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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第三章 『白薔薇のレクイエム』
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第三章6 『夏合宿の始まり』

 7月某日。


 海辺に建つ教会の内部は、外観の簡素さに反して荘厳だった。

 白を基調とした祭壇に、青と金で彩られたステンドグラス。窓から差し込む青い月の光が、床に波紋のような模様を映し出している。


 信者たちは一斉に跪き、静かに両手を組んで祈りを捧げていた。


 その中心に立つのは、黒衣を纏った神父。

 センターパートに整えられた髪が揺れ、首元の十字架が淡い光を反射する。

 神父は手を広げ、まるで海の彼方を見据えるように視線を宙に漂わせた。


「──さぁ、皆さん。今日も共に祈りましょう」


 その声は澄み切っていて、澱みが一切ない。

 低く、力強く、どこか優しい温度を帯びていた。


光海ノ環(こうかいのわ)は、選ばれた者を導く光であり、絶望に沈む世界に差し伸べられた救済の手です。海神は我らを見守っておられる。だからこそ、苦しみも悲しみも……全ては試練。皆さんは決して、一人ではない」


 信者たちの目に涙が浮かび、嗚咽混じりの祈りが広がる。

 彼らにとって、この男の言葉はどんな薬よりも甘美で、どんな灯火よりも確かな救いだった。


 神父はその姿を見下ろし、静かに微笑んだ。


「……よろしい。それでは信じなさい。光のもとに在る限り、あなた方は必ず救われるのです」


 十字架を掲げる仕草は神々しく、誰もがその姿に心を奪われていた。

 しかし、ステンドグラスを背に浮かぶ影は、不気味なまでに濃く長く伸びている。


 ──ただ一人、神父の眼差しだけは違っていた。

 表面の微笑みの裏で、彼の瞳は苦悶する人々を“悦び”として映し出している。

 涙を流し、苦痛に縋りながらも救いを求めるその姿こそが、彼にとって至上の愉悦なのだから。


 祭壇に立つ神父は、誰よりも神聖に見えて、誰よりも邪悪だった。




 ♢





 7月3日・木曜日。快晴。


 朝7時の零凰学園前には、すでに10台以上の大型バスが横付けされていた。

 むせ返るようなガソリンの匂いと低く唸るエンジン音が校門前に響き、学園の敷地はちょっとした空港のような喧騒に包まれている。


 運転手や職員たちが慌ただしくキャリーケースを積み込み、生徒たちは色とりどりの私服姿で友人同士はしゃぎ合っていた。


 ついにやってきたのだ。

 2年生にとって、1学期最後の学校行事──“夏合宿”。


 その舞台となるのは神奈川県の南端、三浦半島。

 一帯は観光地として有名だが、今回の合宿地は学園専用に借り切られた特別エリアだという。

 まるでバカンスの様だが、実際には異能試験も兼ねた『合宿』である。


 生徒たちは大荷物を抱え、バスに向かって駆けていく。


「到着したらどうする? 自由時間多いみたいだし、海行ってみる?」


「やば、私、日焼け止め忘れてきたんだけど〜」


「てか、合間合間で試験やらないといけないんだろ? 中々面倒臭くね」


 そんな声が飛び交い、出発前から遠足気分で盛り上がる一方で、教師や実行委員が列を整えようと大声で注意を飛ばし、夏合宿らしい雑多な空気に包まれていく。


 一方で玲奈と翔太郎も、そんな空気に完全に充てられていた。


「バスはクラス関係なく自由席みたいですね」


「うん、それもあってか結構並んでるな。てかクラスバラバラで座ったら出欠取るのとか面倒じゃない?」


「バスのドア付近にスキャンシートがあるので、電子生徒手帳をタッチすれば、それだけ出欠が取れますよ」


「便利な世の中になったもんだな」


 クラス関係なく好きなバスに乗れるという事で、別クラスで仲の良い生徒同士が固まって同じバスに入っていくという光景が幾つも見られた。


 今回の夏合宿は他クラスとの交流も兼ねているそうなので、普段の学校行事と比べても自由度が高い内容になっている。


「海水浴楽しみだなー。去年はプールは入ったけど、海は行ってなかったし。玲奈も氷嶺家のプライベートプールには行った事あったけど、海は初めてって話だよな?」


「はい。普段ニュースでしか見ない光景でしたので、私も楽しみにしてますよ。ちなみに翔太郎は泳ぐの得意ですか?」


「まぁな。昔は全然だったけど、先生にたっぷり叩き込まれたからな」


「剣崎さんが教えていたのなら大丈夫そうですね」


 翔太郎と玲奈も列の途中に並びながら、他愛のない会話を続けていた。


「十日間も三浦で合宿なんて普通に凄いよな。海も近いし、夏祭りとかもあるらしい」


「ええ。学園の行事とはいえ、異能試験だけでなく、観光も組み込まれているのは珍しいです」


 玲奈はキャリーケースを軽々と片手で転がしながら、ちらりと翔太郎を見上げる。


「……一緒に行けるから、すごく楽しみです」


 玲奈の声が少しだけ柔らかくなったその時、背後から甲高い声が飛んできた。


「あっ、いたいた!」


「玲奈ちゃん!ちょっといい?」


「はい、どうしましたか?」


 キャリーケースを引いたA組の女子二人が、翔太郎との会話に割り込むように駆け寄ってきた。


「今さっきさ、A組の女子のみんなで固まって座らないかって話が出たんだけど、玲奈ちゃんも一緒にどう?」


「そうそう! 普段、氷嶺さんとあんまり話してない子も、この機会に喋りたいって言っててさ!」


 玲奈の瞳がわずかに見開かれる。

 言葉を探しているのか、小さく口を開きかけては閉じ、袖口をぎゅっと指でつまむ。

 バスの座席は翔太郎の隣に座る気でいたので、完全に面を食らってるという形であった。


「あ、えっと……お気持ちは嬉しいのですが、私は翔太郎と──」


「良いんじゃないの? 折角だし、行ってきなよ。玲奈」


「……………いいんですか?」


 翔太郎が柔らかい笑みを浮かべて言葉を差し込むと、玲奈はもっと何か言いたそうに彼を見上げた。


 翔太郎からの了承も出たことで、A組女子の二人がパァッと顔を綻ばせた。


「え、本当に!? ありがと、鳴神くん!」


「助かる〜! 行こ、玲奈ちゃん! もう席は取っといてあるからさ!」


 A組女子二人はパァッと表情を明るくし、翔太郎に手を振る。

 彼女たちの無邪気さに空気がぱっと華やぎ、玲奈は小さく息を吐いた。


「分かりました。お言葉に甘えて、ご一緒させてもらいます」


 微笑みを浮かべながら歩き出す玲奈。

 だが、横顔はどこかぎこちなく、その視線の端で翔太郎の姿を追い続けていた。

 その小さな揺らぎに気づいたのは、彼だけだった。


「あいつ……なんか俺に言いたげだったな」


 胸の奥で呟きながら、翔太郎は軽く後頭部をかいた。


 急に女子たちの中に放り込んでしまったことが、不満だったのかもしれない。


 けれど、翔太郎は信じていた。

 玲奈ならきっと、笑顔で上手くやれる。


 ──最近の玲奈は、確かに変わった。

 四月の頃のように孤独に殻へ閉じこもってはいない。

 笑うことも増え、人間関係もゆっくりと広がりつつある。


 相変わらず、その中心には翔太郎がいるのだが、それでも、彼女が他の誰かと自然に言葉を交わせるようになってきたのは確かなことだった。


「これを機に、玲奈にもいっぱい友達ができるといいな」


 そう願いながら、翔太郎は小さく手を振った。

 その瞬間、玲奈の瞳がふっと揺れ、ほんの僅かに柔らかな光を帯びる。

 けれどすぐに、女子たちの声に導かれるようにバスの方へ歩き去ってしまった。


 翔太郎は一人、後ろの列に並び直す。

 エンジンの低い唸り、キャリーケースの転がる音、そして弾むような生徒たちの声。

 それらが朝の光の中に溶け合い、これから始まる十日間の特別な日々を予感させていた。




 ♢




 バス車内は既に混み合っており、翔太郎が電子生徒手帳をタッチすると彼が車内データに認証された。


『2年A組 鳴神翔太郎 乗車完了』


 バスの後方には、玲奈たちA組女子が固まっているが、他の席には見たことない生徒たちが座っている。

 そして、バスに入った瞬間、乗っていたほぼ全員から視線を向けられた様な気がした。


 推薦生というだけで白い目を向けられることも多いのに、氷嶺玲奈のパートナーであり、さらにパートナー試験1位、そして新十傑候補という噂まで立っている。


 それらが合わさって、今や彼は二年生の中でも良くも悪くも知られた存在だ。


 ──注目は好奇からか、悪意からか。

 その答えを知る由も無いが、無数の視線を浴びながら座席を探すのは気分が悪いものだった。


「……居心地悪いな」


 どこか空いている席は無いかと、くまなく探す。


 ふと後方に目をやると、女子たちに囲まれながらも、玲奈がこちらを見ていた。

 彼女の表情はどこか心配そうで、今にも立ち上がって来そうな気配すら漂っている。


 翔太郎は、無理に笑顔を作りながら軽く手を振って「大丈夫だから」とジェスチャーを送った。


 玲奈は僅かに唇を結び、名残惜しそうに視線を外す。

 それだけで翔太郎の胸が少しだけ温かくなるが、注目の渦の中に置かれている現実は変わらない。


 前方で空席を探そうと歩みを進めた、その時だった。


「……翔太郎」


 不意に右手を掴まれ、心臓が跳ねる。

 驚いて振り向くと、そこにはアリシアが静かに座っていた。


「アリシア?」


「席を探しているなら、私の隣に座れば良い」


 そう言いながら、彼女の小さな手が座席をポンポンと叩いて、翔太郎に座るように促した。


「え、良いのか?」


 思わず聞き返すと、静かに頷かれた。


「どうせ誰も座ろうとしないから、大丈夫」


「なんか微妙に切ない回答だな……」


 アリシアは十傑第九席という肩書きを持ちながら、推薦生の一人でもある。

 普段から、心音以外の生徒とは、まともに人付き合いをしていない。


 その為、自分からアリシアの隣に座ろうと考える生徒は誰一人おらず、彼女の周囲だけぽっかりと空席が出来ていた。


「それじゃ、折角だし隣に座らせてもらいますかね」


「……うん」


 短い返事に、僅かな安堵が滲んだ気がした。

 翔太郎はリュックを上の棚に置き、アリシアの隣に腰を下ろした。


「あれ、そう言えば心音とは一緒じゃないのか?」


「心音は別のバスに乗ってる。私と違って人気者だから、他の女子たちとの人付き合いも大切」


「なるほど。心音も大変だな」


「大変だと思うけど、心音はいつも楽しそう。私にはできない事だから羨ましい」


「そんな事ないでしょ。俺もこうしてアリシアに誘ってもらえて助かってるし」


「……」


 アリシアがこちらを向いたまま固まっている。


 彼女の長い睫毛の下で青い瞳がわずかに揺れ、声を出すのをためらっている気配があった。


「迷惑に、思ってない?」


「え、なんで?」


「だって私が無理矢理、翔太郎を隣に座らせたようなものだし……本当は別の席の方が良かったんじゃないかって」


 小さく吐き出されたその言葉は、十傑としての威圧感とは正反対の、弱気で脆い響きを帯びていた。


 他の誰かに見せれば意外だと思われるに違いないが、あの雨の中の姿を知っている翔太郎には、アリシアらしいと思えてしまう。


「そんな事ないって」


「……」


「俺だって、アリシアで良かったよ。知らない奴に変な目で見られるよりは、知ってる友達が隣に座ってくれる方が全然良いし」


 はっきりと友達と口にすると、アリシアは一瞬だけ目を見開いた。

 その表情には、安堵と照れ、そしてまだ半信半疑の影が同居していた。


「翔太郎は、相変わらず」


「相変わらず?」


「何でもない。……ありがとう」


 小さく呟いたその言葉は、普段の淡々とした口調とは違い、どこか熱を帯びていた。

 翔太郎が聞き返そうとすると、アリシアは視線を窓の外に逸らし、頑なにそれ以上は口にしなかった。


「私も知らない人に隣に座られるより、翔太郎が隣に座ってくれる方が良い」


 ぽつりと漏らされた本音に、翔太郎は一瞬返す言葉を失った。

 照れ隠しなのか、アリシアはすぐに髪を耳にかけ、いつもの無表情を取り戻す。


「……アリシアにそんな風に言われるの、変な感じだな」


「変って、何が?」


「いや……前は、もっとよそよそしかったからさ。お互いに」


 そう言いながらも、翔太郎の視線は自然とアリシアを追っていた。

 5月上旬頃であれば、勝手に隣に座ろうものなら、間違いなく「やめてくれる?」と言われていたはずだ。


「そうかもしれない。でも、今は違うでしょ?」


「かもな」


 確かに、今は違う。

 玲奈とは違ったアプローチで距離を詰めたアリシアだったが、何かと同じ境遇である翔太郎も彼女とは親しくしたいと考えるのは自然な事だった。


「それじゃ、ホテルまで隣よろしくな」


「……うん」


 アリシアの返事は短いが、その声にはほんの少しだけ高揚感が混じっていた。


 その時、運転席から運転手の低い声が響いた。


「全員乗車確認、完了。これより出発します」


 エンジンが低く唸り、車体がわずかに震える。

 生徒たちの夏合宿に対する、期待と不安が入り混じった騒めきが車内に満ちていた。


 バスはゆっくりと動き出し、零凰学園を離れて夏合宿の舞台へと向かっていった。

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