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第十二話:沈黙の壁と新たな力


 仔狼の姿で少女の前に立つ。


 琥珀色の視線は、震える少女の手から、その小さな体へ釘付けになる。少女は、突然の仔狼の出現に、再び息を飲んで立ち止まった。


 敵じゃない。逃げろ。ここにはまだ、あのタイガーの匂いが残ってる。


 喉から出るのは、ただの唸り声。少女には獣の威嚇としか聞こえない。彼女の緑の瞳の奥で、恐怖よりも飢餓の切実さが、炎のように揺れている。


 肉を諦めさせようと、頭を横に振り、岩場の影を前足で指し示す。人間の知恵で示そうとしても、獣の肉体では、その意味が通じない。


「キャン……クゥン……(聞いてくれ!俺は、お前と同じ人間だったんだ!)」


 前足を上げる、「待って」というジェスチャー。必死な訴えは、少女の表情に一瞬の戸惑いを灯す。


「……あなた、迷子の狼さん?」


 言葉。優しさと、獣への憐れみが混じった、無垢な言葉。その一言が、魂を深々と突き刺した。どれだけ思考しても、この体では言葉が届かない。集落で味わった、あの孤立の絶望が、潮のように押し寄せてくる。


 言葉が通じなければ、壁は破れない。


 少女は、仔狼の「人間的な仕草」から、獲物の肉に意識を戻した。彼女にとって、仔狼一匹の感情よりも、目の前の肉の価値が上回っている。


「グルルルルッ!(やめろ!)」


 唸る。少女は驚き、硬直した。竹籠から、小さな薬草がこぼれ落ちる。


 沈黙の壁。


 人間の理性は、獣の肉体という厚い鎖によって完全に拘束されていた。


 まただ。また、何も伝えられないままなのか…。

 胸の奥底で、言葉への渇望が灼熱となって渦巻く。この不条理な状況をどうにかして打破したい。


 少女が、肉に手を伸ばす。


 その瞬間に、意識が爆ぜる。

 力を流せ!今、持てる力全てをもって、言葉の形に変換しろ!


 魔力制御で練り上げた力を、体外へ、意志の奔流として押し出す。グレイウルフ戦の熱、タスクボア戦の硬質。その全ての記憶を、一つの概念へ収束させる。


 肉体の壁を突き破れ。


 体内で魔力が、怒号のように唸りを上げた。琥珀色の光が、毛皮の奥で激しく脈動する。


「キャンッ!クゥウウウゥン!」


 喉から絞り出されるのは、ただの遠吠え。

 違う!言葉だ!

 言葉が欲しい。人間と繋がっていたい。誰かに助けを求めたいという、魂の根源的な飢えが、荒れ狂う魔力の奔流と共鳴した。


 叫べ!伝われ!俺は、お前と同じ、人間だったんだ!


 絶望の淵での、最後の執念。その強すぎる意識が、魔力というエネルギーの荒波に、「言語」という形を無理やり刻みつける。


 脳裏で、何かが雷鳴のように弾けた。


 =======

 スキル:念話を獲得

 =======


 頭の中に、世界から与えられた冷たい真実の通知が浮かび上がる。


 念話……!奇跡が、起きたのか!?


 歓喜の奔流に、意識は少女へ向けられる。


 微かに震える体を静止させた。少女は、まだ竹籠を抱きしめたまま、その姿を見つめている。


『——聞いてくれ。俺は、お前を脅かしたいんじゃない』


 喉を使うことなく、意識そのものを、少女の脳へ、水の波紋のように送り込んだ。


 少女は、恐怖に目を見開いたまま、石像のように動かない。その瞳は、仔狼を見ていながら、別の次元の何かを探しているようだった。


『——あなたは、誰?』


 少女の声が、自らの声のように、頭の中に直接響いた。驚愕と混乱に満ちた、生の言葉。


 通じた。

 全身を駆け巡る勝利の熱。


『——俺は、太一だ。今は狼の姿だけどお前と同じ、人間だったんだ』


 仔狼の姿のまま、ゆっくりと頭を下げる。


『——お願いだ、この肉には触れるな。今すぐ逃げろ。』


『——逃げろ?なんで、あなたが私に話しかけてるの?』


 少女は、仔狼が話しているという常識という名の鎖を、まだ断ち切れていない。しかし、彼女の飢えは、この奇妙な状況をも凌駕する。


『——この肉が、私には必要なの。病気の妹がいるから。』


 その一言が、太一の人間としての倫理観を、強烈に呼び覚まし

 た。この世界にも、自分と同じように生きるために泥を啜る存在がいる。


『——わかった。話は後だ。』


 岩場へ目を向け、鑑定を再度発動させる。周囲の情報が映し出される。


(タイガーの気配は、まだ遠い。だが、獲物の血の匂いは、すぐに奴を引き寄せる)


『——この獲物は、お前のものではない。俺の獲物だ。』


 念話に、わずかな獣としての矜持が混ざる。しかし、すぐに彼は付け加えた。


『——だが、お前に必要なのはわかった。今、この場を離れるなら、肉を分けてやる。』


『——本当?』


 少女の瞳に、初めて希望の光が、夜明けのように灯った。


『——ああ、約束する。だから、すぐに逃げろ。そして、明日、この川のほとりに来い。誰もいない、夜明け前に。』


 太一は、人間としての誓いを、この獣の体で結んだ。この少女は、人間社会への道を繋ぐ、唯一の扉になるかもしれない。そして、彼は、この世界で初めて、言葉を交わした人間を、見捨てることはできなかった。


 孤独は、今、微かに破られた。

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