第三章12 『2日目開始』
「あー全員、揃ってるかぁ? おーい、そこの男子、無駄口叩くな。点呼中だぞ」
朝の砂浜に、気の抜けた声が響いた。
波の音とセミの鳴き声、そしてA組担任の岩井のやる気のないトーンが絶妙に混ざり合う。
7月4日・金曜日、午前9時。
照りつける日差しの下、零凰学園の2年生たちは、ずらりとクラスごとで横一列に並ばされていた。
岩井はサングラスにアロハシャツ。
片手には缶コーヒー。
その姿はどう見ても教師ではなく、完全に休暇モードの大人だった。
「はい、じゃあ……今日から夏合宿の課題スタートってことで。お前ら朝からテンション高いけど、俺は低いから、そこは察してくれ」
「いや、教師の態度じゃないだろ……」
「こっちは何も知らされてないんですけど……」
小声のぼやきと笑いが混ざる中、岩井は気にした様子もなくメガホンを口元に当てた。
「ルール説明、するぞ。この合宿は──二日目から九日目までの八日間で、日替わりの課題をこなし、その合計得点を競う形式だ。真面目にやれば点は上がるし、サボれば下がるものとなっている」
淡々とした口調。
しかし点数という言葉に、生徒たちは少しずつ表情を引き締めていく。
「試験内容は去年も一昨年も同じだ。合宿って名前がついてるけど、要は現地試験だ。海水浴気分でやってりゃ、普通に沈む。点数がな」
「……先生、それ沈むって物理的な話ですか?」
後方の女子がツッコミを入れると、岩井は無表情のまま肩をすくめた。
「場合による。五種目の中には水中課題もあるしな」
「えっ……」
「ここが大事だ。課題は全部で五種目。この五つの内から一日一回選択権がある。そして五種目は、合宿中に必ず一度は受けなきゃならない。一度やった課題は再挑戦してもいいが、任意だ。残りの三日は自由日として使え。──何にどれだけ力を入れるかは、自分で考えろ」
「え、じゃあ五種目終わったら課題やらずに遊んでもいいのか?」
生徒たちの間に軽いざわめきが走る。
翔太郎は隣の玲奈に小声でつぶやいた。
「自由って言われると、逆にプレッシャーだな」
「はい。好きにしていいって、結局結果で判断されますからね」
玲奈の冷静な返しに、翔太郎は苦笑した。
岩井の気の抜けた態度とは裏腹に、空気は次第に真剣味を帯びていく。
そのとき、前列の男子が手を挙げた。
「先生、もし五種目終わったら、その後は課題やらなくてもいいんですか?」
「ああ、自由だ。ただし──今回も退学ボーダーがある。八日間で合計500点中250点未満だった生徒は、即退学となる」
「はぁっ!?」
「マジかよ」
「また退学処分あるのかよ……!」
砂浜が一気にざわめきに包まれた。
一瞬で空気が変わる。
ついさっきまで笑い声があった空間が、今は緊張で満ちている。
これがただのバカンスではなく、改めて零凰学園の夏合宿であることを思い知らされたかのようだ。
岩井はその反応にもまったく動じず、コーヒーをひと口飲みながら淡々と締めくくった。
「この夏を退学って形で終わらせたくないなら、本気で取り組め。何度も言うが、これは合宿であって──バカンスではない」
岩井はだるそうに後ろを振り返り、声を上げた。
「塚内先生、説明の続きを頼みます」
呼ばれたのは、隣のD組担任・塚内先生だった。
眼鏡をかけたスーツ姿の女性で、岩井とは対照的に几帳面そのものだ。
「全く……生徒たちの見本になってくださいよ、岩井先生」
そう小さくため息をつくと、手元の端末を操作する。
次の瞬間、砂浜の空中にホログラム映像が投影された。
そこには「課題一覧」と書かれた文字と、五つの種目名が浮かび上がる。
「はい、それでは改めて説明します。今回の課題は次の五種目です」
塚内のよく通る声が、砂浜に集まった百人近い生徒たちの頭上を抜けていく。
岩井の怠惰な態度とは対照的に、塚内の説明はきびきびとしていて、まさに仕事の出来る教師そのものだった。
波音とセミの鳴き声が混じる中、彼女の背後にホログラムのような映像が浮かび上がる。
青空を背景に、文字が淡く輝いた。
【合宿課題:全五種目】
1. 異能力測定試験
種別:個人戦
→ 専用装置に異能力をぶつけ、威力・制御・創造性などをAIが数値化。
→ 戦闘型の能力者に有利。
2. 水上戦闘訓練
種別:個人戦
→ 水上バイクを操縦し、異能力で戦うレース戦。
→ 攻撃・防御・妨害などを駆使して順位を争う。
→ コントロール系・機動型の能力者に有利。
3. 能力干渉型・バレー
種別:チーム戦
→ 通常のビーチバレーだが、異能力の補助的使用が許可されている。
→ 攻撃的能力は禁止、AIドローンが判定を行う。
→ チームワークや戦術思考が重要。
4. 救助訓練
種別:チーム戦
→ 能力を使って海難者を救出。
→ スピード、安全性、連携を評価。
→ 実戦形式の応用力が試される。
5. 海中索敵訓練
種別:個人戦
→ 海中に隠された“発光石”を探し出す。
→ 感知・索敵能力が有利だが、妨害系も得点チャンスあり。
→ 発想力と判断力を総合的に評価。
「これらの五種目を、八日間のうちにすべて完了してください」
塚内は一拍置き、真剣な口調で続けた。
「成績上位者には学園から特別報酬が与えられます。ただし、ボーダー未満──つまり合計250点未満の生徒は、岩井先生が言った通り、退学処分です」
「また退学かよ」
「5月のパートナー試験でギリだったのに」
「今度こそヤバい奴出るぞ……」
ざわざわとした不安の声が砂浜を包む。
そんな中で塚内は、小さく微笑みながら肩をすくめた。
「これでも、去年よりは随分マシな方です。去年は“異能力で生み出されたサメが出る水泳レース”がありましたからね」
「おー、懐かしいなそれ。確か死にかけた生徒も出たよな」
生徒たちがドン引きする中、岩井が缶を片手に頭をかいた。
完全に教師たちとの温度差が天と地である。
だが次の瞬間、塚内の声が一段階低くなった。
「そしてもう一つ、重要な規定を伝えます。今回のチーム戦の種目では、十傑同士が同じチームを組むことは禁止となります」
空気が一瞬にして変わった。
その場にいた全員の視線が、自然と学園最上位の存在──“十傑”たちへと向かう。
「なるほど……そう来ましたか」
「そりゃそうだ、チーム戦の課題で全員十傑で組んだら、他の生徒じゃ勝ち目無いもんな」
翔太郎ですら、十傑の五人を全員同時に相手どったら流石に勝てる自信が無い。
他の生徒たちの期待と警戒が入り混じる視線が、2年生の十傑五人へと注がれる。
その数の多さに、翔太郎は思わず背筋を伸ばした。
「……なんか、見られてる気がするんだけど」
隣の玲奈がちらりと彼を見上げる。
「当然です。十傑同士が組めないということは、私たちは徒党を組んで今の地位を守ることが出来ないという事です。他の生徒たちからすれば、下剋上のチャンスでしょうしね。まぁ、今に始まったことでは無いので、気にする必要はありませんが」
彼女の口調は落ち着いているが、ほんの少しだけ鬱陶しそうだった。
一方で、アリシア、心音、涼介、影山といった他の十傑たちは、注目されることに慣れきっている。
どこか余裕のある笑み、もしくは無表情で受け流していた。
塚内はそんな空気をよそに、最後の言葉を締めくくる。
「これでルール説明は以上です。詳細は各自の端末にも送信されています。それでは、あなたたちの八日間に期待しています」
波が静かに寄せ、太陽がさらに照りつける。
こうして──零凰学園、夏合宿の幕が上がった。
♢
「翔太郎は、どうしますか?」
朝の陽射しが白砂を照らし、波打ち際で跳ね返る光が、玲奈の髪をやわらかく縁取っていた。
彼女は肩越しに翔太郎へと問いかけ、まるで“答えはもう決まっている”と言わんばかりの笑みを浮かべている。
「そうだなぁ……出来ればチーム戦とかは早めに消化しておきたいかもな。最後の方になって変な奴と組むことになっても嫌だし」
「確かに、それもそうですね。ならビーチバレーか、レスキューをやる感じですか?」
「まぁな。玲奈はどうする?」
「私は、翔太郎について行きますよ」
その言葉は、あまりにも自然だった。
玲奈は当然のように翔太郎の隣に並び、砂の上を歩調を合わせて進む。
ほんの数センチの距離。だが、翔太郎にはそれが妙に近く感じられた。
「あ、普通についてくるのね」
「え? だってパートナーですし」
玲奈は首を傾げ、涼しい顔でそう答える。
まるで「呼吸をするように隣にいるのが当然」と言っているかのようだった。
──側から見れば、それは忠実な番犬のような距離感。
翔太郎が一歩進めば、玲奈も一歩進む。止まれば止まり、振り向けば必ず目が合う。
「当然、チームは私と組みますよね?」
「そりゃ、玲奈がいてくれたら百人力よ。お願いしても良いのか?」
「はい、任せてください。私は翔太郎のパートナーですから」
「そんじゃ、ビーチバレーでも行くか? 身体能力を使うタイプなら、俺らの得意分野でもあるし」
「そうですね。周りなんて軽く蹴散らしてあげましょう」
玲奈はそう言って、わずかに翔太郎の肩に体を寄せる。
潮風が吹くたび、玲奈の髪が翔太郎の頬を掠めた。
それだけで心拍数が上がるのを、彼は隠すように小さく咳払いする。
──だが、そんな二人の様子を見て、周囲の空気がざわつき始めていた。
「……また組むのか、あの二人」
「十傑の氷嶺さんと組んで、鳴神くんだけいつも安全圏ってやつ?」
「推薦生のくせに、結局は強い奴の庇護下じゃん」
「氷嶺さんも優しすぎるよ。あれじゃ“守ってる”ってより“甘やかしてる”だろ」
風に混じって届く、陰口とも愚痴ともつかない声。
誰が言っているのかは分からない。だが確かに、玲奈と翔太郎の耳には届いていた。
翔太郎はふっと顔をしかめ、ため息を漏らす。
(……やっぱり、こうなるか)
推薦生の肩書き。十傑との関係。
それらが重なって、周囲の反感を買っていることくらい、翔太郎にも分かっていた。
自分はただ、玲奈と自然に動けるから組んでいるだけだというのに。
(俺たちが良くても、他が納得しない、か)
そんな中、玲奈はまったく気にしていない様子で、微笑みを浮かべ続けていた。
周りの声が届いていないのか、それとも──無視しているのか。
「……玲奈、やっぱりチーム戦は別にしないか?」
「別にする? バレーではなくレスキューの方ってことですか?」
「いや、そうじゃなくて……その、チームは一回俺らで組むのは辞めないかって話なんだけど」
「──何故ですか?」
その瞬間、玲奈の声の温度がすっと下がった。
笑顔が消え、波の音さえ一瞬止まったように感じる。
翔太郎は無意識に喉を鳴らした。
「周りの視線が気になる。やっぱり、俺と玲奈が組んで動くことに納得しない奴は多いって」
「そんなの、気にしなければ良いじゃないですか」
玲奈の言葉は、やわらかいのにどこか怖い。
目は笑っていないのに、口元だけが綺麗に笑っていた。
「翔太郎は現段階では十傑ではありませんし、私と組んでもルール違反にはなりませんよ?」
「それはそうなんだけど……ほら、前のパートナー試験でも俺たちって一回組んでるじゃん? だから今回もとなると、さすがに不公平っていうか」
「不公平? いいえ、それは違います」
玲奈は一歩、翔太郎に近づく。
足跡が、波にさらわれて消えるたびに、翔太郎の後退が浮き彫りになる。
「5月の試験で一度組んでいる息のあったパートナーとチーム戦に臨むことは、理に適った行為です。少なからず、チーム戦の話が出た際に各々パートナーの顔を見たはずですから」
それは正論だった。
合宿のチーム戦の課題は、まず最初に自分が一学期に組んでいるパートナーが候補に入るのは当然である。
しかし、それはパートナーが一般生徒の時に限る。
相方が十傑のメンバーであれば、彼らと組んでいる生徒がずるいと思われるのは、ある意味当然のこと。
パートナーで臨む試験ではなく、チームメンバーを自由に編成できる試験においては、さらに不公平さが出るだろう。
「私は誰よりも、翔太郎と一緒の方が安心して課題に臨む事が出来ます」
「まぁ、そうかもしれないけど……」
「翔太郎は違うんですか?」
「──ちょっ」
翔太郎は思わず息を詰めた。
玲奈が近い。
思わず唇同士が触れそうな程、距離が近すぎる。
玲奈の声が耳元で響き、思考がまとまらない。
周りの目も気になるところなので、彼女の肩を抑えて、わずかに距離を離した。
「玲奈だって、ほら、俺とばっかじゃなくてさ。クラスの女子とかと組んでみるのもアリかもしれないじゃん?」
「いえ、彼女たちは彼女たちでしっかりとしたチームを組むでしょう。私には翔太郎一人いれば、それで十分ですよ」
「……」
「それに──」
玲奈の声が低く沈む。
「私が彼女たちと組んだとして、翔太郎は誰とチーム戦に出るつもりなんですか?」
玲奈の問いに、翔太郎は一瞬言葉を失った。
海風が頬を撫でるたび、心の中まで見透かされているような感覚がする。
確かに、最善の相手は玲奈だ。
息も合うし、信頼できる。
何より、もう何度も一緒に戦ってきた。
周りの視線さえ気にしなければ、彼女と組むのが一番だと分かっている。
(玲奈と組まなかった場合か……)
そもそも転入生で、親しい知り合いの少ない翔太郎にとってはチームメンバーを探すことすら難しい。
(玲奈がダメとなると……アリシアか。アリシアなら一回四季条の時に連携したし、信頼できる。それに昨日のバスから話せてないし、これを機にってのも……)
他にも、心音も頼りになるし、昨日親しくなった涼介にもお願いしたら受け入れてくれるかもしれない。
影山は100%不可能だとは思うが。
ただ、翔太郎と近しい人間が、偶然にもみんな十傑メンバーである。
十傑ではない生徒の知り合いなんて、それこそ実力が不明瞭な御手洗やリルカ、水橋ぐらいだし、雪村や高城に至っては一方的に敵視されている。
となると、やはり玲奈以外で考えると、実力的にも、関係値的にも────。
「そうだな。やっぱりアリシアかな」
軽く、何の含みもなく、ぽろりと出た言葉。
だが次の瞬間、空気が音を立てて変わった。
「……私ではなく、アリシアと組みたいんですか?」
潮風が止まり、蝉の声が遠のく。
足元の砂が微かに凍り付くような音を立てた。
気温そのものが数度下がったかのような、圧倒的な冷気が辺りを包み込む。
「──そうですか」
玲奈の声は、まるで刃物のように静かだった。
その一言に、翔太郎の喉がひくりと鳴る。
「れ、玲奈……?」
玲奈は俯いたまま、息を吸い、そして顔を上げた。
微笑んでいるのに、目が笑っていない。
その瞳の奥で、氷のような光が静かに瞬いていた。
「そういうことだったんですね、翔太郎」
「え……?」
「私とではなく、最初からアリシアと組みたかったから……チームを組むのを辞めようなんて言い出したんですね」
足元の砂が、玲奈の足跡を中心にパキパキと音を立てて凍りついていく。
それは自然現象ではなく、玲奈自身の感情が周囲の温度を支配しているのが一目で分かるほどだった。
「れ、玲奈……一回、落ち着けって。違う、そういう意味じゃ──」
「じゃあ、どういう意味なんですか?」
声は静かだった。
だがその静けさが、氷よりも今は冷たく感じる。
翔太郎は、思わず喉がひゅっと鳴る。
「単純に玲奈と組まなかったら、次に誰が候補に上がるかって話で……たまたま、アリシアが浮かんだだけで、別に──」
「別に、何ですか?」
「別に“玲奈が嫌”ってわけじゃない! むしろ、一番頼りにしてるのは玲奈だし……!」
「じゃあ、どうしてそんな話をする必要があるんですか?」
玲奈が一歩近づく。
そのたびに、砂浜に白い霜が走った。
「だ、だから……周りの目があるし、ほら、俺ばっかり玲奈と組み続けてるのは、他の連中から見たら不公平っていうか……」
「不公平ですか。先ほども言いましたが、そんなもの、翔太郎が気にする必要ありません。そもそも、私は翔太郎だけのパートナーなんですから」
「いや、でも──」
「翔太郎と私が組む。それがこの課題における一番の正解なんです。違いますか?」
彼女の瞳が、真っ直ぐに翔太郎を射抜く。
凍りつくような視線なのに、どこか熱がある。
今まで見たことないような玲奈の姿に、翔太郎は思わず気圧され、言葉を失った。
「そ、そう……だな……玲奈が一番……頼もしいよ」
「でしょう? だったら、もう迷う理由なんてありません」
周囲では、見ていた生徒たちがざわつき始めていた。
そのざわめきが、寒気のせいで次第に震え声へと変わっていく。
「な、なんだよコレ……! 空気が……!」
「寒っ、冗談でしょ? 今、7月なんだけど……!」
誰も近付けない。
玲奈の周囲は、まるで氷のドームのように閉ざされていた。
(能力の暴発……。玲奈、気付いてないのか?)
翔太郎の背筋に、冷たい汗がつうっと伝う。
それでも彼は一歩引けなかった。
引いた瞬間、何かとんでもないことになりそうな気がしたからだ。
「なあ……落ち着けって。別に玲奈よりもアリシアと組みたいとか、そんな風に思って言ったんじゃ──」
「でも、アリシアの名前を出したのは翔太郎ですよね?」
「っ……!」
「私のことをパートナーとして見てるなら、私以外の名前を簡単に出せるはずがありません」
玲奈の声は静かで、淡々としているのに、背筋を刺すような冷たさがあった。
彼女の瞳は凍てついているのに、奥底では何かが激しく燃えている。
(怒ってるとか、そういう次元じゃない……?)
玲奈の表情は変わらない。
けれど、その目は痛いほどに揺れていた。
怒りとも悲しみとも違う、どこか焦燥と恐怖のようなモノが滲んでいるような気がした。
「私は、翔太郎の隣で戦うためにここにいるんです。翔太郎が誰と組むかなんて、もう決まってるはずでしょう?」
「玲奈……」
翔太郎が言葉を探す間に、玲奈は一歩踏み出し──そのまま彼の腕を掴んだ。
「もういいです。早く行きましょう」
「え、ちょ、玲奈──!?」
冷たい指が、まるで氷の鎖のように翔太郎の腕に絡みつく。
逃れようとすれば、肌が切れそうなほど強い力だった。
「あの、玲奈さん痛いって! そんな引っ張らなくても、ちゃんと着いていくから!」
「大丈夫ですよ。こうしていれば、私にも翔太郎にも、誰も声をかけられませんから」
「そんな理由で引っ張らなくても、別に逃げないって」
「翔太郎が逃げない保証なんて、ありません」
玲奈は、微笑みすら浮かべずに歩き出した。
そのまま翔太郎の腕を引き、ビーチバレーの更衣室へと向かう。
掴んだ手は一度も緩まない。まるで「繋がっていないと壊れてしまう」とでも言うように。
周囲の生徒たちは誰一人近づけなかった。
二人の進む道だけ、砂が白く凍りつき、足跡が氷の彫刻のように残っていく。
「玲奈、さっきからなんか変だぞ? 急にどうしたんだよ?」
「別に普通ですよ。いつも通りの私です。むしろ、パートナーの私と組める状況を投げ出して、他と組もうとする翔太郎の方が変です」
玲奈は振り返らず、静かに言った。
彼女に掴まれた腕が、痛いほどに冷たい。
だが、その冷たさの奥にあるのは──凍てつくほどの熱。
翔太郎は言葉を失い、ただその背中に引かれていくしかなかった。
──彼女の表情の奥に潜む何かが、少しずつ歪み始めていることにも気づかぬまま。
♢
サンドビーチ・バレーは、まさに圧倒的だった。
玲奈の動きには、普段の冷静さの奥に燃えるようなキレと素早さが混じっていた。
彼女はまるで砂浜を滑る氷のように軽やかに動き、跳躍の度に風圧が砂を舞い上げる。
その腕が振り抜かれるたび、異能耐性ボールが閃光のように相手コートへ叩きつけられた。
「玲奈、今の相手に当たってたらヤバかったぞ」
「相手に怪我させるようなヘマはしません。実際、反応出来ないほどの速度にしたつもりでしたから」
「いや、そうかもしれないけど……今のは俺でも、速すぎて見えなかったんだけど」
翔太郎の苦笑まじりの声にも、玲奈は振り返らない。
その瞳はただ、勝利だけを見据えていた。
──いや、正確には。
勝利の先に立つ、翔太郎の顔だけを。
サンドビーチ・バレーのルールは単純だ。
最大100点。
ランダムで選ばれる対戦相手に勝つたび、20点。
5連勝すれば満点となるが、それを達成する者は滅多にいない。
炎天下、砂の抵抗、そして異能のぶつかり合い。
体力も集中力も限界を超えて試される。
だが、玲奈は違った。
5試合目に入っても、その呼吸は乱れず、額に一筋の汗も見せない。
彼女の放つスパイクは、もはや弾丸と見紛う速さで砂浜を裂いた。
「おい、第十席がやべーぞ」
「やっぱり十傑とはランダムでも当たりたくないな」
観客席の生徒たちがどよめき、他チームの視線が次々と彼女へ集まる。
だがその歓声も、玲奈には届いていなかった。
彼女の胸の中を支配しているのは、ただ一つの想い。
──彼に、役に立つ自分の姿を見てほしい。
自分が誰よりもあなたの隣に相応しいって、改めて感じてほしい。
無意識にそんな言葉が心の奥で形を成す。
翔太郎と組んで、彼を支えること。
それだけが彼女のやりたい事であり、居場所であり、存在理由だった。
トスを上げる翔太郎の姿が見えるたび、玲奈の動きが一段と鋭くなる。
ボールを受け、飛び、叩く。
その一連の動作の全てが、彼へ向けた祈りのようだった。
「玲奈っ、無理すんな! 次で終わりだ、落ち着いて決めよう!」
「……大丈夫です。翔太郎が上げてくれたトスなら、絶対に落としません」
玲奈の声には、確信と──わずかな熱が混じっていた。
その瞬間、空気が震えた。
彼女が宙を舞い、炸裂音のようなスパイクが放たれる。
ボールが地面に突き刺さると同時に、スコアボードが閃光を放ち、満点表示が浮かび上がった。
砂浜に歓声が響く。
玲奈が最後のスパイクを決めた瞬間、観客席からは拍手とどよめきが沸き起こった。
「すげぇぇぇぇぇぇ!!!」
「なんだ、今の!? プロみたいだったぞ!」
教師陣も思わず立ち上がり、運営スタッフが慌ただしくスコアを確認する。
彼女は零凰学園でも数少ない“全試合クリーンシートでの満点クリア”を成し遂げたのだ。
先ほどまで相手の心配をしていた翔太郎も、玲奈の超絶技巧に、まるでプロスポーツを始めて生で見た子供のように、興奮気味にはしゃいだ。
「玲奈、今の凄すぎるって! 最後のスパイク、めっちゃカッコよかった!」
玲奈はそんな彼の声を聞くと、ゆっくりと顔を上げた。
砂まみれの頬に、うっすら笑みが浮かぶ。
けれど、その笑顔は勝利の興奮ではなかった。
静かで、穏やかで──そして、どこか“安堵”のようなものを滲ませていた。
「……良かったです。これで、翔太郎に見てもらえましたから」
「え?」
一瞬、翔太郎は返す言葉を失った。
玲奈は少しだけ首を傾げて、いつもの落ち着いた声で続ける。
「私がここまで頑張れたのは、翔太郎と組めたからですよ」
「俺と? いや、俺、この競技だとトスしかしてないんだけど……」
「はい。翔太郎は私の欲しい空間にボールを供給してくれました。私のことをよく分かってる正確なトスじゃないと、あのスパイクは打てませんでした」
玲奈はそう言って、ゆっくりと砂浜を歩く。
足跡が白く光を反射し、彼女が立ち止まるたびに周囲のざわめきが自然と静まっていった。
そして、彼女は翔太郎の目の前で立ち止まった。
近い。
本当に、あと少し動けば肩が触れそうなほどに。
玲奈の濡れた髪から滴る綺麗な汗が、翔太郎の首筋に落ちてひやりとした感触を残した。
(……なんか、すごい近い)
息を詰めた翔太郎の周囲から、波音よりも鋭い人々の視線が突き刺さる。
女子生徒たちの黄色い悲鳴と男子生徒たちの嫉妬と殺気混じりの囁きが、遠くからざわざわと響く。
だが、玲奈には何ひとつ届いていなかった。
彼女の視線は、真っ直ぐに自分の活躍を見てくれたか確認するように翔太郎だけを捉えている。
その瞳は、まるで氷の結晶のように澄みきっていて、そこに他の誰かが映り込む余地は、微塵もなかった。
「翔太郎が見てくれてたと思うと、身体が勝手に動いて……。だから、もし次も誰かと組む競技になっても、翔太郎とやりたいです」
「……そ、そっか。俺の方こそ、玲奈に頼みたいぐらいだよ」
「ふふ、次もお願いしますね?」
翔太郎はやや言葉に詰まる。
彼女の表情は穏やかだが、瞳だけが異様に澄んでいた。あの戦いの最中に見せた闘志とも、喜びとも違う、静かすぎる熱。
「けど、あんまり無理はすんなよ? まだ課題一つ目なのに、ちょっと飛ばしすぎだ」
「平気です。翔太郎が同じチームなら、どこまでも戦えますから」
玲奈はそう言って、ふっと微笑んだ。
それは柔らかい笑みのはずなのに──翔太郎はなぜか、その笑顔に微かな違和感を覚えた。
彼女が握るタオルの端が、無意識に強く握りしめられていることに、誰も気づかないまま。




