え、あれ、祠だったの? 〜女神様は何もかもお見通しのようです〜
「じゃあ、あとはよろしくね!」
きつめの美貌に迫力の赤いドレス。きらびやかな宝石で身を飾った義母は靴音も高らかに馬車へと乗り込んだ。
ご婦人たちとのお茶会であれば、あれは不相応な装いの気がするのだけれど……
ここ、ダンヴィル子爵邸においてはこれが日常。
わたくしはエプロンドレスの裾をつまみ、恭しくカーテシーをする。
「はい。いってらっしゃいませ」
返事はない。代わりに無造作にドアが閉まる。
やがて響いた蹄の音にカラカラとかさなる車輪の音。黒塗りの箱馬車はあっという間に去って行った。
鉄柵のこちら側。がらんと広がるのは埃っぽい石畳に荒れ放題の庭。わたくしは両手を腰に当て、ふうと息を吐く。
「さあて、やりますか。草抜きに掃き掃除、それから夕食の支度……」
「母さま、エリシャ手伝う!」
「わたしもー!」
うしろで元気に挙手をしたのは長女のエリシャ。ぴょんぴょん飛び跳ねて存在を主張したのは次女のミエラだ。
ふたりともぽってりと愛らしい手を握り、「絶対にやり遂げる」という熱い意思を込めてこちらを見ている。うう、まだ九歳と六歳なのに。
とはいえ、まだ頑是ない年頃の娘たちに苦労をかけるのはいかがなものか。わたくしは重々しく首を横に振った。
「いいえ。気持ちはうれしいけれど、これは母さまが直々に申し付けられた……」
「いっちばーん!」
「ずるいわおねえさま! ミエラ、にばーん!」
「!? ああっ、ふたりとも??」
なんてこと。
娘たちはふわふわの栗色の髪をなびかせ、あっという間に植え込みの方向へ駆けて行った。それを慌てて追いかける。
「待って! 長い草を上から引っ張っちゃだめ。お手々が切れちゃう。せめてっ……手袋!」
わたくしはかろうじて妖精のような幼子たちを捕まえ、予備の手袋を片方ずつ着けさせた。
おとな用のぶかぶかの手袋に、ミエラはキャッキャと笑い声をあげ、エリシャはしげしげと見つめている。その間に虫除けの薄荷水を取り出し、携帯霧吹きで吹きつけた。
「これでよし」
「ねえ。もう行っていい?」
「しょうがないわねえ。奥には行かないと約束して。草むらの中に入ってもだめよ」
「「はーい」」
お利口さんなお返事がぴったりとかさなり、無邪気なエリシャとミエラは再び庭へ。それをじっと見送る。
(あの辺りは……たしか、ハーブと雑草の花が群生している、壊れた噴水かしら。木陰だし大丈夫ね)
わたくしは小脇に抱えた籠を地面に下ろし、その場にしゃがんだ。まずは石畳の隙間にびっしり生えた草を根気強く抜いてゆく。
晩夏の日差しが照りつけ、装飾目的ではない帽子の下、汗はじとりと蒸れた。
❖
昔々。
嫁いだばかりのころは、こんなふうではなかった。
この婚姻は亡き父――先代パーウォール子爵とダンヴィル子爵が交わした、れっきとした契約。わたくしがまだ赤ん坊のころのこと。
パーウォール家にはわたくししか子どもがおらず、母は産後しばらくで早逝。後妻である母を失った父は高齢の域にあり、次子は望めなかった。
おそらくは同じ家格の貴族の次男を婿に、くらいの気持ちだったのだろう。友人の息子が相手であれば、自分が死んだあとも娘夫婦の後見をしてもらえると信じて。
しかし、わたくしが今のエリシャくらいになったころ、両家の当主はべつべつの馬車の事故で亡くなった。ダンヴィル家の長男まで。
――そこからは零落の日々。
パーウォール子爵位は野心家の叔父が継いだ。
わたくしはデビュタントもできず、十七で結婚させられた。どうしても爵位を自身の息子に継がせたい叔父の画策だった。
パーウォール家から手切れ金のような持参金を得て、最初だけ歓待を示したダンヴィル家の人びとはその後、見事に手のひらを返した。
『援助がないと事業をうまく回せないわ。ね、わかるでしょう? 家族だもの。助け合わなくては』
義母は使用人をほとんど解雇し、代わりにわたくしを働かせた。屋敷は当然のように荒れ、持参したドレスや装飾品はすべて取り上げられた。
いっぽう、淡々と二児をもうけた夫は。
『僕は別邸で暮らす。きみは領地で、子どもたちの養育をしながら暮らすといい。社交は母がこなすからね。何も心配はいらないよ』
義母譲りの華やかな容姿。甘い微笑が特徴的な――現在のダンヴィル子爵バルテ様とは、ミエラが産まれて以降ひとめも会っていない。
出入りの商人から聞いたところ、彼は晴れて王城勤務となり、王妃宮の管理侍従としてなかなかの暮らしぶりだという。
はて、事業とは……? と、首をひねったが、どうやら領地運営はすべて義母が担っているらしく。
(きっと、お義母様は赤字が気まずくて、うまくいかなくてもバルテ様に相談できないんだわ。外聞を気にするかただから)
じっさい、ダンヴィル家が懇意にしている商会ですら、わたくしを単なるメイドだと思っている。
だから――
『知ってるかい? こちらの子爵様はたいそう色男で、王妃様のいちばんのお気に入りだってさ。王様も黙ってらっしゃるなんざ、わかんないもんだねぇ。雲の上の方々ってやつは』
……だから、そんな噂話をわざわざ落としてゆくのだろう。
わたくしの思考は、いつもここまで止まり。
だって、これ以上考えたって、どうにもならないもの。
❖
「あとは石畳を掃けばよし。今日は、庭を全部は無理そうね。あら…………あの子たち?」
日はまだ高いけれど、残り時間を見積もって可能な作業量を弾き出す。そうして植え込みのすぐそばを見渡すと、娘たちがいなかった。慌てて駆け寄って茂みをかき分ける。すると。
「!」
ホッとひと息。
草を抜いて平らになった地面の向こう、噴水の残骸裏側にちょこんとしゃがむ小さな背中が見える。
「よかった。そこにいたのね? エリシャ、ミエラ」
「母さま」
「かあさま! おわった?」
「いいえ。でも、今日はそろそろおしまいにしましょう。怪我はない? たくさん綺麗にしてくれてありがとう」
「んふー」
「どういたしまして」
得意満面のミエラはちょっぴり頬を汚しているし、おしゃまに立ち上がって覚えたてのカーテシーを披露したエリシャのスカートからは、草の欠片がはらはらと落ちた。
その愛らしさに(夕食までにお風呂)と、やることリストを追加しておく。
――まぁ、そんな予感はしていたので問題はないけれど。
せっかくなので姉妹の努力の跡を箒で掃き清めると、エリシャとミエラはうれしそうに拍手をした。それから、ふと『おいでおいで』をする。
(?)
招かれるままに壊れた噴水の裏へ回ると、そこにはタイルや陶器、古びた木箱が散乱していた。おとなの膝丈はあろう小山はやや崩れ、なかから扉のようなものが覗いている。どうやら娘たちはこれに幼心をそそらしい。わたくしは改めて首をひねった。
「なあに? これは」
「わかんないー」
「よく見つけたわねえ。ほとんど埋もれてるのに」
「隙間からね、小さな扉が見えたの。それで、おもちゃのお城かなって。内緒で直して、お人形の秘密基地にしようと思ったのよ」
「それはすごいわね」
わたくしは長女の目論見の大胆さを称賛し、内緒でなくなった点については触れずにおいた。話しながらタイルや木片などを慎重にどかしてゆく。
そうして出てきたのは、たしかにお人形サイズの両開きの扉。もとは真っ白だったのだろう。汚れていても丁寧な造りで鍵穴はない。これならひらきそうだ。
しゃがんだ状態でそっと振り返ると、娘たちは期待に満ちたまなざしでこちらを見ている。
(ええと)
躊躇うわたくしに、子どもたちはにこにことした。――なんてわかりやすい!
エリシャははにかみながら小首を傾げた。
「私たちじゃ無理そうだったから、母さまに開けてほしいなぁって」
「……」
「おねがいしようと思ったの」
「……そうよね。そうなるわよね……わかったわ。えいっ!」
覚悟を決めて両方の取っ手を引っ張ると、なかなかに手ごわい。
が、次の瞬間。
(!!)
――光がこぼれた。
まぶしさに驚き、目を閉じたわたくしは手元から吹き出した何かによって派手に尻もちをつき、背中をエリシャとミエラに支えられた。
きゃあ! という声にまぶたを上げると、膝の上にはふんわりとした重み。見たことのない幼女が乗っている。
(は? 誰?? どこの子?)
わたくしは、ぽかんと口を開けた。
流れる滝のような金の髪はあどけない白桃の頬を滑り落ち、腰下まで垂れて渦を巻いている。長い睫毛に縁どられた大きな瞳は澄んだ清水の蒼。かたちの良い、つんとした鼻梁も、花びらのような唇も、たっぷりとドレープを描く白絹のドレスに包まれた華奢な体つきも、もちもちのお手々までもが極上の美に彩られた女の子。
いま、この場においては三人目というべき幼女が現れている。あの扉から。
「と、閉じ込められていたの?」
「閉じ込め…………ええ、そうね。そうとも言うわ。あなた、名前は? 私は『サフロラン』」
「名前」
わたくしは目をぱちくりさせた。彼女が名乗った名の、異国風な優美さもさることながら。
――わたくしの名前。
もう何年も誰からも呼ばれていない、ひっそりと捨て置かれたような名を。
固まるわたくしに、ふしぎな幼女はぐいぐいと迫った。
「名前、ひょっとしてないの? つけてあげましょうか」
「あ、いいえ。あります。『アウルメリア』というの」
「アウルメリア」
……アウルメリア、アウルメリア。彼女は口のなかで何度かわたくしの名前を転がし、パッと顔を上げた。
「すてきね。知恵の象徴の鳥と、だれかの幸せを願う花みたいにやさしい響きをしている。助けてくれてありがとう、アウルメリア」
「どういたしまして。あ、でも、見つけたのは娘たちなので」
「知ってるわ。可愛い子たち。ふふっ、お母さまが大好きなのよね? お声はぜーんぶ聞こえていたわ。 エリシャ、ミエラ」
ばちん! と、長い睫毛が音をたてたかのようなウィンクに、娘たちはそろって「きゃああっ」と照れて叫ぶ。――――なにこれ可愛い(真顔)。
失礼、と膝から降りたサフロランは居住まいを正し、コホンと咳払いをした。
「助かった……と、言いたいところだけれど。困ったことに、私、おうちがないの」
「まあ」
手袋を取った片手を頬に当て、さまざまに思案を巡らせる――――“おうち”とは、まさか、そのドールハウスでしょうか? など――――わたくしとは真逆に、あれよあれよと幼女たちの距離は縮まる。
サフロランに走り寄ったエリシャとミエラは、おのおのの感情を迸らせた。
「なんてかわいそう!」
「サフロランたん、うちの子になる?」
「こ、これ、エリシャ。ミエラ。あのね、サフロラン……さんにも、きっと事情が」
「え、いいの?」
(えええぇーー!!!?!?)
心の声を爆発させたわたくしは、穴が空くほど金の髪の幼女を見つめた。
いえ、その、可能なら、我が家に迎えるのに吝かではないのですが……?
まるで女神のように超越した美をそなえた幼女は、うれしそうにわたくしの手を握る。
「ありがとう。あなたが、新しい祠になってくれるのね」
「え? 祠?」
「そうよ。前のはずいぶんと蔑ろにされてしまったもの」
「前の……」
わたくし、エリシャ、ミエラの三人がちらりとゴミ山を流し見る。
サフロランは『祠』と言った。
では、祠に住んでいた彼女は……?
「サフロランさんは」
「フローちゃんでいいわよ」
「……フローちゃんは、どうしてここに」
「うふふ。立ち話もなんだから、移動しながらにしましょう。さあ! いらっしゃい!」
「「「!!」」」
風がごうと鳴る。
とっさにふたりの娘を胸に抱いて庇ったが、気がつけばふわりと浮遊感。すさまじい勢いでぐんぐんと体が上へのぼる。
やがて、ほわっとした大きな羽にくるまれたわたくしたちは薄い雲を突き抜け、はるか高みへ。小さくなった山並みや街を一望し、あぜんとした。
「……っ、すご……」
「すごーーい! わたしたち、鳥さんに乗ってる??」
そう。鳥である。
見渡せばサフロランの髪色のようにきらきらとした金の羽毛が風になびき、黄金の穂波のようだった。
とてつもなく大きな鳥だ。わたくしたちは何らかの力に守られ、ちょこんと鳥の背に座っている。
そこへ、あたたかな背中を通じてサフロランの声がした。
《アウルメリア、エリシャ、ミエラ。行きたいところが決まるまでお散歩でもしましょうか》
❖
いわゆる空中散歩(※歩いていない)のあいだ、身の上話を聞いてわかった。サフロランは神鳥の雛だ。
彼女の感覚でいう「少し前」、気まぐれに降り立った噴水で小鳥のふりをして遊んでいたところ、ダンヴィル子爵家のちいさな女の子がやってきて、あのドールハウスをくれたという。
神鳥とは、天上においては鳥の姿をした神。
地上では人間の信仰対象となるか、だれかと親交を結んでヒトの姿を得る。
サフロランは、少女と親交を結ぶこと――つまり、噴水のほとりに彼女だけの祠を置いてもらうことで地上の女神になった。
少女は婿を取り、寿命をまっとうするまでサフロランを大切にしたそうだ。
《けど、ちょっと前に酔っ払いの人間の男がふたりやって来て》
「ああ……」
なんとなくわかってしまった。
わたくしは悲嘆の声をもらす。
曰く、彼らは酒を嗜んだあと庭を散策し、祠を見つけて「不用品が廃棄されている」と勘違いしたらしい。こともあろうに、わざと蹴り飛ばして。
サフロランは、ぷんすかと憤慨した。
《私、頭にきちゃって》
「ああ〜……」
サフロランは戒めの雷を彼らに浴びせようとしたが、誤って噴水を破壊した。紳士ふたりは叫びながら館に逃げ込んでしまった。
翌日片付けに来た使用人らは、剥がれたタイルや破片を転がった祠の上に集めた。おまけに屋敷内の不用物まで捨て置かれることになった。
そうして、今日まで撤去されることなく過ぎ去ったのだ。
《ちなみに、神を害したものには報いがあるのよ。仕方ないわよね》
「な、なるほど」
大いなる鳥の背で、わたくしは深く頷いた。
報い。
それは、かつてのダンヴィル子爵と我が父、パーウォール子爵を襲った突然の事故だろう。ダンヴィル子爵の長子だった、バルテ様の兄上にも余波は及んで。
(おとぎ話みたいだわ。でも、本当のことなのね)
わたくしの人生の大半もそれに費やされたのかもしれない――今までは。
「……母さま?」
「起こしてごめんねエリシャ。もう少しおやすみしましょう」
「はぁい」
膝の上のちいさな頭を撫でると、寝息はすぐに始まった。空の上でしばらく興奮状態だった娘たちは疲れ果て、すやすやと寝入ってしまったのだ。
眼下にはなつかしい王都が見える。生家があるであろう郊外も。
《ところで。行きたいところ、できた?》
「そうですねえ……」
《私ならどこへでも連れて行ってあげられるわ。天上の、私の宮でも》
「それはさすがに畏れ多いかと」
いつの間にか敬語になったわたくしに言葉遣いを注意するでもなく、鳥の姿のサフロランは背をぷるぷると震わせた。笑っているのだろう。伝わる声が楽しそうだから。
《欲がないこと。じゃあ――えいっ!》
???
わたくしは仰天した。彼女の気合いの言葉と同時につむじ風が生まれ、ふたつの方向へ散ってゆく。ひとつはダンヴィル子爵領。ひとつはまさかの王都だった。
「な、何を……?」
《あなた、ひとが良すぎるのよ。私、ぜーんぶ聞こえていたのよ? あの女は事業なんてしてないわ。街で入れ込んでる役者がいるだけ。旦那さんにいたっては釈明の余地もないでしょ》
「いえ、だから何を」
《あなたの正当な財とか、取り上げられたぶん? あなたが産まれる前に、ほんとうのお母様が作ってくれた装身具とかを、盗っ人や偽りの持ち主から引っ剥がしてるの。――あらやだ。全然足りないわ》
「えええっ」
このお幼女、どこまで見えて知っているのだろう……?
やがて、風に運ばれてぽとぽとと落ちてきた金貨や宝石に目を瞬いた。そのなかにはたしかに、母の形見のネックレスもあって。
遠い海でとれたという小粒の真珠と、母の緑の瞳のような宝石が連なったうつくしいそれを手にとった。
ぽろりと雫がこぼれたのは仕方ないと思う。
「ありがとうございます。だいじな、品です」
《いいのよ》
今、彼女がヒトのかたちなら「えっへん!」と可愛らしく胸を張ったかもしれない。そんな姿を想像し、くすくすと笑う。
《じゃ、あなたが気に入る場所で私も暮らすわ。探しに行く?》
「……そういうことなら……はい、よろこんで。のどかで、平和なところがいいですよね」
頷いたわたくしの胸元には、握りしめた思い出の品。両膝にはぜいたくなことに、宝物がふたり。
海か。高原もいいかもしれない――どこか、知らない町でも。
風がやさしく頬を撫でる。金の翼のサフロランは新天地をめざし、自由に空を舞った。
〜おしまい〜
お読みくださり、ありがとうございました!




