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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第三章 『白薔薇のレクイエム』
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第三章11 『湯船の後には』

「ふひひ……今日だけで、これだけのネタが揃った! やっぱり鳴神くんを張っていたのは大正解だった……!」


 自販機の光に照らされながら、スマホを握りしめてニヤけている少年が一人。

 零凰学園F組、新聞部所属の御手洗圭介(みたらいけいすけ)

 自称“零凰学園のスクープハンター”。


 彼はいま、メモアプリを高速で打ちながら、今日一日の出来事を整理していた。


「まずは一つ目は、鳴神翔太郎とアリシア・オールバーナーとの交際疑惑!」


 目を輝かせ、まるで事件現場の刑事のように指を立てる。


「……どうやら今日のバス移動、鳴神くんの隣に座っていたのは氷嶺玲奈ではなく、アリシア・オールバーナーの方だったらしい! しかも渋滞中、彼女は寝落ちして鳴神くんの肩に……! もたれかかっていたぁぁぁ!!」


 思わず声を張り上げる。

 幸いこの時間、廊下には誰もいない。


「やはり! あの図書室で見せたアリシアさんのあの微妙な赤面……あれは恋のサインだったんだ……! 僕の目に狂いはなかったっ!」


「おい」


「つまりこれは、“鳴神翔太郎、本命は氷嶺玲奈ではなくアリシア・オールバーナー説”……ッ! 特ダネ確定ぃぃぃ!!」


「……おい御手洗」


 今の御手洗は誰の声も耳に入っていない。

 完全に記事の制作モードに突入している。


「そして次っ! 部屋割り情報だ! どうやら今回の部屋割りはパートナー試験の順位に基づいて決められている! 鳴神翔太郎と影山龍樹、まさかの同室ッ! ライバル同士の同居生活──これだけで三日は記事が書けるぅ!!」


「おーい、御手洗くーん?」


 欲を言えば、その現場に自分も居たいぐらいだ。

 彼らの起こす修羅場を一分一秒たりとも見逃したくはなかった。


「さらに! 今日一番のビッグイベント! 現状二年男子の三強 VS 高城流星率いるE組!」


 メモを打つ手が止まらない。


「どうやら高城が、鳴神くんたち三人に正面から喧嘩を売ったらしい! 現場はまさに一触即発の修羅場……! くそっ、夕飯食べ過ぎでトイレに行っていなければリアタイで見れたのにぃぃ!!」


「御手洗、話聞けよ……」


「明日からの合宿は、さらに過激な展開になりそうだぁ! しかも! 高城流星が景品に氷嶺玲奈を希望していたって噂もある!! ふひひっ、鳴神翔太郎を中心に、零凰学園のスクープは今、最高潮ぉぉぉぉぉ!!」


「御手洗!」


「うわぁ!? びっくりしたぁ!!」


 ようやく現実に引き戻された御手洗は、椅子から飛び上がる。

 突然現れた翔太郎を見て、全身で飛び退いた。


「な、鳴神くん!? な、なんでここにっ……!」


「いや、さっきから三回ぐらい呼んでたんだけど……」


「あっ、そうでした!? いやぁ、その……取材中っていうか、今頭の中で見出し考えてて“パートナー試験一位の男、愛と戦火の真相”とかどうです!? バズる気しかしない!!」


「誰も読まないって、そんな記事」


「はぁ!?」


 翔太郎は額を押さえながら、また面倒ごと増えそうだなと心底うんざりした顔を見せるのだった。


「で、話があるんだけど」


「はい、なんでしょうか? 今の僕はすこぶる機嫌が良いので、なんでも答えちゃいますよー!」


「俺とアリシアの噂を広めた奴ってお前か?」


「はい! そうですよ! 僕がF組の皆さんを使って広め──痛でででででででで!!!」


 即答と無反省である。


 その見事なまでの開き直りに翔太郎は反射的に御手洗の頭をわしづかみにして、容赦なくグリグリと押し込んだ。


「お前さ、前に玲奈にそういうの辞めろって言われなかったか? 全く反省してないな」


「ち、違うんですっ! 今回は僕が勝手にやったんじゃなくて……た、頼まれてやったというかぁ!」


「はぁ? 頼まれた? 誰に?」


「えっと、そればっかりは勘弁してほしいというか……」


 翔太郎は眉を吊り上げた。


「さっき“なんでも答える”って言ってたよな? てか、なんでそいつの言うことは聞けて、俺の言うことは聞けないんだ?」


「い、いやぁ……! 僕も聞きたくて聞いたわけじゃないんですよ! ただ、その……“やってくれたら次のランキング更新で手を貸す”って言われて……!」


「なるほどな」


 翔太郎はゆっくりと手を離すと、少し低い声で呟いた。


 結論が出た。

 御手洗は自分の昇格のために、他人のプライベートを平気で流すクズである。

 だが、そのクズにも使い道があると気付いた悪意ある誰かによって、謂れのない噂が広まっている。


「で? 誰なんだ」


「えっと……それはちょっと……」


「言わないんだったら、明日の合宿からお前のこと徹底的に妨害するけど良い?」


「ひ、ひぇぇっ!?」


 翔太郎の目は笑っていない。

 御手洗はまるで悪魔でも見たような顔で震えあがる。


「玲奈と組んだとは言え、仮にもパートナー試験1位の能力者を敵に回したら、普通にまずいんじゃないっすかねぇ」


「そ、そんな脅し方ありですかぁぁ……!」


 思わず写真を撮りたくなるような絶望顔である。

 まさか翔太郎から脅しかけられるとは思っていなかったのか、顔が青ざめている。


「今言えば、アリシアの件を許すかどうか考えてやる」


「雪村さん! A組の雪村真(ゆきむらまこと)さんですぅ!」


「いや、言うの早すぎるって」


 本当に自分のことしか考えていない男である。

 翔太郎は、もはや呆れて笑うしか無かった。


「雪村か……それは確かな情報なんだろうな?」


「は、はいっ。さすがに鳴神くんを敵に回してランキング上げれるなんて思ってないですよぉ」


「あいつ、また懲りずに……。ちなみにそれって録音とかしてあるのか?」


「あー、録音しようと思ったらボイスレコーダーを凍らされてしまいまして……」


「お前、バカか? 録音してないなら、ランキング上げを手伝うなんて口約束に決まってんだろ」


「はぅあっ!?」


 本当に気付いていなかったのか、御手洗が目をカッと見開いてその場で崩れ落ちた。


「にしても雪村か。なんであいつがそんな事……まだ俺のこと恨んでんのかな」


 雪村が休学になった最大の原因は翔太郎にある。

 とはいえ、その仕返しとしては地味で陰湿だ。

 今まで正面から直接嫌味を言ってきた雪村の行動とは思えなかった。


 直接注意すべきか迷うが、あくまで今御手洗が自己申告しただけで、決定的な証拠はない。

 ボイスレコーダーは凍らされたみたいだし。


「まぁ良いや。とにかくお前の口から、アリシアの件はデマだってみんなに伝えてくれよな」


「む、無理ですよっ! もう正直学年中に広まってしまってますし!」


「そんなのどうでもいいから、やれよ」


「な、鳴神くんが鬼に見える……!」


「この程度で許されるとか、むしろ神対応の間違いだろ。あと、お前が今スクープだなんだって言ってたそのメモも全部消せよな」


「それだけは! お願いしますぅっ! 僕がせっかく今日一日集めて回った情報なんです!」


「御手洗は何しに合宿に来たんだ……?」


 本来であれば、バカンス兼異能課題をこなすイベントのはずである。

 そんな中、一人でせっせと噂を集めて広めるなんて悪趣味な真似をしてる人間は御手洗以外存在しない。


「ていうか、何度も言うけど、この程度で済んでるうちに感謝しろよ。あと、そのスクープメモも全部消せ」


「そ、それだけはぁぁ! 今日一日集めた貴重な情報なんですぅぅ!!」


「いいから消せ。データ復元できないように、完全削除でな」


「ぐぁぁぁぁ! 僕の努力の結晶がぁぁぁぁぁ!」


 翔太郎はスマホを取り上げ、指を動かす。

 御手洗が涙目で見守る中、ピッと削除完了の音。


「はい終了。これで少しは静かになるだろ」


「鳴神くん、鬼です……! 地獄の編集長ですぅっ!」


 翔太郎は肩をすくめ、冷ややかに言った。


「鬼でもいいけど、二度と俺と俺の周りの奴の名前使ってネタにすんなよな。……あと、詫び代わりにひとつ教えて欲しいんだけど」


「ひっ……な、なんでしょう……」


「2年E組の高城流星(たかしろりゅうせい)のこと。あいつ、なんでE組であんなに幅利かせてるんだ?」


 御手洗の顔色が変わる。

 恐怖と好奇心の間で揺れる表情。


「ぼ、僕が高城くんのこと話したってバレたら、僕が殺されちゃいますよぉ……」


「お前と違って俺は口が固い自信があるんだ。絶対高城本人には言わないから安心しろ」


「で、でも……」


「新聞ってのは、読み手の“知りたいこと”を正確に伝えるもんだろ?もしそれができないなら、お前の書いてる記事は“自分が書きたいだけの記事”だぞ」


「あ……」


「みんなの知りたいことを、知りたいだけ分かりやすく正確に伝える。それがマスメディアのあるべき姿だろ?」


 叱責に近い翔太郎の言葉に、御手洗はぐっと黙り込む。

 言われてみれば確かにそうだ。

 今まで自分がやっていたのは、他人の粗探しやゴシップまがいの記事ばかり。


 それでは、芸能人のスキャンダルを追いかけるだけの週刊誌と何も変わらないのではないか。


 御手洗は一瞬迷った末、スマホを取り戻し、観念したように小さく息を吐いた。


「……分かりました。高城くんについて話します」


 そして、静かなホテルの廊下に彼の声が落ち着いた調子で響いた。


「ご存知の通り、高城流星くんは2年E組のリーダー的存在です。学園ランキングは15位。2年生の十傑五人に続いて学年六番目の順位ですね」


「つまり、高城って玲奈の次に位置してるってことか?」


「そうです。上から影山くん、白椿さん、風祭くん、アリシアさん、氷嶺さん──この五人が2年生の十傑。そのすぐ下にいるのが、高城くんです」


「単純に、クラスで一番強いからE組を仕切ってるってわけか」


「まさにそうですね。E組自体が“問題児の隔離クラス”なんじゃないかと噂されてますから。1年生の頃、高城くんと関わりが深かった生徒は、ほとんど全員E組に集められてるんです」


 翔太郎は腕を組んで考え込んだ。

 つまり、E組は高城を中心にした“隔離された小集団”ということだ。


「でもさ、十傑じゃないんだろ? 俺も体感的には影山とか涼介の方が、どう見ても格上に思えるけど」


「それがですね、甘いですよ、鳴神くん。1年の頃、男子の“学年三強”は影山くん・風祭くん・高城くんの三人だったんです。女子で言えば氷嶺さん・白椿さん・アリシアさんの三強。女子の構図は今でもほぼ変わってません」


「……ってことは、高城も単純な実力だけなら1年の頃は影山や涼介と並んでたわけか」


「そうなんです。彼は十傑入りしてませんが、戦闘能力だけ見れば完全に同格。ただ──」


 御手洗はそこで苦笑した。


「筆記試験が壊滅的にダメなんですよ。順位で言えば、下から数えた方が早いくらいです。それに素行も最悪で、外部の学校の生徒と喧嘩して停学寸前なんてのもザラ。そのせいで、総合評価がガタ落ちしてるんです」


「なるほどな。でも影山だって素行悪いし、授業サボるし、似たようなもんじゃないのか?」


「影山くんの場合は、去年の“聖夜の魂喰い事件”の最大の功労者です。海道杏子を撃破したのは彼で、その功績がランキングに大きく影響してるんですよ。しかも勉強も普通にできるタイプですし」


「つまり──」


 翔太郎は軽く息をつき、少しだけ笑みを浮かべながら言葉を続けた。

 影山と高城、その二人の決定的な違いを整理するように。


「影山は“素行が悪くても、頭が良くて、実績もある”。高城は“素行が悪くて、頭も悪いけど、実力だけは本物”。──そういうことだろ?」


「お見事です。外でのトラブルも、学力の低さも、ランキングでは大きなマイナス評価ですからね」


「それでも15位に入ってるってことは……」


「彼は“戦闘力だけ”でその順位を維持してる証拠です。十傑に匹敵する実力がなければ、到底そこまでは行けませんよ」


 翔太郎は腕を組みながら、ふっと肩の力を抜いたように笑った。


「なるほどな。強さだけでその順位なら、あの問題児だらけのE組を仕切ってるのも納得だ。喧嘩の腕だけは確かってわけか」


「……そんな彼に真正面から処刑宣言をされた鳴神くんですが、今のお気持ちは?」


「逆になんかワクワクしてきたな」


 翔太郎は口角をわずかに上げる。


「要するに、ステータスが戦闘力に全振りってことだろ? 十傑以外で骨のある奴がいるなら、正直楽しみだよ」


「……鳴神くん、あの高城くんに狙われてるのにそんなテンションでいられる人、この学年には君ぐらいしかいませんよ?」


 御手洗は苦笑しながらスマホを操作し、何かメモを打ち込んでいるようだった。

 彼のそういう軽さが、翔太郎から見れば少し呑気にも思える。


「一応、彼の能力も教えておきましょうか?」


「いや、いいよ」


 翔太郎はあっさりと断った。


「戦う前にこっちが情報仕入れるのって、なんかフェアじゃない気がする」


「でも向こうは、あなたが雷使いってことくらいは知ってると思いますけど?」


「それはそれ。これはこれだ」


 あっけらかんと答える翔太郎に、御手洗は呆れたように笑うしかなかった。


 彼はいつも肝が据わっている。

 あの影山龍樹と正面からぶつかっている男だ。

 今更と言えば今更だが、時に無謀さと紙一重であることは、彼自身よく分かっているのだろうか。


 話が一段落したのを見て、御手洗はそそくさとスマホをポケットにしまい、廊下の端へ歩き出した。


「じゃ、それじゃあ僕はこれで――」


「待て」


 その低い声に、御手洗の足が止まる。

 翔太郎は腕を組んだまま、少しだけ鋭い視線を向けた。


「アリシアの噂、ちゃんと鎮火させろよ。雪村から頼まれたってのは知らないけど、お前が流した噂が発端だろ? もう二度とこういう真似すんな」


「そ、それは……えーと……確約はちょっと……」


 御手洗は頭をぽりぽりとかきながら、へらへらと笑った。

 翔太郎の視線がわずかに鋭くなる。


「やれ」


 一言。

 それだけで、御手洗の顔から血の気が引いた。


「は、はいぃぃ! 今すぐにぃぃ!!」


 全速力で廊下を駆け抜け、逃げるように曲がり角の向こうへと消えていった。

 その背中を見送りながら、翔太郎は小さくため息をついた。


「……本当、最近は特に面倒くさい奴に絡まれるな」


 呟いたその声は、どこか諦めと苦笑の入り混じった色をしていた。

 御手洗を脅して追い払ったあと、翔太郎はため息をつきながら自販機の前に立っていた。


 デッドガードを買い、プルタブを引いて一口。

 いつもの炭酸が妙に落ち着かせてくれる。


「……疲れた」


 そう呟いた矢先、背後から柔らかい声が届く。


「翔太郎」


 振り向くと、湯上がりの玲奈がそこにいた。


 薄い藍色の浴衣に身を包み、髪は肩の辺りでゆるくまとめられている。

 頬は火照り、ほんのり上気した肌が湯気に溶けるように艶めいて見えた。

 翔太郎は思わず目を瞬かせる。


「あっ、玲奈」


 玲奈が気付いて、小走りに近寄ってくる。

 足取りが軽く、湯上がり特有の石鹸の香りがふわりと漂った。


「翔太郎も、今さっき上がったんですか?」


「いや、俺は三十分ぐらい前にな。さっきまで、ここで御手洗と話してた」


「御手洗くんと……?」


 御手洗の名前が出た瞬間、玲奈の眉がピクリと動く。


「また何か面倒なことに巻き込まれてるんですか」


「まぁ、遠からずだな」


「あの人、何度も注意してるのに懲りずに翔太郎に迷惑かけてるんですね。今度会ったら──」


「あーあー、その辺はもう釘刺しておいたから大丈夫。下手したら明日の朝まで震えてるよ」


 玲奈は少し頬を膨らませたが、翔太郎の軽口に釣られてすぐに口元を緩める。

 翔太郎はデッドガードをもう一口飲み、ふと廊下の向こう側を見上げた。


「ちょっと座る?」


 玲奈は目を瞬かせた。

 普段、翔太郎の方からそう誘ってくることはあまりない。


「……はい。向こうにリラクゼーションルームがありますので、そっちなら」


「アリシアや心音とは一緒じゃないのか?」


「二人はまだ湯船に浸かってます。……待ちますか?」


「いや、玲奈一人なら丁度いいや。行こう」


「──はい」


 少しだけ嬉しそうに彼女の顔が緩んだ。


 廊下の灯りに照らされた玲奈の浴衣姿は、普段の制服姿よりもずっと柔らかく、どこか大人びて見える。

 翔太郎は意識しないようにしていたが、視界の端でその横顔を何度も捉えてしまう。


(涼介に言われたからか、なんかちょっと顔見ずらい……)




 ♢




 リラクゼーションルームに入ると、他に人はおらず、静かなBGMとアロマの香りが漂っていた。

 二人は並んでソファに腰を下ろす。


「なんだか、翔太郎が改まって場所変えて話すなんて珍しいですね」


 玲奈が少しだけ照れたように言う。

 翔太郎はジュースをテーブルに置いて、苦笑した。


「いや、なんか今日、玲奈とあんまり話してないなって思ってさ」


 言葉にすると、それは何でもない雑談である。

 玲奈は、持っていたペットボトルを胸の前で軽く揺らしながら小さく笑う。


「仕方ないですよ。いつもと違って、二人で暮らしてるわけじゃないですから」


「いや、その……一応、誰かに聞かれたらまずいから、その辺は静かにしてくれると助かる」


「……そうでしたね、すみません」


 玲奈は慌てて声のトーンを落とし、頬を指先で掻いた。耳までほんのり赤い。


 翔太郎は無意識に視線を逸らす。

 ──なんだろう、風呂上がりの彼女はいつも見てるはずなのに、浴衣姿だと印象がまるで違う。


「どう? 部屋では二人と仲良くやれてる?」


「はい。夕食前まで、三人で遊技場に行ってました。心音ってダーツやビリヤードも凄く上手なんですよ」


「なんか想像つくな。出来ないこと無さそうだもんな、あいつ」


「翔太郎こそ、大丈夫なんですか? 風祭くんはともかく、影山くんと同部屋なんて……」


「それがさ、あいつ意外と静かだぞ? ずっとテレビ見てるかスマホ触ってるかで。思ったより話さないし」


「……」


 玲奈がじとっとした視線を向けてきた。

 湯気のように漂う心配そうな表情が、その目の奥にちらつく。


「なんか信用してない目してるな」


「別にそういうわけじゃないですよ。ただ……私の見てないところで何かあったらと思うと、心配なだけです」


「何かって、何だよ」


「たとえば……また私の知らないところで、翔太郎が思い悩んでたりとか?」


 玲奈は浴衣の袖をいじりながら、穏やかに微笑む。

 翔太郎はその笑顔を見つめながら、また少し苦笑いした。


「心配してくれるのはありがたいけど、俺って別にそういうキャラじゃなくない?」


「そんな事ないですよ。剣崎さんに教えてくれるまで、翔太郎が私を守ってくれる理由まで知らなかった訳ですから」


 一瞬、沈黙。

 互いに目を逸らしたまま、わずかに空気が温くなる。


「話は戻りますが、心音とアリシアと同部屋で、私的には……やはり誰かと並んで寝るのが慣れてる訳ではないので、少し新鮮というか」


 並んで寝るのが新鮮、という言葉に翔太郎は軽く眉を上げた。

 それはつまり、天井がすぐそこにある二段ベッドの上段より、隣に人の気配を感じるホテルのベッドの方が落ち着くということなのか。


「……えっと、もしかして二段ベッドの上段、今まで嫌だったとか?」


「いえ、そんなことはありません。むしろ外部から来た私に、寝床を用意してくれて感謝してます。私が言いたいのは……」


 玲奈は言葉を途中で切り、少しだけ俯いた。

 照明の柔らかな光が、彼女の頬にうっすらとした赤みを落とす。

 そして、ためらうように唇を動かした。


「…………翔太郎が同じ部屋にいないと、落ち着かないというか」


「え?」


「な、何でもないですっ!」


 慌てて、テーブルの上にあった缶ジュースを掴み、ぐいっと口をつける。

 一瞬、彼女の喉が小さく鳴った。

 そして次の瞬間、翔太郎がぽつりと呟く。


「いや、それ俺の飲みかけ……まぁいいや」


 玲奈はわずかに目を丸くした後、気まずそうに咳払いをした。けれどそのまま、何事もなかったように話題を切り替える。

 そのあたりの誤魔化し方が、いかにも玲奈らしい。


「そういえばなんですけど」


「ん?」


「アリシアと翔太郎の噂の件……あれ、何ですか?」


 翔太郎は思わず、肩の力を抜いて苦笑する。


「やっぱり女子の方でも回ってるか」


「はい。特にアリシアは気にしてしまっているのか、部屋にいる時も遊技場で遊んでる時も、どこか上の空の状態が続いています」


 玲奈は静かに、しかし確実に距離を詰めてきた。


 少しむくれた頬、真っ直ぐな瞳。

 可愛いと同時に、どこか危うい。

 翔太郎は思わず目を逸らし、息をつく。


「噂の出所を辿ってみたら、やっぱり今回も御手洗が流してたみたいだ」


「決めました。明日の課題から、私、あの人のことマークしておきますから」


「いやいや、良いって。俺もさっさと鎮火させろって釘を刺しておいたし……それに」


「それに?」


「なんていうか、これ言っていいのか分からんけど、御手洗に噂を流すように頼んだのって雪村らしいんだよな」


「雪村くんが?」


 雪村の名前を聞いた瞬間に、玲奈の顔が明らかに嫌そうに歪んだのが分かった。


「完全に自業自得なのに、まだ翔太郎に恨みを持っているという事でしょうか」


「その割にはやり方が陰湿というか……なんていうか、最初の雪村っぽくないっていうかさ」


 翔太郎が淡々と答える間も、玲奈はずっと彼を見つめていた。

 まるで一言一句を逃すまいとするように。

 そして、ゆっくりと呼吸を整えたあと──。


「私も翔太郎とアリシアの噂は、午後に何度も聞きました。その上で聞かせてもらいます」


「──ちょっ!? 玲奈!?」


 突然、玲奈が身を乗り出してくる。

 浴衣の裾がわずかに動き、柔らかな布の音が鳴った。

 そのまま彼の浴衣の端を指先でつまみ、まるで縋るように軽く握る。


 視線は真っ直ぐ。

 瞳の奥は穏やかさを保ちながらも、微かに揺れていた。


「一応聞いておきますが、そんなのデマですよね?」


「えっと……」


「──そうですよね?」


 掠れるほどの小さな声。

 けれどそこには、答えを求める強い意志があった。

 翔太郎はその真剣な眼差しに押され、ゆっくりと頷く。


「う、うん。そりゃそうだろ。アリシアとはそんな関係じゃないし、玲奈が一番分かってるだろ?」


 玲奈は、しばらく翔太郎の顔を見つめていた。

 やがて、少しだけ力を抜き、浴衣の裾を離す。

 そして何でもないような顔で微笑んだ。


「……そうですよね。分かってます。私が、一番あなたと長い時間を過ごしてますから」


 その言葉はあくまで穏やかで、聞きようによっては冗談めいてもいた。

 けれど翔太郎は、どこか胸の奥にひっかかるような響きを感じた。


 手元の空になった缶を見つめて小さく息を吐く。


「もうそろそろ、心音たちも風呂上がってくるし戻るか。明日も早いし」


 椅子から立ち上がろうとすると、袖口がふっと引かれた。


 柔らかい感触。

 見下ろすと、玲奈が小さな手で彼の浴衣の袖を掴んでいた。


「ま、待ってください。まだ来たばかりですよね?」


 翔太郎は少し驚いたように目を瞬かせた。

 玲奈は慌てて手を離し、指先をいじりながら言葉を探す。


「えっと……その、今ここで話したばかりですけど……もう少しだけ、話しませんか?」


 そう言う彼女の声はいつもより少しだけ小さく、どこか迷いが滲んでいた。

 けれど、その瞳は逃げずにまっすぐこちらを見ている。


 翔太郎は一瞬だけ考えて──結局、穏やかに笑う。


「まぁ、せっかくの旅行だしな。もう少しだけ話すか」


 その言葉に、玲奈の表情がふわっと和らいだ。

 微かに肩の力が抜けて、浴衣の袖がわずかに揺れる。

 彼女はうつむきながら、どこか満ち足りたように微笑んだ。


「……ありがとうございます」


「別にお礼を言うほどのことでもないだろ。どうせ誰も来ないし」


「それでも、嬉しいです」


 玲奈は少しだけ顔を上げて言う。

 目が合った瞬間、翔太郎はなぜか言葉を失った。

 照明の下で揺れる髪先が光を受けて、まるで水面みたいにきらめいて見える。


 玲奈は何も知らず、嬉しそうに椅子の背にもたれ、再び穏やかな口調で話を始める。


 それはなんてことのない会話の続き。

 けれど、互いにそれを終わらせる理由が見つからない。夜の静けさが、二人の間にただ優しく流れていった。

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