとするわよね」

「スピアも?」

「私も元に戻れるかしら」


その声には、いつもの歌姫らしい自信がない。


五反田のスタジオを飛び出して来たばかりだ。自分の歌を取り戻したつもりでも、これから何をすれば良いのかは、まだ見えていない。


ミユリさんは、横を向く。


「なら、しばらく天文台の住人になれば?」

「無理よ」

「大丈夫。アイリと私が必要なモノは全部持って来てあげる。それに、もうすぐ冬休みだから、そしたら誰も天文台に来ないわ」

「でも、そんなコトして良いの?」

「良いンじゃない。ここなら、星も見えるし。住むには悪くないわ」

「姉様、ずいぶん大胆になったのね」

「そうかしら?」

「前だったら、そんなコト、言わなかったと思う」


ミユリさんは、少し考えてから答える。


「私ね、ここに来て、やっと自分のコトを考えられるようになった気がするの。誰かを助けるとか、誰かに助けてもらうとか、そういうコトじゃなくて」

「自分のために?」

「そう。自分がどうしたいのか、ね」


スピアは、黙ってうなずく。


2人の間に、しばらく静かな時間が流れる。

やがてミユリさんが、スキットルを手に取る。


「乾杯する?」

「何に?」

「自由に」


スピアは、笑う。


「良いわね。自由に乾杯」


2人のスキットルが、小さな音を立てる。


天文台のドームの向こうでは、星が何事もなかったように輝いている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ガラクターの秘密基地。


薄暗い実験室。中央に置かれた、改造手術台に寝かされているのは1人の老婆だ。


口元には呼吸器。胸がかすかに上下している。細い腕には点滴の管がつながれ、目は閉じられたまま。


その周囲を、僕たちは2人の女戦闘員に挟まれて立っている。エアリには、銃口がラッパのように広がった音波銃が向けられている。


金髪の女幹部が、僕の前に立つ。


「彼女を癒しなさい」

「この人、誰?君のおばあちゃん?」

「私の夫、クレヲ・バトラ。謎の組織"人生補完委員会"の委員にして、この会社のオーナー」


え。何の委員会だって?


「そいつが死ねば、貴女が、この巨大企業を相続する。つまり、遺産目当ての結婚ね?」


ラギィがすかさず口を挟む。

女幹部の表情が変わる。


「財産なんかどうでも良いわ」

「へえ。じゃあ自分の倍の年の老婆と百合していたら、偶然、大金持ちだったってわけね」

「お黙り。私のコトを何も知らないくせに」


女戦闘員たちが一斉に拳銃と自動小銃とロケットランチャーを構える。


「結婚の経験はあるの、ラギィさん?」

「3回」

「私は結婚して22年間、この人とずっと一緒に生きてきたの。その間に、人の気持ちも事情も感情も動機も、すべて変わったわ。でも、私は自分の夫を見捨てたりしない。死なせたりもしない」

「どこが悪いんだ?糖尿?」


僕は、車椅子の老婆を見る。

女幹部は、ゆっくりと答える。


「老いたのよ。世界中のお金を積んでも、老化を止めるコトは出来ない。もちろん、手は尽くしたわ。あらゆる手をね」


彼女は、老婆の肩に手を置く。


「そんなとき、秋葉原のメイドの話を聞いたの。音波銃で撃たれながら、奇跡的に助かったって」

「ミユリさんか。それで、あのときのメイド服を君が持っていたのか」

「2年間分析した。でも、一流の科学者でさえ謎を解明出来なかった。そのうち、別の噂を聞いたの。末期癌の子供たちが大勢、奇跡的に助かったという話」

「そして、病院の監視映像からマリレが呪術医だと思ったのか」


うなずく女幹部。割と素直。


「でも違っていたわ。彼女の友達を撃ってみたけれど、マリレは助けられなかった。彼女は、呪術医ではない。友達を助けられなかったから、ようやくわかったのよ」


ラギィの顔が険しくなる。


「そんなコトを試すためにマンクを殺したの?」

「夫が死にかけているのよ」

「だからって、罪もない人間を殺して良いのか!……まさか、ラギィを撃ったのは、僕を試すためか?」

「すべて終わったことよ」


女幹部は、僕に向き直る。


「さあ、早く夫を治してちょうだい」


老婆の呼吸が、ひゅう、ひゅう、と苦しげに響く。

僕は、老婆のそばに歩み寄る。


「治せるかどうかはわからない。僕の力は、まだ自分でも良くわかっていないんだ。特に、自然死は救えないかもしれない」

「いいえ。出来るはずよ」


女幹部の声が低くなる。


「嫌でも、やってもらうし」


彼女が指を鳴らす。


その瞬間、女戦闘員全員が拳銃と自動小銃とロケットランチャーを構え、エアリには音波銃を向ける。


僕は、仲間たちを見る。

エアリとラギィは、一斉に首を振る。


「テリィたん、やめて!」

「絶対ムリだし」


僕は振り返らず、老婆の前に立つ。


「大丈夫。少しだけ、やってみるよ」


僕は、老婆の胸に手を当てる。

心臓の鼓動は、ほとんど感じられない。


そのとき、手のひらが光り始める。


最初は小さな光だ。やがて指の間から白い光が漏れ、煙のようなものが立ち上る。


「おお!アノクタラ山脈ナンボだい?」


女幹部が1歩後ずさる。

光は、強くなる。


手術台が震え、棚の試験管やらフラスコやらが音を立てる。モニターの映像が乱れ天井の照明が明滅。


「テリィたん!もうやめて!」


ラギィの声が響く。


だが、僕の手は離れない。

何かが流れ込んでくる。


老婆の体から、僕の中へ。


それは熱だ。

いや、熱だけではない。


長い年月。

失われた時間。

身体に刻まれた老い。


それらが、目に見えない奔流となって僕の中へ推し寄せてくる。


「何なの、これは!」


女幹部が叫ぶ。手術室に光と煙が満ちていく。

そして、老婆の胸が大きく動く。


1度。


2度。


次の瞬間、老婆は手術台をつかみ、自分の力で立ち上がる。呼吸器をむしり取る。


「貴女……」


その声は、もう苦しげではなかった。

女幹部が目を見開く。名を呼ぶ。


「クレヲ!」


だが、そこにいたのは、かつての老婆ではない。

呼吸器も点滴も必要ない、しっかりとした足取りで手術台の上に立つ女性。


その代わり、僕の手が急速に老いて逝く。

皮膚がシワだらけになり腕が細くなる。


髪から色が抜け、背中が曲がる。


「テリィたん!」


ラギィが駆け寄ろうとする。

しかし、僕の周囲から炎のような熱が噴き上がる。


「近づくな!」


女幹部が叫び、女戦闘員たちは、我先に廊下へと逃げ出す。ラギィもエアリも動けない。


光はさらに強くなる。


床に、幾何学模様の光が広がる。

まるで巨大な魔法陣だ。


部屋全体が萌え上がるような熱に包まれ、焔の柱が天井へと噴き上がる。


「テリィたん!」


ラギィの声が、焔の中に響く。

僕は、両膝をつく。


熱くて立っていられない。


老婆は、若い身体で自分の手を見つめる。

その目を僕に向ける。


「貴女……私を……」


女幹部が彼女を抱きしめる。


「クレヲ!クレヲ!」


2人の姿が、焔の向こうにボヤけて逝く。

僕は、床に倒れる。


老人になった身体は、もう動けない。


「テリィたん!どうしたの!」


ラギィが近づこうとする。

しかし、焔が壁のように立ちはだかる。


その時だ。


僕の身体が、足元から崩れ始める。

皮膚も、衣服も、髪も。


砂になって逝く。


「え……?」


ラギィが手を伸ばす。だが、その指先が触れるより早く、僕の身体は砂の山になる。


そして、その砂さえも、焔と熱風に巻き上げられて消えて逝く。


「テリィたん……?」


ラギィは、その場に立ち尽くす。

床には、何も残っていない。僕の意識すら。


ただ、光の失せた魔法陣の幾何学模様の跡だけが、床に黒く焼け焦げている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大阪。占星術部の廃天文台。

天体望遠鏡の下の古いソファ。


ミユリさんとスピアは、並んで眠っている。天井ドームの向こうには、静かな星空が広がっている。


そのとき、ミユリさんが突然、上半身を起こす。


「……!」


隣で寝ていたスピアが寝ぼけ眼で目を開ける。


「姉様、どうしたの?」


ミユリさんは、胸元を押さえている。


呼吸が乱れている。

目は、何もない時空を見つめている。


「テリィ様が……」

「え?」


ミユリさんの目から涙が溢れる。


「テリィ様が死んだわ」


天文台の時計が、静かに時を刻む。

窓の外では、星が1つ、夜空を横切る。



おしまい

今回は、海外ドラマによく登場する"不老不死"をテーマに、主人公の命に関わるストーリー展開にしてみました。


海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、すっかり初冬の空気の中でインバウンドだけがTシャツで元気な秋葉原に当てはめて展開してみました。


秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。

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